【完結】婚約破棄された悪役令嬢は童貞公爵様の恋愛指南役となる

氷 豹人

文字の大きさ
112 / 112

至上最高の日々

しおりを挟む
 ディアミッド商会の応接室は、殺伐とした空気が漂っていた。
 だが、商会の主人の妻はそのような空気には全くお構いなしで、淹れたての紅茶に優雅な仕草で口をつける。凛とした隙のない所作は上流貴族そのもので、ますます客人の息を詰まらせた。
 主人の妻はまだ二十歳の若さではあるものの、倍以上年の離れた客の男を遠回しに威嚇している。男の額にはびっしりと汗の粒が吹き出していた。
「あら、まあ。エリオットさん。どうなさいました? 何だか浮かないお顔ですのね」
 さも今気づいたふうに、マーレイは小首を傾げる。
 薄紫色のドレスの絹地がサラリと音を立てた。
 襟首の詰まったシンプルなデザインだが、胸の形がよくわかり、腰もほっそりしていて、隠しているからこそ逆に男の想像を掻き立てる。そのドレスの真下にある素肌の艶めかしさを思い浮かべた男は、涎を拭うと慌てて胸の前で手を左右に揺すった。
「い、いや。奥さん。今日はちょっとお話がありまして」
「お話?  」
 マーレイは敢えてとぼけた答え方をする。
「で、ですから。返済をもう少し待っていただきたくて」
 媚びるような男の目つきに、マーレイは素知らぬふうにニッコリ笑ってみせた。
「まあ? 待つとは? 」
 笑顔だからこそ、その下に潜んでいる怒りの炎がいくばくか図れず、ますますエリオットを萎縮させた。
「い、一ヶ月後には、必ずお返しいたしますから」
 エリオットは逆三角形の顔がさらに細くなるほど頬をこけさせ、しどろもどろに答える。頭髪に僅かに残された白髪が、心なしかさらに抜け落ちてしまったようにげっそりやつれた。
「あらあ? 一ヶ月後に、どこから収入があるのかしら? 確か博打で随分と損をなさったとお聞きしましたけど? 」
「そ、それは! 」
「お嬢様の、舞台俳優への入れ込みも半端ないとか」
「ど、どこからその話を! 」
「そのような状態で、一ヶ月後にちゃんと返済出来るのかしら? 納得のいくお話をお聞かせいただけるまで、お帰しは出来ませんことよ? 」
 マーレイはティーカップを置くなり、背後にいるハンスへと目線を動かせた。
「ハンスさん。ドアを閉めて」
 バタン、と容赦なくドアが鳴り、ますます空気はどんよりと重く沈んだ。
「さあ。たっぷり時間はありますもの。お話いただけますか? 」
 マーレイは極上の笑顔を張り付かせ、可愛らしく小首を傾げてみせた。


 執務室の椅子に座っていたサーフェスが、脚を組み替える。
 サインを書き終えたばかりの書類を机に広げた。
「あの曲者のエリオットが、とうとう金を返したぞ」
「借りたものは返す。当然の理ですわ」
 マーレイはその書類を手に取ると、三人掛けのソファに腰を下ろした。新たな契約書類に不備がないか確かめる。
「君には舌を巻くよ、マーレイ」
 サーフェスは大袈裟なくらいの拍手を送る。
 昼間は高利貸しの女房。
 夜は公爵夫人。
 見事に顔を使い分けるマーレイは、二十歳そこそこの娘だとは思えないくらいに有能なパートナーであり、最高の妻だ。
 サーフェスは机に肘をつきながら、ニヤニヤ笑って彼女の横顔を堪能している。
「まあ、何を思い出して笑ってらっしゃるの? 」
 視線を感じたマーレイは、微かに眉を寄せた。
「いや。昨夜の舞踏会を思い出してね。君がやり込めたときの、あの女の顔ときたら……笑いが止まらない……」
 サーフェスは、くっくっと喉を鳴らした。
「あなたのお母様よ。あの女などと呼んではいけません」
 サーフェスの母は相変わらず感情の起伏が激しく、昨夜も虫の居所が悪くてマーレイに八つ当たり気味に嫌味を放ってきた。
「それに、やり込めるなど。あの方が私のことを息子を誑かした淫乱などとあらぬ疑いをかけるから、言い返しただけですわ」
 サーフェスの妻になって間もなく一年。姑の扱い方は、だんだんわかってきていたから、そのようなことでいちいち腹を立てたり傷ついたりなんて、今更だ。
「ああ、マーレイ。君は何て可愛らしい女だ。まさに私の理想。女神」
 サーフェスは立ち上がると、早歩きでマーレイの真正面まで来る。すぐさま片膝をついた。
「今すぐ君をベッドに引き込みたい」
 マーレイの左手の薬指にキスを落とす。
 彼女の薬指には、サーフェスとお揃いの純金のシンプルな指輪がピッタリ嵌っていた。
「いけません。まだ仕事の最中です。メリハリをつけないと」
 マーレイは軽くサーフェスの頬を叩いて諌めるものの、余計に欲望に着火させてしまったらしい。
「今は昼休憩だよ、マーレイ」
 サーフェスは妻にアプローチをかける。
「ゆっくり体を休めないとな」
「では、お一人でお休みください」
「君も一緒に休むんだ」
「お断りしますわ」
「君が言ったのだよ。メリハリをつけなければならないと」
「真昼間から不埒なことなんて」
「不埒ではない。夫婦の相互理解を深めることは、大切だろう? 」
 耳朶に熱い吐息を吹きかけられるのが弱点だと把握している。案の定、マーレイは蕩けるような目つきとなる。火照る体を持て余すように、腰をくねらせた。
「全く。仕方のない人ね」
 マーレイはうっとりと目を瞬かせると、愛しい夫の手に自分の手を重ね、この後の展開を思い浮かべて熱っぽい息を零した。




【終わり】



しおりを挟む
感想 9

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(9件)

まっちゃ
2024.08.01 まっちゃ
ネタバレ含む
2024.08.01 氷 豹人

コメントありがとうございます。
これから二人の関係が変わっていきます(^^)

解除
Rush0305
2024.07.25 Rush0305
ネタバレ含む
2024.07.26 氷 豹人

コメントありがとうございます。
はい。かなりヤバい愛人です。
すでにバルモアを尻に敷いていました。

解除
まっちゃ
2024.07.23 まっちゃ
ネタバレ含む
2024.07.23 氷 豹人

コメントありがとうございます。
鈍いからです(^^)
友人の妻も髪型を変えたら、愛人と勘違いするくらいですし

解除

あなたにおすすめの小説

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

王妃を蔑ろにし、愛妾を寵愛していた王が冷遇していた王妃と入れ替わるお話。

ましゅぺちーの
恋愛
王妃を蔑ろにして、愛妾を寵愛していた王がある日突然その王妃と入れ替わってしまう。 王と王妃は体が元に戻るまで周囲に気づかれないようにそのまま過ごすことを決める。 しかし王は王妃の体に入ったことで今まで見えてこなかった愛妾の醜い部分が見え始めて・・・!? 全18話。

貴方の✕✕、やめます

戒月冷音
恋愛
私は貴方の傍に居る為、沢山努力した。 貴方が家に帰ってこなくても、私は帰ってきた時の為、色々準備した。 ・・・・・・・・ しかし、ある事をきっかけに全てが必要なくなった。 それなら私は…

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。