【完結】家庭教師イザベラは子爵様には負けたくない

氷 豹人

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暗闇の中で

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 雑草と土埃を頭から被ったイザベラは、激しく咳込んだ。
 どうやら、井戸に落ちてしまったらしい。
 長年放置されていたその井戸は、落ち葉が溜まり、道と同化してしまっていた。この森に遥か昔、住居が点在していた証拠だ。今では建物一つない森となっている。
 うず高く積もった落ち葉が長い年月により井戸に敷き詰まってクッション代わりとなり、体を硬い石に打ちつけることのなかったのが幸いだった。でないと、今頃二人は確実にこの世には存在していなかったはず。
 だが、問題は大きい。
 天を仰いだルミナスは、忌々し気に舌打ちする。
「井戸が深過ぎて、地上からロープを垂らしてもらわなければ、抜け出せないな」
「よ、よじ登るのは」
「石が滑って不可能」
 即答。
「井戸が干上がっているのが、幸いだった。もし水が張っていたら、急速に体温を奪われていた」
 何の慰めにもならない。
 イザベラは項垂れる。
「だが、夜は急激に冷える」
 さらにルミナスは追い討ちをかけてきて、ますますイザベラを憂鬱にさせた。
「イザベラ、来なさい」
 ふかふかの落ち葉の上に胡座をかいたルミナスは、両手を広げる。膝の上に座れと言いたいのだ。これから夜も更けていけば、ますます気温は下がり、体温が奪われていくのは明らか。それを避けるためにも、今は恥ずかしがって距離を取っている場合ではない。
 イザベラは神妙に頷くと、ルミナスの命じた通りに彼の胸に背中をつけて、太腿にちょこんと乗った。
「こ、こんなことに巻き込んでしまって」
「夫婦なのだから、問題解決を共にするのは当然のことだ」
 申し訳なさに謝れば、返答と同時に首筋にキスが落ちる。ヒッとイザベラの首が竦んだ。
 幾ら暖を取るためとはいえ、ルミナスの息遣いを耳に直に聞いて、イザベラは平然ではいられない。
 頭がくらくらして、気を張っていないと意識が飛んでしまいそうだ。
「まずは炎を消さなければいけないから、もしかしたら今夜は助けが来ないかもな」
 絶望的な台詞を淡々と述べられ、イザベラの息が詰まる。
 いつ助けが来るかわからない状況。
 井戸が深過ぎて、地上の梟の鳴き声さえ届かない。
 おまけに月さえない、真っ暗闇。
 光も音もない空間。
 まるで、世界に二人きりで取り残されてしまったよう。
「大丈夫だ、明日にはきっと来る」
 ルミナスの励ましさえ、逆に不安を膨らませる。


「お互い、心のわだかまりをなくして、腹を割って話さないか? 」
 永遠に続きそうな沈黙の後、ふとルミナスが提案してきた。
 互いの息遣いばかりでは、おかしくなってしまいそうだ。
 彼もそう考えたのだろうか。
 イザベラがそう推測している最中、不意に薬指にキスをされた。金の指輪は夜の気温に晒されて、随分と冷たい。
「私は君と本物の夫婦になりたい」
 気温は下がっているのに、項にかかるルミナスの吐息は熱い。
「本物? 」
「ああ。偽装ではなく。本物の夫婦に」
 彼からハッキリ言葉にされて、イザベラの決意は固まった。
 あれほど憎み、無意識下で追い求めていた唯一の肉親である父を切り離した今、イザベラにわだかまりはない。求めた家族は、家族ではなかった。
「ルミナス様。愛しています」
 それは、心の奥底に仕舞い込んであった。
「あなたの子供が欲しいわ」
 イザベラは偽ることなく、心の声を舌先に乗せる。
 背後の気配が強張った。
「あなたとアリアと。そして、生まれてくるであろう子供と。きっと私達は素晴らしい家族になれるわ」
 もしも叶うなら。
 ずっと空想していた。
 ルミナスと、アリアと、睦まじく暮らす未来を。まるで御伽話を現実世界だと勘違いしている少女のように、イザベラは空想に夢中になる。
「おい、君。何だか最期の言葉のようではないか」
 やや怒っているような、困ったような、弱々しいルミナスの呟き。
 イザベラは構わず瞼を閉じて空想を続けた。
「それに、その言葉はベッドの中で聞きたかったよ」
 突如、項に吹き掛かる声が低くなる。
 ルミナスの呻きがイザベラの耳朶を掠めた。






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