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媚薬の効果 ※
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マチルダは吐息で彼の名前を呼んだ。
「……ロイ」
名を呼んだところで、どうにかなるわけではない。
そもそも、ローレンスを訪ねて彼と会って、その後のことなど考えすらしていなかった。
ただ、彼に会いたい。
会いたくて、会いたくて。
マチルダは本能の赴くまま、馬車を走らせていた。
高級娼館ローレンスは、貴族が極秘裏に訪れる場所。例に漏れずマチルダも三筋先で馬車を降りて、歩いて目的地まで向かった。
ふらふらと体が傾くマチルダに、ロイは訝しげに眉を寄せる。
「な、ななな何だ? 酔っ払っているのか? 」
さすがに支えてやらなければ、マチルダは真後ろにひっくり返ってしまいかねない。今度は躊躇いなくマチルダの腰に手が回る。
「お前が取り乱すなんて珍しいな、ロイ」
「お前は黙っていろ、ぬいぐるみ野郎」
執務机に肘を突きながら茶化してくる相手に犬歯を剥き出した。
マチルダはロイの服の袖を引っ張って、こちらを向くよう催促する。
その唇から漏れる吐息は艶めかしい。
睫毛に乗る微かな雫も、いやに扇状的だ。
ロイの喉仏が上下した。
「礼儀にうるさい君らしくないな。一体、何があったんだ? 」
いつもなら品行方正ぶって、色気など微塵も覗かせないのに。
困惑しきりのロイの肩を、彼の友人が小突いた。
「ロイ。彼女から異様に甘い匂いがしないか? 」
「確かに」
わざわざ鼻をひくつかせずとも、零れる吐息は胸焼けするくらい甘ったるい。
「この甘い匂いは、おそらく今、王都で問題になっている違法薬物だろう」
「何だと! 」
「間違いない。口にすれば、どんなやつでも立ち所に乱れるって評判の強い薬だ」
「誰に飲まされた! 」
「私が知るわけないだろう。だが、この脈の速さ、顔の火照り、それから……」
一旦言葉を止めて、マチルダのドレスの裾を注視する。
二人とある程度距離をとっていたからこそ、ロイの友人はマチルダの状態に気がついた。
「マチルダ嬢。スカートの裾を捲ってごらん」
「おい、何を命令してるんだ。殺すぞ」
「落ち着け。見てみろ」
マチルダはぼんやりと、言われるがままドレスの裾を摘んだ。
ほっそりとした足首が覗く。
「なっ! 何が! 」
ロイ、絶句。
マチルダの足首に、ぬらぬらした透明の粘液が滴り落ちていたからだ。
経験を積んできた者としては、それが何であるかピンとくる。
が、それとマチルダが結びつくなど、信じられない。
「おい。これ以上見るな。やめろ」
ロイは慌ててドレスの裾を引っ張って、それを隠した。
「媚薬の効果で間違いないだろう」
確信する友人。
お堅い子爵令嬢らしからぬ行為に、認めざるを得ない。
マチルダは媚薬によって我を失くしている。
「効果が切れるのはいつだ! 」
「およそ半日」
「くそ! 」
「落ち着け」
八つ当たり気味にテーブルの足を蹴り飛ばすロイと違って、友人は至って冷静だ。
マチルダは、睫毛を瞬かせる。
もう熱くて熱くて。さっさとドレスを脱いでしまいたい。もう、構っていられない。
マチルダは感情の赴くまま、胸元を大きく開いた。
豊かな胸がたわみ、今にも胸の先が見えそうなくらいドレスの前がずり落ちる。
ロイは慌てて生地を引っ張って阻止した。
が、このままでは、いつ素っ裸になることやら。
「仮眠室の鍵を寄越せ」
友人に短く命じる。
「おいおい。ここは高級娼館なんだ。場末の宿屋じゃないんだぞ」
「こんな状態で外に放り出せるわけないだろ! 」
「まあな。あっと言う間に柄の悪いやつらに食われてしまうだろうな」
挑発的に友人は頬肉を歪ませ、執務机の二段目の引き出しを開けた。
「アニストン家の馬車は、屋敷に戻させよう。どうせ、三筋先で待たせているだろうからな」
「そうしてくれ」
「ほら、鍵だ」
青銅の鍵が宙空に曲線を描く。
ロイは片手でそれを受け取った。
「くれぐれもレディを丁重に扱えよ。肉食動物」
「誤解するな。意識のはっきりしない女を襲うものか。ベッドに寝かせるだけだ」
「襲わないのか? 」
「当たり前だ! 」
ロイは気の利いた返しもしない。いつもの飄々とした余裕など、どこにもなかった。
「やれやれ。やけに行儀の良い肉食動物だな」
残念そうに肩を竦める友人を、ロイはジロリと睨んだ。
「来い! マチルダ! 」
言うなりマチルダをヒョイと軽々肩に担ぐ。
いつもなら激しく抵抗し、無礼な輩を罵倒しているはず。
だが、微睡をさまよう今のマチルダは、まるで船に揺られるような心地になって、うっとりと瞼を閉じるのみ。なすがままだ。
「……ロイ」
名を呼んだところで、どうにかなるわけではない。
そもそも、ローレンスを訪ねて彼と会って、その後のことなど考えすらしていなかった。
ただ、彼に会いたい。
会いたくて、会いたくて。
マチルダは本能の赴くまま、馬車を走らせていた。
高級娼館ローレンスは、貴族が極秘裏に訪れる場所。例に漏れずマチルダも三筋先で馬車を降りて、歩いて目的地まで向かった。
ふらふらと体が傾くマチルダに、ロイは訝しげに眉を寄せる。
「な、ななな何だ? 酔っ払っているのか? 」
さすがに支えてやらなければ、マチルダは真後ろにひっくり返ってしまいかねない。今度は躊躇いなくマチルダの腰に手が回る。
「お前が取り乱すなんて珍しいな、ロイ」
「お前は黙っていろ、ぬいぐるみ野郎」
執務机に肘を突きながら茶化してくる相手に犬歯を剥き出した。
マチルダはロイの服の袖を引っ張って、こちらを向くよう催促する。
その唇から漏れる吐息は艶めかしい。
睫毛に乗る微かな雫も、いやに扇状的だ。
ロイの喉仏が上下した。
「礼儀にうるさい君らしくないな。一体、何があったんだ? 」
いつもなら品行方正ぶって、色気など微塵も覗かせないのに。
困惑しきりのロイの肩を、彼の友人が小突いた。
「ロイ。彼女から異様に甘い匂いがしないか? 」
「確かに」
わざわざ鼻をひくつかせずとも、零れる吐息は胸焼けするくらい甘ったるい。
「この甘い匂いは、おそらく今、王都で問題になっている違法薬物だろう」
「何だと! 」
「間違いない。口にすれば、どんなやつでも立ち所に乱れるって評判の強い薬だ」
「誰に飲まされた! 」
「私が知るわけないだろう。だが、この脈の速さ、顔の火照り、それから……」
一旦言葉を止めて、マチルダのドレスの裾を注視する。
二人とある程度距離をとっていたからこそ、ロイの友人はマチルダの状態に気がついた。
「マチルダ嬢。スカートの裾を捲ってごらん」
「おい、何を命令してるんだ。殺すぞ」
「落ち着け。見てみろ」
マチルダはぼんやりと、言われるがままドレスの裾を摘んだ。
ほっそりとした足首が覗く。
「なっ! 何が! 」
ロイ、絶句。
マチルダの足首に、ぬらぬらした透明の粘液が滴り落ちていたからだ。
経験を積んできた者としては、それが何であるかピンとくる。
が、それとマチルダが結びつくなど、信じられない。
「おい。これ以上見るな。やめろ」
ロイは慌ててドレスの裾を引っ張って、それを隠した。
「媚薬の効果で間違いないだろう」
確信する友人。
お堅い子爵令嬢らしからぬ行為に、認めざるを得ない。
マチルダは媚薬によって我を失くしている。
「効果が切れるのはいつだ! 」
「およそ半日」
「くそ! 」
「落ち着け」
八つ当たり気味にテーブルの足を蹴り飛ばすロイと違って、友人は至って冷静だ。
マチルダは、睫毛を瞬かせる。
もう熱くて熱くて。さっさとドレスを脱いでしまいたい。もう、構っていられない。
マチルダは感情の赴くまま、胸元を大きく開いた。
豊かな胸がたわみ、今にも胸の先が見えそうなくらいドレスの前がずり落ちる。
ロイは慌てて生地を引っ張って阻止した。
が、このままでは、いつ素っ裸になることやら。
「仮眠室の鍵を寄越せ」
友人に短く命じる。
「おいおい。ここは高級娼館なんだ。場末の宿屋じゃないんだぞ」
「こんな状態で外に放り出せるわけないだろ! 」
「まあな。あっと言う間に柄の悪いやつらに食われてしまうだろうな」
挑発的に友人は頬肉を歪ませ、執務机の二段目の引き出しを開けた。
「アニストン家の馬車は、屋敷に戻させよう。どうせ、三筋先で待たせているだろうからな」
「そうしてくれ」
「ほら、鍵だ」
青銅の鍵が宙空に曲線を描く。
ロイは片手でそれを受け取った。
「くれぐれもレディを丁重に扱えよ。肉食動物」
「誤解するな。意識のはっきりしない女を襲うものか。ベッドに寝かせるだけだ」
「襲わないのか? 」
「当たり前だ! 」
ロイは気の利いた返しもしない。いつもの飄々とした余裕など、どこにもなかった。
「やれやれ。やけに行儀の良い肉食動物だな」
残念そうに肩を竦める友人を、ロイはジロリと睨んだ。
「来い! マチルダ! 」
言うなりマチルダをヒョイと軽々肩に担ぐ。
いつもなら激しく抵抗し、無礼な輩を罵倒しているはず。
だが、微睡をさまよう今のマチルダは、まるで船に揺られるような心地になって、うっとりと瞼を閉じるのみ。なすがままだ。
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