【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

文字の大きさ
28 / 114

媚薬の効果 ※

 マチルダは吐息で彼の名前を呼んだ。
「……ロイ」
 名を呼んだところで、どうにかなるわけではない。
 そもそも、ローレンスを訪ねて彼と会って、その後のことなど考えすらしていなかった。
 ただ、彼に会いたい。
 会いたくて、会いたくて。
 マチルダは本能の赴くまま、馬車を走らせていた。
 高級娼館ローレンスは、貴族が極秘裏に訪れる場所。例に漏れずマチルダも三筋先で馬車を降りて、歩いて目的地まで向かった。
 ふらふらと体が傾くマチルダに、ロイは訝しげに眉を寄せる。
「な、ななな何だ? 酔っ払っているのか? 」
 さすがに支えてやらなければ、マチルダは真後ろにひっくり返ってしまいかねない。今度は躊躇いなくマチルダの腰に手が回る。
「お前が取り乱すなんて珍しいな、ロイ」
「お前は黙っていろ、ぬいぐるみ野郎」
 執務机に肘を突きながら茶化してくる相手に犬歯を剥き出した。
 マチルダはロイの服の袖を引っ張って、こちらを向くよう催促する。
 その唇から漏れる吐息は艶めかしい。
 睫毛に乗る微かな雫も、いやに扇状的だ。
 ロイの喉仏が上下した。
「礼儀にうるさい君らしくないな。一体、何があったんだ? 」
 いつもなら品行方正ぶって、色気など微塵も覗かせないのに。
 困惑しきりのロイの肩を、彼の友人が小突いた。
「ロイ。彼女から異様に甘い匂いがしないか? 」
「確かに」
 わざわざ鼻をひくつかせずとも、零れる吐息は胸焼けするくらい甘ったるい。
「この甘い匂いは、おそらく今、王都で問題になっている違法薬物だろう」
「何だと! 」
「間違いない。口にすれば、どんなやつでも立ち所に乱れるって評判の強い薬だ」
「誰に飲まされた! 」
「私が知るわけないだろう。だが、この脈の速さ、顔の火照り、それから……」
 一旦言葉を止めて、マチルダのドレスの裾を注視する。
 二人とある程度距離をとっていたからこそ、ロイの友人はマチルダの状態に気がついた。
「マチルダ嬢。スカートの裾を捲ってごらん」
「おい、何を命令してるんだ。殺すぞ」
「落ち着け。見てみろ」
 マチルダはぼんやりと、言われるがままドレスの裾を摘んだ。
 ほっそりとした足首が覗く。
「なっ! 何が! 」
 ロイ、絶句。
 マチルダの足首に、ぬらぬらした透明の粘液が滴り落ちていたからだ。
 経験を積んできた者としては、それが何であるかピンとくる。
 が、それとマチルダが結びつくなど、信じられない。
「おい。これ以上見るな。やめろ」
 ロイは慌ててドレスの裾を引っ張って、それを隠した。
「媚薬の効果で間違いないだろう」
 確信する友人。
 お堅い子爵令嬢らしからぬ行為に、認めざるを得ない。
 マチルダは媚薬によって我を失くしている。
「効果が切れるのはいつだ! 」
「およそ半日」
「くそ! 」
「落ち着け」
 八つ当たり気味にテーブルの足を蹴り飛ばすロイと違って、友人は至って冷静だ。
 マチルダは、睫毛を瞬かせる。
 もう熱くて熱くて。さっさとドレスを脱いでしまいたい。もう、構っていられない。
 マチルダは感情の赴くまま、胸元を大きく開いた。
 豊かな胸がたわみ、今にも胸の先が見えそうなくらいドレスの前がずり落ちる。
 ロイは慌てて生地を引っ張って阻止した。
 が、このままでは、いつ素っ裸になることやら。
「仮眠室の鍵を寄越せ」
 友人に短く命じる。
「おいおい。ここは高級娼館なんだ。場末の宿屋じゃないんだぞ」
「こんな状態で外に放り出せるわけないだろ! 」
「まあな。あっと言う間に柄の悪いやつらに食われてしまうだろうな」 
 挑発的に友人は頬肉を歪ませ、執務机の二段目の引き出しを開けた。
「アニストン家の馬車は、屋敷に戻させよう。どうせ、三筋先で待たせているだろうからな」
「そうしてくれ」
「ほら、鍵だ」
 青銅の鍵が宙空に曲線を描く。
 ロイは片手でそれを受け取った。
「くれぐれもレディを丁重に扱えよ。肉食動物カーニボー
「誤解するな。意識のはっきりしない女を襲うものか。ベッドに寝かせるだけだ」
「襲わないのか? 」
「当たり前だ! 」
 ロイは気の利いた返しもしない。いつもの飄々とした余裕など、どこにもなかった。
「やれやれ。やけに行儀の良い肉食動物だな」
 残念そうに肩を竦める友人を、ロイはジロリと睨んだ。
「来い! マチルダ! 」
 言うなりマチルダをヒョイと軽々肩に担ぐ。
 いつもなら激しく抵抗し、無礼な輩を罵倒しているはず。
 だが、微睡をさまよう今のマチルダは、まるで船に揺られるような心地になって、うっとりと瞼を閉じるのみ。なすがままだ。
感想 5

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています

六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。 しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。 「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

悪役皇女は二度目の人生死にたくない〜義弟と婚約者にはもう放っておいて欲しい〜

abang
恋愛
皇女シエラ・ヒペリュアンと皇太子ジェレミア・ヒペリュアンは血が繋がっていない。 シエラは前皇后の不貞によって出来た庶子であったが皇族の醜聞を隠すためにその事実は伏せられた。 元々身体が弱かった前皇后は、名目上の療養中に亡くなる。 現皇后と皇帝の間に生まれたのがジェレミアであった。 "容姿しか取り柄の無い頭の悪い皇女"だと言われ、皇后からは邪険にされる。 皇帝である父に頼んで婚約者となった初恋のリヒト・マッケンゼン公爵には相手にもされない日々。 そして日々違和感を感じるデジャブのような感覚…するとある時…… 「私…知っているわ。これが前世というものかしら…、」 突然思い出した自らの未来の展開。 このままではジェレミアに利用され、彼が皇帝となった後、汚れた部分の全ての罪を着せられ処刑される。 「それまでに…家出資金を貯めるのよ!」 全てを思い出したシエラは死亡フラグを回避できるのか!? 「リヒト、婚約を解消しましょう。」         「姉様は僕から逃げられない。」 (お願いだから皆もう放っておいて!)