38 / 114
執務室の呑気な男
しおりを挟む
「そろそろ来る頃だと思ったよ」
ローレンスの執務室のドアを連打したマチルダは、短い返事を待たずして開けると、執務椅子に浅く腰かけ脚を組むロイに出迎えられた。
顔を真っ赤にして鼻息を荒くする、レディとしての品格を後回しにしたマチルダを前にしても、ロイは驚く素振りすら見せず、「或る愛の軌跡」なる官能小説のページを捲った。
「今、良いとこなんだ。未亡人がいよいよ下着を脱ぐぞ」
などと、呑気に文章を指でなぞり、視線すら寄越さない。
マチルダはそれをひったくるなり、音を立てて執務机に叩きつけた。
「おい、何をするんだ。これからなのに」
ムスッとして、マチルダを睨みつける。
ロイの機嫌を損ねようが、関係ない。どんどんと、拳をテーブルに打ちつけた。
「た、大変よ! 大変なのよ! 」
物凄い剣幕で机を叩きつける。そのあまりの勢いに、端に積まれた書類が一枚、二枚とひらひらした。ブルーブラックのインク瓶が振動する。
倒れて書類が滅茶苦茶になる前に、ロイはさっとインク瓶を持ち上げた。
「この机は友人の特注品で、野郎がとても気に入っているんだ。壊したりしたら、首を締め上げられるぞ」
ようやくマチルダは上下する腕を止めた。
興奮し過ぎて、腰まで波打つ髪が乱れてしまっている。こめかみから頬のラインへ、汗の雫が垂れた。ゼイハアと、荒々しく肩を上下させる。
いつもはツンツンと澄ましているマチルダだが、首が飛ぶ恐怖を前に、冷静でいられるわけがない。
「ああ、うるさい、うるさい。あまり取り乱すな。キンキンとうるさい。昨夜も遅くまで調べ物をしていて、あまり寝ていないんだ」
「まだネズミ退治に奔走しているの? 」
「ああ。なかなか強かなネズミでね。その話は誰から聞いた? 」
「あなたのご友人から」
「あのクマ野郎。べらべらと余計なことを」
イラついたようにロイは鼻に皺を寄せた。
あまり寝ていないのは確かだろう。
浅黒く日に焼けた健康な肌は、今はどことなく血の気がない。そう思わせるのは、目の下に大きく作られた隈のせいだ。ギラギラしていた鋭い双眸も、ぼんやりして覇気を失っていた。
椅子に浅く腰かけ、気怠げに肘掛けに肘を乗せるその姿に、マチルダは一瞬、話を続けるかどうか躊躇った。
が、このまま放置して良いわけがない。
「そうなの……ではなくて! 落ち着いている場合ではないのよ! 大変なの! 」
「だから、何が大変なんだ」
さらにロイの苛立ちが増す。
彼はまだ状況を把握していないから仕方のないことだが、悲壮感丸出しのマチルダにとって、ロイの態度は呑気以外の何物でもない。
「これを見てちょうだい! 」
マチルダは唾を飛ばし、箔押しの封筒を突き出した。
ローレンスの執務室のドアを連打したマチルダは、短い返事を待たずして開けると、執務椅子に浅く腰かけ脚を組むロイに出迎えられた。
顔を真っ赤にして鼻息を荒くする、レディとしての品格を後回しにしたマチルダを前にしても、ロイは驚く素振りすら見せず、「或る愛の軌跡」なる官能小説のページを捲った。
「今、良いとこなんだ。未亡人がいよいよ下着を脱ぐぞ」
などと、呑気に文章を指でなぞり、視線すら寄越さない。
マチルダはそれをひったくるなり、音を立てて執務机に叩きつけた。
「おい、何をするんだ。これからなのに」
ムスッとして、マチルダを睨みつける。
ロイの機嫌を損ねようが、関係ない。どんどんと、拳をテーブルに打ちつけた。
「た、大変よ! 大変なのよ! 」
物凄い剣幕で机を叩きつける。そのあまりの勢いに、端に積まれた書類が一枚、二枚とひらひらした。ブルーブラックのインク瓶が振動する。
倒れて書類が滅茶苦茶になる前に、ロイはさっとインク瓶を持ち上げた。
「この机は友人の特注品で、野郎がとても気に入っているんだ。壊したりしたら、首を締め上げられるぞ」
ようやくマチルダは上下する腕を止めた。
興奮し過ぎて、腰まで波打つ髪が乱れてしまっている。こめかみから頬のラインへ、汗の雫が垂れた。ゼイハアと、荒々しく肩を上下させる。
いつもはツンツンと澄ましているマチルダだが、首が飛ぶ恐怖を前に、冷静でいられるわけがない。
「ああ、うるさい、うるさい。あまり取り乱すな。キンキンとうるさい。昨夜も遅くまで調べ物をしていて、あまり寝ていないんだ」
「まだネズミ退治に奔走しているの? 」
「ああ。なかなか強かなネズミでね。その話は誰から聞いた? 」
「あなたのご友人から」
「あのクマ野郎。べらべらと余計なことを」
イラついたようにロイは鼻に皺を寄せた。
あまり寝ていないのは確かだろう。
浅黒く日に焼けた健康な肌は、今はどことなく血の気がない。そう思わせるのは、目の下に大きく作られた隈のせいだ。ギラギラしていた鋭い双眸も、ぼんやりして覇気を失っていた。
椅子に浅く腰かけ、気怠げに肘掛けに肘を乗せるその姿に、マチルダは一瞬、話を続けるかどうか躊躇った。
が、このまま放置して良いわけがない。
「そうなの……ではなくて! 落ち着いている場合ではないのよ! 大変なの! 」
「だから、何が大変なんだ」
さらにロイの苛立ちが増す。
彼はまだ状況を把握していないから仕方のないことだが、悲壮感丸出しのマチルダにとって、ロイの態度は呑気以外の何物でもない。
「これを見てちょうだい! 」
マチルダは唾を飛ばし、箔押しの封筒を突き出した。
40
あなたにおすすめの小説
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
悪役令嬢に相応しいエンディング
無色
恋愛
月の光のように美しく気高い、公爵令嬢ルナティア=ミューラー。
ある日彼女は卒業パーティーで、王子アイベックに国外追放を告げられる。
さらには平民上がりの令嬢ナージャと婚約を宣言した。
ナージャはルナティアの悪い評判をアイベックに吹聴し、彼女を貶めたのだ。
だが彼らは愚かにも知らなかった。
ルナティアには、ミューラー家には、貴族の令嬢たちしか知らない裏の顔があるということを。
そして、待ち受けるエンディングを。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる