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花の繁殖力
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マチルダは、ロイがいやらしく頬を歪めていることに気づいた。
執務室に入ってすぐ、彼が官能小説を読んでいたときと同じ類の顔だ。今まさに未亡人が下着を脱ぐ場面だとのたまったときの。
だが、その小説は裏向きにして机の上に置かれている。
彼の欲望の着火剤が見当たらない。
「……? 」
マチルダは怪訝に眉をひそめた。
だが、その答えは実にあっさりと明かされた。
「随分と大胆な誘い方だな」
「え? 」
ロイの視線を辿ったマチルダは、たちまち体を仰け反らせた。
ドレスの裾を腰まで捲り上げ、下着丸出しで、片方の足を机に乗り上げていたからだ。
「ま、まあ! 私ったら! 」
興奮し過ぎて、自分がどのような格好をしているかわからなかった。
淑女失格だ。
慌てて机をから退くと、捲ったドレスをぐいぐい引っ張って直す。リボン飾りが引っ掛かって、上手に直せない。
ロイの方を向かずとも、彼の視線が剥き出しの下着にあるのがわかって、マチルダは余計に焦った。焦れば焦るほど、飾りが絡んでしまう。
「仕方のないお嬢さんだな」
ニヤニヤと白い歯を覗かせなが、ロイは優雅に椅子から立ち上がると、まるで手品師のような滑らかな手つきでドレス飾りの引っ掛かりを解いた。
生地の皺を整えるロイの手が、マチルダの手にほんの一瞬触れた。
たちまち、マチルダの体がぴくりと跳ねた。
「まだ男に慣れないのか? 」
呆れたようにロイが肩を竦めた。
「この間は、この私を翻弄するくらい、それは物凄い」
「言わないで! 」
マチルダはピシャリと遮った。
彼に背を向けて、全身で拒絶する。
「き、記憶にないから。あれは何もなかったのと同然です」
「しかし、破瓜の事実に変わりはないだろ」
「もう忘れてください! 」
己がどのような痴態を演じたのか。記憶がごっそり抜け落ちてしまっていたが、ポツリポツリと口にするロイの言葉がだんだん繋ぎ合わさってきて、マチルダはぞくぞくと背筋を震わせた。
「まったく。勝手な女だな」
あくまで品行方正なレディにしがみつきたいマチルダに対して、ロイは思い切り舌打ちする。
「自分から襲いにかかってきたかと思えば、あれを忘れろだと? 」
罵られたところで、マチルダは知らないのだから。むしろ、これ以上知りたくない。
「この紋章の花は知っているか? 」
やれやれと首を振ったロイは、話題を転じた。
シャツの第二ボタンを引き千切り、手の平に乗せた。
「勿忘草でしょ」
話題が変わったことで、マチルダは向き直る。
「繁殖力のある花だ」
「そうなの? 」
「そうだ。ガーデニングには持ってこいなくらい、子孫繁栄する」
「それが何? 」
言葉の裏側は読み取れない。
だが、ロイのことだから、花言葉の「私を忘れないで」「真実の愛」のような清廉さから程遠いのは想像に難くない。
「ロマンチックな花言葉があるのに。あなたの言い方は、どことなく卑猥に聞こえるわ」
「そう聞こえるように言葉を選んでいる」
「最低」
やはり、マチルダの想像していた通り。
氷の魔女の異名を持つ怜悧な眼差しを向ける。
ロイは頭がくらくらするくらい極上の笑顔で、それを跳ね返した。
「我が家にピッタリだと思うんだ」
勿忘草を家に例える。
「繁殖力が? 」
「ああ。我が一族はそれで栄えてきた」
「何が仰りたいの? 」
「君もうちの家にもってこいの人財だよ」
意味がわからないが、気に障ることを言われたのは間違いない。
「この間の件で確信した。君は私の繁殖に大いに貢献しそうだ」
今度こそロイの言葉の意味をしっかり理解したマチルダは、容赦しなかった。
骨を砕きそうなくらいの鈍い音が室内に反響する。
「痛えええ! いきなり殴るやつがあるか! 」
左頬を押さえながら、ロイは顔をしかめて呻いた。
問答無用だから、マチルダの拳も赤く腫れてしまった。
「レディに対して無礼だわ! 」
「レディが男の頬を拳で殴るか」
「あなたが悪いのよ! 」
「君があんまり自分勝手だからだろ」
ロイからの非難に、マチルダはハッと目を見開く。
「私の気持ちは置いてけぼりか」
ロイは悔しそうに奥歯を噛んだ。
マチルダは目を伏せた。
確かに、鍛え抜いた逞しい男が、二十歳そこそこの娘に襲い掛かられたなんて、誰にも打ち明けられないだろう。
「そ、それは……こんな女が襲って、あなたの自尊心を傷つけたことは謝ります……」
「別に謝ってほしいわけではない」
「慰謝料が必要なら、弁護士を挟んで話し合いをして、それから」
「話を飛躍するな」
どんどん昏い内容に持ち込んでいくマチルダを、ロイは鬱陶しそうに止めた。
「抵抗出来なかったから悔しいわけじゃない。振り払うなんて容易いことだ」
「そ、それなら。何故、抵抗しなかったのですか。そうしたら、こんなことには」
彼を襲って、ややこしいことにはならなかったのに。
幾らマチルダの記憶がなくとも、犯してしまった事実は消えない。
ロイは舌打ちすると、眉毛にかかる前髪を掻き上げた。
「君は果てしなく鈍感だな」
「何ですって」
聞き捨てならない台詞に、それまでしおらしく俯いていたマチルダが上向き、牙を剥く。
「お互いに平行線のままだな」
下手くそな役者ですらここまで大袈裟に肩を竦めたりはしないだろうというくらい、ロイの身振りは大きかった。
「とにかく、何の心配もいらないから。君は堂々とブライス伯爵の招待を受けろ」
ロイは命令を下す。
確かに彼の言う通りにした方が賢明だ。
貴族の付き合いを蔑ろにしては、この先、社交界で平穏にやっていくことは不可能。ましてや、相手は上級貴族。
マチルダは大広間で断罪される舞台のシーンを思い出し、鬱々した息を吐き出した。
執務室に入ってすぐ、彼が官能小説を読んでいたときと同じ類の顔だ。今まさに未亡人が下着を脱ぐ場面だとのたまったときの。
だが、その小説は裏向きにして机の上に置かれている。
彼の欲望の着火剤が見当たらない。
「……? 」
マチルダは怪訝に眉をひそめた。
だが、その答えは実にあっさりと明かされた。
「随分と大胆な誘い方だな」
「え? 」
ロイの視線を辿ったマチルダは、たちまち体を仰け反らせた。
ドレスの裾を腰まで捲り上げ、下着丸出しで、片方の足を机に乗り上げていたからだ。
「ま、まあ! 私ったら! 」
興奮し過ぎて、自分がどのような格好をしているかわからなかった。
淑女失格だ。
慌てて机をから退くと、捲ったドレスをぐいぐい引っ張って直す。リボン飾りが引っ掛かって、上手に直せない。
ロイの方を向かずとも、彼の視線が剥き出しの下着にあるのがわかって、マチルダは余計に焦った。焦れば焦るほど、飾りが絡んでしまう。
「仕方のないお嬢さんだな」
ニヤニヤと白い歯を覗かせなが、ロイは優雅に椅子から立ち上がると、まるで手品師のような滑らかな手つきでドレス飾りの引っ掛かりを解いた。
生地の皺を整えるロイの手が、マチルダの手にほんの一瞬触れた。
たちまち、マチルダの体がぴくりと跳ねた。
「まだ男に慣れないのか? 」
呆れたようにロイが肩を竦めた。
「この間は、この私を翻弄するくらい、それは物凄い」
「言わないで! 」
マチルダはピシャリと遮った。
彼に背を向けて、全身で拒絶する。
「き、記憶にないから。あれは何もなかったのと同然です」
「しかし、破瓜の事実に変わりはないだろ」
「もう忘れてください! 」
己がどのような痴態を演じたのか。記憶がごっそり抜け落ちてしまっていたが、ポツリポツリと口にするロイの言葉がだんだん繋ぎ合わさってきて、マチルダはぞくぞくと背筋を震わせた。
「まったく。勝手な女だな」
あくまで品行方正なレディにしがみつきたいマチルダに対して、ロイは思い切り舌打ちする。
「自分から襲いにかかってきたかと思えば、あれを忘れろだと? 」
罵られたところで、マチルダは知らないのだから。むしろ、これ以上知りたくない。
「この紋章の花は知っているか? 」
やれやれと首を振ったロイは、話題を転じた。
シャツの第二ボタンを引き千切り、手の平に乗せた。
「勿忘草でしょ」
話題が変わったことで、マチルダは向き直る。
「繁殖力のある花だ」
「そうなの? 」
「そうだ。ガーデニングには持ってこいなくらい、子孫繁栄する」
「それが何? 」
言葉の裏側は読み取れない。
だが、ロイのことだから、花言葉の「私を忘れないで」「真実の愛」のような清廉さから程遠いのは想像に難くない。
「ロマンチックな花言葉があるのに。あなたの言い方は、どことなく卑猥に聞こえるわ」
「そう聞こえるように言葉を選んでいる」
「最低」
やはり、マチルダの想像していた通り。
氷の魔女の異名を持つ怜悧な眼差しを向ける。
ロイは頭がくらくらするくらい極上の笑顔で、それを跳ね返した。
「我が家にピッタリだと思うんだ」
勿忘草を家に例える。
「繁殖力が? 」
「ああ。我が一族はそれで栄えてきた」
「何が仰りたいの? 」
「君もうちの家にもってこいの人財だよ」
意味がわからないが、気に障ることを言われたのは間違いない。
「この間の件で確信した。君は私の繁殖に大いに貢献しそうだ」
今度こそロイの言葉の意味をしっかり理解したマチルダは、容赦しなかった。
骨を砕きそうなくらいの鈍い音が室内に反響する。
「痛えええ! いきなり殴るやつがあるか! 」
左頬を押さえながら、ロイは顔をしかめて呻いた。
問答無用だから、マチルダの拳も赤く腫れてしまった。
「レディに対して無礼だわ! 」
「レディが男の頬を拳で殴るか」
「あなたが悪いのよ! 」
「君があんまり自分勝手だからだろ」
ロイからの非難に、マチルダはハッと目を見開く。
「私の気持ちは置いてけぼりか」
ロイは悔しそうに奥歯を噛んだ。
マチルダは目を伏せた。
確かに、鍛え抜いた逞しい男が、二十歳そこそこの娘に襲い掛かられたなんて、誰にも打ち明けられないだろう。
「そ、それは……こんな女が襲って、あなたの自尊心を傷つけたことは謝ります……」
「別に謝ってほしいわけではない」
「慰謝料が必要なら、弁護士を挟んで話し合いをして、それから」
「話を飛躍するな」
どんどん昏い内容に持ち込んでいくマチルダを、ロイは鬱陶しそうに止めた。
「抵抗出来なかったから悔しいわけじゃない。振り払うなんて容易いことだ」
「そ、それなら。何故、抵抗しなかったのですか。そうしたら、こんなことには」
彼を襲って、ややこしいことにはならなかったのに。
幾らマチルダの記憶がなくとも、犯してしまった事実は消えない。
ロイは舌打ちすると、眉毛にかかる前髪を掻き上げた。
「君は果てしなく鈍感だな」
「何ですって」
聞き捨てならない台詞に、それまでしおらしく俯いていたマチルダが上向き、牙を剥く。
「お互いに平行線のままだな」
下手くそな役者ですらここまで大袈裟に肩を竦めたりはしないだろうというくらい、ロイの身振りは大きかった。
「とにかく、何の心配もいらないから。君は堂々とブライス伯爵の招待を受けろ」
ロイは命令を下す。
確かに彼の言う通りにした方が賢明だ。
貴族の付き合いを蔑ろにしては、この先、社交界で平穏にやっていくことは不可能。ましてや、相手は上級貴族。
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