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繁栄までの道
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「百年前、我が一族は消滅の危機にあったの」
紅茶に口をつけるその姿は、まさしく優雅。
オリビアを乗せた黒塗りの馬車がアニストン邸の門前に停止したのは、マチルダの里帰り二日目のことだった。
奔放な姉はトランプの会に夢中なのか、未だに帰宅していない。それに関して、いつもなら何かと騒ぎ立てる両親が、今朝はいやに静かだ。
静かと言うよりは、朝っぱらからソワソワと落ち着かない。無言で、むやみやたらと屋敷中を歩き回している。
ロイと言えば、挨拶もそこそこに仕事があると言い置いて帰ってしまった。
新婚初夜の後の、甘い朝などあったものではない。
良い子で待っていろ。などと額にキスを落として、マチルダをまるで子供扱い。
「私はあなたの妻よ。額のキスは友愛の印よ」
などと抗議すれば、鼻先にキスされる。
鼻へのキスは慈しむ気持ち。
唇のキスが恋愛感情。
「唇のキスは、今、抱えている重大案件が終わってからだ」
などと、願掛けだと嘯く。
「とうとう厄介なネズミが向こうから姿を現したんだ。今が正念場だからな」
などと、未だにネズミ退治に奔走しているらしい。
名残惜しく、再度、マチルダの頬にキスをして、彼は早々にアニストン邸を後にした。
そして、入れ替わるように訪ねて来たのが、オリビア。
「流行病で、国の人口の五分の一がなくなったと言われている時代よ」
オリビアは、ブライス一族が何故、子孫繁栄に異常なこだわりを持つのか。その経緯を語る。
「ブライス家の方々も次々に病に冒されて。伯爵家筆頭を始め、五人いた子供のうち、五男を覗く兄弟全てが亡くなったわ」
「廃嫡の危機ですね」
後継のいない家は、爵位を返上しなければならない。
「そうよ。五男のコールデン……コールデン・ラムズ様。曽祖父様は、後継者候補に一番遠い方だったのよ」
長男が後を継ぐことが一般的とされる中、五男が継ぐのは珍しい。
「彼はメイドと唯ならぬ仲になっていてね。貴族の身分を返上して、平民になると駆け落ち寸前だったのよ」
「そのメイドが、ロイの曽祖母様ですね」
「そうよ」
恵まれた貴族としての環境よりも、メイドとのロマンスを選択したコールデン氏。ロイの曽祖母様は、余程、魅力に溢れた女性なのだろう。
「ブライス家存続の危機だから。しのごの言っている場合ではないでしょう? メイドを娶るなんて、当時、例外中の例外よ」
「今でも珍しい話ですね」
「まあね」
オリビアはスコーンを摘んだ。
「曽祖母様は一族の救世主よ」
スコーンにジャムを塗る、その何でもない姿すら完璧で荒がない。
間近で見る彼女は、目や髪といった色はおろか、面差しがロイによく似ている。ロイの弟は大人しめだったが、我の強そうな姉の方がよりロイに近い。こうして至近距離でいると、彼女がロイの妻などとは絶対に間違えたりしない。
「あの方、子供を十七人も産み、孫、曾孫併せて百人以上。教育もしっかりなさって、伯爵家の後継でない子供は、今では国を代表する企業の創始者が多いわ」
「確か投資、銀行、医師、エンジニア、法律家。製鉄工場の経営は、皆んな、ラムズの名がついていましたね」
「大農場のオーナーもね」
「聖職者にも、リシュリー・ラムズと仰る方がいたわ」
「確かウェストクリス社にも、お祖父様のご兄弟のどなたかが養子に入られているわ。奥様が相当のやり手で、そちらが社長の座につかれたらしいけど」
「あの官能小説を専門に取り扱う? そのような会社にもブライス家が? 」
「ええ。元を辿れば皆んな、出自は同じよ」
あらゆる職業にブライス家の名が刻まれている。その手広さは驚くほど。国の地盤を一族が支えているといっても過言ではない。
紅茶に口をつけるその姿は、まさしく優雅。
オリビアを乗せた黒塗りの馬車がアニストン邸の門前に停止したのは、マチルダの里帰り二日目のことだった。
奔放な姉はトランプの会に夢中なのか、未だに帰宅していない。それに関して、いつもなら何かと騒ぎ立てる両親が、今朝はいやに静かだ。
静かと言うよりは、朝っぱらからソワソワと落ち着かない。無言で、むやみやたらと屋敷中を歩き回している。
ロイと言えば、挨拶もそこそこに仕事があると言い置いて帰ってしまった。
新婚初夜の後の、甘い朝などあったものではない。
良い子で待っていろ。などと額にキスを落として、マチルダをまるで子供扱い。
「私はあなたの妻よ。額のキスは友愛の印よ」
などと抗議すれば、鼻先にキスされる。
鼻へのキスは慈しむ気持ち。
唇のキスが恋愛感情。
「唇のキスは、今、抱えている重大案件が終わってからだ」
などと、願掛けだと嘯く。
「とうとう厄介なネズミが向こうから姿を現したんだ。今が正念場だからな」
などと、未だにネズミ退治に奔走しているらしい。
名残惜しく、再度、マチルダの頬にキスをして、彼は早々にアニストン邸を後にした。
そして、入れ替わるように訪ねて来たのが、オリビア。
「流行病で、国の人口の五分の一がなくなったと言われている時代よ」
オリビアは、ブライス一族が何故、子孫繁栄に異常なこだわりを持つのか。その経緯を語る。
「ブライス家の方々も次々に病に冒されて。伯爵家筆頭を始め、五人いた子供のうち、五男を覗く兄弟全てが亡くなったわ」
「廃嫡の危機ですね」
後継のいない家は、爵位を返上しなければならない。
「そうよ。五男のコールデン……コールデン・ラムズ様。曽祖父様は、後継者候補に一番遠い方だったのよ」
長男が後を継ぐことが一般的とされる中、五男が継ぐのは珍しい。
「彼はメイドと唯ならぬ仲になっていてね。貴族の身分を返上して、平民になると駆け落ち寸前だったのよ」
「そのメイドが、ロイの曽祖母様ですね」
「そうよ」
恵まれた貴族としての環境よりも、メイドとのロマンスを選択したコールデン氏。ロイの曽祖母様は、余程、魅力に溢れた女性なのだろう。
「ブライス家存続の危機だから。しのごの言っている場合ではないでしょう? メイドを娶るなんて、当時、例外中の例外よ」
「今でも珍しい話ですね」
「まあね」
オリビアはスコーンを摘んだ。
「曽祖母様は一族の救世主よ」
スコーンにジャムを塗る、その何でもない姿すら完璧で荒がない。
間近で見る彼女は、目や髪といった色はおろか、面差しがロイによく似ている。ロイの弟は大人しめだったが、我の強そうな姉の方がよりロイに近い。こうして至近距離でいると、彼女がロイの妻などとは絶対に間違えたりしない。
「あの方、子供を十七人も産み、孫、曾孫併せて百人以上。教育もしっかりなさって、伯爵家の後継でない子供は、今では国を代表する企業の創始者が多いわ」
「確か投資、銀行、医師、エンジニア、法律家。製鉄工場の経営は、皆んな、ラムズの名がついていましたね」
「大農場のオーナーもね」
「聖職者にも、リシュリー・ラムズと仰る方がいたわ」
「確かウェストクリス社にも、お祖父様のご兄弟のどなたかが養子に入られているわ。奥様が相当のやり手で、そちらが社長の座につかれたらしいけど」
「あの官能小説を専門に取り扱う? そのような会社にもブライス家が? 」
「ええ。元を辿れば皆んな、出自は同じよ」
あらゆる職業にブライス家の名が刻まれている。その手広さは驚くほど。国の地盤を一族が支えているといっても過言ではない。
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