【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

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義理の姉

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「ではロイが私を選んだのは、あくまで子孫繁栄のために」
 ロイの精力は強い。それは、一族の防衛手段として引き継がれてきたと言えなくもない。
 より強固な子種を残すため、それに見合う器を求めたのかも知れない。
 あの彼の欲望を受け止めきれる女性は、そうはいないはず。
「そんなわけないでしょ」
 オリビアは鼻で笑い、一蹴した。
「ロイが私を呼び寄せた理由がわかったわ」
「え? 」
「あの子は偉そうだし、自意識過剰だし、おまけに口が悪い。誤解を与えかねない」
 さすがは実の姉。ずけずけと遠慮がない。
「私を呼んだのは、賢い選択だわ」
 思わせぶりに、オリビアは溜め息を吐いた。
「ロイは伯爵の地位を弟に譲るつもりだったのよ」
 唐突にオリビアは暴露した。
 マチルダの目が見開いたのは言うまでもない。
 ブライス伯爵の地位は社交界でもかなり上にある。
 潤沢な財産もあり、比例してしきたりによる締め付けも強いだろうが。それを天秤に掛けてもみすみす手放そうとするなんて。
「あの男は結婚するつもりなんてなかったし。海運会社の経営も順調だしね。顧客にあのアンドレア侯爵夫人がいるのよ。儲けは半端ないわ」
 むしろ、それほど会社経営が順調なら、領地管理にまで手が回っていないようにも思えるが。
 だが、ブライス伯爵領はかなり整備がなされている。何の不備も見当たらない。
 弟のカイルが貢献しているのは明らかだ。
「独身のまま、気ままに余生を送る気でいたの」
 伯爵の地位にあるなら、後継問題は必須。
「あなたに出会うまではね」
 オリビアは悪戯っぽくウィンクを寄越してきた。
 その仕草は、ロイと全く同じ。
「あの子の、あなたへの惚れ込みようったら」
 扇を開くなり、くすくすと笑う。
「未だにわからないのです。何故、あの方が私のような女を。社交界では悪役令嬢だの、氷の悪女だの、淫乱だの、散々な言われようだったのに」
 マチルダは俯き、空になったカップの底に視線を集中させた。
 社交界でのマチルダの悪評は、どこにでも届いている。
 マチルダはそれらを跳ね返すよう背筋を正し毅然としていたから、余計に可愛らしげがなかった。
「あら。私はあの子があなたに惚れたことは、充分納得していてよ」
 扇に隠された笑い声がより高まる。
「で、ですが。あんなにハンサムで気が利いて素敵な方なのに。大勢のレディが彼に虜になっているわ。なぜ、よりによって私など」
「あんなの、ミハエルの足元にも及ばないわよ」
 ちょっと不機嫌になって、オリビアは扇を閉じた。彼女の中では夫のミハエルこそがこの世で一番のハンサムで素敵な男性であり、それ以外の男は雑魚だ。
「あなたはロイの理想が服を着て歩いているようなものよ。これほど的を得た女性がこの世に存在しているなんて」
「買い被りすぎだわ」
「何故、あなたにもっと早く気づかなかったんだ、時間を損したと、歯噛みしているわ、きっと」
「そうかしら」
 自分がロイの理想そのものだと言われても、ピンとこない。
 常に可愛げのない大女だと、周囲から陰口を叩かれていたから。
「もう、おかしいったら。あの自惚れの自信家が、あなたに乱されている姿。プロポーズを断られた直後の、あの癇癪ったら。駄々を捏ねる子供そのものだったのよ」
 仮面舞踏会での諍いの後のロイを思い出し、オリビアは再度広げた扇でくすくすと笑い声を隠す。
「もう、屋敷中の家具を買い替えなきゃと思うくらい、当たり散らして。かと思えば、深酒して、壁に飾った絵の前で大泣き。パーティーで皆んなべろべろに酔っ払っていたから、少しも問題にはならなかったけれど」
 確かにテラスのテーブルを蹴り倒したロイには引いたが。
 マチルダがどこぞの好色漢に襲われそうになって助けに駆けつけてきてくれた、その直前まで、そんなとんでもないことが繰り広げられていたなんて。
「あれほど取り乱したロイを見たのは初めてよ」
 いつも余裕があり、飄々と問題事をかわす。生意気に自惚れ屋の自信家だが、それに見合った才能を持ち合わせている紳士。
 そんな男が、たった一人の女性によって狂わされるのだから。
 オリビアは、弟の理想そのものである女性へ慈しむ視線を送った。



「くだらない悪口はやめろ」


 不意打ちにムスッとした低音が割って入る。
 朝早く馬車で去ったはずのロイが、不機嫌極まりなく顔をしかめ、仁王立ちしていた。
「あら。もう戻って来たの? 」
 オリビアは彼がノックもせず部屋に入って来たのはとっくに気づいていたようで、平然としている。
「一旦は問題は落ち着いた」
 言いながら、ギロリと恨みがましい目をマチルダへと向けた。
 ロイが戻って来たなんて、気配すら感じなかったマチルダは、目を泳がせてこの場をどう取り繕うか脳みそを捻る。
「私のいないところで、あることないことを」
「図星をつかれて、気まずくなったのね? 」
「余計なことを喋り過ぎる女は可愛くないぞ」
「私はミハエルにだけに褒められたら充分よ」
 猛禽類の睨みを受けても、オリビアは澄ましている。
「三十越えての初恋なんて、厄介ね」
「黙れ。それにまだ誕生日が来ていないから、越えてはいない」
 ロイは五つ上の姉には、どうあっても敵わない。
 今回もそれ以上文句を垂れるのを無言の圧でねじ伏せられ、ぎりぎりと奥歯を噛んだ。


 が、気を取り直したようにマチルダへ体の向きを変えた。
 彼の双眸は爛々として、血走っている。
 昨夜見た猛禽類そのものの目。
 一つ異なるのは、時折、迷うように目線が散ることだ。
 マチルダはこれから何やら重大なことを彼が口にしようとしているのがわかって、無意識のうちに全身の筋肉を硬くした。
「マチルダ、よく聞け」
 ロイは思い切ったように、凛々しい引き結びを開く。
 

「君の姉上が警察に捕まった」

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