「いらない」と捨てられた令嬢、実は全属性持ちの聖女でした

ゆっこ

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 リオンの腕の中。
 ユリアナはその温もりを確かめるように、そっと指先を握り返した。

 静かな夜。
 外の騒乱が嘘のように、宿の一室には穏やかな気配だけが満ちている。

「ユリアナ……」

 名前を呼ばれるだけで、胸が熱くなる。
 今まで「いらない」と拒まれ続けた心が、こんなにも簡単に救われてしまうなんて。
 その思いを飲み込むように、ユリアナはリオンの胸に額を預けた。

「……安心します。あなたが隣にいると」

「俺も同じだ」

 大きな手が、優しく彼女の髪を撫でてくる。
 くすぐったいのに、もっと触れてほしくて仕方ない。

「でも……」

 不安が口を突いて出た。

「私が聖女だって広まったら……王国は必ず私を取り戻そうとします。アルフォンスも……」

 口にした瞬間、背筋に冷たいものが走る。
 これまで踏みつけてきた相手が、今度は全力で奪い返しに来る――そんな未来。

 けれど。

「奪わせない」

 リオンは即答した。

「たとえこの国すべてを敵に回しても、俺は君を守る」

 迷いのない声だった。
 ユリアナの喉がきゅっと詰まる。

(……こんな言葉、初めて)

 気づけば涙が滲んでいた。
 それを指先で拭い、リオンは彼女の頬へ軽くキスを落とす。

「泣かないで。君は笑っている方が、ずっと好きだ」

「……泣かせたのは、リオンのほうです」

 小さく拗ねた声が出てしまう。
 リオンは蕩けるような笑みを浮かべ、ユリアナを強く抱き寄せた。

「じゃあ、もっと泣かせようか。……幸せで」

 囁きが唇に触れる距離。
 そのまま――二人の唇は重なった。

 甘く、深く。
 これまで味わったことのないほど、胸が高鳴る。

(ああ……私、恋をしてる)

 確信と共に、ユリアナはリオンに身を委ねた。







 翌朝――。

 宿の食堂は、昨夜の魔獣騒ぎを語り合う人々で賑わっていた。

「聖女様、本当にありがとうございました!」

 あちこちからそんな声が飛んでくる。
 ユリアナは照れくさくて視線を落とす。

 リオンはそんな彼女を隣で見守りながら、満足げに微笑んでいた。

「みんな……喜んでるな。君のおかげだ」
「いえ、私は当然のことを……」

「当然なんて言葉で片付けるな」

 リオンは少し低い声で言った。

「君の力も、心も、誰かにとって当たり前じゃない。……俺にとっては特に」

 また心臓が跳ねる。
 すると――。

 食堂の扉が勢いよく開いた。

「失礼する!」

 騎士たちがぞろぞろと入ってきた。
 その先頭に立っていたのは、豪奢な衣装の青年。

 青銀の瞳――
 王太子、レオンハルト。

(王太子殿下……!)

 ユリアナは席から立ち上がった。
 場が一瞬にして静まり返る。

「あなたが……聖女ユリアナ嬢だな」

「……はい」

 冷たいほどの威厳を纏いながら、王太子はユリアナを見つめた。
 その視線に、ぞくりとした緊張が走る。

「昨夜の英雄的行い、王家として感謝する。……だが同時に詫びも言わねばなるまい」

「……詫び?」

「愚かな弟が、許されぬことをした」

 弟――アルフォンス。
 周囲から「やはり……」という囁きが上がる。

「本来なら君をそのように追放する権限など、あの愚弟にはない。
 ゆえに――」

 王太子の言葉が続くより早く、リオンがユリアナの前に立った。

「王太子殿下。ご用件は?」

 王太子は眉を寄せた。

「そこの騎士……誰だ?」

「リオン・ヴァルガード。隣国イーゼンの第一王子です」

 食堂の空気が一層張り詰める。

(り、王子……!?)

 ユリアナは思わずリオンを見つめる。
 彼は気まずそうに、しかし誇らしげに微笑んだ。

「説明する機会を逃してしまってな」

「な、んでそんな大事なことを……!」

「君を混乱させたくなかった」

 軽く頭に手を置かれ、ユリアナの頬が赤くなる。

 だが王太子は不機嫌げだった。

「隣国の王子が勝手に我が国の聖女を保護しているとは……一大事だな」

「勝手ではありません。ユリアナが望んで、俺と共にいる」

「聖女は国家の宝だ。個人の所有物ではない」

 リオンは即答した。

「彼女は宝ではない。一人の女性だ」

 剣のように鋭い声。
 ユリアナの胸の奥がじんと熱くなる。

(私を、モノ扱いしないでくれてる……)

 しかし王太子も引かない。

「王命である。ユリアナ嬢、王宮へ戻ってもらう」

 騎士たちが一斉に動こうとした瞬間――。

「触れるな!」

 リオンの魔力が爆ぜ、騎士たちが怯む。

「――彼女を連れていくなら、俺を倒してからにしろ」

 宣戦布告。

(そんな……! 争いなんて望んでないのに……)

 ユリアナは二人の間に割って入った。

「やめてください!」

 二人の王子が彼女を見る。

「私は……あなたたちの駒ではありません。
 私は、私の意志で動きます」

 静かだが、凛とした声。
 王太子が目を細める。

「ならば聞こう。ユリアナ嬢――
 どちらを選ぶ?」

 国か、愛か。
 正義か、幸福か。

 その問いはあまりに重い。
 でも――。

(選べるわけない。どちらも……失いたくない)

 ユリアナは震える声を絞り出した。

「……私はまだ、何も知らない。
 だから……すぐに答えを出すことはできません」

 王太子はしばし沈黙し、やがて言った。

「猶予を与える。しかし忘れるな――君は聖女だ」

 そして王太子はユリアナの手をそっと取った。

「俺は、君を尊重する。アルフォンスとは違う」

「っ……」

「また来る。今度は正式に迎えに」

 王太子が去ると、静寂が戻った。

 リオンは深く息を吐くと、ユリアナの両肩を掴んだ。

「無理を言わせてしまったな……」

「いいえ。私は……選びたいんです。
 逃げずに、自分の未来を」

 リオンはしばらく黙っていたが――
 次の瞬間、ユリアナを抱きしめた。

「それでも……俺を選んでほしい。
 君を泣かせる未来は、絶対に見せない」

「……リオン」

 その声音には、寂しさと焦りが滲んでいた。

(私が迷っていること……きっと伝わってしまった)

 でもそれが恋だ。
 簡単に答えの出ない恋。

「大丈夫。私は逃げません。あなたの隣からも」

 リオンが安心したように微笑む。

 だがその裏で――
 別の男が、ユリアナを想って焦がれていた。






(俺から奪われるなんて……許せるわけない)

 アルフォンスは王宮の一室で、壁を血が滲むほど殴り続けていた。

「ユリアナは……俺のものだ……!」

 壊れた執着が、闇を育てていく。
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