冷徹王子が、婚約破棄した私を今さら溺愛してきます

ゆっこ

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 夜が明けきらぬ城の回廊を、私は必死に走っていた。
 瓦礫と焦げた石の匂いがまだ残る王宮。
 レオンハルト殿下――いえ、今はもう“レオン”と呼ぶべき彼が倒れたと聞いて、私は居ても立ってもいられなかった。

「殿下……いえ、レオン、どうかご無事で……」

 医務室の扉を押し開けると、そこには静寂があった。
 陽の光が細く差し込み、白いシーツの上に眠る彼の姿があった。
 その顔色は青白く、額には冷たい汗が滲んでいる。

「……レオン……」

 私は彼のそばに膝をつき、そっと手を握った。
 大きな手。いつも私を包み込んでくれたその手が、今は冷たくて――怖かった。

「しっかりしてください……貴方がいなくなったら、私……」

 涙が頬を伝う。
 あの夜、闇を退けたはずだった。
 でも――ミレーユの最後の一撃が、彼を蝕んでいたのだ。

「“愛を失った者は、永遠に闇に囚われる”……そう、言っていたのね」

 思い出すのも苦しい。
 あの呪いの言葉。
 彼女は、最後の瞬間にその呪いを彼に刻みつけたのだ。

 医師たちは手を尽くした。
 けれど、傷も熱も癒えない。
 ――彼の体の中で、何かが少しずつ壊れていっている。

 私は祈るように、彼の胸に手を当てた。
 光がじんわりと広がる。
 けれど、今度は癒しの力が弾かれるように拒絶された。

「駄目……? どうして……!」

「……リリアーナ……」

 かすかな声。
 目を開いた彼が、弱々しく微笑んでいた。

「レオン! よかった、目が覚めたのですね!」

「……ああ。お前の声が……聞こえた気がした」

「しゃべらないで。今、助けますから……!」

 再び手をかざす。
 でも、光は彼の体に届かない。
 まるで闇が、彼を包み込むように拒んでいる。

「これは……ミレーユの呪い……」

「そうらしいな。俺の中に……あいつの残滓が残っている」

「そんな……」

 彼は目を細め、弱く笑った。
 その表情に、かえって胸が締めつけられる。

「怖いか? ……また俺が、あの頃みたいに冷たくなっていくのが」

「そんなこと、ありません! 怖いのは……貴方を失うことです!」

「……リリアーナ」

 彼が私の名を呼ぶ。
 その声はかすれているのに、どこまでも優しかった。

「俺はな……お前と出会って、ようやく“生きる”ということを知ったんだ。
 お前と過ごしたこの短い日々が、どんな栄誉よりも……」

「やめてください! まるで別れのような言い方……!」

「違う、違うんだ。俺はお前に誓いたい。
 たとえこの身が闇に囚われても、心はお前の光だけを求める。
 だから――もし俺が自分を失いそうになったら、その時はお前の手で……」

「言わないで!!」

 叫びながら、私は彼の胸にすがった。
 震える肩を抱きしめ、何度も首を振る。

「そんな約束、絶対にしません! 貴方は必ず戻ります! 私が、取り戻します!」

 彼は一瞬驚いたように私を見たあと、ふっと微笑んだ。
 その笑みは、どこか安心したようで――儚かった。

「……そうか。お前らしいな」

「ええ、貴方の隣で泣いてるだけなんて、もう嫌ですもの」

「リリアーナ……」

 彼の手が、弱々しく私の頬を撫でる。
 指先が震えているのに、優しさだけは変わらない。

「お前に出会えて、本当によかった」

「そう思うなら、生きてください。
 ――そして、また笑ってください。私の前で」

 言葉を重ねながら、私は祈るように彼の胸に手を当てた。
 何度でも。何度でも。
 拒まれても、届かなくても、光を注ぎ続ける。

 やがて――小さな温もりが、指先に戻ってきた。
 彼の体から、かすかに黒い靄が抜け出していく。
 それはゆらゆらと空へ昇り、やがて光に溶けた。

「……リリアーナ、これは……」

「ええ。少しだけ……呪いが弱まりました」

「そうか……」

 彼が安心したように息を吐く。
 けれど、その瞳の奥にはまだ深い闇が残っていた。
 完全には消えていない――それは、私にも分かっていた。



 数日後。
 王城の中は修復作業に追われていた。
 だが、私の心は落ち着かないままだった。

 レオンは意識を取り戻したものの、時折、まるで誰かの声を聞いているように表情を歪めることがあった。
 その度に胸がざわつく。

「ミレーユの呪いが……まだ残っているのね」

 私は決意した。
 もう一度、神殿へ行こうと。
 あの加護を授かった場所なら、何か方法があるはず。

 夜明け前、彼の寝室に足を運ぶ。
 扉を開けると、レオンは窓辺に立っていた。
 月明かりがその横顔を照らし、静かに瞳を閉じている。

「……リリアーナ。起こしてしまったか」

「いえ、私こそ。眠れなかったのです」

「俺もだ。……夢を見た。お前が光の中で、俺を置いていく夢を」

「そんなこと、しません」

 即座に答えると、彼は振り返った。
 その瞳には、確かに迷いがあった。

「本当に……俺なんかでいいのか?」

「なんか、じゃありません。貴方がいいんです」

「……リリアーナ」

 その名前を、彼はまるで祈りのように呟いた。
 次の瞬間、私の腕を引き寄せ、強く抱きしめた。

「……お前がいないと、俺はもう立っていられない」

「なら、ずっと傍にいます」

「離れないでくれ」

「ええ。何があっても」

 彼の指が、私の髪を撫でる。
 胸の鼓動が、耳の奥まで響いてくる。
 こんなに近くで、こんなに彼を感じるのは初めてだった。

「リリアーナ……」

「……レオン……」

 名を呼び合うだけで、息が乱れる。
 その距離が、ゆっくりと、少しずつ、縮まっていく。
 彼の唇が、私の額に触れた。

 ――温かい。
 心の奥が、柔らかくほどけていくようだった。

「俺は、お前をこの手で守りたい。どんな闇が来ても」

「私も、貴方を支えます。どんな運命があっても」

 その言葉に、彼が微笑んだ。
 けれど、その微笑の奥に、深い決意が見えた。
 まるで――何かを覚悟しているような。

「……リリアーナ。もし、俺が闇に呑まれたら」

「またそんなことを――」

「聞いてくれ。俺の意識が戻らなくなったら、神殿へ行け。
 “誓いの鐘”を鳴らすんだ。それだけが、この呪いを完全に断ち切る方法らしい」

「誓いの鐘……?」

「ああ。俺とお前の“絆”を証明できれば、きっと……」

「なら、そんなに難しいことではありませんわね」

「え?」

 私は微笑んだ。
 彼が不安を口にしても、迷わないように。

「私たちはもう、何度も誓っています。
 心で、想いで、命で――だから、必ず鳴らせます」

 レオンが、息を詰まらせたように私を見た。
 やがて、その頬を掠めるように笑みが広がる。

「……お前は本当に強いな」

「いいえ。貴方がいてくれるから、強くなれるんです」

 そう言った瞬間――
 彼の唇が、そっと私の唇を塞いだ。

 驚きよりも先に、涙が溢れた。
 それは悲しみではなく、溢れるほどの温かさ。
 彼の腕の中で、私は世界中の光に包まれている気がした。

 けれど――その直後、レオンの体が一瞬震えた。

「っ……レオン?」

「……すまない。少し、胸が……」

 彼が苦しげに胸を押さえる。
 その手の甲に、黒い紋様が浮かび上がっていた。
 まるで、闇の蔓が彼の心を締めつけるように。

「レオン!!」

「リリアーナ……離れろ……今は、近づくと……危ない……!」

「嫌です! 離れません!!」

 私は彼を抱きしめ、強く光を放った。
 加護の力が広がり、部屋中が眩い輝きに包まれる。
 しかし、闇は簡単には消えなかった。
 彼の体の中で、二つの力が激しくぶつかり合っている。

「貴方は闇なんかに負けません……! だって――」

 私は泣きながら叫んだ。

「だって、私が愛しているのは“貴方”なんです! 光でも闇でもない、貴方そのものを!!」

 その声に応えるように、黒い紋様が一瞬だけ薄れた。
 そして、レオンの瞳が、わずかに元の蒼に戻る。

「……リリアーナ……」

「戻ってきてください……お願い……!」

 彼の手が、震えながら私の頬を包む。
 そして、かすかに笑った。

「お前の声が……俺を呼んでる……」

「ええ、何度でも呼びます。だから、帰ってきて」

「……必ず、戻る」

 その言葉を最後に、彼は意識を失った。
 けれどその表情は、どこか穏やかだった。



 夜明けの鐘が鳴る。
 東の空が白み始める中、私は彼の手を握りしめたまま祈る。

 ――“誓いの鐘”を鳴らす。
 彼を救うために。

 レオンを蝕む闇。
 そして、それを操る黒幕の存在。
 王国の奥深くで、もう一つの陰謀が動き出していた。

 でも、私は恐れない。
 この手で、何度でも彼を取り戻す。
 何度でも、愛を証明してみせる。

「待っていてください、レオン。
 今度は――私が、貴方を救う番です」

 朝日が差し込み、彼の頬に淡い光が落ちる。
 その光が、まるで希望のように輝いていた。
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