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第三章

06.迷いと誘惑

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 同じ頃、リーゼはエディたちに作戦の進捗を報告していた。

「あははははっ! 避けてみたら熱を測られた? 傑作だね!」

 エディは昨夜の出来事を容赦なく笑い飛ばす。
 腹を抱え、いまにも床の上に転げそうな勢いで笑うエディを、ジーンが小突いて黙らせた。

 リーゼは怒る気にもなれず、しゅんと項垂れる。
 
「恐らくこの作戦では振り向いてもらえないと思うんです。彼は私のことなんて妹としか思っていませんから」

 自分で言っておきながら、なかなか悲しい現実だ。

 どれだけ好きだと言っても、どれだけ愛情表現を示してみせても、ノクターンからすると妹に甘えられているとしか思えないわけで。
 告白したのに全く前進できない関係を恨みたくなる。

「妹から脱却するにはどうしたらいいと思いますか?」

 渋面を作るリーゼに、ジーンが紅茶を淹れて差し出した。
 
「私はいまの作戦を続行した方がいいと思いますよ。想定外の行動でしたが、リーゼさんの変化に気づいた証拠ですからこのまま続けてみましょう」
「上手くいのでしょうか?」
「ええ。いまのところは上々だと思いますよ。それに、まだ始めたばかりですから」

 依然として迷いはあるものの、結婚間近の彼女がいるジーンがそう言うのならそうなのだろう、と自分を説得した。

 なんせ自分は恋愛の経験が乏しい。
 これまでに好きになった人はノクターンただ一人で、つい最近まではひっそりと片想いしていただけなのだから。

(確かに、始めてから一日しか経っていないもんね。これからどうなるかわからないし、もう少し粘ってみよう)
 
 不安を胸の隅に追いやり、紅茶を一口飲んだ。
 温かい紅茶でほっと一息つくリーゼの目の前に、今度はエディから可愛らしい色と形のお菓子が差し出される。
 
 リーゼの記憶が正しければ、これは最近アヴェルステッドの女性に人気の菓子店の商品だ。
 買うには列に並ばないといけない人気店で、開店後すぐに売り切れるらしい。
 
「え?! このお菓子どうしたんですか?」
「ん~。今日のおやつ用に買ってきたんだよ。頑張っているリーゼちゃんにはご褒美でおすそ分けしてあげる」
「ありがとうございます!」

 まさか職場で噂のお菓子にありつけるとは思わなかった。
 喜んで頬張るリーゼを、エディが目を眇めて見守る。

「お菓子を食べているリーゼちゃん可愛い~! リスみたいで頬っぺた触りたくなる~」
「社員に手を出すなよ。触ったらその手をへし折るからな」

 地を這うような低い声で警告するジーンに、エディはたじたじだ。
 おかげでリーゼは心置きなく甘くて可愛いお菓子を堪能できた。

「ごちそうさまです。お菓子の甘さが全身に沁み渡りました」
「勉強や仕事で疲れている時には丁度ですね」

 リーゼとジーンがのほほんと話していると、不意にエディがパチンと指を鳴らした。
 なにかしら閃いたらしく、水色の瞳は輝き、自信に満ち溢れている。

「そうだ。今度の週末、俺と逢引しない?」
「はい?」

 リーゼは予想だにしなかった提案に唖然として聞き返す。
 彼女の隣では、いまにもエディを殴らんとする勢いでジーンがティーポットを掲げている。
 
「待て、ジーン! 話を聞いてくれ! 両想いになった時のために練習しておいた方がいいと思うんだ!」
「リーゼさんと一緒に出かけたいだけだろ」
 
 本当の理由はどうであれ、さすがにいまから練習する必要はないだろう。
 そもそも、それ以前に異性として見てもらうのが課題なのだから。

(そう。まずは妹からの脱却が先……――)
 
 リーゼはまたもや昨夜のことを思い出してひっそりと落ち込んだ。
 
「けっこうです。それに、練習が必要なことではないと思うんですけど?」
「まあまあ、そんなつれないこと言わないで、気楽に出かけようよ」

 軟派な調子のエディを、リーゼとジーンがジトリと睨む。
 それでも彼はめげずに提案を続けた。
 
「それに、気分転換になっていいんじゃないかな? リーゼちゃん、このところ試験勉強ばかりで遊んでなさそうだもん」

 気分転換という提案は些か魅力的に響いた。
 エディの言う通り、このところは試験勉強に明け暮れており、以前と比べると滅多に出かけていない。

「……では、ジーンさんも一緒なら」
「なんで俺よりジーンに懐いているの?!」
「阿呆、普段の行いが悪いからだ」

 ちょっぴり拗ねたエディだが、週末の予定を取りつけて機嫌を良くした。
 
「俺とジーンで予定を組むから楽しみにしてねー!」
「え?! そこまでしてもらっていいんですか?!」
「いいのいいの。俺、こういうの大好きだから」
 
 さすがは軟派な……と心の中では思ったが、口には出さないでおく。
 
 エディは上機嫌で紙に計画を走り書きし始めた。
 その様子を見たジーンが「まずは仕事をしろ」と諫めているが、彼もまたどことなく嬉しそうだ。
 
 そんな二人を見ていると、リーゼもつられて嬉しくなった。
 
(週末、楽しみだな)
 
 休憩時間兼報告を終えたリーゼは、胸を躍らせて執務室に戻った。

     ***

 その夜、リーゼが自室で試験勉強をしていると、帰宅したばかりのノクターンがやって来た。
 突然の訪問に驚き、教科書のページを捲る途中のまま固まってしまう。

「ど、どうしたの?」

 心の中ではノクターンの訪問に歓喜しているが、作戦が続いているため、ぶっきらぼうに聞こえるよう声の調子を抑えた。
 
「今週の週末は休みを取れたから、どこか行かないか?」
「……!」

 予期せぬお誘いに表情がパッと明るくなり、慌てて頬に力を込めた。
 頬の内側を噛み、浮かれそうになる自分を叱咤する。

 ノクターンが誘ってくれるのは嬉しいが、週末は既にエディたちと出かけることになっているから断るしかない。

(それに、いまは避けている最中だから我慢しないと!)
 
 心の中では何百回も「行く!」と叫んでいるが、ここは我慢だ。
 名残惜しさを感じつつ、ノクターンから目を逸らした。
 
「ごめん。その日は会社の人と出かける予定があるから行けない」
「……そうか」

 ノクターンの声が沈んでいるような気がして、胸がツキンと痛む。

 本当は嬉しい。
 本当は一緒に出かけたい。

 大好きなノクターンが、せっかくの休みを自分のために空けてくれたのだから。

(だけど、まだ作戦が始まったばかりなんだから、我慢……しないと……)

 リーゼは未練を断ち切るように、ノクターンに背を向けた。

「勉強の邪魔して悪かったな。無理するなよ」
「うん。ありがと」

 パタンと扉が閉まる音をが聞こえると、リーゼは教科書に突っ伏した。

「はぁ。こういうの慣れないなぁ」

 ノクターンから貰ったブレスレットを顔に近づけ、緑色の魔法石にキスをする。

「本当は、嬉しかったよ」
 
 懺悔するようにそう話しかけた。

 一方で、ノクターンは自室の壁に寄りかかり、思案している。
 
「会社の人と出かける……か」

 緑色の瞳の奥で、嫉妬の炎が揺らいだ。
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