からだにおいしい料理店・しんどふじ ～雨のち晴れときどき猫が降るでしょう～

雨のち晴れときどき猫が降るでしょう

いよいよ開店『しんどふじ』

「里穂ちゃん、ちょっと味見してくれるかな」
「うん、いいよ」
「生姜入りのキャベツのお味噌汁よ。どうかな」

　里穂はちょっと熱そうにしながらもゆっくりと一口飲んだ。

「おいしい。なんかキャベツが甘く感じるよ。なんで、なんで」
「なんでだろうね」

　小首を傾げる里穂の姿が愛らしい。

「ママってもしかして魔法使えるの」
「まさか、魔法なんて使えないわよ」
「そっか。でも、でも、ママはやっぱり天才だね」
「ありがとう。けどね、凄いのはママじゃなくてお味噌のほうかな」
「えっ、お味噌」

　小さな手でお椀を持ちまたしても小首を傾げる里穂。その仕種に安祐美は微笑んでしまう。

「そうよ。お味噌は美味しいお薬みたいなものなの。だからお味噌汁を飲めば元気いっぱいになるんだから」

　そうそう、味噌は身体を養う礎いしずえ。白味噌、麦味噌、米味噌、玄米味噌、豆味噌といろいろある。その人に合った味噌を食べるのが一番。味噌にも陰陽があるって教わった。確か、陰性体質の人には陽性の味噌がいい。麦味噌も米味噌も玄米味噌も陽性だけど豆味噌が一番陽性だ。所謂、豆味噌とは八丁味噌のことだ。逆に白味噌は陰性だ。

　ここでは米味噌と豆味噌を使っている。自慢の手作り味噌だ。
　本当に味噌って凄いって思う。

　発酵が進むと豆が膨らんで重石が持ち上がるんだから。それくらい味噌には力があるってこと。生命力溢れる味噌を食べて元気にならないわけながい。聞いた話では夜の営みが弱い旦那さんの精力剤にもなるって言われているとか。本当かどうか試したことはないけど。あっ、なにを考えているのかしら。

「ふーん、そうなんだ。味噌ってすごいんだね。あれ、ママの顔が赤いよ。なんで、なんで。熱あるの？　あっ、味噌で元気になっちゃったのか」
「えっ、あっ、そ、そうね。ママも味噌で元気になったみたい」

　ああ、恥ずかしい。変なこと考えないで料理のこと考えなきゃ。

「じゃ、じゃ里穂も元気いっぱいになりたいから、お味噌汁毎日飲む」
「そうね。それじゃママが毎日美味しいお味噌汁作ってあげるね」
「うん」

　里穂は味噌汁をキラキラした瞳でみつめていた。本当にいい子に育ってくれてよかった。ひとつひとつの里穂の仕種が堪らなく愛いとおしい。安祐美は里穂の頭を無意識に撫でていた。

　初日の今日はこの味噌汁でいこう。里穂のお墨付きをもらえた。きっとお客も気に入ってくれるだろう。けど、来た客に合せて臨機応変に対応しなきゃいけないか。好き嫌いってものがあるだろうし。

　ごはんのほうも準備ＯＫ。
　今日のごはんは玄米焼きおにぎりとキノコの炊き込みご飯の二つから選んでもらおう。キノコはぶなしめじに舞茸、椎茸、キクラゲだ。『松茸は？』なんて聞かれるかもしれないが、それは無理。父と母の作っている野菜で個々の食材は賄っているから高級食材はない。近くの山で採れるっていうなら話は別だけどそうじゃない。みんな生き生きした野菜たちばかりだからきっと松茸にだって負けないはず。
　キノコまで作っているとは思っていなかったからありがたい。キノコは今が旬だ。旬のものはやっぱり活力になる。

　キノコだけじゃない。米だった野菜だってそうだ。
　やっぱり朝採りの野菜は新鮮で甘みがあって美味しい。この店ではそんな野菜たちで勝負だ。まあ、両親の野菜たちだけじゃない。商店街の柳原豆腐屋、藤井ベーカリー、和菓子屋の竹林にも協力してもらっている。そうそう魚はなべや鮮魚店から生きのいい魚介類が仕入れられたし、肉は辻精肉店でこれまた美味しそうな肉が仕入れられた。魚も地元の港から仕入れてくるみたいだし、肉も地元の畜産農家のものらしい。もちろん、野菜が主役でやっていこうとは思っている。

『身土不二』を店名に掲げているわけだし。けど、肉や魚も使いたい。ダメだろうか。誰かに指摘されてしまうだろうか。きっと大丈夫。お客様もわかってくれるだろう。

　身土不二って仏教用語だって話を聞いたことがある。マクロビオティックも身土不二の考えからきているはず。そうなると肉と魚は入らないってことか。

　肉は身体によくないからダメだという話もあるけど、食べたほうがいいという話も聞く。正直、どっちなのだろうって迷ってしまう。

　安祐美はふとひとつの答えに突き当たる。人の性格が違うようにその人に合う食材も違うのかもしれない。マクロビオティックが身体に輝きをもたらす人もいれば肉も必要だって人もいるはず。きっと食も十人十色ってことだ。そう思うことにしよう。

『食』は人を良くすると書くだなんてこのあいだテレビで話していたけど、自分もそう思う。肉だって魚だって野菜だってみんな人を良くしてくれるはず。そう信じよう。

　やっぱり肉と魚もうちの店では使おう。これ決定。ただ店の名前は変えたほうがいいだろうか。
『しんどふじ＋』とか。それもなんか違う気がする。『＋』じゃなくて他になにかないだろうか。『しんどふじ・つけたし』とか。

　変だ。しかたながい、そのままの店名でいこう。今日が開店だっていうのに今更看板を直せないし。
　広い意味では間違っていないと思うことにしよう。
　旬の食材を使うって点ではあっているはずだし。あれ、魚介類はさておき肉の旬っていつだろう。まあいいか。メインは野菜だ。

　この商店街を活性化のためにもやっぱり肉も魚もあったほうがいい。みんな喜んで協力してくれている。その気持ちを大事にしたい。
　みんなこの商店街を盛り上げたい気持ちは一緒ってことだ。

　安祐美流『身土不二』ってことで頑張ろう。

　そうそう、なんと言っても手作りの調味料がすべての料理の決め手になる。
　麹作りからはじめたのだから最高の調味料と言えるはず。
　稲穂についた黒い粒状の稲玉のことを知ったときはなんとも不思議な感覚になった。

『ここから麹菌がとれるの』

　そんな疑問が湧き起こったのを思い出す。結構大変だった。祖母が作った手作り味噌や醤油がこんなにも手間がかかっているなんて思わなかった。
　すべてがはじめてのことばかりだった。

　麹菌を取り出すために蒸した米に木の灰をまぶすなんて驚きだった。稲玉もまぶして保温していくと緑色になるんだから。里穂なんか「お米が緑の絨毯になっちゃった」なんてはしゃいじゃって。
　そんなこんなで取り出した麹菌から作り上げた調味料たち。
　安祐美は、味噌、醤油、みりん、ポン酢に目を向ける。

　農業をしている父と母に感謝だ。調味料はもともと祖母のフミが作っていたから正直助かったところがある。祖母にも感謝だ。
　そうそう、ピクルス、奈良漬け、キムチ、あと紅ショウガに甘酒までといろいろと作れる。里穂じゃないけど、稲玉こそ魔法の種かもしれない。

　この店を持てたこと自体も誰かが魔法をかけてくれたなんて思えるくらいだ。亡くなった夫が手助けしてくれたなんてことはないか。
　今日からこの店で新たな生活がはじまる。期待感と不安感が入り交じって複雑な気持ちだけど、それもまたいいものだ。

　娘の里穂とも一緒にいられることも良いことだと思う。旬の食材での料理を食べさせてあげられることもいいことだ。高級レストランの華やかさと厳選された高級食材の美味しい料理を食べることを否定はしない。それどころか、食べに行きたいくらいだ。たまには贅沢もしたいもの。
　まあ、それはそれ。ここでは質素ながらも優しい味わいの料理を楽しんでもらいたい。
　素材そのものの味を知ってほしい。ふと父の顔が頭に浮かぶ。

　地元の旬の食材はその土地の人の身体にもいい影響を与えてくれる。

『身土不二』か。

　この言葉を教えてくれたのは父だ。最初は、何を言っているのだろうと思っていた。子供の頃から採れたての野菜を食べていたせいかそれが普通のことだと思っていた。けど、両親のもとから離れて一人暮らしをしたとき、スーパーで買った野菜に違和感を覚えた。
　美味しいけど、何かが違う。そう感じた。
　父の作る野菜の美味しさをそのときはじめて痛感した。いや、父の野菜が特別美味しいわけではない。その土地の農家さんから貰う野菜も父の野菜と同じく何とも言えない美味しさがあった。

　スーパーがいけないわけじゃない。スーパーだとどうしたって朝採れってわけにはいかない。市場経由になるわけだから。それでも最近のスーパーにも地元で採れた野菜を置いてあるところもある。だから一概には朝採れがないとは言えないか。

　採れたての野菜はやっぱり違うものだ。スーパーで売っていない野草だってなかなかいける。朝採れたばかりの野菜や野草はやっぱり美味しさに差が出てくる。大自然の中で育てられた野菜や野草たちには思っている以上に生命力が宿っている。その野菜や野草たちを活かせる料理を作って振舞いたくさんの人に味わってもらいたい。元気になってもらいたい。それでこそ『からだにおいしい料理店』だと自負できる。
　そういえば父がこんな言葉を口にしていた。

『人は土の上に生まれ、土の生むものを食って生き、而しこうして死んで土になる。我らは畢竟ひっきょう、土の化物である』（＊1）

　確か、明治の作家だか思想家の人が随筆の中で書いたものだとか。

『人の身体と土は二つではなく一体である』

　そんな話も父はしていた。それが身土不二の意味だと。土って大事なものなのかとそのときいろいろ考えたものだ。その教えを大切にしてこの店でもてなしたい。『そんな考え古いよ』なんて言われそうだけど、そこから新たに何か生まれることもあるはず。つまり温故知新ってことだ。
　頭で喜ぶものだけじゃなく、身体が喜ぶものを食べてもらいたい。それが健康にも繋がるはず。

「ママ、そっちの煮物も食べたいな」
「えっ、これ」
「う、うん」
「じゃ、これも味見してもらおうかな」

　安祐美は小皿に少しだけ煮物を入れて里穂の前に置いた。
　カブとカボチャの煮物だ。舞茸も入っている。

「カボチャが甘くておいしい。これお砂糖の味なのかなぁ」
「違うわよ。お砂糖は入れていないわよ」
「ええ、嘘だぁ」
「嘘じゃないよ。甘いのはカボチャの甘さよ。でも、みりんの甘さもあるかな」
「ふーん、そうなんだ。私、これ好き」
「そう、よかった」

　里穂の満面の笑みはどんな調味料よりも美味しさを増す隠し味かもしれない。ふとそんなことを思ってしまった。里穂のためにも亡くなった旦那のためにもこの店を頑張らなきゃ。

「ねぇねぇ、玄米おにぎりも食べたいな」
「里穂ちゃん、ちょっと食べ過ぎじゃない」
「だって、だって、ママの料理はみーんな美味しそうなんだもん。あっ、違った。美味しそうじゃなくてみーんな美味しいんだもんね」
「もう、しかたがないわね。ならお昼の分ってことにしましょうね」

　安祐美は里穂の頭を撫でるとすぐに玄米のおにぎりを握り手渡した。軽く塩味をつけただけだけど、それでも美味しいはず。

「わーい、おにぎり、おにぎり」

　里穂は玄米おにぎりを勢いよく頬張り咽むせてしまった。

「里穂ったら。ほら、お水飲んで」

　里穂は水を手に取りゴクリと飲むと息を吐き出す。まったくしかたがない子だ。そんなに急いで食べなくてもおにぎりは逃げないのに。

「ママ、このおにぎりいままでで一番おいしいかも」

　この子ったら。お世辞でも言っているのかしら。きっと里穂なりに応援してくれているのだろう。

「そう、よかった。けど里穂、手についたご飯粒もちゃんと食べなきゃね」

　里穂は両手をみつめて「本当だ。ごはん粒、ついている。お米の神様に怒られちゃうね」と手についたご飯粒を綺麗に食べた。

　安祐美はそんな様子に頬を緩ませてみつめていた。里穂がいてくれるだけで笑いが絶えない。だからこそ、ここまで頑張ってこられた。つくづくそう思える。

　そうそう、『一粒の米には三体の神が宿る』なんて言葉がある。それくらい米は尊いものだ。だからこそ、米の神様の命をありがたくいただかなきゃいけない。
　食事の前に手を合わせて『いただきます』と口にするのはそういうことだ。この言葉も父に教わったのだったっけ。祖母だったろうか。里穂に教えたのは自分だけど。

「ママの料理、バッチリだね。これなら、お客さん喜ぶね」
「そうだね」

　お客さんが喜んでくれたらいいけど、ちょっと心配ではある。里穂は美味しいって笑ってくれるけど、お客さんがみんなそうとは限らない。だから、お客さんの生の声を早く聞きたい。

「あっ、そうそうお店が開店したら里穂ちゃんはお祖母ちゃんのところに行っていてね」
「ええ、里穂も手伝う」
「ありがとう。でも、お祖母ちゃんといてほしいな。きっと、お祖母ちゃんも里穂と一緒にいたいって思っているはずだからね」
「そっか。それじゃ、おばあちゃんが寂しがっちゃうね。わかった、里穂、おばあちゃんのところに行くね」

　よかった。里穂が聞き分けのいい子で。
　あと十五分で開店か。なんだかドキドキしてきた。お客さん、来てくれるだろうか。
　あっ、そうだ。お品書きだ。
　どこへ置いただろうか。

「里穂ちゃん、『お品書き』知らないかな」
「えっ、『おしながき』ってなーに」
「えっと、それは……。お店で出す料理が書いてあるものなんだけどね。ママのお店は全部おまかせセットだからなくてもなんとかなるんだけどね。けど、おしながきがあったほうがいろいろとスムーズにいくのよね」
「ふーん、そっか。里穂、『おしながき』なんて見ていないよ」

　そうか、里穂は見ていないか。肝心なところで抜けている。しかたがない、今日はお客さんが来たら説明しよう。

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（＊1）
『人は土の上に生まれ、土の生むものを食って生き、而しこうして死んで土になる。我らは畢竟ひっきょう、土の化物である』

↑文中に出てくるこの言葉は明治時代の作家であり思想家の徳富蘆花『みみずのたはごと』と題する随筆の中で書かれた一文です。

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