からだにおいしい料理店・しんどふじ ~雨のち晴れときどき猫が降るでしょう~

景綱

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雨のち晴れときどき猫が降るでしょう

空から猫が!?

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 この町に帰って来てよかった。
『力を貸す』か。まさかそんなこと言ってくれるとは思わなかった。

 左手の痺れは消えてはいないけど、なんとなく前を向いて歩いていけそうだ。これも安祐美の言葉と『からだにおいしい料理』を食べた効果なのかもしれない。身体だけじゃなく心にも優しくおいしい料理だと言えるのだろう。美味しいものを食べることは生きる活力になる。そんな気がする。

 そういえば何かの本で『食が乱れると人間が悪くなる』なんて読んだことがあった。仕舞いには世の中も悪くなるなんてことも言っていた。本当にそんなことがあるのだろうかと疑問に感じたけど、今はあるのかもしれないと思える。親殺しや子を虐待して殺してしまうなんて事件が多い世の中だ。食が乱れているだけではないとは思うが、もしかしたらきちんとした食事をしていないのかもしれない。安祐美の作る食事を毎日食べたら、そんな貧しい心もなくなるのではないだろうか。それくらい、『しんどふじ』で食べた料理は心にまで響いた気がする。『大袈裟だ』と言われるかもしれいけど、この感覚は実際に食べてみないとわからない。
 褒め過ぎだろうか。そんなことないよな。

『安祐美先輩、ありがとう』

 心の中でそう呟き商店街を歩いて行く。
 これからどうすべきかじっくりと考えていこう。
 実家はこの商店街を抜けて少し歩いたところにある。歩いていてふととある看板に目が留まる。そこには『木花呉服店』とあった。
 そうかさっきのお爺さんは呉服屋の大旦那だったのか。
 裕は店に向かって頭を下げて歩みを進めていった。
 いい人と出会えてよかった。天気もいいしいい日だ。

 何気なく空を見上げたとたんに何かが降って来て思わず飛び退いた。

 えっ、嘘だろう。

 裕は空と地面にいる存在を交互に見遣る。
 タバコ屋のお婆さんの占いが当たった。
 空から猫が降って来た。ありえないけど、確かに今降って来た。目の前でじっと睨みつけて来る麦わら猫が証拠だ。けど、あの占いは比喩だったはず。

 それにしても麦わら猫ってよく言ったものだ。トラ猫だけど本当に麦わら帽子みたいな色味をしている。最初、『麦わら猫』って聞いたときは麦わら帽子を被った猫が頭に浮かんだのを思い出す。馬鹿なこと考えたものだと裕はフッと鼻で笑った。そんなことを思い出して目の前の猫に目を向けたまま頬を緩ませた。そんなことよりもなぜ上から猫が降ってきたのだろう。

 空から猫が降って来るはずがない。
 裕は猫をみつめながら顎に手を当てて考えた。もう一度、空を見上げたところでなるほどと納得した。

「そういうことか」

 すぐ傍の店の屋根にもう一匹猫がいた。腹側が白で背中側が黒のオセロのような猫だ。そこから飛び降りてきたのだろう。それとも、あいつに落とされたとか。まあ、どっちにしろ空から降ってきたわけじゃない。
 種明かしをすれば簡単なことだ。

「おまえ、脅かすんじゃないぞ」

 猫に声をかけて撫でようとしたら麦わら猫は店と店の間の隙間に入り込み暗闇に消えた。残念。
 そういえばここの商店街の名前は『猫沢商店街』だった。以前から猫が多いところだった。もしかしたら、それでそう名付けたのかもしれない。ところどころに猫の像が置かれているのも目を楽しませてくれる。

 この町でずっと暮らすことになるのだろうか。先のことはわからないけど、人生を楽しまなきゃ損だ。仕事も探さなきゃいけない。

 仕事か。左手に目を向けて、吐息を漏らす。この左手が一番の問題だ。
 そう思ったら、またしても新田の顔が頭に浮かんでしまった。新田も仕事探しているのだろうか。それとも再就職できただろうか。もしも落ち込んで引き籠っていたらどうしよう。自分が心配することではないのかもしれない。けど、気になってしまう。
 新田には家族があるから余計に気になる。奥さんと子供がいるのに父親が無職になってしまったら……。
 離婚なんてことになっていたらどうしよう。馬鹿なことを考えるな。

『しんどふじ』の料理を新田にも教えてあげたい。一緒に食べに行って話し合えたのなら胸の奥のモヤモヤした気持ちも晴れるかもしれない。
 そう簡単にはいかないか。

 事故のことを思い出して沈み込んでしまう恐れもあるし、その前に会いたくないかもしれない。
 死にかけたっていうのに、そんなことを考えるなんて自分は変なのだろうか。あれは不慮の事故だ。変じゃない。新田も自分もあの事故のことを忘れて前に進まなきゃいけない。過ぎたことをいつまでも考えていたらいけない。

 雲一つない青空のように新田も自分もスッキリと晴れやかにならなきゃ。
 そういえば新田の家ってどこだろう。住まいが東京近郊だったら、わざわざこの田舎町に来ることはないのかもしれない。新田も実家に引っ越してしまっている可能性もある。それでも新田とは話さなきゃいけない気がする。辞めた会社にでも電話して連絡先を訊いてみようか。いやいや、そこまですることはない。
 けど……。
 本当にどうしようか。

 んっ、あいつはさっきの猫か。なにかくわえているみたいだけど。あれは鍵か。
 もしかしてと思い裕はポケットに手を突っ込んだ。
 ない、やっぱり、ない。

「その鍵、僕のだよな」

 猫に向かってそう問い掛けたら、猫は鍵を銜えたまま脇を走り抜けていった。

「おい、待てよ」

 まったく悪戯猫が。焦りつつも、どこかで楽しんでいるような気がした。猫と追いかけっこも悪くはない。どうせ、暇だし。けど、追いかけられないようなところに行ってしまったらどうしよう。
 とにかく、早く捕まえなくちゃ。いや、捕まえるのは無理だろう。ならどうする。考えてもしかたながい。見失わないようにしなくては。

「おーい、頼むからその鍵を返してくれよ」

 猫を追いかけて走っていたら途中にある八百屋の店主らしき人が「ああ、またあいつか。ガンバレよ」との声が耳に届いた。
『また』ってあの猫は同じようなこといつもしているのか。もしかして、屋根から飛び降りてきたのもあの猫の悪戯だったのかもしれない。そう思えてきた。

「止まれ、そこの猫」
「ムギ、ファイト」

 ムギって猫のことか。誰だ、麦わら猫を応援する奴は。チラッと背後を見遣るとさっきの八百屋の店主らしき人だった。もしかして、さっきの『ガンバレ』も自分に向けてじゃなかったのか。

「兄ちゃん、ムギと追いかけっこするといいことあるぞ」

 えっ、どういうことだ。足を止めて八百屋の店主へと目を向けると笑みを浮かべていた。

「ほら、兄ちゃん。早く追いかけないと見失っちまうぞ」

 えっ、あっ、そうだった。裕は猫のほうへ向き直り再び追いかけて行った。

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