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雨のち晴れときどき猫が降るでしょう

思わぬ姿

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 一週間後、新田と再会した。

 皺だらけのヨレヨレの服に痩せこけた顔、ボサボサの髪。死んだ魚のような目をして力なく笑い手を挙げて「淵沢、久しぶりだな」と声をかけてくる姿は生きる屍だ。
 最初、新田だとは気づかなかった。まったく予想していない姿を目にして愕然とした。

「新田、なのか」
「ああ、そうだ。こんなんじゃ気づかないよな。落ちぶれちまっただろう、俺」

 裕はなんと返事をしていいのかわからなかった。
 どうしてこんなことに。自分よりも酷いじゃないか。新田のほうが被害者だ。そうだ、地面が凍りついていなけりゃ事故は起こらなかった。こんなことにはならなかったはずだ。もしも、自分があのとき命を落としていたら……。
 新田は死を選んでいたかもしれない。
 そんなこと想像したくない。

 新田は「ごめんな、俺のせいで」と目に涙を溜めていた。
 あまりにも衝撃が強過ぎて言葉が出てこない。ダメだ、新田にきちんと伝えなきゃ。こんな酷い姿の新田を見るために呼んだんじゃない。

 新田は小さく息を吐くと「よかったよ、おまえが生きていてくれて。謝ることができてよかったよ。これでもう思い残すことはない」とまた力なく笑みを浮かべた。

『思い残すことはない』ってどういうことだ。変なこと言って、まさか……。新田の笑みに鳥肌が立った。

「新田、変なこと考えるなよ」

 裕は思わずそう言葉にしていた。

「俺、もうよくわからなくてさ。どうでもいいやって。けど、おまえにだけは謝らないと思ってさ。だから」
「それ以上言うな。新田の責任じゃない。僕はこうして元気にしているだろう。いいか、今度変なこと口にしたら承知しないぞ」

 新田は涙目になりながら少しだけ口角をあげていた。
 ダメだ、このままじゃ新田は生きることをやめてしまう。どれだけ苦しんだのだろう。自分も人のこと考えている余裕はなかったけど、こんな事態になっているとは思っていなかった。どうしたらいい。
 そうだ、新田は奥さんも子供もいたはず。そうだとしたら、なぜここまで。裕はハッとした。まさか……。
 訊いてはいけない気もする。けど、訊かないわけにはいかない。いや、そんなこと口にしてはいけないのだろうか。
 言い淀んでいると新田のほうから話しはじめた。

「俺さ、別居中でさ。子供とも会っていなくてさ。そりゃそうだよな。人殺しと同じだもんな。無職になっちまったし働き先もみつけようとしないし。ダメ男についてくる奴なんていないよな。離婚も時間の問題だろうな、きっと」

 裕の頭は真っ白になった。かけてあげられる言葉が見つからない。どうしよう、どうしたらいい。今の新田を元気づけられる言葉って。あの事故がこれほどまで大きなものになっていようとは。いや、確かに大きな事件ではある。今自分が生きていることが奇跡なのだから。
 それでも新田がこんなになってしまうとは思っていなかった。

 自分があそこにいなければ、新田がここまで追い込まれることはなかったのに。もっと早く新田と会っていたら最悪な事態は免れていたのだろうか。もしもそうだとしたら自分の責任だ。自分は被害者だけど、加害者でもあったのかもしれない。
 亡霊のような姿の新田を救ってあげたい。そう強く思いはじめた。

「俺、おまえに慰謝料払う金もなくてさ。ごめんな。治療費として渡した金だって全然足りないよな。だから、やっぱり死んで償うしかないよな」
「馬鹿なこと言うな。死ぬなんて口にするな。自ら命を絶つだなんて最低だぞ。世の中、生きたくても生きられない人だっているんだぞ」

 裕は新田の襟元を掴み思わず叫んでいた。ハッとしてすぐに手を放した。新田を責めてどうする。気づけば目が涙で霞んでいた。

「そうだよな、俺、馬鹿だよな。死んでも償えないよな。じゃ、どうしたらいいかな。そうだ、淵沢。おまえが俺を殺してくれよ。それがいい」

 なんてことを。ダメだ、こいつ正気じゃない。
 そのときはじめて周りの視線に気がついた。好奇の目で見られている。そりゃそうだ。こんなところで死ぬだの殺してくれだの話していたら誰だってそうなる。早いところここから離れたほうがいい。

 どこか落ち着いて話せる場所へ行こう。どこがいいだろうか。そう考えたとき『しんどふじ』の店が頭に浮かんだ。あそこしかないか。

「新田、いいかよく聞いてくれ。おまえは悪くない。大丈夫だ。おまえともじっくり話したいしさ。いい店知っているからそこへ行こう」

 新田は返事をせずただ「ごめんな」とだけ呟いていた。
 強引にでも連れていくしかないと裕は新田の肩に手を回して『しんどふじ』へと足を向けた。

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