こんこんさん

景綱

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思わぬ声に……

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 パパのいない家はどこか寒々さむざむしていた。
 ママもお兄ちゃんも元気がない。かおちゃんも元気が出ない。胸の奥になにかが詰まっているみたいで気持ちが悪い。
 パパは本当に帰って来ないのだろうか。全部ウソでしたなんて突然笑いながら帰って来るんじゃないかと思えてしまう。
 身体が重い。なにもヤル気がでない。

 キツネさんのぬいぐるみが部屋の片隅に転がっている。キツネさんのぬいぐるみの頭にちょっとホコリがついていた。それでもかおちゃんは見て見ぬふりをした。『キツネのクッキー』の絵本も本棚に置かれたまま。もうどれくらいそのままなのかおぼえていない。読んでくれるパパはいない。ママでもお兄ちゃんでもダメ。パパじゃないとあの絵本は面白くないの。キツネさんにそっくりなパパが読むからいいの。

「パパ、どうして帰って来ないの」

 かおちゃんはぼそりとひとり言をつぶやいた。
 つまらない。パパがいないとつまらない。自然と涙があふれてくる。
 カレンダーにつけられた赤いマルが目に留まる。もう七月なのに。カレンダーは六月のまま。そういえば部屋も前よりも汚くなっている。ママがあまりお掃除をしなくなったせいだ。かおちゃんも片付けをしていない。お兄ちゃんの机の上に真新しい野球のグローブがぽつんと置かれている。お兄ちゃんはといえばベッドに寝ちゃっていた。学校も休みがちだ。それはかおちゃんも同じだけど。

「はぁ」とため息をもらしてかおちゃんもベッドにごろんと横になった。
「かおちゃん、パパのところに行きたいな。そしたら『キツネのクッキー』読んでくれるでしょ。元気が出る魔法のクッキーも焼いてくれるでしょ」

 もう一度ため息を漏らして窓から見える空を見上げた。
 あれ、今。なにかが光った気がした。そう思った瞬間、「かおちゃん、元気ださなきゃダメだよ」との声が聞こえた。

 えっ、誰。
 お兄ちゃんの声じゃない。お兄ちゃんはベッドで寝ている。もちろん、ママの声でもない。男の人の声だった。しかも、パパの声に似ていた。

 まさかパパが戻って来たのだろうか。
 そんなはずは……。でも、もしかしたら本当に『全部ウソでした』なんてことが。
 期待がふくらんでいく。けど部屋を見回してみても誰もいなかった。ただキツネのぬいぐるみがあるだけ。
 パパがいるはずがない。
 かおちゃんはまたため息をもらして枕へ顔をうずめた。

「かおちゃん」

 えっ、まただ。パパの声。
 慌てて顔を上げる。いない。パパはいない。頭がおかしくなっちゃったのかも。聞こえるはずのない声が聞こえるなんて。けどお兄ちゃんも飛び起きてしきりになにかを探していた。目が合うと「かおちゃん、今、パパの声がしなかったか」と訊いてきた。

 お兄ちゃんも聞こえたの。
 それじゃ、パパが本当にどこかにいるの。
 どこに、どこにいるの。
 部屋にはかおちゃんとお兄ちゃんしかいない。おかしい。
 お化け。パパがお化けになって帰ってきたの。だから見えないの。

「かおちゃん、ここだよ。ここ」

 ここって。
 かおちゃんはキツネのぬいぐるみをじっとみつめる。そこから声がしたように思えた。まさかそんなことがあるだろうか。
 かおちゃんは近づいて「キツネさんなの」と問いかける。

「あはは、やっと気づいてくれたね」

 キツネさんのぬいぐるみの口が動いている。よく見れば鼻もヒクヒクしていた。

「キツネさんのぬいぐるみがしゃべった」
「かおちゃん、違うよ。パパだよ」
「えっ、パパ。本当の本当の本当に」
「ああ、パパは帰って来たんだ。だってまた『キツネのクッキー』の絵本を読んであげるって約束しただろう。パパは約束やぶったことないだろう」
「う、うん」





 かおちゃんは涙を流しながら頷き「パパ」と叫んでキツネさんのぬいぐるみを抱きしめた。
 お兄ちゃんもそばに来て「パパなの」と不思議そうな顔で問いかけている。

「ああ、パパだ。しゅうととも約束したもんな。キャッチボールするって」

 お兄ちゃんもキツネのぬいぐるみに抱きついた。

「ふたりともどうしたの。なにを騒いでいるの」

 ママがぼんやりした顔で部屋を覗き込んできた。

「ママ、パパが帰って来たの。キツネさんのぬいぐるみだけどパパなの」

 ママは首を傾げていたが「ママ、こんな格好だけどパパなんだ」との声にハッとしたのかしゃがみ込みキツネさんのぬいぐるみをじっとみつめていた。

「ただいま、ママ」
「ウソでしょ。パパ、なの」
「ああ」

 帰ってきた。パパが帰ってきた。キツネさんのぬいぐるみだけどパパが帰ってきた。

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