謎部屋トリップ

景綱

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謎めいた貼り紙

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『謎部屋、挑戦者求む』

 俺は不動産屋の外壁に貼られた紙を眺めて小首を傾げた。
 なんだこれは。ふざけているのか。ここは不動産屋だろう。元秘書の飯塚が話していたのはここなのか。この近辺で他には不動産屋はないのだろうか。周辺を一回りして探索してみたもののみつからない。どうやらこの不動産屋で間違っていなさそうだ。どこが素敵なのだろう。怪しさしかないだろう。

 貼り紙をみつめ黙考する。
 これは謎解き脱出ゲームってことなのだろうか。不動産屋がそんなイベントを開催するのか。改めて不動産屋の外観を見遣り、なんとなく胡散臭さが漂って見えた。ペンキがはげかけて所々錆びついた古ぼけた建物が余計に不信感を増した。経営が成り立っていないのだろうか。倒産寸前の可能性もある。苦肉の策でこんなイベントをはじめたのかもしれない。

 こんなところにいい物件があるとは思えない。とんでもない物件を押し付けられて後悔するに決まっている。謎部屋だぞ。挑戦者求むだぞ。おかしいだろう。
 この不動産屋で望みの物件をみつけるなんて万馬券当てるよりも難しいだろう。言い過ぎだろうか。

 こうなったら、物件探しなんてやめて競馬場にでも行ってしまおうか。ポケットに手を入れて一万円札を取り出す。万馬券は無理だとしても倍になら。
 頭を振り、悪魔の囁きを掻き消す。ギャンブルはやめると決めただろう。真っ当な人生を送る。コツコツと地道に稼ぎ、今度こそ幸せを掴む。幸せか。幸せっていったいなんだろう。金持ちになれば幸せなのか。貧乏でも幸せだと思って暮らしている人もいるだろう。

 それなら、幸せとはなんだ。

 人か。人間関係だろうか。信頼できる人と出会い共に歩んで行けるような人生を送ることができたのなら幸せだと思えるのかもしれない。今の親父のことは信用できない。今、こうして家を追い出されて一人になったのも新たな人生を送るチャンスなのかもしれない。幸せの一歩なのかもしれない。それならばその幸せを掴み取ろう。チャンスを逃してはいけない。それが幸せへの第一歩だ。

 俺にできるのか。パチンコも競馬も競輪もボートを楽しむ人生も幸せかもしれないぞ。そんな人生を想像して違うとの答えに至る。幸せとは違う。ギャンブルに明け暮れる人生なんかつまらない。俺はそう思う。もっといい人生があるはずだ。後悔のない人生を送りたい。俺に何ができるのだろう。できるのかじゃない。やるんだ。必死に努力して掴み取れ。

 ふと、親父の「出ていけ」との言葉が蘇る。
 一気に気持ちが萎えていく。

 何が幸せだ。何が幸せを掴み取れだ。溜め息を漏らして項垂れる。
 俺は家を追い出されたんだ。親に愛想をつかされた。仕事もせず遊び回っていた俺が悪い。違う。遊び回ったのは会社を辞めてからだ。そもそも、会社を辞めるきっかけを作ったのは親父だ。悪いのは親父だ。待て、親父のせいにするな。会社を辞めてしまった俺が悪い。そうだ、悪いのは全部俺だ。わかってはいる。誤った決断だった。本当にそうなのか。俺は後悔しているのだろうか。自分自身がよくわからなくなってくる。

 どうして俺はこうなんだ。頑張ろうと思ったのに、すぐ弱気になってマイナスの方にいってしまう。
 こんなんで前に進めるのか。進めないよな。
 何が後悔のない人生だ。今更遅い。これが現実だ。受け止めろ。今なら会社復帰できるのではないか。やっぱり、親父に頭を下げるしかないのか。

 馬鹿、やめろ。そんな情けないこと考えるな。何度も同じこと考えるな。啖呵切って辞めたんだ。そうだ。あの会社には戻れない。自分の道を切り開かねばならない。もう俺の後ろには道はない。断崖絶壁があるだけだ。きちんと定職につかなきゃいけない。わかっていてもどうしても胸の奥にある納得できない気持ちが騒ぎ出す。

 再婚相手とその息子。その二人の言葉を信じる親父。全員、認めることなんてできない。俺を貶めたあいつらのことをこのまま許していいのか。
 突き詰めていけば、そこに行き着く。
 会社の金を私用で使い込んだなんて出鱈目を言いやがって。俺はそんなことをしない。事実無根だ。親父はあの二人に騙されている。なぜ気づかない。
 そんなことを考えると馬鹿らしくなって気づけばギャンブル三昧になっていた。この呪縛に早く気づけたことは不幸中の幸いだと言えるだろう。元秘書の飯塚のおかげか。

 あの家に居ても息苦しいだけだ。俺の居場所はあそこにはない。追い出され、一人になったことはよかったのかもしれない。
 まだ俺には二十万の預金が残っている。なんとかなるはずだ。だから、そうじゃないだろう。なんとかするんだろう。よし、気力が戻ってきた。
 とにかくギャンブルは封印だ。辛抱しろ。大金持ちになって親を見返してやれ。誰にも文句を言わせない。俺の人生だ。それにはまず住まいを探さなくてはいけない。野宿なんてまっぴらごめんだ。

『ホテルに泊まればいいんじゃないか』

 また悪魔の囁きが聞こえてきた。そんなことしていたら、二十万円なんかあっという間になくなる。親父には頼れないんだぞ。そこのところ肝に銘じろ。それにしても預金が二十万ってどんだけ使っちまったんだ。俺は浪費家だったのかもしれない。やっと気づいた。
 気づいたことはもうひとつある。親友と呼べる人がいなかったことだ。泊めてくれるような者はいない。全部、断られた。金の切れ目が縁の切れ目ってやつだ。みんな、俺の後ろにいる社長の存在を見ていたのだろう。なんだか情けない。二代目はダメだなんて話を聞くが俺も例外ではなかったのだろうか。そんなことはないと言い返してやりたいところだが、今の俺には無理だ。
 いったい俺ってなんだったのだろう。

 忘れよう。すべて忘れて俺は俺の道をいく。
 なんだか虚しい。俺はひとりぼっちだ。まただ。俺の心が低空飛行をはじめてしまった。このままだと墜落してしまう。

 ふいに元秘書の飯塚の顔が浮かんだ。あいつがいたか。なぜ、あいつは俺のこと心配してくれたのだろう。社長秘書だから顔を合わせることはあったけど、それほど近しい関係ではなかったはず。やっぱり、俺に対して恋愛感情があるってことか。冗談じゃなくあいつのところに居候させてもらおうか。なんとなくうまくいきそうな気がする。あいつなら俺をどん底から這い上がらせてくれるかもしれない。ダメな二代目の例外のひとりにさせてくれるかもしれない。なぜかわからないがそう思わせてくれる存在だった。

 再び飯塚の顔を思い出して苦笑いを浮かべた。今度は睨みつける顔だ。ダメだ、頼ってはいけない。自分の力でどうにかしなくてはいけない。自力で大空に羽ばたかなくては意味がない。

 居候はやめておこう。
 とにかく今の俺がなすべきことを考えなくてはいけない。
 今までのような無駄遣いはできない。しっかりしなくてはいけない。頑張れ、俺。

 もう一度貼り紙をみつめた。どうしても『謎部屋、挑戦者求む』のと文言が気にかかる。俺は生まれ持ってのギャンブラーなのだろうか。違う、違う。確かに謎部屋という言葉は気にはなるがその下に書かれた部屋の間取りと家賃に心が惹かれる。貼り紙の『謎部屋、挑戦者求む』の言葉がなければ何も迷うことはなかっただろう。それは違う。貼り紙の言葉とこの家賃とが俺の心を躊躇させる要因だ。

 家賃は一万五千円で、敷金、礼金なし。二ⅮKでトイレと風呂が別。築二十年という築年数を除けば魅力的な物件だ。こんな物件滅多にない。

 ただ手放しには喜べない。どうしても二の足を踏んでしまう。
 どう考えても頭を掠める問題が浮上してくる。事故物件の可能性大だ。だからこそ、謎部屋だと言えるかもしれないが謎解き部屋という可能性もまだ残っている。それはないか。
 住みながら毎日謎解きをする部屋などありえない。謎解きをしないと部屋を出られなくなるなんてどう考えても変だ。毎朝、焦って会社に遅刻なんてことになったらどうする。ありえないだろう。まあ、一度解いてしまえばあとはすんなり外へ出られるだろうけど。

 冷静に考えればわかることだ。そうだとするとやっぱり事故物件だと考えたほうが自然だ。怪奇現象が起きるのだろう。幽霊も出てくるのだろう。『それでも住んでいられる人はどうぞ』ってことだろう。

 これは悩む。悩むことじゃない。嫌だろう事故物件は。
 でも、今は選り好みをしている場合ではない。我慢、いや、辛抱するときだ。
 最寄り駅まで徒歩五分だし、会社まで電車で十分かからない。あっ、会社は辞めたんだった。それでも立地的に最高じゃないか。本当にそうか。幽霊と一緒に暮らせるか。無理だろう。いくら辛抱だと言っても、幽霊は怖い。それじゃどうする。

 二十万円しか預金がない俺にはここしかないのではないか。しばらく、ここで耐えてある程度稼いでから引っ越せばいいじゃないか。まだこの部屋が事故物件だと決まったわけじゃないだろう。
 それならば『挑戦者求む』とはどういう意味だろう。幽霊ではないとしたら、騒音が凄いとかか。不審者が夜な夜な現れるとかか。それはそれで嫌だがそれで『挑戦者求む』と書くだろうか。やっぱり幽霊なんじゃ。思わず肩を振るわせて違うと言い聞かせた。

 待て、待て。そんなことを売りにした物件があるのか。聞いたことがない。絶対に違う。思い浮かばないけど何か他にあるはずだ。
 こうなったら話を聞くしかない。それがいい。それではっきりするだろう。きっと、なんだそんなことかとなるはずだ。

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