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おかしな不動産屋
しおりを挟む不動産屋の扉を開き店内を見回した。狭い。奥行きがないかわりに横に長い。薄っぺらな不動産屋だ。書類関係も雑然としていてとてもじゃないが綺麗とは言えない。大丈夫なのだろうか。これですべての物件を把握しているのだろうか。この感じだと物件数が少ない可能性もあるのか。この不動産屋に入店したのは間違いだったろうか。
それはそうと誰もいないのか。俺は手前にあるカウンターを覗き込んだ。
「いらっしゃいませ」
突如、カウンター下からショートカットの溌剌とした声音の女性が顔を出す。思わぬところからの登場に仰け反り後ろの柱に頭をぶつけそうになる。危なかった。一歩間違えれば流血事件だ。いったい何をしていた。しゃがみ込んで書類の整理でもしていたのか。驚かすんじゃない。それはそうと可愛らしい女性だ。
こんな不動産屋にはもったいない存在だ。芸能事務所にスカウトされてもおかしくはないだろう。少し吊り上がった目が印象的だ。目力もある。なぜ、こんな胡散臭い不動産屋で働いているのだろう。この場にはタバコ臭いオヤジがお似合いだ。それは俺の勝手な主観だろう。人生いろいろあっていい。彼女はここでの仕事を楽しんでいるかもしれないじゃないか。ああ、いったい俺は何を考えているのだろう。妄想が酷い。
「どうかされましたか」
「あっ、いえ」
彼女の胸元にはネームプレートがついていた。
『東雲みのり』と。
「あっ、今、あたしの胸を見たでしょ。もう、エッチなところ変わらないんだから」
「えっ、いや、違う。その、あの、胸のネームプレートを見ただけで」
「本当にかわいい。その慌てかたもおんなじ」
いったい、彼女は何を言っているのだろう。変わらない。おんなじ。俺のことを知っているのか。首を傾げていたら、目を三日月みたいにして微笑んだ。
おお、なんて素敵な笑顔をするのだろう。男心をくすぐる。
「あっ、そうそう。お客様でしたね。今、お茶をお出ししますね」
そう口にした次の瞬間、彼女はお茶を出してきて、またしても男を惑わす微笑みを浮かべた。
俺は軽く頭を振り、冷静になろうとした。
それはそうと、お茶を入れてくるのが早過ぎだ。どこで入れてきた。
瞬間移動。まさかそんなこと。俺がぼうっとしていただけか。もしかして、この下にお茶が用意されているのか。この下に給湯室があるのか。まさか、それはないだろう。どっちにしろ、変だ。おかしい。不思議な不動産屋だ。
「お茶、どうぞ」
「あっ、はい」
素敵な笑顔に不思議なことすべて払拭されて彼女の世界に引き込まれてしまう。
これは運命の出会いか。そんなわけない。俺の運命の人は他にいる。たぶん。ダメだ、ダメだ。この小悪魔的店員とどう対応すればいいのだろう。
「あの、ここに来たのであれば物件をお探しですよね。何か条件はありますか」
そうだった。彼女の魅力にここが不動産屋だということをすっかり忘れていた。
「あっ、はい、あのですね。『謎部屋、挑戦者求む』の貼り紙が気になって」
「ああ、あれですね。そうですよね。あれしかないですよね。わかっています。やっぱり、見えましたよね。それでしたら少々お待ちください」
彼女は食い気味に話し出すとニヤリとした。
なんだ、今の笑いは。なんだか寒気がした。やっぱり、事故物件ってことか。待て、待て。問題は他にもある。『あれしかないですよね。わかっています』とはどういう意味だ。
んっ、あれ。
『やっぱり、見えましたよね』とも口にした。日本語がよくわかっていないのか。貼り紙だぞ。見えるように貼っているのだろう。あの店員は日本人じゃないのか。それとも帰国子女とかで日本語より外国語が得意なのか。見た感じは、そんな風には見えない。見た目じゃわからないか。
彼女は「店長、店長」と呼びながら狭い通路を横向きになり右奥へと消えていった。あっちに部屋があるのか。横長の面白い建物だ。間口は広いけど奥行きがない変な空間。よく建てたものだ。ある意味うなぎの寝床かも。
「店長、店長、ゆづ、あっいや、違った。お客様ですよ」
なに、今なんて言いかけた。ゆずがどうした。ままいいか。
奥から叫び声がここまで聞こえてくる。あんな大声出さないと聞こえないのか。店長は耳が遠いとか。百歳超えたおじいさんとかか。まさかな。書類の山に埋まっているなんてこともないよな。
いったい、どんな人だろう。今度こそタバコ臭いオヤジの登場かもしれない。
結果、想像とは全く違う目元のキリッとした銀髪で背の高い細身のイケメンが目の前に現れた。しかも、突然湧いて出て来た。またしても下から。いったい、どうなっているのだろう。彼女は右奥へといった。この下から出て来たということはこの下にいたってことだろう。気づかなかったのだろうか。それとも、本当にこの下に給湯室があるのか。それとも休憩室とか。カウンターの下が気になってしかたがない。
それにしてもいい男だ。俳優だと言ってもおかしくない。ここは、不動産屋だろう。芸能事務所じゃないだろう。
「待っておりました。ようやくそのときが。もう策が尽きたところでしたのでホッとしましたよ」
「はい、なんですか」
「いや、なんでもありません」
いったい何を話しているのだろう。この不動産屋はやっぱり変だ。策が尽きたってなんだ。久しぶりの客でやっと収入源になりうる客が来たってことか。これは回れ右して帰るべきか。それでも、なんだか気になってしまう。ここは突っ込んで訊くべきかもしれない。そう思ったのに有無を言わせないとばかりの眼力に言葉が出てこなかった。
「それで謎部屋がご所望だとか」
「あっ、いや、その。ご所望というかちょっと気になって話を聞きたいと思っただけです」
「そうですか。わたくし、店長の稲山之人と申します。よろしゅうたのみます」
「どうも」
名刺を受け取るとなぜか手に痺れを感じた。静電気だろうか。ちょっとびっくりした。
それにしても何か違和感がある。なぜだろう。稲山店長の醸し出す雰囲気がそう思わせるのだろうか。響きのある声音のせいだろうか。銀髪のイケメンという漫画の世界から飛び出して来たような風貌のせいだろうか。やっぱりあの眼力のせいか。話し出すと稲山店長の世界に引き込まれていくようで聞き入ってしまう。実際に話を聞いているのか実は夢の中の出来事なのかわからなくなっていく。
稲山店長の言葉は魔法のようだ。洗脳されているのではないかとさえ思えてくる。わけのわからないことばかり話しているのに頷いてしまう。
稲山店長は謎部屋の話をとうとうと弁じていく。
「それでですね。トリップしたとき謎部屋の扉が開かれます。それは、それは素敵な空間でして。いや、人によっては苦痛かもしれませんが、おそらく新島さんには良いことが待っているはずです」
トリップって。麻薬とかか。まさか俺は何か薬を飲まされたのか。出されたお茶に。まさか、それはないか。じゃ、旅行のトリップか。それは話が通じないか。その前に、俺は名前を言っただろうか。そんなことを想いつつも話は途切れない。こっちが話す隙がない。
「ああ、そうそう。トリップとは、薬ではなく小旅行でもないですからね」
まるで俺の心を読んだかのような台詞が稲山店長の口から飛び出した。もしかしたらよく間違えられるのかもしれない。
トリップとは、過電流によりブレーカーが電気の流れを遮断することらしい。電気が遮断されたまさにそのとき不思議なことが起こるようだ。いったい何が起きるというのだろうか。まずい、まずい。不思議なことが起こるって受け入れている。そんなこと、ありえないことだろう。
「まあ、小旅行のトリップもあながち間違いではないのですけどねぇ。そうそう、お客様は四次元空間の存在を信じますか」
「四次元。それは、えっと。あったら面白いですよね。あるのかな。けど、行ったらとんでもないことになりますよね」
なぜそんな話をするのだろう。というか、今度は新島さんじゃなくてお客様と呼んでいる。さっき聞いたと思ったのは聞き間違いだったのだろうか。そうかもしれない。
「あの」
「まあ四次元というのはですね」
話はとめどなく続く。
普段だったら『おかしなことを話さないでください』と店をあとにするだろう。それなのに今日の俺は違った。稲山店長の話術に完全にやられてしまっていた。凄い話だと思ってしまった。なぜだか昂揚感もあった。
謎部屋は望むものを手に入れられる場所だと言う。だが危険も伴うとも言う。
「幸運になるか不幸になるかはあなた次第。わたくしが見たところ、お客様は幸せを掴めるのではないかと思いますよ」
そう言われてもどうしたらいいのか。なんでもあの部屋に住んだことで有名な小説家になった者や漫画家、アーティストもいるとか。そのかわり行方不明になってしまった者もいるらしい。
「わたくしの知るかぎり行方不明者のほうが多いでしょうか。あなたの場合はどうでしょう。とにかく、トリップさせるときは十分気をつけてください。あなたの心の中にあるものに集中です。そうすればうまくいくかもしれません。オススメはしませんが。いや、お客様にはおススメかもしれませんね」
稲山店長は身を乗り出し「わたくしは、あなたを大歓迎します」と謎めいた笑いをして言葉を続けた。俺は妙な迫力に身が縮む思いがした。
大歓迎と言われても、これはかなりのリスクだ。行方不明になったらと思ったら震えがくる。だから家賃が安いのか。
俺はどうしたい。小説家にも漫画家にもアーティストにもなりたいとは思わない。けど、金持ちにはなりたい。一攫千金だ。幸せになりたい。謎部屋に行けば、それも夢ではない。待てよ、金を手に入れればいいのか。名声か。権力がほしいのか。なんか違う。何かもっと大切なことがあるのではないか。親父みたいになってはいけない。どうすればいいのかはっきりわからない。
時を戻すことはできるのだろうか。四次元とか言っていたし、もしかしたらできるのかも。何を馬鹿なことを考えている。
迷いに迷ったあげく、俺は契約書を交わしていた。まるで催眠術にでもかかったかのように、書面にサインをしていた。不思議とスッキリした気分だ。ワクワクもしている。
「本当にいいのですよね。契約を取り消すなら今ですよ。新島さん」
そう言いつつ、契約書をサッと回収してしまった稲山店長の目を見た俺は、一瞬眩暈を感じた。そのせいなのか、稲山店長の言葉も行為にも気にすることなく、気づけば俺は、「大丈夫です」と答えていた。
稲山店長は、俺の肩に手を置き、「わかりました。とにかくトリップはおススメできませんが、もしもするときはご注意を。トリップ起こさなければ快適に過ごせますしね。けど、あなたは、きっとトリップを。いや、なんでもありません」と目尻を下げて頬を緩ませた。
「ああ、店長。いつ戻ったんですか。遠くまで探しに行っちゃったじゃないですか」
さっきの店員、東雲みのりだったか。やっと戻って来た。今まで探していたのか。冗談だろう。結構時間が経っている。もしかしたら彼女はどこか抜けているところがあるのかもしれない。
「東雲くん、わたくしはずっとそこにいたではありませんか」
稲山店長が指差したのは書類の山だった。あれじゃ、居ても気づかないかもしれない。
「もう、そうだったんですか。返事してくれればよかったのに」
なるほど、机の下から抜けてカウンターに顔を出したのか。ムスッとした彼女に対してにこやかに笑う稲山店長。なんともおかしな不動産屋だ。
「あっ、そうそう。唐突ですが、あなたは飯塚加奈というお人をご存知ですか」
飯塚加奈。なぜ、その名前を。澄んだ瞳でみつめてくる稲山店長と目が合うと、「はい、知っています」と答えていた。
「そうでしょう。やっぱり、これは天の思し召しのようですね」
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