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行き着く先は???
しおりを挟むここはどこだ。
俺は浮いているのか。まさか宇宙。あたりを見回してみたが暗いまま。何も見えやしない。ブラックホールの中に吸い込まれたのか。つまり、即死。ここは、あの世かもしれない。
あっ、流れ星。
んっ、あれはオーロラか。緑と赤のカーテンが真上で揺蕩っている。まるで魔法だ。自然が作り出したものだなんてと、見入ってしまう。
やはり、俺は死んだのだろうか。オーロラが見える場所に瞬間移動できるわけがない。いや、ありえるのか。トリップしたことで移動したのか。
違う。そういうことじゃない。それじゃどういうことだ。俺の世界は消え去ったってことなのか。それこそ、ありえない。いや、ありえる。ああ、もう。わけがわからない。すべてはトリップしたことに原因がある。それは間違いない。それならば、不思議な現象は起こっているってことになる。現に今、体験しているじゃないか。何を今さら言っている。
ただここが現実世界かどうかはわからない。
ここはあの世なのだろうか。あの世へ向かう途中という可能性もあるのか。もしもそれが正解だとしたら、現実世界では行方不明として処理されるだろう。そうじゃない。俺の身体は向こう側に存在しているんじゃないのか。
どっちにしろ、俺の人生は終止符を打ったってことになる。
死か。
なんだか海にでも浮かんでいるような感覚だ。流れに身を任せてみよう。今の状況を受け入れれば気持ちは楽になるはず。そうだろうか。
気づけばオーロラは消えていた。真っ暗だ。星空であったなら、よかったのに闇が広がっている。なんだか不思議だ。思ったよりも、心が安らいでいる。どう足掻いても戻れそうにないとわかっているせいだろうか。諦めがそうさせるのだろうか。今となってはどっちでもいい。溜め息を漏らして、目を閉じたその瞬間、鼓膜が破れてしまいそうな咆哮が轟いた。
目を見開き、ありえない光景に身体を硬直させる。
嘘だ。これは偽りだ。幻だ。
地響きとともにティラノザウルスが大口をあけて迫ってくる。このままじゃ食われる。
「来るな、俺は不味いぞ。やめろ」
耳が痛い。気絶しそうだ。なんて馬鹿デカい叫び声なんだ。そんなことよりも早く逃げろ。ダメだ、足が動かない。これで終わりだ。身を竦めて目を閉じた。
おや、何も起きない。やけに静かだ。恐る恐る目を開けるとただ闇が広がっているだけだった。
馬鹿な。いったいどうなっている。
冷静になれ。落ち着いて整理してみろ。
アパートの一室で過電流を起こしてブレーカーを落とさせた。つまり、トリップを成功させて謎部屋の扉を開かせた。そこまではいい。
それならばここはその謎部屋でなくてはいけない。だがどうだ、ここは部屋か。違う。どっちが上でどっちが下なのかさえわからないおかしな場所だ。右も左もわからない。何気なく左側に目を向けて俺はハッとした。今、確かに母の顔がそこにあった。どこだ、どこへ行った。いない、どこにもいない。一瞬のことだから見間違いだったのかもしれない。幻だったのかもしれない。そうだ、俺の願望が映し出した幻だ。
「母さん」
子供の頃に亡くなった母がいるはずがない。わかっていてもつい口からぽろりと零れ落ちる。そうか、やっぱり俺は死んだんだ。あの世だから母がいたんだ。俺を迎えに来たのかもしれない。
「母さん、どこ。母さん、母さん、母さん」
気づけば虹色の景色が流れ出す。同時に光の矢が降り注いできた。目が、目が。ああ、平衡感覚が。
今度はなんだ。どうしたことか急に身体の重みを感じて下へと引っ張られていく。
突然、腰に激痛が走り顔を歪めた。
何が起きた。蹴られたのか。脳震盪を起こしたのか頭痛、眩暈、ふらつきがある。軽く頭を振り身体を起こす。
あれ、ここは。
戻って来たのか。俺の部屋。借りたアパートの一室だ。間違いなさそうなのに何かがおかしい。新築特有の木の香り。真新しい畳の匂い。
んっ、畳。
俺の借りた部屋はフローリングのはずだ。慌てて起き上がると痛みで腰をかがめる。こういうときは腰を伸ばしたほうがよかっただろうか。上体を反らしてみたが痛みは解消されなかった。その代わり、天井の穴を発見した。もしかしてあそこから落ちたのか。そういうことか。それならこの部屋は俺の部屋じゃなく一階の部屋なのか。
そういえば部屋に何もない。エアコンもテレビも電子レンジもない。ここが一階の部屋だとすれば納得がいく。空き室なのか。真新しい匂いはリフォームしたとかだろうか。それならなぜ畳なのだろうか。リフォームするならフローリングのほうがいいように思える。答えがみつからない。
あれ、猫だ。空き室ではないのか。その前にペット可だったろうか。黒白猫だ。短い尻尾が愛らしい。
そんな場合じゃない。天井に穴をあけてしまった。弁償しないといけない。
そうだ、不動産屋にでも電話しておこう。スマホをポケットから取り出したのだがなぜか電源が落ちている。真っ暗な画面のまま。落ちた衝撃で故障してしまったのだろうか。画面はひび割れてはいない。単なる電池切れの可能性もある。ダメだ、無反応だ。電池切れだったとしても、充電器がない。
仕方がない。不動産屋に行こう。待て、二階の部屋に戻ればいいだけだ。わざわざ不動産屋に行くことはない。部屋に行けば充電器はある。電話で詳細を伝えよう。
腰を押さえつつ玄関扉を開けて動きを止めた。ここは二階だ。東側の角部屋。どういうことだ。気のせい。馬鹿を言うな。気のせいで一階が二階になるはずがない。そういえば、なんとなく違和感がある。それが何なのかわからないが、おかしなことが起こっているのは間違いない。ここはあの世なのだろうか。現実世界にしか思えないけど、もしもそうだとしたら俺は死んでいる。
「あっ、よかった」
声のほうに向くと不動産屋のイケメン店長の稲山がいた。銀色の髪が風に靡き、輝いている。どこか現実味にかける。なぜか、稲山店長には和装が似合いそうだと思ってしまった。もちろん、稲山店長は和装ではない。今日の俺はどこか変だ。
「本当に、よかった。よかった。心配していたんですよ」
破顔する稲山店長のことが不思議でならない。
なぜ、そこまで心配するのだろう。そんなに親しい仲でもないだろう。そう思った瞬間、何かが頭に浮かんで消えた。なんだったろう。何か忘れている記憶がある。どこかで会ったことがあるだろうか。親しい関係だったろうか。違う。このあいだが初対面だったはずだ。稲山店長のホッとした顔を見ても、思い出せなかった。やっぱり、以前に会ったことがない。こんな目立つ銀髪を忘れるはずがない。
「よかったって、なんでここに」
「そりゃ、いきなりトリップされたら心配にもなるでしょう」
確かに、そうか。待てよ、その前に俺がトリップしたってなぜわかったのだろう。
「あの」
話そうとしたところを稲山店長に制止されて押し黙る。
「本当によかった。あれだけ危険だと念を押したと言うのに。行方不明にならずによかった」
危険だと念を押した。そうだったろうか。言っていたように思える。おかしな話ばかりしていたのは覚えている。俺は一番大事なところを聞き逃していたのだろうか。きちんと話を聞いていなかったのだろうか。そんなことはない。変な体験をしたせいで記憶が錯綜しているのだろう。脳震盪の影響もあるか。そのうち思い出すだろう。
「大丈夫でしょうか。どこか具合が悪いところはないですか」
「あっ、ああ。脳震盪を起こしたかもしれない。そのせいでちょっと混乱している気がする」
あれ、ちょっと待てよ。稲山店長がここにいるってことは生きているってことか。そういうことか。
「そうですか。それでは帰ったら検査をしたほうがよろしいですね」
「えっ、帰ったら」
「ええ、帰ったらです。とにかくご無事でなにより」
稲山店長の言葉に小首を傾げる。『帰ったら』ってどういうことだ。俺はここに住んでいるのに。振り返り、玄関扉を見遣る。
「あの」
「本当によかった。四次元世界から抜け出せない人もいるんですから」
四次元世界。そうか、ティラノサウルスや母さんの姿を見たあの場所は四次元世界だったのか。それならやっぱり俺は生きているってことか。
「あの、俺は戻って来られたってことですよね」
「いいや、まだです。残念ながら、ここは二十年前の世界ですから」
二十年前。
アパートの外観をもう一度よく見渡して、あたりの景色を向ける。なるほど、それで違和感があったのか。過電流でトリップして時間も飛び越えタイムトリップしたのか。なんだかややこしい。
「あの、俺、帰れますよね」
「もちろん。わたくしが責任もって元の世界に戻します。では、行きましょうか」
手を差し伸べる稲山店長の手をじっとみつめてふと考えてしまう。二十年前といったら母が亡くなった年だ。今、この世界には母は生きているのだろうか。そう思ったら逢いたくなってしまった。
逢いたい。母に逢いたい。逢いたくてたまらない。一目でいいから母の顔を見たい。写真ではなく、生きている母をこの目で見たい。
「すみません。少しだけ帰るのを待ってもらえませんか」
「少しだけ、ですか」
稲山店長は顎に手を当てて俺の方をしばらくみつめていた。
「あの」
「ふむふむ、なるほど。やはり、こうなるのですね。そうじゃなくて、こうならなくてはいけないんです。あなたがここへ来なくてははじまらないのですから。すべて、予定通り。あなたはそう言うって思っていましたよ。それが運命ですから。問題はいろいろとありますが、片付けなくてはいけませんね。今度こそ。あの者の気配も感じますから、急がねばなりません」
いったい、何を話しているのだろう。意味がわからない。
予定通り。運命。問題。片づける。今度こそ。なんだそれは。
俺は、ここに来ることは最初から決まっていたのか。それはつまりどういうことだ。母に逢えるということか。それとももっと大事な何かをしなきゃいけないのか。意味があって俺はここにいる。偶然じゃなく必然だってことなのか。その前に、あの者の気配ってなんだ。稲山店長の顔つきだと危険なのか。まあいい。いや、よくない。けど、俺は母に逢いたい。こんなチャンスは二度とこない。
「あの」
「そうそう、みのりを呼ばなくてはいけませんね」
ちょっと、俺にも話をさせてくれ。というか、みのりを呼ぶってどういうこと。みのりって誰だ。覚えがある名前だ。えっと、不動産屋の従業員がそんな名前だったろうか。
「呼ばれて登場、東雲みのりちゃん」
な、なんだ。急に湧いて出て来た。気のせいじゃなきゃ今壁から飛び出して来たように思えたけど、そんなことありえないだろう。
「来たか、みのり。おまえの出番だ。あの者の気配を感じるから気をつけて任務にあたれ。いいか、時歪みの管理者としてこの者をしっかり守るのだぞ」
「はーい。了解でーーーす」
時歪みの管理者ってどういうことだ。みのりが俺を守る。確か、不動産屋の従業員だろう。俺の頭では理解が追いつかない。一体全体、この二人は何者だ。
「あっ、そうそう。あたしのことは、みのりって呼んでね。ゆづっち」
ゆ、ゆづっちって。
みのりの屈託のない笑みに、そう呼ぶ人がひとりくらい居てもいいかと頬を強張らせつつ微笑んだ。
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