満月招き猫

景綱

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大切なこと、それは

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 城に入り階段を見上げる。
 またここを上らなきゃいけないのか。最初よりは体力もついたとは思うけど、やっぱり萎える。

「行くわよ」

 美月とミーヤは軽やかに上っていく。パンもあとを跳ねるように追っていく。パンはさっきいなかった。いったいどこへ行っていたのやら。自由気ままなのが猫だから仕方がないか。

 よし行くか。

 賢は上りはじめて異変を感じた。身体が軽い。走って上る美月たちから離れることなくついて行けている。息切れしない。いったい何が起きているのだろう。自分の身体なのに違うようにも思える。気づけば四足で駆け上がっていた。
 これって。すぐに自分の考えを否定した。
 あれ、もう着いたのか。
 自分でも驚きなのだが最上階まで十分もかからずに上ってしまった。

「賢、すごい成長ぶりね。やっぱり私のおかげかな」
「美月のおかげ。それって」
「ふふふ、秘密。というかすぐにわかるわよ。本当にモンド様に感謝だわ」

 いったい何を言っている。わかるように説明してくれればいいのに。そんな思いに囚われたままモンド様の部屋の扉を開ける。

「おお、来たか。賢よ、ずいぶんこの夢月楼の住人らしくなったな」

 夢月楼の住人らしくだと。まさかとの思いを頭の奥へ押しやった。
 奥から大欠伸をしてやって来た玉三郎が目を丸くして動きを止めていた。
 なんだ、その目は。

「おまえ、賢か」
「なんだよそれ。ちょっと会わない間に顔を忘れちまったのか」
「違う、違う。ほら鏡を見ろ」

 姿見鏡を目の前に置かれて思わず後ろを振り返ってしまった。自分以外誰もいない。当たり前だ。どう考えたって鏡は自分の前に置かれた。鏡に映った姿が自分だ。

「これが自分なのか」
「そうよ、賢はどんな姿になっても素敵」

 ほぼ猫になっていた。半猫半人だ。
 かなり毛深くはなっているがまだ人肌が残っている。手の形状は人なのだが力を入れると爪の先が細く鋭くなり伸びていく。面白いと思ってしまった。違う、そうじゃない。これじゃずっとこの世界で暮らさなきゃいけないんじゃないのか。
 まさかとは思っていたがどうやらこれが現実らしい。このまま完全に猫になってしまうのだろうか。そうだとしたら画家になる夢はどうなる。

「モンド様、これはどういうことだ。猫になりたいなんて思っていなかったぞ」
「えっ、そうなの。賢は私と一緒にいたくないの」
「いや、それは」

 美月と目が合い心臓が跳ね上がる。心は正直だ。一緒にいたいと告げている。

「どうなの」
「美月と一緒にいたい」
「嬉しい」
「待て、待て、待て。俺は認めんぞ」
「お父様、そんな」
「己家、賢はすでに猫一族と変わらぬぞ。夢月楼の法を犯してはおらぬ」
「ですが」
「己家、娘の幸せを考えてやれ」

 己家はモンド様に説得されて渋々頷いていた。
 もしかして最初からこうなることを見越していたのか。最初から猫に変えようとしていたのか。けどどうやって猫にさせたのだろう。賢は頭の中を整理して一つの答えに突き当たった。どう考えても美月のミルクしか考えられない。

「賢よ、なんとなく気づいているとは思うが美月の乳には猫に変化する成分が含まれておる。美月が特別ってわけではないがな。この夢月楼の者の乳を飲んだ場合みんなそうなる。狸であれば狸に。狐であれば狐に。猿なら猿。犬なら犬。そういうことだ」

 やっぱり。
 階段を楽に上れたのもそのせいだろう。
 やられた。

「よかったな、美月。これで賢と添い遂げられるな」
「玉三郎、ちょっと待ってくれ」
「どうした賢」
「自分はここに美月と結婚するために来たわけじゃない。画家の夢を叶えるために来たんだ」
「もちろん、そうだ。おそらく画家としてもかなりレベルアップしているはずだ。そうですよね、モンド様」

 そうなのか。そうだよな。確かにいろいろと学んできた。芸術的才能も上がっている気はする。それは美月のおかげでもあるのかもしれないが仙人のおかげでもあるのだろう。

「うむ、そうだ。そこでだ。これを見てもらおうか」

 モンドが差し出して来たのは二つの茶碗だった。
 黒くて凸凹した手作り感のある茶碗と内側が星のように輝いて見える神秘的な色合いの茶碗だ。
 抹茶でも飲ませようってわけじゃないよな。

「これがなんだと」
「うむ、賢はこの二つの茶碗のどっちを選ぶ」

 どっちと言われれば綺麗な茶碗だろうか。そう思いつつも黒い茶碗に目が自然と向く。茶道といえば『わび・さび』か。
 黒い茶碗は一見粗末な安物に思えるが違うような気がしてきた。

『見た目で判断してはいけない』

 そんな声が脳裏に蘇る。同時にコツメカワウソの姿も思い出された。思い出された姿がなぜ白鼠ではなくコツメカワウソなのだろうと思ってしまう。
 賢は黒い茶碗を指差した。

「ほほう、仙人の教えがおまえの心を成長させたようだな」
「あったりまえだ。おいらの教えはビビンと心に響くってもんだ。芸術とはただ美しくあればいいってもんじゃない。まあそっちの夜空の星たちのような茶碗も安物ではないのだがな」

 そうなのか。
 賢は二つの茶碗を見比べて頷いていた。
 んっ、ちょっと待て。今の声は仙人か。
 目の前で踏ん反り返っているコツメカワウソがいた。こいつはどこにでも現れる。神出鬼没だ。まったく不思議な仙人だ。だから仙人なのか。というかここにも現れるのなら最初から洞窟に行く必要があったのか。

「ちょっとちょっとなんで仙人がここにいるのよ」
「おいおい、おいらがここにいちゃ悪いか」
「悪い」
「そ、そうか。悪いのか。そこまではっきり言わなくてもいいのに。美月のいけず」

 仙人がいじけてしまった。やっぱりこいつは仙人らしくない。

「コツメ仙人よ、そういじけるでない。おまえさんはよくやった。あとは賢自身が答えを導き出すだけだ。どんな絵を描くか楽しみだ」
「モンド、おまえはやっぱりいい奴だ」

 仙人はモンドに抱きつき涙ぐんでいた。

「ばっかじゃないの。あんたやっぱり偽仙人でしょ」
「な、なんてことを。おいらは本物だ。カワウソだけど嘘偽りのない本物の仙人だ」

 また出た。カワウソダジャレ。

「あのさ、ダジャレはいいからなんでまた現れたんだ」
「あっ、そうだった。賢に最後の言葉を伝えようと思ってな」

 最後の言葉か。最初から全部言えばいいじゃないか。わざわざ洞窟まで行った意味があるのか。小出しにする意味があるのか。

「おお、疑問を感じているな。大事なことだぞ」
「はい、そうですか」

 賢は溜め息を漏らして返答した。

「溜め息なんかするな。おまえのためにおいらはゆっくり教えてやったのだぞ。一気に話したところで頭が混乱するだけだからな」

 なるほど、それはあるかもしれない。

「賢、騙されちゃダメ。こいつはただ楽しんでいるだけだわ、きっと」

 美月の言うことも一理ありそうだ。
 玉三郎と己家は口元を緩ませて会話を聞いていた。ミーヤとパンは我関せずという感じでじゃれ合っていた。何をしているのだか。

「とにかくおいらの話を聞け。今から大事な話をするからな」
「大事な話ね。聞いてあげるわ。どうぞ」

 美月の奴、完全に馬鹿にしている。わからなくはないが。
 仙人は咳払いをひとつして真面目な顔をする。

「ある有名な実業家がこんな話をしている。
『仕事は人生の大部分を占めます。だから、心から満たされるためのたったひとつの方法は、自分がすばらしいと信じる仕事をすることです。そして、すばらしい仕事をするためのたったひとつの方法は、自分がしていることを愛することです。もし、愛せるものがまだ見つかっていないなら、探し続けてください。立ち止まらずに』とな」

 自分のしていることを愛するか。賢は感じ入った。なんだかんだ言って博識なんだよな。やっぱり仙人だからだろうか。言ったあとのドヤ顔は気になるけど。

「いいこと言うじゃない。で、誰の言葉なの」

 美月のなんとも言えない表情が笑える。

「それはだな。えっと、確か。スティーブ・ジョなんとかって。まあ、それはいいのだ。まだ話は終わっていない。つまりだ、大事なことは愛だ。愛することが己を強くする。愛が新たな力となり養われるのだ。そこでだ、もう一度その黒い茶碗を見ろ」

 茶碗。わび、さびのある茶碗のほうだろうか。

「皆まで言わなくてもわかっているな」
「見た目で判断するなってことだろう」
「その通り。この茶碗が粗末で価値のないものだと思った時点で人生を無駄に過ごしているのと同じだ。まずはそのものを知ろうとするところからはじめなくてはいけない」

 所謂、興味、好奇心ってことか。仙人の話はまだまだ続く。

「人に対しても同じだ。アーティストになるのなら必要不可欠なことだ。アーティストに限らず何に対しても通ずることかもしれないがな。茶碗を手に取り感じてみろ」

 賢は仙人の言う通りに黒い茶碗を手にした。なんだろうこの感じ。凸凹した感触が不思議と心地いい。

「どうだ、ぬくもりを感じないか。飾り気がないがそこには作り手の愛があるはずだ。ほら、茶を用意した。飲んでみろ」

 いつの間にか茶碗に抹茶が入っていた。
 賢は茶碗に口をつけてハッとした。口に当たる茶碗に優しさを感じた。なぜだろう。

「愛を感じただろう。心が打たれただろう。それこそが真のアーティストの成せる業だ。いろんな絵を見せてきたが、賢、おまえもその思いがあればどんな絵を描こうとも皆の心に響かせるものを生むことができるはずだ」

 愛か。

 賢は美月に目を向けた。美月の瞳には自分の姿が映っていた。
 描くものが決まった。

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