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第三話 溜め息を漏らす本たち
【五】本屋は辛いよ
しおりを挟む書店回りも終えて、家に戻ると樹実渡が出迎えてくれた。
「どうだ、あの爺さんは大丈夫だったか」
「ああ、軽い心筋梗塞みたいだけど命に別状はないってさ」
「そうか、ならよかった」
本当によかった。
「そういえば、あのとき何をしたんだ。保立さん、ちょっと顔色がよくなった気がしたんだけど」
「ああ、あれはその。おいらの治癒能力を施していただけだ」
治癒能力。樹実渡にはそんな力があったのか。
「すごいな」
「そうでもないって」
樹実渡はまんざらでもなさそうにしつつも、照れくさそうな笑みを浮かべていた。
「それと、あの花の枝が伸びていったのもびっくりしたぞ」
「あれもおいらの力さ。植物と会話出来るからな。で、ちょっと助けてもらった」
なるほど、ただの食いしん坊じゃなかったってことか。そういえば樹実渡は木の属性だと話していた。なんとなく樹実渡の力に納得出来た。流瀧にしても火乃花にしてもすごい力を持っている。本の御魂三人衆恐るべしってところか。
「さてと、晩飯の準備でもするか。樹実渡はなにが食べたい」
「おっ、食いたいもの作ってくれるのか。それなら、うーん、えっと、北京ダッグが食いたい」
「おい、そんなものを作れるわけがないだろう」
まったく何を言い出すのやら。北京ダッグはないだろう。
「あはは、そうだよな。なら、カレーがいい」
「カレーか。材料はあったかな」
玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、肉は豚バラがある。カレーのルーもある。大丈夫そうだ。
「カレー、カレー、カレー。隠し味に珈琲少々入れてみな。入れるタイミングはルーがしっかり溶けたあと。ビターチョコでもいいけどな」
樹実渡が飛び跳ねて変な歌を歌い始めた。
何? 隠し味に珈琲少々。ビターチョコでもいいのか。
それは本当か。樹実渡が言うなら本当だろう。試してみるかと思ったところ樹実渡は「早く、早く、カレーを早く」なんて歌っていた。『そんなに食べたかったのかよ』とツッコミを入れたくなったがやめておいた。
それじゃ、作るとしよう。
まずは、ジャガイモの皮むきでもするか。そう思ったとき、玄関扉の開く音とともに「ただいま」との声がした。
小海だ。なんだか『ただいま』の声が心地いい。
梁田店主の口にした『夫婦』との言葉が蘇る。いやいや、まだ結婚はしていない。まだって、まったく。一瞬、小海との夫婦生活が頭を過ってしまった。
尻に敷かれる自分を想像してしまい苦笑いを浮かべる。そんな夫婦関係も悪くはないか。きっとそのほうがうまくいく。
「ちょっと、何でジャガイモ持ってにやけているのよ。気持ち悪いわよ」
小海の声に我に返り、「あっ、ちょっとね」とだけ返事をしてジャガイモの皮をむき始めた。
「んっ、この材料はもしかして、晩御飯はカレーにするの」
「ああ、樹実渡が食べたいって言うからそうした。ダメか」
「ううん、私も食べたい。遼哉の料理って美味しいんだもん」
嬉しいこと言ってくれる。
「そんなに煽てたって何も出ないぞ。小海も手伝ってくれよ」
「いいわよ」
美味しい料理が作れるのも樹実渡から教わったレシピのおかげだ。チラッと樹実渡を見遣ると、ニヤついた顔をして「よっ、お熱いですねお二人さん」なんて言い放つ。
樹実渡の声に「もう、ヤダ」と小海が手にした包丁を振り回す。
「おい、おい、危ないって」
樹実渡はダッシュしてキッチンを立ち去った。横にいたグレンもまた飛んで逃げていく。もちろん自分も一時退散。
「あっ、ごめん」
小海は自分の過ちに気づき、苦笑いをしてこっちを見てきた。
「とにかく、カレーを作ろうか」
遼哉は強張った顔のまま微笑んだ。
やっぱりいいな、この感じ。包丁を振り回すのは勘弁だが、小海と一緒にいたい。
ニヤけそうになったところで、保立の顔がふいに浮かんだ。
「なあ、小海。保立さんのところって誰か面倒見てくれる人っているのかな」
「うん、ちょっとだけ話出来たから聞いてみたんだけど息子さんがいるみたいだよ」
「そうか。なら大丈夫なのかな」
遼哉は保立の経営する宝文堂のことが気になった。あまり無理は出来ないだろう。宝文堂は閉店してしまうのではないだろうか。息子がいるならあの書店を引き継いでくれないのだろうかとも思ったが、きっと無理なのだろう。
別の仕事をしているだろうから。それだけではないか。あの書店を引き継いでも収入面で厳しいものがありそうだ。
「遼哉、保立さんは大丈夫よ。命の別状ないって先生も話していたし」
「うん、わかってる。ただもう書店経営するのは無理なんじゃないかって思ってさ」
「確かに、そうね。そう思うと残念ね。遼哉はあの書店にも子供の頃よく行っていたもんね。そんな書店がなくなると思うと寂しいね」
「まあな」
源じぃと一緒に宝文堂へ本を買いに行ったことが思い出される。あのときは漫画を買った。確かボクシングの漫画だったろうか。思い出ある書店がなくなってしまうとなると胸が苦しくなってしまう。
どうにかならないものか。
個人経営の書店はやっていくのも厳しい。ましてや年寄が一人で経営しているのだから無理がたたったのだろう。
万引きされて経営状態も悪化しているなんて話も聞く。昔からある書店だからあまり防犯設備も整っていない。万引きしやすい店になってしまっている。
活字離れもあるが、品揃えのいい大型書店にみんな行ってしまって客も少なくなっているのもあるだろう。宝文堂あたりだと売りたいと思っている本が配本されないってこともあるだろうし。
新刊本がないって文句を言う客がいるかもしれないけど、それはその書店がやる気がないわけじゃない。入って来ないだけ。配本してくれないだけ。残念だけど、そんな現実がある。あまり知られていない出版業界の現実だ。
悪循環だ。
早い時期に予約をしてくれれば入荷するのだろうけど、おそらくそんな客は宝文堂には来ないだろう。駅ビル内の書店やショッピングモールにある書店に客は流れていくのだろう。ネットでも買えてしまう世の中だ。だからって、大型書店やネットが悪いわけではない。
やっぱり、難しいな。
保立のことを考えると、無理してまであの書店を続ける意味もないだろう。いや、どうだろう。意味がないってことはないのか。地域密着型書店ではあるのか。昔からの常連客がいることはいる。
正直、なくなってほしくはない。
どうにかしてやりたい。
「遼哉、保立さんのことそんなに心配」
「ああ、そうだな。宝文堂がなくなるのかなと思うと寂しいし、無理してまで保立さんにあの書店やり続けてくれとも言えないし」
「そうだね」
「おい、あの店なくなるのか」
樹実渡が足元で大声をあげた。
「いや、まだわからないけど今のままだったらその可能性が高いかな」
「うーん、そうなのか。本の御魂としては忌々しきことだな。本たちの悲しみの声が聞えてきそうだ。いや、おそらく泣いているだろう」
樹実渡は腕組みをして考え込んでいた。
「保立さんの力になってあげたいね」
小海はカレーの準備に手を動かしながらも、こっちに目を向けてニコリとした。
「そうだな」
足元の樹実渡も腕組みしたまま頷いている。グレンだけは小首を傾げていた。
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