79 / 161
第三話 溜め息を漏らす本たち
【十三】ガンバレ、樹実渡にグレン
しおりを挟む「グレン、駅前商店街に行こう」
「ニャ」
「商店街に入ったら、おいらは人形になりきるからな。あとは頼むな。そうそう、あまり人に近づき過ぎないでくれよ。そうじゃないと、おいらもじっとしていられなくなっちまうからな」
「ニャ」
よし、これで大丈夫だろう。グレンと意志疎通は出来ている。人に聞こえない程度の小声だったらグレンと話せるだろう。問題はないはず。
「えっ、嘘。あれ、なに」
おっ、早速見つけられたようだ。
「グレン、いい距離を保ってくれよ」
「ニャニャ」
そうか、わかっているか。
「猫に乗っているのって小人。まさか違うわよね。人形よね、きっと。動かないもん。写真撮ろうよ、すごく可愛い。インスタにアップしようよ」
そうそう、それでいい。思わず笑みを浮かべそうになりスッと真顔に戻す。
「グレン、ちょっとストップ」
カシャ。
「良い感じ」
よしよし、写真撮ったな。
「可愛いね。賢そうだし。猫ちゃん、おいで」
グレンは呼ばれるままに近づいていく。
「ちょっと待て。ダメだって。行くぞ」
樹実渡はグレンにだけに聞こえるように話す。グレンは理解してくれたのだろう。
足を止めてグレンは声をかけてきた人をチラッと見遣り、回れ右をして歩き出した。
「行っちゃうの」との背後からの声に後ろ髪を引かれたが、ここは宣伝が優先だと耳を閉ざした。
これが正解だ。
危ない、危ない。
あのまま近づいていたらと思うとゾッとする。
話しかけられて返事をしてしまう自分が想像できた。そんなの最悪だ。樹実渡は頭を振って嫌な想像を振り払った。
怖がられてすべて終わりだ。宣伝どころではない。変な噂でもちきりになってしまう。
やめ、やめ。今はそんなことより、宝文堂の宣伝だ。
最悪な事態になっていないんだから、問題ない。
そろそろ商店街だ。うまくいくだろうか。
「うわっ、可愛い」
おっ、きたきた。スマホをこっちに向けている。
樹実渡は手をあげかけてすぐに戻した。
馬鹿か。何をしている。動いたらダメだ。
んっ、この匂い。焼きたてのパンだ。蒸かした饅頭の匂いもする。なんていい匂いなんだろう。
「グレン、向こうに。いやいや、違う。そのまま通り抜けてくれ」
今は辛抱のときだ。宝文堂のためだ。わかるだろう。
むむむ、今度はカレーの匂いがしてきた。ああ、腹の虫が騒ぎ出してしまう。
まずい、よだれが。
どうする、このまま店に乗り込んじゃおうか。
「グレン、あの店へ」
宝文堂の本たちの悲痛な声が蘇り、言いかけた言葉を呑み込みグッと堪える。
「やっぱり、行くな。混雑していない向こう側へ行こう」
これでいい。宝文堂の本たちと保立の笑顔を取り戻すんだ。宣伝を成功させるんだ。
カシャカシャとの小気味いい音があちこちからしてくる。
同時に「可愛い」とか「もうちょっと近くに来てくれないかな」とか「あの旗って何。なんか書いてあるみたい」との声が耳に届く。
みんなが構えているスマホに向けて、笑みを浮かべそうになるのを必死に堪える。
少しばかり遠いだろうか。宝文堂の宣伝だと気づかせなきゃダメか。
「グレン、手が届かないくらいのところまで近づいて止まってくれ」
「ニャ」
みんなこっちを見ている。よし、よし。
たくさん撮ってくれ。宝文堂の文字をしっかり写してくれ。SNSに投稿してくれ。
まずい。近づいて来た。ここはもういい。別の場所へ行こう。
「グレン、そろそろ駅のほうに向かおう」
「ニャニャ、ニャー」
なんだ、グレンも何か食べたいのか。どうやら、グレンはいい匂いに我慢の限界が来ていたようだ。どうしたらいい。
ダメだ。考えている場合じゃない。捕まっちまう。
早く商店街から離れなきゃ。
樹実渡はグレンの耳元でこそりと話す。
「お願いだ。我慢してくれよ。おいらだって食いたいの必死で我慢しているんだぞ。きっと、あとで美味いもの食えるからさ」
「フニャ」
グレンは掴まりそうになる寸前で駅のほうへ駆け出した。ただ、残念そうな顔でチラッと肉屋に目を向けていた。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる