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第三話 溜め息を漏らす本たち
【十八】いい風が吹く
しおりを挟む樹実渡は流れてくる焼き鳥の匂いを思いっきり吸い込んだ。
ねぎ間、モモ、かわ、つくね、レバ、ぼんじり、ハツ、せせり。ああ、よだれが出てきてしまう。
「なんでもいいから、何か食べたいな」
ぼそりと呟き、ギョッとする。
しまった。女の子がこっちをじっとみつめている。聞こえてしまったか。空耳だと思ってくれ。頼む。
女の子の視線はいまだにこっちに向いたまま。
まずい。これは、かなりまずい。
商店街に戻って来たのは失敗だったろうか。すべて、この匂いのせいだ。ああ、堪らない。あっちこっちで漂っている罪ある匂いに文句を言いたい気分だ。
違う、違う。文句なんかあるか。美味いものに罪はない。
食べたくて、頭がおかしくなっちまったのかも。
どうする。まだ、視線を感じる。
ここは逃げるが勝ちか。
樹実渡は女の子に気づかれないようにグレンの首筋の毛を引っ張り、この場を離れるように促した。
あれ、どうした。グレンが動いてくれない。
チラッと女の子に目を向けると、焼き鳥のモモを一本注文していた。
ああ、焼き鳥が食べたい。樹実渡は生唾を呑み込み、もう一度グレンの首筋の毛を引っ張った。ここにずっといたら、暴走してしまいそうだ。我慢の限界がきてしまう。
「グレン、ほら、どうした」
微動だにしないグレン。
頼むから動いてくれ。
ダメか。女の子が近づいて来る。ただの人形じゃないとバレてしまったのかも。
「はい、どうぞ召し上がれ」
えっ、なに。焼き鳥をくれるのか。差し出された焼き鳥に目が釘付けになる。
どうする。動くわけにいかないだろう。他にも人はいる。皆が注目している。ここはただの人形を演じなくてはダメだろう。まだ、バレたとは限らない。
でも、でも、でも。
そう思っていたら、グレンがパクリと食いついた。
あああ、焼き鳥が。
「美味しいかな」
笑みを浮かべる女の子。
そうか、グレンに差し出したのか。自分にじゃなかったのか。バレていなかった。
そりゃそうか。人形が口を利くなんて思わないだろう。そうじゃないか。きっと、さっきの呟きが聞こえたわけではない。
グレンを見ていたに違いない。ホッと胸を撫で下ろす。安心したら、余計に腹が減ってきた。一口でもいいから食べたい。
「可愛いね。猫ちゃん、もしかして宝文堂の宣伝をしているの。私、宝文堂のホームページを見たよ。猫ちゃんは看板猫さんでしょ。偉いね。この人形さんも知っている。樹実渡ちゃんよね」
返事をしそうになる寸前で言葉を呑み込んだ。危ない、危ない。
「樹実渡ちゃんも焼き鳥を食べられたらいいのにね」
女の子の手が頭をポンポンとしてきた。グレンの頭も撫でている。なんて愛らしい子だろう。
感謝の意を伝えたい。どうしたらいい。ああ、もう。いっそのことしゃべってしまおうか。いやいや、それだけはダメだ。落ち着け。
「お仕事、頑張ってね。私、あとで宝文堂に行ってみるね」
女の子は満面の笑みで手を振り行ってしまった。
グレンはまだ焼き鳥を堪能している。羨ましい。
仕方がないか。ここは我慢、我慢。
そのとき背後から「樹実渡」との声がした。
気のせいか。きっとそうだ。自分を呼ぶ者なんかいない。
さてと、どこへ行こうか。
「き・み・と」
まただ。空耳じゃないのか。グレンがキョロキョロしていたかと思うと、背後へと振り返った。
声の主は火乃花だった。
店と店との間の狭い通路から手招きしていた。人がひとりやっと通れるかどうかって狭さだ。白猫に乗って、あんなところで何をしているのだろう。
樹実渡はグレンの背に揺られて、火乃花のいる狭い道に行った。ちょうどいい暗がりでここなら話しても大丈夫そうだ。おそらく誰も気づかないだろう。
「火乃花、おまえ何をしているんだ」
「何をじゃないでしょ。宣伝じゃない。流瀧だって今頃、フラワーガーデンで頑張っているはずよ」
「そうなのか。なら、宝文堂にはお客が殺到しているかもな」
「それはわからないわ。そんなに簡単にはいかないでしょ」
確かにそうかもしれない。けど、今回は大丈夫な気がする。
「まあ、とにかく頑張って宣伝しよう」
「そうね」
樹実渡と火乃花は並んで商店街を闊歩した。いや、闊歩したのはグレンと白猫だ。偉そうな感じで胸を張り、尻尾をピンと立たせた猫二匹が並んで歩く姿は絵になる。しかも、猫の上には人形が乗っているとなれば尚更だ。
効果倍増。それ以上か。
ほら、騒がしくなってきた。
あとはブックカバーの旗にある宝文堂に気づいてくれれば御の字だ。
ここに流瀧もいたらもっとよかったのに。本の御魂三人衆ここにありっていい宣伝になったかもしれない。源蔵の本に登場する本の御魂三人衆だと気づく者はいないだろうけど。いや、さっきいたか。
ああ、いい風が吹いて来た。
美味そうな匂いのおまけつきだ。
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