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第四話 消えた挿絵
【二十一】あのときの記憶
しおりを挟む「凛子がまだ幼い時のことだったな。覚えていなくてもおかしくはない」
自分もまだ大人とは言えなかったか。
源蔵は苦笑いを浮かつつチラッと女神様を見遣ると、なぜか同じように笑みを浮かべて頷いていた。
風狸は少しだけ口角をあげて瞬きをしている。
昔の話だ。源蔵は遠くの空を眺めて記憶を辿った。
***
「おじちゃん、浅間様にお参りいこうよ」
「えっ、浅間様」
凛子は満面の笑みで頷く。
源蔵は腕時計をチラッと見遣り、どうしたものかと凛子に目を向けた。
「凛子ちゃん、ごめんね。もう帰らなきゃいけないから一緒には行けないな」
「えー、行けないの。そんなのダメ。帰っちゃダメ」
「困ったな。お母さんと行っておいで」
「ダメ、ダメ、ダメ。源蔵おじちゃんじゃなきゃダメ」
楠野宮輝子と顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「凛子、わがまま言っちゃダメでしょ。もう帰らなきゃいけないんだから」
凛子は輝子の顔を見て、こっちへまた目を向ける。
「わがままじゃないもん。さくちゃんがおじちゃんと浅間様に行くと良いことがあるって言ったんだもん。銀ちゃんも一緒だよ」
さくちゃんって誰だろうと考えていると、足元にいる猫の銀が上目遣いで鳴いてきた。
「ほら、銀ちゃんも行くって言っているよ」
源蔵は再び腕時計をチラッと見て、凛子の少し潤んだ瞳を見遣る。今、駅に向かわないと特急電車の時間に間に合わなくなる。どうしたものか。
「凛子、浅間様に行くのはまた今度にしましょうね。源蔵さん、時間でしょ。行ってください」
「ええ、そうですね。ごめんね、凛子ちゃん」
「ダメ、ダメ、ダメ。今、浅間様に行くの。そうじゃないと悪い人に連れて行かれちゃう。特急電車に乗っちゃダメなの」
悪い人?
いったい、何を言っているのだろうか。
「じゃ、佐久間のおにいちゃんと行こうか」
文港堂書店の店主の佐久間が凛子に声をかけたが「ダメなの、源蔵おじちゃんじゃなきゃダメなんだってば」と言うことを聞かない。
凛子はしきりにシャツの袖を引っ張って、帰っちゃダメだと訴える。こんなことは今までなかったことだ。いつもは素直で聞きわけのいい子なのに。
「ニャン」
銀が足を登ろうとするように立ち上がって鳴いていた。
銀まで引き止めるのか。どうしたっていうんだ。
凛子と銀を交互に目を遣り、溜め息をひとつ。
仕方がないか。
源蔵は凛子の目線に合わせるようにしてしゃがみ込み微笑みかけた。
「わかったよ。一緒に浅間様にお参りに行こう」
凛子は大きく頷き右手を握り「行こう」と引っ張った。小さくて柔らかい手だなと思うと自然と頬が緩んだ。
凛子の母の輝子が申し訳なさそうにお辞儀をして見送ってくれた。
浅間様は目と鼻の先。五分とかからなかった。
近所の子供たちだろう。境内で遊んでいる。野良猫だろうか。木陰で香箱座りをしてこっちに目を向けていた。清掃が行き届いた感じで、浅間様はこの町の住民に愛されているのだろう。
とても気持ちのいい空間だ。
「おじちゃん、神様にご挨拶しましょ」
凛子は手を放してスキップするかのようにして拝殿のほうへ駆けていく。
おじちゃんか。凛子にはそう見えるんだろうな。
源蔵もあとに続き、拝殿の前まで来ると賽銭を入れて二礼二拍手をする。願い事はせず挨拶のみをして一礼した。
腕時計をチラッと見遣る。もしかしたら特急電車の発車時刻にギリギリ間に合うかもしれない。
「凛子ちゃん、じゃ帰ろうか」
「えっ、ダメだよ。来たばかりだよ。すぐに帰っちゃったら神様が寂しがるよ」
「でもさ」
「でもじゃないの。ゆっくりしたほうがいいの。そうしたほうが神様だって喜ぶんだからね」
面白い子だ。凛子は神様が見えているのだろうか。ふとそんなことを考えてしまった。銀はというと、さっき香箱座りをしていた猫と一緒にいた。猫は縄張り意識が強いから喧嘩を始めてしまいそうだけど、仲良さそうにしている。
あの猫は、もしかしたら神様の使いかもしれない。
そんなこと考えている場合じゃない。特急に乗らなきゃいけない。
「凛子ちゃん」
「ダメだよ。もうちょっとここにいて」
言おうとしたことがわかったんだろうか。不思議な子だ。
ふくれっ面しちゃって、なんて愛らしいんだろう。
仕方がないか。特急券が無駄になってしまうけど、諦めよう。
ゆっくりするほどの広い敷地はないが、ここの風景を眺めながら話でもしよう。
「凛子ちゃん、ここはなんだか気持ちい場所だね」
「そうでしょ。私、ここだーいすきなの」
「そうか、大好きか。きっと神様も凛子ちゃんのことが大好きなんだろうな」
「うん、そうだよ」
なんだか一緒にいると癒される。凛子の笑顔もだが、浅間様の良い気がそうさせるのだろう。
本当にどこかで神様が見守ってくれているのかもしれない。
気持ちいい風が頬を撫でていいく。
あっ、もうそろそろ日が暮れそうだ。
「そろそろ帰ろうか」
「うん、帰ろう。さくちゃん、バイバイ」
「ねぇ、凛子ちゃん。さっきも言っていたけど、さくちゃんって誰のこと」
「えへへ、それは秘密」
凛子は人差し指を口に当てると駆け出してしまった。源蔵は慌ててあとを追い、輝子の待つ文港堂書店へと向かった。
凛子のスキップは見ているだけでこっちまで楽しくなってくる。スキップするほど嬉しかったのだろうか。よくわからないけど、そうだったらいいなと思う。
文港堂書店はもう目の前だ。凛子はもう書店に入っていった。
「帰ったよ」
凛子の声が外まで響き渡る。同時に佐久間店主が外へ顔を出してこっちへ向かって来た。
「源蔵、おまえ命拾いしたぞ」
命拾いだって。何を言っているのだろう。
隣にいる輝子も頷いている。
「どういうことだ」
「実はな、源蔵が乗るはずだった特急電車が脱線事故を起こして負傷者が出たらしい。亡くなった人もいるとか」
源蔵は、ブルッと身体を震わせて凛子へと目を向けた。
「ね、だから言ったでしょ。悪い人がいるって」
もしかして、わかっていたのか凛子は。悪い人ってことは事故じゃなくて事件ってことか。どうして凛子はわかったのだろうか。
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