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8章 始
1 闇の奥
しおりを挟む霧島は過去の行動履歴から座標を設定し、無事に管理プラントの入口である、あの小さな扉のもとへと辿り着いた。
真っ暗な闇のなかを、指の端末で小さく照らしながらドアノブに手をかける。それは鍵がかかっておらず、きぃという乾いた音をたてて開いたので、霧島は安心して中へと進む。
奥の階段を一歩一歩上がり、観測室へと向かうエレベーターがあった場所へと向かいながら、霧島は思う。
――ひとりだと、すこし怖いな。
ここでもし何かあったら、自分は死んでしまうのだろうか。
あたりを見回しても小型機械がすこしも見当たらず、頭上でカメラが動作しているのかもわからない。
人の動きを監視し、なにかあったときに命を助けてくれるものが見当たらないこの場所は、実は死を迎えるのに適した場所なのではないか。
ぼんやりと浮かびあがった考えを、霧島は振り払うように頭を左右に振ると急ぎ階段を上った。
――今は死ぬためにここに来ているのではない。
霧島至旺として死ぬために。まずは本来の自分を取り戻さなければならないのだ。
ひらけた場所に出た、と霧島が思った時であった。左のほうに顔を向けると、あの見覚えのある扉がみえた。
観測室へと昇るそのエレベーターは、電源が入っていないようで前を歩いてもぴくりともしなかった。
ただ、今日はそれが目的ではないので目の前を通り過ぎ、奥の何も見えない闇のなかへと足を踏み出す。
恐怖を払い除け一歩一歩小さく進んでいくと、そこに合ったのは、小さな扉だった。
――これだ。
エレベーターの真新しく巨大な扉とは違う、錆びて年季を感じる小さな開き扉。霧島は手を伸ばし、恐る恐る開けた。
奥も入口と同様に闇が広がっていたものの、霧島は臆することなくそのなかに足を踏み入れる。
そうして無心でしばらく歩いた時だった。
突然、闇の彼方から女性の声が聞こえたかと思えば、それは聞き覚えのある自動音声であることに気づく。
『省エネルギー化に伴い全館電源供給を一時停止しています。人間の活動を確認しました。電源供給を開始する場合は音声入力をしてください』
そういうモードになっているのかと納得すると、その声に従い霧島は、
「活動者あり。電源供給開始」
と言った。
すると突然なにかが回りだす音がしたかと思えば、あたりはぼんやりと明るくなりはじめた。
天井の人工太陽が再現したのは、日の沈み始めた夕方の空だった。おそらくこのプラントも、他プラントの現在時刻と連動しているのだろう。また光と同時にみるみる空調も稼働しはじめたようで、あたりを初夏の爽やかな風が吹きぬけた。
霧島は、目前にぼんやりと浮かび上がりつつある街並みを見て気づいた。
どうやら、このプラントには学校施設や研究施設などの教育機関がひとくくりに集められていたらしい。校舎のような比較的階数の低い四角い建物が、奥へ奥へと連なっているようにみえた。
霧島はどれが目的の場所なのかまだわからなかったので、傾いた太陽によって黒く染まった建物の陰に近づき、その門のひとつひとつをみて回る。
そうして小学校と中学校の校舎を通り過ぎたときだった。霧島を突然既視感が襲ったのは。
――この建物は。
これまでとは違う、比較的背の高い建物は、いま霧島が住まう居住区画を思わせた。
しかしそういう見覚えとはすこし違ったのだ。
その建物の窓からは階段が覗いており、霧島はなぜかその階段を駆け下りたことがある気がした。また、近寄り建物を囲う塀に触れたところで、それに手をかけ乗り越えていった記憶が蘇る。
――二階の窓から出ると、ちょうど高さがあって簡単に塀の上に乗れて近道になるんだ。……そうだ。何回も怒られた気がする。
ここは、学生が寝食を共にした寮に違いない。
霧島はそう思いながらしばし眺めたあとで、塀の続いていく道の先へと足を速めた。
途中、塀は背の高い枯木になったかと思えば、それは次第に低くなり、目の前には大きな入口がみえた。
霧島はその門に書いてある文字を確認もせずに、なにかに呼ばれるように敷地内へと足を進める。
広々とした道の左右を、すでに枯れてしまった並木が寂しく囲うなか。
霧島はなぜかかすかな木の匂いを感じながら、空は夕焼け空であるのになぜか眩しいと感じながら、淡々と歩いていく。
そうして、広場のような場所にたどり着いたときだった。
誰もいない、だだっ広いこの場所で、霧島はひとりざわめきを感じていた。
それは記憶のなす幻聴か、それとも自分の心臓が発するものなのかもわからなかった。
ただ、このときの霧島に言えたことは、記憶の鍵となる場所はこの建物の奥に必ずあるということ。
そして、およそ三百年前のこの場所で。
霧島至旺は空山千逸に出会い、声をかけたという確信だった。
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