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第六話 恋人
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身体を重ねたあの日から、二人は恋人同士になった。
──ただ、その関係が公になるわけでも、
急に何かが劇的に変わるわけでもない。
けれど確かに、日々の風景の中に、
“それまでと違う色”が混ざり始めていた。
朝、起きた時。
寝癖のままリビングに現れた黎都の姿を見て、
阿久津が無意識に笑ってしまう。
『……何笑ってんすか』
『いや、なんでもねぇ。
起きたばっかの顔も悪くねぇなって思っただけだ』
そんな何気ない会話が、妙に甘く感じられる。
コーヒーを淹れる手つき。
並んで食べる朝食。
現場への道すがら、助手席からちらりと送られる視線。
──それらすべてが、
少しずつ“恋人”という言葉を実感させていった。
けれど。
恋人になったからこそ、
阿久津には新たな葛藤が生まれていた。
(このまま、あいつを仕事に出していいのか──?)
演技とはいえ、他の男に触れられ、甘い声を出し、
肌を晒す黎都を、“監督”として演出しなければならない日々。
それは想像以上に、自分の理性を試すものだった。
──それでも、彼を支えたい。彼の才能を、潰したくない。
矛盾する感情を抱えながらも、阿久津は今日もまた現場に立つ。
一方で、黎都もまた、小さな変化に気づいていた。
朝、ふと見たスマホに、阿久津からのメッセージ。
《今日は絡み長めだけど、無理すんな。しんどくなったら俺に言え》
──恋人になる前と、変わらないようで、
少しだけ優しくなった文字。
その「ちょっとだけ」が、嬉しくてたまらない。
(でも……俺、甘えすぎてないかな)
恋人になったからこそ、
踏み込みたいのに踏み込めない距離もある。
黎都は阿久津の背中を見ながら、ふと立ち止まりそうになる。
──そんな、静かに揺れ始めたふたりの
「恋人の日々」が、ゆっくりと進んでいく。
‥‥‥‥‥‥
【撮影中】
『〔あん、ぁぁぁ、そこは、だめ……止めて!!ひ、ぁぁぁ!!〕』
「〔素直じゃねぇ奴だな。ちゃんと、身体で覚えろよ!!〕」
黎都の演技は、すでにプロとして完成されつつあった。
“監督”として、演者としては──認めざるを得ない。
けれど、“恋人”としては──。
阿久津の胸に、複雑な思いが込み上げていた。
【撮影後】
撮影が終わった帰り道。
車内にはラジオの音が流れていたが、
ふたりともそれを聞いているふうではなかった。
助手席の黎都は、ちらりと隣を見た。
『……今日、すごく黙ってますね』
『別に。疲れてるだけだ』
その答えは素っ気なく、どこか壁があった。
いつものような皮肉も、冗談も返ってこない。
黎都は、不安をごまかすように笑った。
『……演技、ダメでした?』
『いや。完璧だったよ。文句のつけようがねぇ』
阿久津の横顔は、表情を読ませてくれなかった。
部屋に戻ってからも、様子は変わらなかった。
いつもならシャワーの後、ソファに座ると自然に肩が触れ合い、
いつの間にか腕が回されて、
髪を撫でられる──そんな時間が、今日はなかった。
阿久津はソファの端に座ったまま、
タブレットを開いて仕事をしている。
黎都はそっと尋ねた。
『……陣さん、最近……あんまり、俺に触れてこないですよね』
数秒の沈黙ののち、阿久津は低い声で答えた。
『……触ったら、止まらなくなりそうだからだよ』
黎都の胸が締めつけられる。
『……どういう意味ですか?』
阿久津はタブレットを伏せ、ややあって言った。
『現場で、黎都が他の男に抱かれるのを見るのは──
“演技”ってわかってても、きつい。
けど、止められない。
俺は監督で、黎都は役者だ。仕事だ。
わかってる、けど……』
そこで言葉が途切れた。
阿久津は顔をしかめるようにして、続けた。
『だから、俺が我慢するしかないんだよ。
……恋人としてじゃなく、監督として』
黎都は言葉を失った。
理解できないわけじゃない。でも──。
(俺、拒まれてる……?)
そう思ってしまう自分が、情けなかった。
ほんの少し前まで、恋人という言葉が嬉しかったはずなのに。
今は、その言葉がかえって、距離を生んでいる。
──ふたりの間に、沈黙だけが落ちた。
──ただ、その関係が公になるわけでも、
急に何かが劇的に変わるわけでもない。
けれど確かに、日々の風景の中に、
“それまでと違う色”が混ざり始めていた。
朝、起きた時。
寝癖のままリビングに現れた黎都の姿を見て、
阿久津が無意識に笑ってしまう。
『……何笑ってんすか』
『いや、なんでもねぇ。
起きたばっかの顔も悪くねぇなって思っただけだ』
そんな何気ない会話が、妙に甘く感じられる。
コーヒーを淹れる手つき。
並んで食べる朝食。
現場への道すがら、助手席からちらりと送られる視線。
──それらすべてが、
少しずつ“恋人”という言葉を実感させていった。
けれど。
恋人になったからこそ、
阿久津には新たな葛藤が生まれていた。
(このまま、あいつを仕事に出していいのか──?)
演技とはいえ、他の男に触れられ、甘い声を出し、
肌を晒す黎都を、“監督”として演出しなければならない日々。
それは想像以上に、自分の理性を試すものだった。
──それでも、彼を支えたい。彼の才能を、潰したくない。
矛盾する感情を抱えながらも、阿久津は今日もまた現場に立つ。
一方で、黎都もまた、小さな変化に気づいていた。
朝、ふと見たスマホに、阿久津からのメッセージ。
《今日は絡み長めだけど、無理すんな。しんどくなったら俺に言え》
──恋人になる前と、変わらないようで、
少しだけ優しくなった文字。
その「ちょっとだけ」が、嬉しくてたまらない。
(でも……俺、甘えすぎてないかな)
恋人になったからこそ、
踏み込みたいのに踏み込めない距離もある。
黎都は阿久津の背中を見ながら、ふと立ち止まりそうになる。
──そんな、静かに揺れ始めたふたりの
「恋人の日々」が、ゆっくりと進んでいく。
‥‥‥‥‥‥
【撮影中】
『〔あん、ぁぁぁ、そこは、だめ……止めて!!ひ、ぁぁぁ!!〕』
「〔素直じゃねぇ奴だな。ちゃんと、身体で覚えろよ!!〕」
黎都の演技は、すでにプロとして完成されつつあった。
“監督”として、演者としては──認めざるを得ない。
けれど、“恋人”としては──。
阿久津の胸に、複雑な思いが込み上げていた。
【撮影後】
撮影が終わった帰り道。
車内にはラジオの音が流れていたが、
ふたりともそれを聞いているふうではなかった。
助手席の黎都は、ちらりと隣を見た。
『……今日、すごく黙ってますね』
『別に。疲れてるだけだ』
その答えは素っ気なく、どこか壁があった。
いつものような皮肉も、冗談も返ってこない。
黎都は、不安をごまかすように笑った。
『……演技、ダメでした?』
『いや。完璧だったよ。文句のつけようがねぇ』
阿久津の横顔は、表情を読ませてくれなかった。
部屋に戻ってからも、様子は変わらなかった。
いつもならシャワーの後、ソファに座ると自然に肩が触れ合い、
いつの間にか腕が回されて、
髪を撫でられる──そんな時間が、今日はなかった。
阿久津はソファの端に座ったまま、
タブレットを開いて仕事をしている。
黎都はそっと尋ねた。
『……陣さん、最近……あんまり、俺に触れてこないですよね』
数秒の沈黙ののち、阿久津は低い声で答えた。
『……触ったら、止まらなくなりそうだからだよ』
黎都の胸が締めつけられる。
『……どういう意味ですか?』
阿久津はタブレットを伏せ、ややあって言った。
『現場で、黎都が他の男に抱かれるのを見るのは──
“演技”ってわかってても、きつい。
けど、止められない。
俺は監督で、黎都は役者だ。仕事だ。
わかってる、けど……』
そこで言葉が途切れた。
阿久津は顔をしかめるようにして、続けた。
『だから、俺が我慢するしかないんだよ。
……恋人としてじゃなく、監督として』
黎都は言葉を失った。
理解できないわけじゃない。でも──。
(俺、拒まれてる……?)
そう思ってしまう自分が、情けなかった。
ほんの少し前まで、恋人という言葉が嬉しかったはずなのに。
今は、その言葉がかえって、距離を生んでいる。
──ふたりの間に、沈黙だけが落ちた。
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