私はもう、あなたの所有物ではありません

たくわん

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第一章 婚約破棄と旅立ち

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北方に来て十日が経った。

リーゼの結界術は少しずつ上達していた。掌の前に展開する光の膜は人ひとり覆えるほどに成長し、持続時間も数十秒は保てるようになった。だが境界壁を修復するには、この何百倍もの力が必要だ。

その日の訓練は、いつもより力を込めた。

古文書に記されていた上級の構築法を試す。体の中心、臍の下あたりに意識を集中し、そこから全身に力を巡らせる。巡った力を両手に集め、一気に放出する。

光が弾けた。

今までとは桁違いの光量だった。結界の膜が風船のように膨らみ、訓練場全体を包もうとする。リーゼの体が浮き上がるような感覚に襲われた。

「す、すごい……」

歓喜したのは一瞬だった。

膨張する結界を制御できない。力が暴走し、光の膜が不規則に脈動を始める。リーゼの視界が白く染まり、耳鳴りがした。

「止めろ!」

アルヴィンの声が飛んだ。

止められない。体中の力が指先から際限なく流れ出していく。蛇口が壊れた水道のように、意志とは無関係に溢れ続ける。

結界が破裂した。

衝撃波が放射状に広がり、訓練場の柵が吹き飛んだ。リーゼの体も弾かれ、地面に叩きつけられそうになった。

その瞬間、背中に腕が回された。

アルヴィンだった。リーゼを抱きかかえるようにして地面との衝突を防ぎ、自らの体で衝撃を受けている。二人は雪の上を転がり、ようやく静止した。

「……っ」

リーゼは目を開けた。至近距離にアルヴィンの顔がある。蒼い瞳が真っ直ぐにリーゼを見下ろしていた。

「大丈夫か」

「は、はい。アルヴィン様こそ……」

リーゼはアルヴィンの腕の中から体を起こし、悲鳴を上げた。アルヴィンの左腕の袖が裂け、赤い筋が走っている。衝撃波の破片が掠めたのだ。

「腕が……! 血が出ています!」

「かすり傷だ」

アルヴィンは何事もないように立ち上がろうとしたが、リーゼが袖を掴んで止めた。

「かすり傷じゃありません。すぐに手当てを……」

「後でいい」

「よくありません!」

声が大きくなった。自分でも驚くほどの勢いだった。

アルヴィンが目を見開いた。おそらく、こんなふうに声を荒げられたことが珍しかったのだろう。

「私のせいで怪我をされたのに、後でいいなんて……そんなの、だめです」

リーゼの目に涙が滲んだ。暴走した力。制御できなかった自分の未熟さ。そのせいで目の前の人を傷つけてしまった。

アルヴィンはしばらくリーゼを見つめていた。やがて、ぽつりと呟いた。

「怒ってくれるのか」

「え……」

「俺の怪我に、怒ってくれるのか」

その声は驚きと、もう一つ別の何かを含んでいた。名前をつけるなら、それは戸惑いに似た喜びだった。

ハインリヒが駆けつけてきた。

「公爵様! お怪我を……」

「大したことはない。リーゼ嬢を部屋に送れ。今日の訓練は終わりだ」

「ですが……」

「送れ」

アルヴィンはそれだけ言うと、自ら医務室の方へ歩いていった。左腕を庇う仕草を隠そうともしない。いや、隠すことすら思いつかないのだろう。


部屋に戻ったリーゼは、椅子に座ったまま動けなかった。

エルザが温かい飲み物を持ってきてくれたが、手が震えてカップをうまく持てない。

「リーゼ様、ご自分を責めないでくださいね。力が暴走するのは珍しいことではないのですよ」

「でも、アルヴィン様が……」

「公爵様は大丈夫です。あの方は戦場でもっとひどい怪我をなさったこともあります。それよりも」

エルザがリーゼの手をそっと包んだ。

「公爵様がお怒りにならなかったでしょう? それどころか真っ先にリーゼ様を庇われた。あの方がそうなさるのは、よほどのことですよ」

リーゼは俯いたまま、頷いた。

あの瞬間、アルヴィンは迷わなかった。リーゼを守るために、自分の体を盾にした。氷の公爵と呼ばれる人が。

「怒ってくれるのか」

あの時の声が、耳の奥で繰り返される。まるで、誰かに心配されること自体に慣れていないような。

リーゼは目を閉じた。明日、必ず謝ろう。そして、もっと強くなろう。暴走するのではなく、制御できる力を身につけよう。

この人を、二度と傷つけないために。
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