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第一章 婚約破棄と旅立ち
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王都エルステリア。
リーゼが去って二週間が過ぎていた。
結界の劣化は、もはや無視できない速度で進行していた。北東区画に限られていた魔物の出現は南西区画にも広がり、一日に数件の目撃報告が上がるようになっている。
宮廷魔術師団長オルトヴィンは、国王への報告書を前に頭を抱えていた。
「結界の魔力残量は最盛期の三割を切りました。このままでは半年以内に完全消失します」
重い言葉だった。王都の結界が消えれば、百年間守られてきた市民の安全は崩壊する。周辺の森や山から魔物が流れ込み、街は戦場と化すだろう。
「原因は特定できたのか」
国王エルンストの声は低く、険しい。
「結界を維持していた核となる魔力源が、突如として消失したとしか考えられません。つまり……」
オルトヴィンは言葉を選んだ。
「聖女の力を持つ者が、王都からいなくなったことが直接の原因かと」
国王の眉間に深い皺が刻まれた。聖女。つまり、息子が公衆の面前で追い出したあの娘のことだ。
一方、クラウス第二王子は別の問題に直面していた。
「ミレーユ。教会の連中が検査をしたいと言っている」
王子の私室で、クラウスは苛立ちを隠さなかった。
「聖女の力を証明しろとのことだ。結界が弱まっている今、お前が力を示せば全て収まる」
ミレーユは窓辺に立ち、外を見ていた。その横顔から、いつもの余裕が消えている。
「殿下、あれは教会の陰謀ですわ。私を陥れようとしているのです」
「陰謀だろうが何だろうが、力を見せれば済む話だ。お前は聖女なのだろう」
「もちろんです。ですが、聖女の力というものは繊細で、疑いの目を向けられた状態では発揮できません。もう少し時間をいただければ……」
クラウスはテーブルを拳で叩いた。
「時間がないんだ。昨日は市場の近くで中級の魔獣が出た。死傷者こそ出なかったが、民の不安は高まっている。このままでは俺の立場が危うくなる」
ミレーユは唇を噛んだ。
時間稼ぎにも限界があった。彼女に聖女の力はない。最初からなかった。この世界に転生したとき、何か特別な力が与えられると期待したが、現実は残酷だった。あるのは前世の記憶と、そこから得た多少の知識だけ。
聖女を名乗ったのは、王子の寵愛を得るための方便に過ぎなかった。
「殿下。教会の検査には条件をつけましょう。私一人ではなく、複数の術者を集めて共同で結界を張るという形にすれば……」
「共同? なぜだ」
「結界の修復には莫大な力が要ります。一人で行うのは現実的ではありません。他の術者の力を借りれば、私の力も十分に発揮されるはず」
要するに、他人の力で自分の無能を隠すつもりだった。クラウスはその思惑に気づかず、渋々と頷いた。
「わかった。教会にはそう伝える」
教会の大聖堂。
オルトヴィンは独自の調査を進めていた。
「古い記録を辿ると、歴代の聖女は一人として自分の力を自覚していなかったという例がいくつかある。力が強すぎて、本人すら気づかないまま無意識に結界を維持していた、と」
手元の文献を繰りながら、オルトヴィンは呟いた。
「リーゼ・フォン・ヴァイセン。あの娘は、あるいは……」
しかしリーゼはすでに北方にいる。ノルトハイム公爵の庇護下にある娘を呼び戻すのは容易ではない。ましてや公衆の面前で恥をかかせた張本人であるクラウスが頭を下げることは、あの王子の性格上ありえないだろう。
オルトヴィンは窓から王都の街並みを見下ろした。
夕暮れの通りを、いつもより足早に歩く市民たちの姿がある。日が落ちる前に帰宅しようとしているのだ。夜になると魔物が活性化する。かつては結界のおかげで夜も安全だったこの街が、今は暗くなるだけで人々を脅かす。
「このままでは、取り返しのつかないことになる」
そのとき、遠くで悲鳴が上がった。
窓から身を乗り出すと、中央広場の方角に黒い影が見えた。魔獣だ。それも今までの影狼とは比較にならない大きさの。体長三メートルはある漆黒の獣が、広場で暴れている。
「中級魔獣が市街地の中心に……!」
衛兵の笛が鳴り響く。人々が叫びながら逃げ惑う。
エルステリア王都は、静かに崩壊の足音を刻み始めていた。
そしてその報せが北方の地に届くのは、まだ数日先のことだった。
リーゼが去って二週間が過ぎていた。
結界の劣化は、もはや無視できない速度で進行していた。北東区画に限られていた魔物の出現は南西区画にも広がり、一日に数件の目撃報告が上がるようになっている。
宮廷魔術師団長オルトヴィンは、国王への報告書を前に頭を抱えていた。
「結界の魔力残量は最盛期の三割を切りました。このままでは半年以内に完全消失します」
重い言葉だった。王都の結界が消えれば、百年間守られてきた市民の安全は崩壊する。周辺の森や山から魔物が流れ込み、街は戦場と化すだろう。
「原因は特定できたのか」
国王エルンストの声は低く、険しい。
「結界を維持していた核となる魔力源が、突如として消失したとしか考えられません。つまり……」
オルトヴィンは言葉を選んだ。
「聖女の力を持つ者が、王都からいなくなったことが直接の原因かと」
国王の眉間に深い皺が刻まれた。聖女。つまり、息子が公衆の面前で追い出したあの娘のことだ。
一方、クラウス第二王子は別の問題に直面していた。
「ミレーユ。教会の連中が検査をしたいと言っている」
王子の私室で、クラウスは苛立ちを隠さなかった。
「聖女の力を証明しろとのことだ。結界が弱まっている今、お前が力を示せば全て収まる」
ミレーユは窓辺に立ち、外を見ていた。その横顔から、いつもの余裕が消えている。
「殿下、あれは教会の陰謀ですわ。私を陥れようとしているのです」
「陰謀だろうが何だろうが、力を見せれば済む話だ。お前は聖女なのだろう」
「もちろんです。ですが、聖女の力というものは繊細で、疑いの目を向けられた状態では発揮できません。もう少し時間をいただければ……」
クラウスはテーブルを拳で叩いた。
「時間がないんだ。昨日は市場の近くで中級の魔獣が出た。死傷者こそ出なかったが、民の不安は高まっている。このままでは俺の立場が危うくなる」
ミレーユは唇を噛んだ。
時間稼ぎにも限界があった。彼女に聖女の力はない。最初からなかった。この世界に転生したとき、何か特別な力が与えられると期待したが、現実は残酷だった。あるのは前世の記憶と、そこから得た多少の知識だけ。
聖女を名乗ったのは、王子の寵愛を得るための方便に過ぎなかった。
「殿下。教会の検査には条件をつけましょう。私一人ではなく、複数の術者を集めて共同で結界を張るという形にすれば……」
「共同? なぜだ」
「結界の修復には莫大な力が要ります。一人で行うのは現実的ではありません。他の術者の力を借りれば、私の力も十分に発揮されるはず」
要するに、他人の力で自分の無能を隠すつもりだった。クラウスはその思惑に気づかず、渋々と頷いた。
「わかった。教会にはそう伝える」
教会の大聖堂。
オルトヴィンは独自の調査を進めていた。
「古い記録を辿ると、歴代の聖女は一人として自分の力を自覚していなかったという例がいくつかある。力が強すぎて、本人すら気づかないまま無意識に結界を維持していた、と」
手元の文献を繰りながら、オルトヴィンは呟いた。
「リーゼ・フォン・ヴァイセン。あの娘は、あるいは……」
しかしリーゼはすでに北方にいる。ノルトハイム公爵の庇護下にある娘を呼び戻すのは容易ではない。ましてや公衆の面前で恥をかかせた張本人であるクラウスが頭を下げることは、あの王子の性格上ありえないだろう。
オルトヴィンは窓から王都の街並みを見下ろした。
夕暮れの通りを、いつもより足早に歩く市民たちの姿がある。日が落ちる前に帰宅しようとしているのだ。夜になると魔物が活性化する。かつては結界のおかげで夜も安全だったこの街が、今は暗くなるだけで人々を脅かす。
「このままでは、取り返しのつかないことになる」
そのとき、遠くで悲鳴が上がった。
窓から身を乗り出すと、中央広場の方角に黒い影が見えた。魔獣だ。それも今までの影狼とは比較にならない大きさの。体長三メートルはある漆黒の獣が、広場で暴れている。
「中級魔獣が市街地の中心に……!」
衛兵の笛が鳴り響く。人々が叫びながら逃げ惑う。
エルステリア王都は、静かに崩壊の足音を刻み始めていた。
そしてその報せが北方の地に届くのは、まだ数日先のことだった。
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