16 / 50
第二章 目覚める力と芽生える想い
16
しおりを挟む
北方に来て一ヶ月が過ぎた頃、リーゼは手紙を書いた。
宛先はヴァイセン伯爵家。父宛でもあり、姉宛でもある。何度も書き直し、最終的にはごく短い文面に落ち着いた。
北方での暮らしは順調であること。結界術の訓練に励んでいること。領地の方々に良くしていただいていること。そして、家族が元気でいることを願っていること。
恨みの言葉は一つも書かなかった。書く気にもならなかった。もう王都での日々は遠い昔のように感じている。
ハインリヒに頼んで、王都への定期便に手紙を託した。
「返事が来るといいですな」
ハインリヒの声にはわずかな憂いが混じっていたが、リーゼはそれに気づかなかった。
一週間が過ぎた。返事はない。
二週間。まだ来ない。
北方から王都への便は片道五日ほどだという。往復と返事を書く時間を考えても、二週間あれば届くはずだ。
「遅れているだけかもしれませんね。冬は雪で道が悪くなりますから」
エルザが励ましてくれた。リーゼも自分にそう言い聞かせた。
だが三週間が経っても、手紙は届かなかった。
リーゼは二通目の手紙を書いた。一通目が届かなかった可能性を考え、内容は同じようなものにした。それも託した。
そしてまた、沈黙だけが返ってきた。
ある夕方、訓練を終えて廊下を歩いていると、ハインリヒがアルヴィンの執務室から出てくるのと鉢合わせた。
「あ、ハインリヒさん。郵便のことでお聞きしたいのですが……」
「手紙のことですね」
ハインリヒの表情がわずかに曇った。
「実は、確認のために王都の知人に問い合わせていたのです。リーゼ嬢のお手紙は確かにヴァイセン伯爵邸に届いています」
「届いている……なら、なぜ」
「それが、その」
ハインリヒが言葉を濁した。珍しいことだった。いつも飄々としている彼が、明らかに言いづらそうにしている。
「正直にお話ししたほうがよいですか」
「お願いします」
「お手紙は、お姉様のグレーテル嬢が受け取っておいでです。伯爵様のお手元には渡っていないとのことで」
リーゼは一瞬、意味がわからなかった。
「姉が……握り潰している、ということですか」
ハインリヒは黙って頷いた。
血の気が引くような感覚があった。が、それは悲しみよりも、諦めに近いものだった。考えてみれば予想できたことだ。グレーテルにとって、リーゼは家名を汚した恥さらしでしかない。その恥さらしから手紙が届くこと自体、不快なのだろう。
「そう、ですか」
声は平坦だった。泣くかと自分でも思ったが、涙は出なかった。
「リーゼ嬢……」
「大丈夫です。わかっていたことですから」
笑おうとしたが、うまくいかなかった。
「すみません、少し部屋に戻ります」
足早に廊下を去る。振り返れば泣いてしまいそうだったから。
部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした。膝を抱え、額を押し当てる。
わかっていた。わかっていたのに。
家族というものに、まだ期待していた自分が愚かだった。母を亡くしてから、あの家にリーゼの居場所はなかった。それでも血の繋がりというものに縋りたかったのだ。
扉を叩く音がした。
「リーゼ様」
エルザの声だった。
返事をしないでいると、扉が静かに開いた。エルザが盆を持って入ってくる。温かい飲み物と、小さな焼き菓子が乗っていた。
エルザは何も言わずにリーゼの隣に座った。そして、その丸い肩をそっとリーゼの方に寄せた。
「泣きたい時は、泣いていいのですよ」
その一言で、堰が切れた。
リーゼはエルザの胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。エルザは黙ってリーゼの背中を撫で続けた。母が生きていた頃、こうしてもらった記憶がある。温かくて、柔らかくて、安心する。
どれくらい泣いただろう。やがて涙が枯れ、リーゼは顔を上げた。
「すみません、エルザさん……」
「謝ることなんてありません」
エルザが優しくリーゼの頬を拭った。
「リーゼ様。血の繋がりだけが家族ではありませんよ」
「え……」
「ここにはリーゼ様を大切に思う人がたくさんいます。私も、ハインリヒ様も、領民の皆も。それから」
エルザは少し言葉を区切り、微笑んだ。
「公爵様も」
リーゼは目を瞬いた。
「ここがあなたの家です、リーゼ様」
その言葉を、リーゼは胸の一番深い場所にしまった。
温かい飲み物を一口含む。甘い蜂蜜の味が、冷えた体に染み渡った。
宛先はヴァイセン伯爵家。父宛でもあり、姉宛でもある。何度も書き直し、最終的にはごく短い文面に落ち着いた。
北方での暮らしは順調であること。結界術の訓練に励んでいること。領地の方々に良くしていただいていること。そして、家族が元気でいることを願っていること。
恨みの言葉は一つも書かなかった。書く気にもならなかった。もう王都での日々は遠い昔のように感じている。
ハインリヒに頼んで、王都への定期便に手紙を託した。
「返事が来るといいですな」
ハインリヒの声にはわずかな憂いが混じっていたが、リーゼはそれに気づかなかった。
一週間が過ぎた。返事はない。
二週間。まだ来ない。
北方から王都への便は片道五日ほどだという。往復と返事を書く時間を考えても、二週間あれば届くはずだ。
「遅れているだけかもしれませんね。冬は雪で道が悪くなりますから」
エルザが励ましてくれた。リーゼも自分にそう言い聞かせた。
だが三週間が経っても、手紙は届かなかった。
リーゼは二通目の手紙を書いた。一通目が届かなかった可能性を考え、内容は同じようなものにした。それも託した。
そしてまた、沈黙だけが返ってきた。
ある夕方、訓練を終えて廊下を歩いていると、ハインリヒがアルヴィンの執務室から出てくるのと鉢合わせた。
「あ、ハインリヒさん。郵便のことでお聞きしたいのですが……」
「手紙のことですね」
ハインリヒの表情がわずかに曇った。
「実は、確認のために王都の知人に問い合わせていたのです。リーゼ嬢のお手紙は確かにヴァイセン伯爵邸に届いています」
「届いている……なら、なぜ」
「それが、その」
ハインリヒが言葉を濁した。珍しいことだった。いつも飄々としている彼が、明らかに言いづらそうにしている。
「正直にお話ししたほうがよいですか」
「お願いします」
「お手紙は、お姉様のグレーテル嬢が受け取っておいでです。伯爵様のお手元には渡っていないとのことで」
リーゼは一瞬、意味がわからなかった。
「姉が……握り潰している、ということですか」
ハインリヒは黙って頷いた。
血の気が引くような感覚があった。が、それは悲しみよりも、諦めに近いものだった。考えてみれば予想できたことだ。グレーテルにとって、リーゼは家名を汚した恥さらしでしかない。その恥さらしから手紙が届くこと自体、不快なのだろう。
「そう、ですか」
声は平坦だった。泣くかと自分でも思ったが、涙は出なかった。
「リーゼ嬢……」
「大丈夫です。わかっていたことですから」
笑おうとしたが、うまくいかなかった。
「すみません、少し部屋に戻ります」
足早に廊下を去る。振り返れば泣いてしまいそうだったから。
部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした。膝を抱え、額を押し当てる。
わかっていた。わかっていたのに。
家族というものに、まだ期待していた自分が愚かだった。母を亡くしてから、あの家にリーゼの居場所はなかった。それでも血の繋がりというものに縋りたかったのだ。
扉を叩く音がした。
「リーゼ様」
エルザの声だった。
返事をしないでいると、扉が静かに開いた。エルザが盆を持って入ってくる。温かい飲み物と、小さな焼き菓子が乗っていた。
エルザは何も言わずにリーゼの隣に座った。そして、その丸い肩をそっとリーゼの方に寄せた。
「泣きたい時は、泣いていいのですよ」
その一言で、堰が切れた。
リーゼはエルザの胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。エルザは黙ってリーゼの背中を撫で続けた。母が生きていた頃、こうしてもらった記憶がある。温かくて、柔らかくて、安心する。
どれくらい泣いただろう。やがて涙が枯れ、リーゼは顔を上げた。
「すみません、エルザさん……」
「謝ることなんてありません」
エルザが優しくリーゼの頬を拭った。
「リーゼ様。血の繋がりだけが家族ではありませんよ」
「え……」
「ここにはリーゼ様を大切に思う人がたくさんいます。私も、ハインリヒ様も、領民の皆も。それから」
エルザは少し言葉を区切り、微笑んだ。
「公爵様も」
リーゼは目を瞬いた。
「ここがあなたの家です、リーゼ様」
その言葉を、リーゼは胸の一番深い場所にしまった。
温かい飲み物を一口含む。甘い蜂蜜の味が、冷えた体に染み渡った。
13
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者は自称サバサバ系の幼馴染に随分とご執心らしい
冬月光輝
恋愛
「ジーナとはそんな関係じゃないから、昔から男友達と同じ感覚で付き合ってるんだ」
婚約者で侯爵家の嫡男であるニッグには幼馴染のジーナがいる。
ジーナとニッグは私の前でも仲睦まじく、肩を組んだり、お互いにボディタッチをしたり、していたので私はそれに苦言を呈していた。
しかし、ニッグは彼女とは仲は良いがあくまでも友人で同性の友人と同じ感覚だと譲らない。
「あはは、私とニッグ? ないない、それはないわよ。私もこんな性格だから女として見られてなくて」
ジーナもジーナでニッグとの関係を否定しており、全ては私の邪推だと笑われてしまった。
しかし、ある日のこと見てしまう。
二人がキスをしているところを。
そのとき、私の中で何かが壊れた……。
私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね?
みこと。
恋愛
鉛色の髪と目を持つクローディアは"鉱石姫"と呼ばれ、婚約者ランバートからおざなりに扱われていた。
「俺には"宝石姫"であるタバサのほうが相応しい」そう言ってランバートは、新年祭のパートナーに、クローディアではなくタバサを伴う。
(あんなヤツ、こっちから婚約破棄してやりたいのに!)
現代日本にはなかった身分差のせいで、伯爵令嬢クローディアは、侯爵家のランバートに逆らえない。
そう、クローディアは転生者だった。現代知識で鉱石を扱い、カイロはじめ防寒具をドレス下に仕込む彼女は、冷えに苦しむ他国の王女リアナを助けるが──。
なんとリアナ王女の正体は、王子リアンで?
この出会いが、クローディアに新しい道を拓く!
※小説家になろう様でも「私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね? 〜不実な婚約者を見限って。冷え性令嬢は、熱愛を希望します」というタイトルで掲載しています。
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました
青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。
それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる