私はもう、あなたの所有物ではありません

たくわん

文字の大きさ
20 / 50
第二章 目覚める力と芽生える想い

20

しおりを挟む
北方の冬は容赦がなかった。

その日、朝から空が不穏な色をしていた。鉛色の雲が低く垂れ込め、風が唸りを上げている。昼過ぎにはちらついていた雪が本格的な吹雪に変わり、夕方には視界が数メートルも利かなくなった。

「百年に一度の大吹雪だと古参の領民が言っておりました」

ハインリヒが執務室で報告した。

「街道は完全に塞がっています。外部との連絡は当分途絶えるでしょう。屋敷の備蓄は十分ですが、領内の集落に孤立しているところがないか確認が必要です」

アルヴィンは頷き、指示を出した。備蓄の確認、暖房用の薪の追加、使用人への待機命令。淀みのない判断だった。

リーゼは自室で吹雪の音を聞いていた。窓ガラスに雪が叩きつけられ、風が屋敷の壁を揺らす。暖炉の火が心許なく揺れた。

エルザが毛布を追加で持ってきてくれた。

「大丈夫ですよ。この屋敷は北方の嵐に耐えるように造られていますから」

「エルザさんは慣れていらっしゃるのですね」

「ええ、何度も経験しましたから。でもこれほどの吹雪は久しぶりです」

夕食は食堂でとる予定だったが、吹雪で屋敷の一部が冷え込み、使用人たちは暖炉のある部屋に集まっていた。食事は執務室に隣接する小さな居間で、アルヴィンとリーゼ、ハインリヒの三人でとることになった。

だがハインリヒは早々に席を立った。

「領内の状況を確認してきます。伝書鳩が使えるうちに」

露骨だ、とリーゼは思った。吹雪の中で伝書鳩が飛べるとは思えない。だがハインリヒは涼しい顔で退室してしまった。

暖炉の前に、二人だけが残された。


沈黙が降りた。

暖炉の薪が爆ぜる音と、窓を叩く風の音だけが部屋を満たしている。オレンジ色の炎が二人の影を壁に映していた。

リーゼは膝の上の毛布を握りしめた。アルヴィンと二人きりになるのは、月夜の庭以来だ。

「寒くないか」

アルヴィンが訊いた。暖炉に近い椅子にリーゼを座らせ、自分は少し離れた場所にいる。

「はい、大丈夫です」

「北方の冬が堪えるなら言え。部屋の暖房を強くする」

「いいえ。冷たい空気も、嫌いではないんです。王都の冬とは全然違いますけど」

「王都の冬は温い」

「ふふ、そうですね」

ぽつりぽつりと、言葉が交わされた。いつもはすぐに途切れる会話が、今夜はゆるやかに続いていく。吹雪が外界を遮断しているせいだろうか。この小さな部屋だけが世界のようだった。

「アルヴィン様は、ずっとこの北の地で」

「ああ。生まれてからほとんど離れたことはない」

「寂しくはなかったですか」

アルヴィンはしばらく黙った。暖炉の炎を見つめている。

「母は俺が五つの時に亡くなった。流行病だった」

リーゼは息を止めた。

「父は厳格な人だった。北方を守ることだけが全てで、息子への関心は薄かった。十五で父が死に、跡を継いだ。それ以来、この領地を守ることだけを考えてきた」

淡々とした語り口だった。感傷を排した、事実の羅列。だがリーゼにはわかった。その淡々さこそが、この人の孤独の深さを物語っている。

「ハインリヒがいなければ、俺はもっと偏った人間になっていただろう。あいつが唯一、対等に口を利いてくれる存在だった」

「今は」

リーゼが呟いた。

「今は、どうですか」

アルヴィンがリーゼを見た。炎に照らされた青い瞳が、いつもより柔らかい。

「今は……悪くない」

それだけだった。だが、その「悪くない」に込められた重みを、リーゼは受け取った。

「私も」

リーゼは微笑んだ。

「私もお母様を亡くしました。それからは、誰にも必要とされていないと感じていました。お父様にも、姉にも、クラウス様にも」

「今は」

アルヴィンが、リーゼの言葉をそのまま返した。

「今は、ここにいます」

窓の外で風が一際強く吹いた。暖炉の炎が大きく揺れ、影が踊った。

「寒いな」

アルヴィンが立ち上がり、暖炉に薪を足した。戻る時、リーゼの椅子の近くを通り、一瞬足を止めた。

大きな手がリーゼの肩にかかった。毛布を直すような、さりげない仕草だった。

「風邪をひくな」

「はい」

手が離れた。アルヴィンは自分の椅子に戻った。

リーゼの肩には、手の温もりが残っていた。暖炉の熱よりもずっと温かい、人の温もりが。

吹雪は夜通し続いた。だが小さな居間の中は静かで穏やかだった。

いつしかリーゼはうとうとしていた。夢うつつの中で、毛布をかけ直してくれる大きな手の感触があった。

目を覚ました時には朝で、吹雪は止んでいた。窓から差し込む朝日がまばゆい。

自分の肩には、見覚えのない黒い外套がかけられていた。アルヴィンのものだ。彼自身の姿は、すでに部屋になかった。

リーゼは外套を胸に抱き、目を閉じた。冬の朝の冷たい空気の中に、かすかにアルヴィンの匂いがした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約者は自称サバサバ系の幼馴染に随分とご執心らしい

冬月光輝
恋愛
「ジーナとはそんな関係じゃないから、昔から男友達と同じ感覚で付き合ってるんだ」 婚約者で侯爵家の嫡男であるニッグには幼馴染のジーナがいる。 ジーナとニッグは私の前でも仲睦まじく、肩を組んだり、お互いにボディタッチをしたり、していたので私はそれに苦言を呈していた。 しかし、ニッグは彼女とは仲は良いがあくまでも友人で同性の友人と同じ感覚だと譲らない。 「あはは、私とニッグ? ないない、それはないわよ。私もこんな性格だから女として見られてなくて」 ジーナもジーナでニッグとの関係を否定しており、全ては私の邪推だと笑われてしまった。 しかし、ある日のこと見てしまう。 二人がキスをしているところを。 そのとき、私の中で何かが壊れた……。

私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね?

みこと。
恋愛
 鉛色の髪と目を持つクローディアは"鉱石姫"と呼ばれ、婚約者ランバートからおざなりに扱われていた。 「俺には"宝石姫"であるタバサのほうが相応しい」そう言ってランバートは、新年祭のパートナーに、クローディアではなくタバサを伴う。 (あんなヤツ、こっちから婚約破棄してやりたいのに!)  現代日本にはなかった身分差のせいで、伯爵令嬢クローディアは、侯爵家のランバートに逆らえない。  そう、クローディアは転生者だった。現代知識で鉱石を扱い、カイロはじめ防寒具をドレス下に仕込む彼女は、冷えに苦しむ他国の王女リアナを助けるが──。  なんとリアナ王女の正体は、王子リアンで?  この出会いが、クローディアに新しい道を拓く! ※小説家になろう様でも「私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね? 〜不実な婚約者を見限って。冷え性令嬢は、熱愛を希望します」というタイトルで掲載しています。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました

青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。 それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。

処理中です...