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第三章 王都の策謀と迫る脅威
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噂の一件が片付いてから、日常が戻った。
だがリーゼの中では、何かが変わりつつあった。
訓練の時、アルヴィンの声に耳を傾ける自分がいる。助言の内容だけでなく、声の響きそのものに。食堂で偶然目が合うと、胸が高鳴る。アルヴィンの方もすぐに視線を逸らすから、余計に意識してしまう。
廊下ですれ違う時、外套の裾が触れただけで頬が熱くなった。
「どうした。顔が赤いが」
「い、いえ。暖炉に近づきすぎたかもしれません」
廊下に暖炉はなかった。アルヴィンは怪訝な顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
ある午後、訓練を終えたリーゼは書庫で文献を読んでいた。だが文字が頭に入らない。ページを捲る手が止まり、気づけばぼんやりと窓の外を見ている。
「集中できておりませんね」
背後からハインリヒの声がした。いつの間にか書庫に入ってきていたらしい。
「あ、すみません」
「いえいえ。何かお悩みですか」
リーゼは一瞬迷い、それから小さな声で訊いた。
「ハインリヒさんにお聞きしたいことがあるのですが」
「何なりと」
「アルヴィン様は……その、誰かをお好きになったことは、あるのでしょうか」
ハインリヒの目がきらりと光った。口元に笑みが浮かぶのを、必死に抑えている。
「少なくとも、私が知る限りではありませんね。あの方は恋だの愛だのとは無縁の人でしたから。領地の防衛と統治以外に興味を持ったことがなかった」
「そう、ですか……」
「でした、と過去形で申し上げたのにお気づきですか」
リーゼは顔を上げた。
ハインリヒが穏やかに微笑んだ。
「公爵様があんなに誰かを守ろうとするのは初めてのことです。勅使を追い返し、噂を徹底的に潰し、毎日訓練を見守る。あの方は領主としての義務感だけで、あそこまではしません」
「それは、つまり……」
「私の口から申し上げるのは野暮ですね。ただ一つだけ」
ハインリヒは椅子に腰を下ろし、真面目な顔になった。
「あの方は自分の感情に鈍い人です。自覚するまでに時間がかかるでしょうし、仮に自覚しても言葉にできるかは別の話です。だから、もしリーゼ嬢の方にも何か思うところがあるなら、どうか急かさず待ってあげてください」
リーゼの顔が耳まで赤くなった。
「わ、私は別にそういう……」
「はいはい、暖炉に近づきすぎたのですね」
「ハインリヒさん!」
ハインリヒは笑いながら書庫を出て行った。
一人残されたリーゼは、本を閉じて額を押さえた。
認めてしまった。ハインリヒに指摘されるまでもなく、本当はとうに気づいていた。
アルヴィンのことが好きだ。
あの不器用な優しさが。無口なのに、誰より的確な言葉をくれるところが。冷たいふりをして、誰より温かい手をしているところが。
七年間、遠くから見守ってくれていた人。王都で全てを失った自分を迎えに来てくれた人。
「好き、なんだ」
声に出すと、心臓がうるさいほど鳴った。
でもどうすればいいのかわからない。アルヴィンにとって自分は結界師として招いた人材だ。恋愛感情を向けることが、迷惑にならないだろうか。この居場所を壊してしまわないだろうか。
窓の外で、アルヴィンが騎士たちと何か話しているのが見えた。長身の後ろ姿。風に黒髪が揺れている。
リーゼは窓枠に頬をつけ、その姿を目で追った。
好きだ。どうしようもなく。
その気持ちに名前がついた瞬間、世界の色がほんの少しだけ鮮やかになった気がした。
夕食の席で、リーゼはなるべく普段通りに振る舞おうとした。だがスープを口に運ぶ手が震えたり、アルヴィンに話しかけられると声が裏返りそうになったりと、散々だった。
「今日は調子が悪いのか」
アルヴィンが怪訝そうに訊いた。
「い、いえ。少し訓練の疲れが残っているだけです」
「無理をしているなら明日は休め」
「大丈夫です、本当に」
ハインリヒが対面で黙々と食事をしながら、口元を隠して笑っている。リーゼは恨めしそうに視線を送ったが、ハインリヒは涼しい顔で知らんぷりだった。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて深く息をつく。
「こんなんじゃ、訓練どころじゃない……」
母のブローチを手に取り、そっと胸に当てた。
お母様。私、恋をしています。どうしたらいいのか、全然わかりません。
返事のない問いかけに、ブローチがほんのり温かくなった気がした。それは多分、気のせいだけれど。
だがリーゼの中では、何かが変わりつつあった。
訓練の時、アルヴィンの声に耳を傾ける自分がいる。助言の内容だけでなく、声の響きそのものに。食堂で偶然目が合うと、胸が高鳴る。アルヴィンの方もすぐに視線を逸らすから、余計に意識してしまう。
廊下ですれ違う時、外套の裾が触れただけで頬が熱くなった。
「どうした。顔が赤いが」
「い、いえ。暖炉に近づきすぎたかもしれません」
廊下に暖炉はなかった。アルヴィンは怪訝な顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
ある午後、訓練を終えたリーゼは書庫で文献を読んでいた。だが文字が頭に入らない。ページを捲る手が止まり、気づけばぼんやりと窓の外を見ている。
「集中できておりませんね」
背後からハインリヒの声がした。いつの間にか書庫に入ってきていたらしい。
「あ、すみません」
「いえいえ。何かお悩みですか」
リーゼは一瞬迷い、それから小さな声で訊いた。
「ハインリヒさんにお聞きしたいことがあるのですが」
「何なりと」
「アルヴィン様は……その、誰かをお好きになったことは、あるのでしょうか」
ハインリヒの目がきらりと光った。口元に笑みが浮かぶのを、必死に抑えている。
「少なくとも、私が知る限りではありませんね。あの方は恋だの愛だのとは無縁の人でしたから。領地の防衛と統治以外に興味を持ったことがなかった」
「そう、ですか……」
「でした、と過去形で申し上げたのにお気づきですか」
リーゼは顔を上げた。
ハインリヒが穏やかに微笑んだ。
「公爵様があんなに誰かを守ろうとするのは初めてのことです。勅使を追い返し、噂を徹底的に潰し、毎日訓練を見守る。あの方は領主としての義務感だけで、あそこまではしません」
「それは、つまり……」
「私の口から申し上げるのは野暮ですね。ただ一つだけ」
ハインリヒは椅子に腰を下ろし、真面目な顔になった。
「あの方は自分の感情に鈍い人です。自覚するまでに時間がかかるでしょうし、仮に自覚しても言葉にできるかは別の話です。だから、もしリーゼ嬢の方にも何か思うところがあるなら、どうか急かさず待ってあげてください」
リーゼの顔が耳まで赤くなった。
「わ、私は別にそういう……」
「はいはい、暖炉に近づきすぎたのですね」
「ハインリヒさん!」
ハインリヒは笑いながら書庫を出て行った。
一人残されたリーゼは、本を閉じて額を押さえた。
認めてしまった。ハインリヒに指摘されるまでもなく、本当はとうに気づいていた。
アルヴィンのことが好きだ。
あの不器用な優しさが。無口なのに、誰より的確な言葉をくれるところが。冷たいふりをして、誰より温かい手をしているところが。
七年間、遠くから見守ってくれていた人。王都で全てを失った自分を迎えに来てくれた人。
「好き、なんだ」
声に出すと、心臓がうるさいほど鳴った。
でもどうすればいいのかわからない。アルヴィンにとって自分は結界師として招いた人材だ。恋愛感情を向けることが、迷惑にならないだろうか。この居場所を壊してしまわないだろうか。
窓の外で、アルヴィンが騎士たちと何か話しているのが見えた。長身の後ろ姿。風に黒髪が揺れている。
リーゼは窓枠に頬をつけ、その姿を目で追った。
好きだ。どうしようもなく。
その気持ちに名前がついた瞬間、世界の色がほんの少しだけ鮮やかになった気がした。
夕食の席で、リーゼはなるべく普段通りに振る舞おうとした。だがスープを口に運ぶ手が震えたり、アルヴィンに話しかけられると声が裏返りそうになったりと、散々だった。
「今日は調子が悪いのか」
アルヴィンが怪訝そうに訊いた。
「い、いえ。少し訓練の疲れが残っているだけです」
「無理をしているなら明日は休め」
「大丈夫です、本当に」
ハインリヒが対面で黙々と食事をしながら、口元を隠して笑っている。リーゼは恨めしそうに視線を送ったが、ハインリヒは涼しい顔で知らんぷりだった。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて深く息をつく。
「こんなんじゃ、訓練どころじゃない……」
母のブローチを手に取り、そっと胸に当てた。
お母様。私、恋をしています。どうしたらいいのか、全然わかりません。
返事のない問いかけに、ブローチがほんのり温かくなった気がした。それは多分、気のせいだけれど。
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