46 / 50
第五章 氷解と永遠の誓い
46
しおりを挟む
ノルトハイム公爵とリーゼ・フォン・ヴァイセンの婚約が、正式に公表された。
知らせは北方全域を駆け巡り、領民たちは沸き立った。ヴィンターフェルトでは即席の祝宴が開かれ、酒場は昼から満員になった。エーデルヴァイスの村長は「わしの目が黒いうちに、こんなめでたいことが」と涙を流した。
だが波紋が最も大きかったのは、王都の社交界だった。
「あの捨てられた伯爵令嬢が、氷の公爵と婚約ですって」
貴族たちのサロンはこの話題で持ちきりになった。
「ノルトハイム公爵といえば、国内屈指の名門よ。領地の広さも軍事力も、下手な王族を凌ぐわ」
「しかも聖女として王都の結界を蘇らせた功労者。これ以上ない組み合わせだこと」
「最初にあの娘を嘲笑っていた私たち、今頃顔から火が出るわね」
手のひらを返す者、素直に祝福する者、嫉妬に歯噛みする者。反応は様々だったが、誰もがこの婚約が持つ意味を理解していた。
北方の大領主と聖女の結婚。それは単なる恋愛の成就ではなく、王国の勢力図を塗り替える一大事件だった。
王宮にも報せは届いた。
第一王子フリードリヒは書簡を読み、穏やかに頷いた。
「良い知らせだ。ノルトハイム公爵は信頼できる男だし、リーゼ嬢には王家として返しきれない恩がある。祝いの品を贈ろう」
オルトヴィンも婚約の報に接し、教会として祝辞を送った。添えられた私信にはこう書かれていた。
「あなたが北方で幸せを見つけられたことを、心から嬉しく思います。あの夜、舞踏会を去るあなたの背中を見送ることしかできなかった自分を、私は今も悔いています」
老魔術師の率直な言葉は、リーゼの胸に沁みた。あの夜、広間にいた人々の中にも、心を痛めてくれた人がいたのだ。
一方、離宮に幽閉されたクラウスのもとにも、噂は伝わった。
小さな窓しかない質素な部屋で、クラウスは壁に背をつけて座り込んでいた。
婚約の報せを持ってきた侍従を、クラウスは黙って聞いていた。怒りは湧かなかった。もうそんな力も残っていなかった。
「……そうか」
呟いたのはそれだけだった。
窓の外に見える狭い空を見上げる。あの空の下のどこかで、リーゼが笑っている。自分が捨てた女が、自分では決して手に入れられなかった幸福を掴んでいる。
後悔。今更ながらに、その感情の正体がようやくわかった。
北方の屋敷では、婚礼の準備が着々と進んでいた。
ハインリヒが奔走し、領内外から職人を呼び寄せる。式は北方の大聖堂で挙げることが決まり、領民総出の祝いの場にすると宣言された。
リーゼはエルザとともにドレスの仕立てに追われていた。王都から呼んだ仕立て屋が採寸をし、北方の伝統的な意匠を取り入れた白いドレスの制作が始まった。
「リーゼ様、こちらのレースはいかがですか。北方産の雪糸で織ったものです」
「綺麗……。でもあまり華美にはしたくないのです。アルヴィン様も質素なものを好まれるでしょうし」
「いえいえ、結婚式だけは別ですよ。花嫁は誰よりも美しくあるべきです。公爵様だってきっとそう望んでおいでです」
「そうでしょうか」
「間違いありません。あの方、リーゼ様のドレスの費用について訊かれた時、金に糸目はつけるなと仰ったそうですよ」
リーゼは頬を染めた。あの質素を好む人が、そんなことを。
「ハインリヒ様が嬉しそうに教えてくださいました」
「あの人は本当に……」
余計なことを全部喋るのだ。リーゼは呆れつつも、口元が緩むのを止められなかった。
夜、指輪を月明かりにかざした。氷晶石が青く光る。
あと一月で、この人の隣に立つ。妻として。伴侶として。
指輪をそっと唇に当てた。冷たい金属の向こうに、あの温かい手の感触がある。
「待っていてください。必ず、一番綺麗な花嫁になります」
誰にともなく呟いた言葉は、春の夜風に溶けて消えた。
知らせは北方全域を駆け巡り、領民たちは沸き立った。ヴィンターフェルトでは即席の祝宴が開かれ、酒場は昼から満員になった。エーデルヴァイスの村長は「わしの目が黒いうちに、こんなめでたいことが」と涙を流した。
だが波紋が最も大きかったのは、王都の社交界だった。
「あの捨てられた伯爵令嬢が、氷の公爵と婚約ですって」
貴族たちのサロンはこの話題で持ちきりになった。
「ノルトハイム公爵といえば、国内屈指の名門よ。領地の広さも軍事力も、下手な王族を凌ぐわ」
「しかも聖女として王都の結界を蘇らせた功労者。これ以上ない組み合わせだこと」
「最初にあの娘を嘲笑っていた私たち、今頃顔から火が出るわね」
手のひらを返す者、素直に祝福する者、嫉妬に歯噛みする者。反応は様々だったが、誰もがこの婚約が持つ意味を理解していた。
北方の大領主と聖女の結婚。それは単なる恋愛の成就ではなく、王国の勢力図を塗り替える一大事件だった。
王宮にも報せは届いた。
第一王子フリードリヒは書簡を読み、穏やかに頷いた。
「良い知らせだ。ノルトハイム公爵は信頼できる男だし、リーゼ嬢には王家として返しきれない恩がある。祝いの品を贈ろう」
オルトヴィンも婚約の報に接し、教会として祝辞を送った。添えられた私信にはこう書かれていた。
「あなたが北方で幸せを見つけられたことを、心から嬉しく思います。あの夜、舞踏会を去るあなたの背中を見送ることしかできなかった自分を、私は今も悔いています」
老魔術師の率直な言葉は、リーゼの胸に沁みた。あの夜、広間にいた人々の中にも、心を痛めてくれた人がいたのだ。
一方、離宮に幽閉されたクラウスのもとにも、噂は伝わった。
小さな窓しかない質素な部屋で、クラウスは壁に背をつけて座り込んでいた。
婚約の報せを持ってきた侍従を、クラウスは黙って聞いていた。怒りは湧かなかった。もうそんな力も残っていなかった。
「……そうか」
呟いたのはそれだけだった。
窓の外に見える狭い空を見上げる。あの空の下のどこかで、リーゼが笑っている。自分が捨てた女が、自分では決して手に入れられなかった幸福を掴んでいる。
後悔。今更ながらに、その感情の正体がようやくわかった。
北方の屋敷では、婚礼の準備が着々と進んでいた。
ハインリヒが奔走し、領内外から職人を呼び寄せる。式は北方の大聖堂で挙げることが決まり、領民総出の祝いの場にすると宣言された。
リーゼはエルザとともにドレスの仕立てに追われていた。王都から呼んだ仕立て屋が採寸をし、北方の伝統的な意匠を取り入れた白いドレスの制作が始まった。
「リーゼ様、こちらのレースはいかがですか。北方産の雪糸で織ったものです」
「綺麗……。でもあまり華美にはしたくないのです。アルヴィン様も質素なものを好まれるでしょうし」
「いえいえ、結婚式だけは別ですよ。花嫁は誰よりも美しくあるべきです。公爵様だってきっとそう望んでおいでです」
「そうでしょうか」
「間違いありません。あの方、リーゼ様のドレスの費用について訊かれた時、金に糸目はつけるなと仰ったそうですよ」
リーゼは頬を染めた。あの質素を好む人が、そんなことを。
「ハインリヒ様が嬉しそうに教えてくださいました」
「あの人は本当に……」
余計なことを全部喋るのだ。リーゼは呆れつつも、口元が緩むのを止められなかった。
夜、指輪を月明かりにかざした。氷晶石が青く光る。
あと一月で、この人の隣に立つ。妻として。伴侶として。
指輪をそっと唇に当てた。冷たい金属の向こうに、あの温かい手の感触がある。
「待っていてください。必ず、一番綺麗な花嫁になります」
誰にともなく呟いた言葉は、春の夜風に溶けて消えた。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者は自称サバサバ系の幼馴染に随分とご執心らしい
冬月光輝
恋愛
「ジーナとはそんな関係じゃないから、昔から男友達と同じ感覚で付き合ってるんだ」
婚約者で侯爵家の嫡男であるニッグには幼馴染のジーナがいる。
ジーナとニッグは私の前でも仲睦まじく、肩を組んだり、お互いにボディタッチをしたり、していたので私はそれに苦言を呈していた。
しかし、ニッグは彼女とは仲は良いがあくまでも友人で同性の友人と同じ感覚だと譲らない。
「あはは、私とニッグ? ないない、それはないわよ。私もこんな性格だから女として見られてなくて」
ジーナもジーナでニッグとの関係を否定しており、全ては私の邪推だと笑われてしまった。
しかし、ある日のこと見てしまう。
二人がキスをしているところを。
そのとき、私の中で何かが壊れた……。
私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね?
みこと。
恋愛
鉛色の髪と目を持つクローディアは"鉱石姫"と呼ばれ、婚約者ランバートからおざなりに扱われていた。
「俺には"宝石姫"であるタバサのほうが相応しい」そう言ってランバートは、新年祭のパートナーに、クローディアではなくタバサを伴う。
(あんなヤツ、こっちから婚約破棄してやりたいのに!)
現代日本にはなかった身分差のせいで、伯爵令嬢クローディアは、侯爵家のランバートに逆らえない。
そう、クローディアは転生者だった。現代知識で鉱石を扱い、カイロはじめ防寒具をドレス下に仕込む彼女は、冷えに苦しむ他国の王女リアナを助けるが──。
なんとリアナ王女の正体は、王子リアンで?
この出会いが、クローディアに新しい道を拓く!
※小説家になろう様でも「私に価値がないと言ったこと、後悔しませんね? 〜不実な婚約者を見限って。冷え性令嬢は、熱愛を希望します」というタイトルで掲載しています。
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました
青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。
それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる