17 / 20
17
あの夜から、セレスティアとノアの関係は変わった。
といっても、劇的な変化があったわけではない。ノアは相変わらず無愛想だし、甘い言葉を囁くこともない。
でも、小さなことが変わった。
朝、セレスティアがノアの家を訪ねると、お茶が用意されている。
猫の世話を一緒にする時、ノアの視線が以前より柔らかい。
時々、不器用に手が触れ合う。
それだけで、セレスティアは幸せだった。
村に戻って二週間が経った頃、王都から使者がやってきた。
正式な王家の紋章をつけた馬車が、村の入り口に止まった。
「セレスティア・フォン・ヴァイスベルク様にお伝えします」
使者は厳かに言った。
「お父上、ヴァイスベルク伯爵が病に倒れられました。至急、王都にお戻りください」
セレスティアの顔から血の気が引いた。
「父が……どのような……」
「詳しくは存じ上げません。ただ、容態は深刻とのことです」
「すぐに行きます」
慌ただしく準備をしていると、ノアが来た。
「聞いた。親父さんが倒れたそうだな」
「はい。心臓が……前から悪かったのですが……」
セレスティアの手が震えている。荷物をまとめようとしても、何度も落としてしまう。
「落ち着け」
ノアがセレスティアの手を握った。
「焦っても仕方がない。深呼吸しろ」
「でも、父が……」
「俺も行く」
「え?」
「医者だ。役に立つかもしれない」
セレスティアは驚いてノアを見た。
「でも、ノアさんは王都に……」
「行きたくないのは事実だ。でも、お前を一人で行かせるわけにはいかない」
ノアの目は真剣だった。
「それに——お前の親父さんには、会わなきゃならない約束だろう。お前を任せられるかどうか、確かめるって」
セレスティアの目から涙が溢れた。
「ノアさん……」
「泣くな。時間がない。早く準備しろ」
馬車に乗り込む前、マーサが駆けつけてきた。
「セレスティア、猫たちは任せておきな!」
「ありがとうございます、マーサさん」
「お父様、きっと大丈夫だよ。あんたが帰ってくるまで、待っててくれるさ」
リーナも、村人たちも、見送りに来てくれた。
「早く戻ってきてね」
「お父様のご回復をお祈りしてます」
温かい言葉が、胸に染みた。
馬車が動き出す。ノアが隣に座っている。その存在が、どれほど心強いか。
「ノアさん」
「何だ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。黙って休め。着いてから忙しくなる」
ノアは素っ気なく言ったが、そっとセレスティアの手を握ってくれた。
その温もりを感じながら、セレスティアは目を閉じた。
王都に着いたのは、翌日の夕方だった。
ヴァイスベルク伯爵邸に駆け込むと、母イレーネが出迎えた。
「セレスティア! よく戻ってきたわ」
「お父様は……」
「まだ意識はあるわ。でも、医者は——」
母の顔が曇った。
「あまり、長くないかもしれないと」
セレスティアは父の部屋に走った。
父は寝台に横たわっていた。
顔は蒼白で、呼吸は弱い。でも、目を開けてセレスティアを見た。
「セレスティア……来てくれたか」
「お父様……」
「心配するな。まだ……死なんよ」
父は弱々しく笑った。
その時、父の目がセレスティアの後ろに向いた。
「その男が……例の医者か」
ノアが部屋に入ってきていた。
「ノアと申します。セレスティアから話は伺っています」
「ほう……」
父はノアをじっと見つめた。
「なるほど……確かに、愛想は悪そうだ」
「お父様!」
「いや、いい。顔を見れば分かる。悪い男じゃなさそうだ」
父がノアに言った。
「医者だそうだな。私の容態を、見てくれるか」
「……いいのですか」
「王都の医者より、お前の方が信用できそうだ。娘が選んだ男だからな」
ノアは頷いた。
そして、父の診察を始めた。
診察の後、ノアはセレスティアと母を別室に呼んだ。
「率直に言う。容態は良くない」
母が息を飲んだ。
「心臓が、かなり弱っている。王都の医者が言う通り、長くはないかもしれない」
「そんな……」
セレスティアは膝から力が抜けそうになった。
「ただ」
ノアが続けた。
「手はある」
「手?」
「薬草で作る強心剤がある。王都では手に入らないが、俺の村にはある」
母が食いついた。
「それを使えば、助かるの?」
「完治は難しい。でも、症状を和らげ、寿命を延ばすことはできるかもしれない」
「それを……それを、お願いできますか」
「村に戻って薬を作り、持ってくる。三日かかる」
ノアはセレスティアを見た。
「お前はここに残れ。親父さんのそばにいてやれ」
「でも、ノアさん一人で……」
「大丈夫だ。俺は医者だ。これくらいのこと、できる」
ノアは立ち上がった。
「待っていろ。必ず、薬を持って戻る」
その夜、ノアは王都を発った。
セレスティアは父のそばで夜を過ごした。
「セレスティア……」
「はい、お父様」
「あの男……いい男だな」
「お父様……」
「お前のために、王都まで来て、今度は村に戻って薬を取りに行く。なかなかできることじゃない」
父は弱々しく微笑んだ。
「お前を、任せても……よさそうだ」
「お父様、そんなことより、今は休んでください」
「ああ……でも、言っておきたかった」
父がセレスティアの手を握った。
「お前の母と結婚した時、周囲は反対した。でも、俺は後悔していない。一度もな」
「……」
「お前も、後悔のない人生を歩め。自分の心に、正直に生きろ」
「はい……はい、お父様」
セレスティアは涙を流しながら、父の手を握り返した。
「だから、お願いです。元気になってください。ノアさんが、きっと——」
「ああ……待っているよ」
父は目を閉じた。
その顔は、穏やかだった。
三日後。
約束通り、ノアは薬を持って戻ってきた。
泥だらけの服、疲労の色が濃い顔。おそらく、ほとんど眠っていないのだろう。
「これだ」
ノアは小瓶を取り出した。
「すぐに投与する」
父の部屋に向かうノアの背中を見ながら、セレスティアは祈った。
どうか、間に合いますように。
どうか、父を——助けてください。
といっても、劇的な変化があったわけではない。ノアは相変わらず無愛想だし、甘い言葉を囁くこともない。
でも、小さなことが変わった。
朝、セレスティアがノアの家を訪ねると、お茶が用意されている。
猫の世話を一緒にする時、ノアの視線が以前より柔らかい。
時々、不器用に手が触れ合う。
それだけで、セレスティアは幸せだった。
村に戻って二週間が経った頃、王都から使者がやってきた。
正式な王家の紋章をつけた馬車が、村の入り口に止まった。
「セレスティア・フォン・ヴァイスベルク様にお伝えします」
使者は厳かに言った。
「お父上、ヴァイスベルク伯爵が病に倒れられました。至急、王都にお戻りください」
セレスティアの顔から血の気が引いた。
「父が……どのような……」
「詳しくは存じ上げません。ただ、容態は深刻とのことです」
「すぐに行きます」
慌ただしく準備をしていると、ノアが来た。
「聞いた。親父さんが倒れたそうだな」
「はい。心臓が……前から悪かったのですが……」
セレスティアの手が震えている。荷物をまとめようとしても、何度も落としてしまう。
「落ち着け」
ノアがセレスティアの手を握った。
「焦っても仕方がない。深呼吸しろ」
「でも、父が……」
「俺も行く」
「え?」
「医者だ。役に立つかもしれない」
セレスティアは驚いてノアを見た。
「でも、ノアさんは王都に……」
「行きたくないのは事実だ。でも、お前を一人で行かせるわけにはいかない」
ノアの目は真剣だった。
「それに——お前の親父さんには、会わなきゃならない約束だろう。お前を任せられるかどうか、確かめるって」
セレスティアの目から涙が溢れた。
「ノアさん……」
「泣くな。時間がない。早く準備しろ」
馬車に乗り込む前、マーサが駆けつけてきた。
「セレスティア、猫たちは任せておきな!」
「ありがとうございます、マーサさん」
「お父様、きっと大丈夫だよ。あんたが帰ってくるまで、待っててくれるさ」
リーナも、村人たちも、見送りに来てくれた。
「早く戻ってきてね」
「お父様のご回復をお祈りしてます」
温かい言葉が、胸に染みた。
馬車が動き出す。ノアが隣に座っている。その存在が、どれほど心強いか。
「ノアさん」
「何だ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。黙って休め。着いてから忙しくなる」
ノアは素っ気なく言ったが、そっとセレスティアの手を握ってくれた。
その温もりを感じながら、セレスティアは目を閉じた。
王都に着いたのは、翌日の夕方だった。
ヴァイスベルク伯爵邸に駆け込むと、母イレーネが出迎えた。
「セレスティア! よく戻ってきたわ」
「お父様は……」
「まだ意識はあるわ。でも、医者は——」
母の顔が曇った。
「あまり、長くないかもしれないと」
セレスティアは父の部屋に走った。
父は寝台に横たわっていた。
顔は蒼白で、呼吸は弱い。でも、目を開けてセレスティアを見た。
「セレスティア……来てくれたか」
「お父様……」
「心配するな。まだ……死なんよ」
父は弱々しく笑った。
その時、父の目がセレスティアの後ろに向いた。
「その男が……例の医者か」
ノアが部屋に入ってきていた。
「ノアと申します。セレスティアから話は伺っています」
「ほう……」
父はノアをじっと見つめた。
「なるほど……確かに、愛想は悪そうだ」
「お父様!」
「いや、いい。顔を見れば分かる。悪い男じゃなさそうだ」
父がノアに言った。
「医者だそうだな。私の容態を、見てくれるか」
「……いいのですか」
「王都の医者より、お前の方が信用できそうだ。娘が選んだ男だからな」
ノアは頷いた。
そして、父の診察を始めた。
診察の後、ノアはセレスティアと母を別室に呼んだ。
「率直に言う。容態は良くない」
母が息を飲んだ。
「心臓が、かなり弱っている。王都の医者が言う通り、長くはないかもしれない」
「そんな……」
セレスティアは膝から力が抜けそうになった。
「ただ」
ノアが続けた。
「手はある」
「手?」
「薬草で作る強心剤がある。王都では手に入らないが、俺の村にはある」
母が食いついた。
「それを使えば、助かるの?」
「完治は難しい。でも、症状を和らげ、寿命を延ばすことはできるかもしれない」
「それを……それを、お願いできますか」
「村に戻って薬を作り、持ってくる。三日かかる」
ノアはセレスティアを見た。
「お前はここに残れ。親父さんのそばにいてやれ」
「でも、ノアさん一人で……」
「大丈夫だ。俺は医者だ。これくらいのこと、できる」
ノアは立ち上がった。
「待っていろ。必ず、薬を持って戻る」
その夜、ノアは王都を発った。
セレスティアは父のそばで夜を過ごした。
「セレスティア……」
「はい、お父様」
「あの男……いい男だな」
「お父様……」
「お前のために、王都まで来て、今度は村に戻って薬を取りに行く。なかなかできることじゃない」
父は弱々しく微笑んだ。
「お前を、任せても……よさそうだ」
「お父様、そんなことより、今は休んでください」
「ああ……でも、言っておきたかった」
父がセレスティアの手を握った。
「お前の母と結婚した時、周囲は反対した。でも、俺は後悔していない。一度もな」
「……」
「お前も、後悔のない人生を歩め。自分の心に、正直に生きろ」
「はい……はい、お父様」
セレスティアは涙を流しながら、父の手を握り返した。
「だから、お願いです。元気になってください。ノアさんが、きっと——」
「ああ……待っているよ」
父は目を閉じた。
その顔は、穏やかだった。
三日後。
約束通り、ノアは薬を持って戻ってきた。
泥だらけの服、疲労の色が濃い顔。おそらく、ほとんど眠っていないのだろう。
「これだ」
ノアは小瓶を取り出した。
「すぐに投与する」
父の部屋に向かうノアの背中を見ながら、セレスティアは祈った。
どうか、間に合いますように。
どうか、父を——助けてください。
あなたにおすすめの小説
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
必要とされなくても、私はここにいます
あう
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスのもとへ嫁ぐことになったフィレ・バーナード。
けれど彼女は、理想の妻になろうとも、誰かの上に立とうともしなかった。
口出ししない。
判断を奪わない。
必要以上に関わらない。
ただ静かに、そこにいるだけ。
そんな彼女の在り方は、少しずつ屋敷の空気を変えていく。
張りつめていた人々の距離はやわらぎ、日々の営みは穏やかに整いはじめる。
何かを勝ち取る物語ではない。
誰かを打ち負かす物語でもない。
それでも確かに、彼女がいることで守られていくものがある。
これは、
声高に愛を叫ばなくても伝わる想いと、
何も奪わないからこそ育っていく信頼を描く、
静かでやさしい結婚生活の物語。
お飾りの私と怖そうな隣国の王子様
mahiro
恋愛
お飾りの婚約者だった。
だって、私とあの人が出会う前からあの人には好きな人がいた。
その人は隣国の王女様で、昔から二人はお互いを思い合っているように見えた。
「エディス、今すぐ婚約を破棄してくれ」
そう言ってきた王子様は真剣そのもので、拒否は許さないと目がそう訴えていた。
いつかこの日が来るとは思っていた。
思い合っている二人が両思いになる日が来ればいつの日か、と。
思いが叶った彼に祝いの言葉と、破棄を受け入れるような発言をしたけれど、もう私には用はないと彼は一切私を見ることなどなく、部屋を出て行ってしまった。
婚約破棄の日の夜に
夕景あき
恋愛
公爵令嬢ロージーは卒業パーティの日、金髪碧眼の第一王子に婚約破棄を言い渡された。第一王子の腕には、平民のティアラ嬢が抱かれていた。
ロージーが身に覚えのない罪で、第一王子に糾弾されたその時、守ってくれたのは第二王子だった。
そんな婚約破棄騒動があった日の夜に、どんでん返しが待っていた·····
婚約破棄された悪役令嬢ですが、面倒なので全部放置します
かきんとう
恋愛
王都の大広間に、どよめきが広がった。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、何百もの蝋燭の光を反射し、きらきらと輝いている。その光の中心に立つ私は、妙に他人事のような気分で、その場の空気を眺めていた。
「エレノア・フォン・リーベルト! 私は貴様との婚約をここに破棄する!」
高らかに宣言したのは、第一王子であり私の婚約者でもあったアルベルト殿下だった。
周囲の貴族たちが一斉に息を呑み、次の瞬間には小声のざわめきが連鎖のように広がっていく。
――ああ、ついに来たのね。
「商売する女は不要」らしいです
たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリアナ・ヴァルトハイムは、第二王子の婚約者だった。しかし「女が商売に口を出すな」と婚約破棄され、新しい婚約者には何も言わない従順な令嬢が選ばれる。父にも見捨てられたエリアナは、自由商業都市アルトゥーラへ。
前世の経営コンサルタントの知識を武器に、商人として成り上がる。複式簿記、マーケティング、物流革命——次々と革新を起こし、わずか一年で大陸屈指の豪商に。
やがて王国は傾き、元婚約者たちが助けを求めて土下座してくるが、エリアナは冷たく突き放す。「もう関係ありません」と。
そして彼女が手に入れたのは、ビジネスでの成功だけではなかった。無愛想だが誠実な傭兵団長ディアンと出会ってーー。