婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん

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あの夜から、セレスティアとノアの関係は変わった。

といっても、劇的な変化があったわけではない。ノアは相変わらず無愛想だし、甘い言葉を囁くこともない。

でも、小さなことが変わった。

朝、セレスティアがノアの家を訪ねると、お茶が用意されている。

猫の世話を一緒にする時、ノアの視線が以前より柔らかい。

時々、不器用に手が触れ合う。

それだけで、セレスティアは幸せだった。


村に戻って二週間が経った頃、王都から使者がやってきた。

正式な王家の紋章をつけた馬車が、村の入り口に止まった。

「セレスティア・フォン・ヴァイスベルク様にお伝えします」

使者は厳かに言った。

「お父上、ヴァイスベルク伯爵が病に倒れられました。至急、王都にお戻りください」

セレスティアの顔から血の気が引いた。

「父が……どのような……」

「詳しくは存じ上げません。ただ、容態は深刻とのことです」

「すぐに行きます」


慌ただしく準備をしていると、ノアが来た。

「聞いた。親父さんが倒れたそうだな」

「はい。心臓が……前から悪かったのですが……」

セレスティアの手が震えている。荷物をまとめようとしても、何度も落としてしまう。

「落ち着け」

ノアがセレスティアの手を握った。

「焦っても仕方がない。深呼吸しろ」

「でも、父が……」

「俺も行く」

「え?」

「医者だ。役に立つかもしれない」

セレスティアは驚いてノアを見た。

「でも、ノアさんは王都に……」

「行きたくないのは事実だ。でも、お前を一人で行かせるわけにはいかない」

ノアの目は真剣だった。

「それに——お前の親父さんには、会わなきゃならない約束だろう。お前を任せられるかどうか、確かめるって」

セレスティアの目から涙が溢れた。

「ノアさん……」

「泣くな。時間がない。早く準備しろ」


馬車に乗り込む前、マーサが駆けつけてきた。

「セレスティア、猫たちは任せておきな!」

「ありがとうございます、マーサさん」

「お父様、きっと大丈夫だよ。あんたが帰ってくるまで、待っててくれるさ」

リーナも、村人たちも、見送りに来てくれた。

「早く戻ってきてね」

「お父様のご回復をお祈りしてます」

温かい言葉が、胸に染みた。

馬車が動き出す。ノアが隣に座っている。その存在が、どれほど心強いか。

「ノアさん」

「何だ」

「ありがとうございます」

「礼はいい。黙って休め。着いてから忙しくなる」

ノアは素っ気なく言ったが、そっとセレスティアの手を握ってくれた。

その温もりを感じながら、セレスティアは目を閉じた。


王都に着いたのは、翌日の夕方だった。

ヴァイスベルク伯爵邸に駆け込むと、母イレーネが出迎えた。

「セレスティア! よく戻ってきたわ」

「お父様は……」

「まだ意識はあるわ。でも、医者は——」

母の顔が曇った。

「あまり、長くないかもしれないと」

セレスティアは父の部屋に走った。


父は寝台に横たわっていた。

顔は蒼白で、呼吸は弱い。でも、目を開けてセレスティアを見た。

「セレスティア……来てくれたか」

「お父様……」

「心配するな。まだ……死なんよ」

父は弱々しく笑った。

その時、父の目がセレスティアの後ろに向いた。

「その男が……例の医者か」

ノアが部屋に入ってきていた。

「ノアと申します。セレスティアから話は伺っています」

「ほう……」

父はノアをじっと見つめた。

「なるほど……確かに、愛想は悪そうだ」

「お父様!」

「いや、いい。顔を見れば分かる。悪い男じゃなさそうだ」

父がノアに言った。

「医者だそうだな。私の容態を、見てくれるか」

「……いいのですか」

「王都の医者より、お前の方が信用できそうだ。娘が選んだ男だからな」

ノアは頷いた。

そして、父の診察を始めた。


診察の後、ノアはセレスティアと母を別室に呼んだ。

「率直に言う。容態は良くない」

母が息を飲んだ。

「心臓が、かなり弱っている。王都の医者が言う通り、長くはないかもしれない」

「そんな……」

セレスティアは膝から力が抜けそうになった。

「ただ」

ノアが続けた。

「手はある」

「手?」

「薬草で作る強心剤がある。王都では手に入らないが、俺の村にはある」

母が食いついた。

「それを使えば、助かるの?」

「完治は難しい。でも、症状を和らげ、寿命を延ばすことはできるかもしれない」

「それを……それを、お願いできますか」

「村に戻って薬を作り、持ってくる。三日かかる」

ノアはセレスティアを見た。

「お前はここに残れ。親父さんのそばにいてやれ」

「でも、ノアさん一人で……」

「大丈夫だ。俺は医者だ。これくらいのこと、できる」

ノアは立ち上がった。

「待っていろ。必ず、薬を持って戻る」


その夜、ノアは王都を発った。

セレスティアは父のそばで夜を過ごした。

「セレスティア……」

「はい、お父様」

「あの男……いい男だな」

「お父様……」

「お前のために、王都まで来て、今度は村に戻って薬を取りに行く。なかなかできることじゃない」

父は弱々しく微笑んだ。

「お前を、任せても……よさそうだ」

「お父様、そんなことより、今は休んでください」

「ああ……でも、言っておきたかった」

父がセレスティアの手を握った。

「お前の母と結婚した時、周囲は反対した。でも、俺は後悔していない。一度もな」

「……」

「お前も、後悔のない人生を歩め。自分の心に、正直に生きろ」

「はい……はい、お父様」

セレスティアは涙を流しながら、父の手を握り返した。

「だから、お願いです。元気になってください。ノアさんが、きっと——」

「ああ……待っているよ」

父は目を閉じた。

その顔は、穏やかだった。


三日後。

約束通り、ノアは薬を持って戻ってきた。

泥だらけの服、疲労の色が濃い顔。おそらく、ほとんど眠っていないのだろう。

「これだ」

ノアは小瓶を取り出した。

「すぐに投与する」

父の部屋に向かうノアの背中を見ながら、セレスティアは祈った。

どうか、間に合いますように。

どうか、父を——助けてください。
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