龍使いの姫君~龍帝の寵姫となりまして~

卯月八花

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第30話 龍帝陛下のお渡り

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「し、失礼する」

 その声が聞こえたとき、私は緊張でピョンと跳ねてそのまま倒れてしまうのではないかと思った。

 つ、ついに来た。ついに龍帝・秦瑞泉しんずいせんが来たのだ。

 瑞泉の声は、意外なほど緊張していて固かった。だけど、どこかで聞いたことがあるような……。

 まあいい。とにかく本当に来たのだ。

 あれだけ後宮をほったらかしといたくせに、なにを思ったのか急に興味なんか持ってさ。しかも計画前倒しで私を抱きに来た。ほんとになにを考えているのやら。

 でもね、その焦りは自らの命を早めることになるのよ。ふふん、可哀想な秦瑞泉。自らの誤断で享年を一日早めるなんてね。

 私の心臓はドキドキと高鳴っている。握った短刀を手汗で落としそうになって、慌てて装束に手のひらをこすりつけ汗をぬぐった。くそっ、短刀に布でもキツくまいておくべきだった。

 私はぐっと短刀を握りしめなおした。体中が凝り固まってしまっている。……ああ。もっと準備運動してほぐしておくんだったわ。

 こんなことでうまくできるのだろうか。
 口のなかなんかカラカラよ。
 どうか、どうかうまくいきますように。

「え、ええと。どこにいる、巫貴妃?」

 彼は部屋を見回しているようだ。
 私は深呼吸をして答える。緊張でどうにかなりそうだったけれど、それでもなんとか平静を装った。

「その前に確認させていただきとうごうざいます、あなたは今お一人ですわね?」

 非力な女である私が男の瑞泉を刺し殺そうというのだから作戦は必要になる。
 扉を開けて入ってきたところを短刀で一撃必殺。それが確実な暗殺のやり方だ。

 そのためには翼玉閣の最奥にあるこの寝所に瑞泉が一人で入ってくる必要があった。

「ああ。言われたとおりに一人できた」

「それはようございました」

 よしっ。ちゃんと言ったことを守ってくれているみたいね。よかったよかった。今のところ作戦通りよ。

「では、こちらへお越し下さいませ、龍帝陛下」

 瑞泉はお兄さまみたいなもの、瑞泉はお兄さまみたいなもの……。

 私は心の中で憎しみの呪文を唱えた。

 呪文の効果はてきめんで、嫌悪感と怒りがメラメラとわき上がってくる。
 おのれお兄さまめ、私をこんなところに閉じ込めて。だいたいキモいのよ! 近寄るな馬鹿!!!!

 その憤怒を押さえ付け、私はことさら猫なで声で瑞泉に話しかけた。

「こちらでございますわよぉ、こっちこっち。どうぞ、ずずいと奥へとおいで下さいなっ。うふ、おふとんでお待ちしておりますわよ、お・に・い・さ・まぁ」

 お前の命運ももはやここまでだ、秦瑞泉!

「……お兄さまって?」

「ふぉっ」

 変な声が出た。
 い、いけない。あまりにも憎しみが深かった。

「ち、違いますわよ。ほっ、ほらっ、お兄さま……お兄さまっていったら、ずい――龍帝陛下のことですわよ!?」

「あ? なんか変な奴だなお前」

 いけない。あからさまに警戒している。まずいわ、何か言いつくろわないと……。

「龍帝陛下は23歳でしょ? 私は17歳の小娘ですからね。年上の殿方のことは等しくお兄さまといってもようございましょう!」

「……そうなのか?」

「そうです!」

「……とりあえずそっち行くわ。話が出たついでってわけじゃないが、お前の兄貴についてもちょっと頼んでおきたいことがあるんだ」

 お兄さまについて、頼み? いったいなんだというのだろう。

 ……しかし瑞泉って、龍帝陛下なんてご大層な身分の割に妙に軽いノリなのね。なんかちょっと暗殺するのが可哀想になってきたかも。

 私は深呼吸した。

(瑞泉はお兄さま、瑞泉はお兄さま……)

 私は心の中で憎悪を増幅させる呪文を唱える。
 ふつふつと殺意がわいた。あいつ絶対コロス!

「……巫貴妃、巫貴妃? どこだ?」

「こちらでございます、龍帝陛下。どうぞ、こちらにお越し下さいませ」

 瑞泉を促しながら、私は寝所の扉の前に立って短刀を腰だめに構えた。

 龍帝が入ってきたら、初太刀で仕留める。

 これだけ閣の奥なのだから、龍帝が助けを求める声をあげてもなかなか人は入ってこれまい。そもそも翼玉閣のまわりからも人払いはしてある。

 そして龍帝を刺したら、私は助けを呼ぶ振りをしながらこの閣を出て、後宮中に助けを求め叫んで走り回るのだ。おそらく大騒ぎになるだろう。その機に乗じて上空旋回中の翼龍・真琉しんるを呼んで夜空に逃げる――という手筈だ。

 大丈夫。逃げる算段はちゃんと付けてあるんだから。

 だから、必ず、必ず……。
 秦瑞泉の土手っ腹にこの短刀をドスッと差し込むのよ!





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