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第二章
【閑話】 妖精と出会った日-前編-
しおりを挟む初めて彼女を見たのは幼稚舎の年中の頃……だったと思う。
思う、っていうのは、その頃の俺はその辺の事を記憶が曖昧で殆ど覚えていないからなのだが……
俺が物心付いた頃には俺はいつもひとりでいた。
当時俺の父は祖父の会社の専務、母は大学病院勤務の医師として、今と同じく、あるいは今以上に多忙だった為、月の殆どを都内の別宅で過ごしていた。
本宅には、祖父と兄がいたのだが、この頃の祖父は現役で社長だったので、夜以外はあまり在宅していなかったし、兄は一回り年が離れていて、学校に塾に習い事とこちらも忙しくしていた。
その為、家に居なかった両親の代わりに俺の世話をしていたのは住込みの家政婦の藤乃だった。だけど、家政婦の藤乃もつききっきりで世話が出来るわけではなく、家政婦として別に与えられた仕事がある。
だから、必然的に俺は一日の大半を部屋でひとりで過ごす事が多かった。
誰にも構われる事もなく殆どの時間をひとりで過ごしていたからなのか、季節の移ろいはおろか曜日や時間の感覚もあまり感じることも無かった。
誰にも求められず、存在も認めて貰えない。
ただそこに居るだけの自我のない人形か置物のような虚無な存在。
家族にとっての俺はそういう存在だった。
そんな抜け殻のような俺が、初めて香乃果と出会ったその日は、少し風の強い暖かな春の陽射しが差していた日だった。
いつものように迎えの藤乃と車止めに待たせている車に向かって、幼稚舎の建物を出てすぐの門まで続く桜並木道を歩いていると、突然俺の横を楽しそうに駆け抜けて行く男の子と女の子に驚いた。
「このぉー、さとにぃー…ま、待ってよぉ~…」
その後を追うようにふたりよりも少し小さな男の子がパタパタと走って行く。
ごく普通のごくごく有り触れた普通の光景だ。
それなのに、何故だかその子供達が向かって行った先の目の前の仲良さそうに歩いている二組の母子が目に止まった。
いつも通りのなんて事ない日常の風景なのに、と変な気分だったが何となくその母子達から目が離せずにぼぅっと眺めていると、お互いに小さな子供を抱いている母親達がお喋りをしている後ろで、ふたりの男の子に囲まれて手を繋いでいる女の子が楽しそうに何かの歌を歌っていた。
その優しい歌声に空っぽだった俺の胸の辺りがむずむずとしだして落ち着かなくなって、俺はその女の子の後ろ姿から目が離せなかった。
しかし、何の歌なのだろう…女の子が歌っている聞いた事のない歌だったので、何の歌なのか少し気になったのでなんとなく聞いていると、歌詞がめちゃくちゃだったのでどうやら自作の歌のようだ。
楽しそうに女の子が歌い、続けて左隣の男の子が合わせて一緒に歌う。そんな微笑ましい様子に目が離せずじっと見ていると、女の子の右隣の男の子が優しい眼差しでふたりをみて微笑んでいる姿が目に入り、チクリと何か棘のような物でお腹を刺されたような感じを覚えた。
だけどそれは一瞬の事で、俺はそれを気の所為だったと流して目の前の女の子に視線を戻した。
いつの間にか気が付くと俺は女の子の真後ろに立っていたようで、女の子の頭が目の前に迫っていた。
歩く度にサラサラと揺れる髪は柔らかそうで、触れてみたくなった俺は無意識に手を伸ばすが、ハッとして急いで手を引っ込めると、不意に女の子がくるりと横を向くと、女の子は左隣の男の子の方を向いてにっこりと笑顔を向けた。
え?可愛い……
その瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。にこにこと笑う女の子の横顔がとても可愛くて、むずむずしていた胸の辺りがものすごい勢いでバクバクいい始めた。
俺は俺の中に感じたことの無い感情が生まれたのを感じてどうしたらいいのか戸惑っていると、右隣にいた男の子がバッとしゃがみこんで女の子の方に声を掛けた。
「こーのー?」
「なぁにぃ……ってぶっ!!!」
女の子は呼ばれて勢いよく右隣に顔をくるりと向けると、右隣の男の子は積もった花びらを"この"に向けて投げつけて走り出した。
「ははは、このは隙だらけだな。もう一発!それっ!!!!」
「わっぷ!んもぅ!!さとる!!!何するの!!!」
「あ、ま、待ってよ、この~……」
女の子はぷぅっと膨れて走って逃げる男の子を追い掛けると、もうひとりの男の子もおずおずと追いかけ始めた。
走り回る女の子はキラキラとした光を纏っているように見えて、俺はその子からますます目が離せなくなっていた。
そうか、"この"って言うんだ……名前まで可愛いんだな。
キャッキャと走り回る3人を眺めながらそんな事を思っていると
ふと、傍らで子供達を見つめる母親達に目がいった。
その優しげな愛情深い眼差しに俺の胸がきゅっと痛むと、なんだか急に母親が恋しいと思ってしまった。
恋しいとか寂しいとかそんな感情を普段は感じた事がないはずなのに、何故だか無性に母親に会いたくなってしまった俺は咄嗟に俯いてしまった。
「坊っちゃま……」
心配そうに隣の藤乃は俺の顔を覗き込むと、きゅっと俺の手を握った。
「ふじの…母さんは、今日もおいそがしいのかな……」
「そうですね……今日も別宅にお泊まりとのご連絡を頂いておりますのでお忙しいのかもしれませんね。難しい病気のお医者さまなので……お寂しいですか?」
脳神経外科の医師をしている母親は、夜中に患者の容態悪化や急変などでオンコールで呼ばれる事が多く、務めている大学病院から都下にある遠い自宅よりも早く駆けつけられるようにと都内に別宅を持っていて、忙しい父親と共に平日は殆どそこに住んでいた。
俺も母親の産休育休が終わるまでは父母と一緒に都内の別宅に住んでいたのだが、母親が職場に復帰するのと同時に、俺は家業の跡取りとしてじいちゃんが手元で教育をするということになった為、自宅へ戻されたのだ。
とは言え、休日には父母も自宅に戻ってくるので、全くの別居という訳ではなかったが、やはり幼い俺には近くに両親が居ないのはキツかった。
「そう…だよね?うん……ちょっぴりさびしいけど、病気の人を助けるりっぱなおしごとだから、誇りに思いなさいって、じーちゃんが言ってたから……僕、ガマンできるよ。」
我慢出来る、とは言ったものの、完全に目の前の母子達にあてられてしまって正直辛かった。
しかし、感情を表に出すことが苦手でどうしていいかわからないまま強がって笑顔を作ると、そんな俺の気持ちを察したのか藤乃は俺の頭を優しくぽんぽんと撫でた。
「そうですか、坊っちゃまはお強いのですね。偉いですね。そうだ!ご褒美に帰ったら特製のパンケーキを焼いて差し上げますから楽しみにしていてくださいませね。」
藤乃は務めて明るくそういうと、俺ににっこりと笑顔を向けた。
「ほんとう?やった!ってうわっ!!!」
藤乃の言葉にぱっと顔を上げると、その時急に突風が桜並木の間を吹き抜けて行き満開の桜の花を揺らした。
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