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第三章

第58話 溢れる気持ち

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 グルグルと逡巡し最悪な事態も想定した上で、漸く一大決心をした私は、十数通の渉からのメールを最新のメールを除いて古い順に開封して順番に読んでみたのだが、実際に読んでみるとどれも当たり障りのない近況報告ばかりの内容で、懸念していたような内容はひとつも書かれていなかった。

 心配して身構えていた事が馬鹿みたいで、ホッとしたのと同時に何だか拍子抜けして脱力してしまった。

 一度目はざっと流し読みをしただけだが、どのメールにも『会いたい』『話がしたい』と書かれており、渉の意図がわからなくて、私の頭は若干の混乱を来たしている。

 邪魔な私が居なくなって、想い合っている穂乃果と漸く許嫁として関係をオープンにする事が出来るようになったのに、その件に付いては書かれていないし、恨み言が書かれている訳でもない。

 それどころか、『会って話がしたい』と……
 何故?何の為に?

 今までの文句が言いたいのだろうけど、そんな雰囲気も感じないし、話したいって言われても、今更何の話をするのかさっぱり想像もつかない。

 しかも……
 遠くバンクーバーの地にいる私とわざわざ直接会って話がしたいって、どういう事なのだろうか。
 私と渉には物理的な距離がある訳で、なかなか会って話ができる機会もそうそう訪れるものでもないし……

 電話やメールじゃダメな話なのか?

 届いたメールを何度も読み返して考えてみたけれど、やっぱり理由がわからない。

 そんな事を考えながら、何度もメールを読んでいるうちに、何だか心がザワザワしてきて、落ち着かなくなったので、一度、話の内容を考える事を頭から外してもう一度読み返してみる。

 メールの文面だけを見ると、どれも他愛のない内容なのだが、どのメールからも渉からの気遣いが伝わってくる。

 そして、気遣いの中に時折混じる後悔の想いと思慕の言葉に、言外に"香乃果わたしの事を俺はいつでも想っているよ"と言われているような……

 それはまるで、恋焦がれている人に贈るラブレターのような文面で、渉が私の事を想っているのではないか?と危うく勘違いしてしまいそうになり、不覚にも私の胸はとくんと高鳴り熱くなった。

 しかし、それと同時に頭に浮かぶのは穂乃果の事。


『私とわっくん、お互いに好きあってて、将来は結婚しようって約束もしてるんだよ。』


 そう、渉の気持ちは穂乃果の口からハッキリと聞いている。
 だから、渉が私の事を好きだなんてそんなはずは無いのだ。


「もう大丈夫だと思ってたけど… 私も大概諦めが悪いよね。まだ割り切れてないのかなぁ……」


 そう独り言ちると、そんなありもしない錯覚に陥った弱い自分を叱咤するように、首をフルフルと振ってその思いを打ち消した。

 もう、これ以上は辛いだけだから、最後にこれだけ読んだらもう考えるのは辞めよう。

 軽く嘆息をしてそう決心すると、最後だからと先日届いたばかりの最新の渉からのメールを開封した。



 ◇◇◇



「うそ、でしょ……まさか……」


 溢れる涙が頬を伝ってぱたぱたとキーボードの上に落ちた。
 私は最後のメールを読み終えて、読んだ事を酷く後悔している。

 読まなければよかった。でも、読んでしまった。
 読み終えた今は、もうそこから目を背ける事は出来なかった。


「渉は、私の事が好き…なの……?」


 口に出してみると、今までのメールの内容がストンと腹落ちした。

 もう一度、最後のメールに目を通すが、間違いない。
 そこには、確かに渉の私への想いが溢れていた。

 先程のように勘違いで片付けられれば良かったのに、自覚してしまうと今まで堰き止めていた気持ちが溢れてしまいそうになる。

 もしかして、渉が話したい事って……

 ただの憶測ではあるけれど、きっとそうなのだろう。

 そう理解すると、胸にじんわりと暖かいものが広がり、遅れてゆるゆると喜びの波がやってきて、再び私の目から涙が零れた。

 ずっと渉の気持ちがわからなかった。
 わからないから、知りたくて構い過ぎて嫌われてしまった。
 そして、渉の気持ちは穂乃果の方へ向いて……

 そこまで考えてハッとする。

 漸く知りたかった渉の気持ちがわかり、喜びに胸がいっぱいになった。だけど、それは今更だった。

 何故なら、もう渉はから……

 私は、カナダこっちに来る時に、気持ちの整理を付け、渉への気持ちも渉との未来も全てを捨ててきたのだ。

 全て自分で納得して決めてきた事、今更渉の気持ちを知った所で、穂乃果がいるのだからもう私にはどうする事も出来ない。

 故に、幾ら渉が私を好きで私も渉を好きだったとしても、再度許嫁を交代したいなんて身勝手な事出来るはずはない。
 それに、そんな事を両親が許す訳もないし、大好きな両親と妹を悲しませたくもない。

 途端に、先程まで暖かかった心が急激に冷えて行くのを感じた。

 残念ながら、いくら私達が想い合っても、この先私達の未来は二度と交わる事はないのだ。

 理解をすると、視界が涙で滲んで揺れる。

 皮肉な事に、最善と信じて疑わず良かれと思ってした事が、自分が切望していて、欲しくて欲しくて堪らなかった未来の可能性を潰してしまった事に気が付き絶望で目の前が暗くなった。


「ははは…お父さんの言う通り、もっとちゃんと渉と話をすればよかったな……」


 そう呟いてはみるが、後悔しても既に後の祭り。
 全てはもう終わった事、どんなに悔やもうが、どんなに望もうが、私と渉と穂乃果の関係はもう元には戻らないのだ。


 で、あれば……

 私がやらなければならない事はただひとつ。

 私は涙を拭うと渉への気持ちに蓋をして、メールの返信を打ち始めた。
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