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最終章
第103話 疑念
しおりを挟む「わかった。結婚は延期しよう。」
そんな事思ってもいなくて言うつもりもなかったのに、気が付くと勝手に口から言葉が零れていた。
だけど、言った後の俺の心は驚く程冷静で凪いでいて、何処と無く安堵感も覚えていた。
ほっと短く嘆息して、俺は香乃果へ薄く笑みを向けると、そんな俺の反応が意外だったのか、香乃果は瞠目してピタリと動きを止めた。
そして、俺を凝視したままポツリと呟いた。
「…延期……?って…なんで?」
一瞬、何を言ってるんだ?と聞き返しそうになったし、当たり前だろう?!と言いそうになった。
それになんでと言われても、ただ単純にそう思った事が何故だか自然と口から出てしまっただけだし、そもそも香乃果があっちに残るのであればまだ帰国をしないという事で、そうなると結婚なんてできない。
当然延期になると思うのだが……と、その言葉を飲み込むと今度は俺が香乃果を凝視した。
大学に残りたいと言ったり、将又、結婚延期に難色を示してみたり……
俺には香乃果の考えが全くわからなくて、俺の頭の中には疑問符だらけだった。
ふぅと軽く嘆息をすると、大きな目に涙をいっぱい溜めて傷付いたような顔で俺を見ている香乃果を見据えて言った。
「だって、止めたって香乃果は大学院に残るんだろ?」
「……う、うん、そう…だけど……」
香乃果は気まずそうに視線を外しながら言った。
「あのさ、約束、覚えてる?」
「院が終わったら結婚するって……」
頬杖を突き香乃果の表情を伺いながらゆっくりとした口調で問い掛けると、香乃果は俺の問い掛けにするりと回答をした。
どうやら香乃果は約束については覚えていたようで、ほっとしたが、香乃果が口にした約束には肝心な箇所が抜けていた。
まさか忘れている?それとも……
俺は頭を過ぎった考えを振り切るように頭を振ると、抜けていた箇所を付け加えて言い直した。
「うん、そう。だけど、肝心な箇所が抜けてるよ?帰国して結婚、ね。」
そう言うと、香乃果の顔色が悪くなった。
その表情を見て先程過ぎった考えがあながち間違ってないのでは?と思い始めた。
「何?もしかして……香乃果はこのまま離れ離れのまま結婚するつもりだったの?」
そんな事はないだろうと思いながら確認するように問い掛けると、香乃果はぎくりと身体を跳ねさせて視線を泳がせた。
「は……?まさか…それ、マジで言ってる?」
「…だって、仕方ないじゃない。私だって帰国したいって思ってたけど、状況的に難しくて……でも、約束だから……」
香乃果は俯きながらしどろもどろとそう言った。
その言葉に、図らずも俺の心はざっくりと抉られた。
今の状況に100歩…いや、1000歩譲ったとして……香乃果が海外へ行く事を決めたきっかけの一端を担っているのは俺なので、俺は香乃果の希望を聞くつもりだったし、待つつもりだってあった。
それなのに……
本人にそのつもりがあるのかないのかわからないが、香乃果にとって俺との結婚はただの約束だと、まるで望まぬ結婚を無理矢理させられるのだと言外に言われたような気がした。
その瞬間、俺の中にどろりと黒い感情が沸き、瞬く間に俺の心を埋めつくしていった。
うっそりと香乃果に視線を遣ると、不安げに俺を見つめる香乃果の視線とかち合い、ドキリと胸が跳ねた。
香乃果がそんな事を思うわけが無い、俺は黒い感情を悟られないように努めて冷静に今の心情を伝えた。
「話を聞く限りだと、そうだろうね。だけどこのまま結婚って、要するに籍だけ入れてまた別居って事だろ?それはないわ。」
俺が言い終わると、みるみるうちに香乃果は絶望に打ちひしがれたような顔をして、ポロポロと涙を零しながら、絞り出すように言った。
「私の事、嫌い…になったの?」
その言葉に再び頭痛がしてきた。
そもそもの話、気持ちのないヤツと遠距離恋愛なんて俺には絶対にできない。
仮に途中から遠距離になったとして……
何年も待つつもりはないし、嫌いになった瞬間バッサリ切り捨てるとか、もっと冷淡な対応をしている自信がある。
それに、俺の性格上、嫌いなヤツとは話もしないし、こんな生易しい言葉は掛けない。
結構その辺はドライなのだが……
一緒に居られた期間は短いけれど、恋人になって早7年。
そういう俺の側面も見てきているはず…なのだが…
だからこそ、香乃果がこの場面で何故そんな事を言うのかが理解できなくて、俺は軽く戸惑った。
正直、香乃果の都合でお預け食らってるのはこちらであって、進学とか就職とか嫌いになったのではないか?と不安になっているのもこちらなのだが……
だからといって、香乃果の事が嫌いになったとか、別れたいとかそう言う事は一切なかったし、今回の帰国のタイミングで結婚するって約束だったので、セオリー通りちゃんと給料3ヶ月分の指輪だって用意していた。
それなのに、こっちの気も知らず、向こうに残りたいとか、残るとか。
勝手に決めて勝手に伝えて来てるのは香乃果の方なのに。
泣きたいのはこっちだし、そのセリフは寧ろ俺が言いたいくらいだった。
だけど……
惚れた弱みというのかなんと言うのか……
強く出られないというか……
こういう時に強く出れない自分の不甲斐なさと情けなさに俺は深く溜息を吐くと、目の前で瞳を真っ赤にして泣きじゃくる香乃果の涙をハンカチで吸い取った。
「渉……」
ポロポロと涙を流す香乃果に緩く笑みを向けると、俺は先程の問い掛けに返答した。
「全然嫌いになんてなってない。ていうか、寧ろ、好き過ぎておかしくなりそう。」
「っ!なら……」
縋るように言った香乃果に俺は間髪入れずに返した。
「だけど、別居婚は無理。事情は十分に理解した。理解したけど、それとこれとは別問題。香乃果は残る事を選んだんだし、帰国出来ないんだから今は結婚のタイミングじゃないってことだよ。」
俺の言葉を聞いた香乃果は顔をくしゃくしゃに歪めて泣きだした。
「なんで……嫌だよ……私、渉と別れたくない……」
嗚咽を漏らして泣きじゃくりながらそう言った香乃果の言葉を聞いて、俺は漸く香乃果の一連の発言の理由を理解した。
なるほど……
大学院に残る事を伝えた時の俺の反応が思っていたものと違ったから、俺に愛想を尽かされて別れ話をされていると思っていたのか、と。
それで、あの別居婚の提案?
なんだそりゃ。
そして、こうも思った。
そんな提案をする前に、誠心誠意謝るとか、残りたい熱意を伝えるとか、やる事あるだろ?と。
『別れたくない』とか『嫌われた』とか、そんな心配するくらいなら約束通り帰ってくればいいだけだ。
状況が…とか色々理由を付けてはいるけれど、事前に相談もしないで勝手に帰ってこないと決めたのは誰でもない香乃果自身なのだから。
挙句、本心はどうなのかわからないが、嫌われたくないから結婚だけはしたいと言われていると感じてしまう言動のオンパレード。
なんか…自分勝手過ぎやしないか?
そう思った瞬間、ふつふつと静かに湧き出した怒りが心を覆い尽くすと、何故だか目の前にいるはずの香乃果の存在が遠くに感じた。
そして同時に、香乃果の事を好きな気持ちは変わらないはずなのに、ふと『香乃果の心がわからない』と思ってしまった。
すると、今まで抑えていた想いが途端に溢れ出た。
俺は香乃果の何?
香乃果は俺の事、どう思ってるの?
離れている期間が長すぎて、香乃果の俺への気持ちが冷めてしまっているのでは?
等…
良くない考えが浮かんでは消え、また浮かんではグルグルと頭の中を回って、そして、先程まで凪いでいたはずの心にポトリと疑念の感情の雫が落ちると、あっという間に水面に波紋が広がるように感情が伝播していった。
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