渓谷の悪魔と娘

ココナツ信玄

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 既に太陽は落ち、山の端のみが赤く染まっていたが、深い森の中は真っ暗だった。
 ソレの赤い三つの目は暗闇をものともしない。触手で地面から生える茂みや岩を薙ぎ払い、頭頂に生えた大きな二本の角で前を塞ぐ枝木を圧し折った。
 鉤爪の生えた鋼鉄の柱のような黒い脚で地面を抉り、蹴立てながら走り出す。


 助けてくれ。


 ソレはかつてニンゲンの集落があった平野を目指した。
 既に壊滅し、そこには誰も居ないだろうことは知っていた。
 それでもニンゲンの痕跡を求めて走り続けた。
 弱ってしまったトムのためになるべく地面をならしたつもりだったが十分ではなかったようで、ソレの半身が若干斜めに傾ぐ。途端、ソレの鼻に排泄物の臭いが届いた。焦って脚を止め、腹の下からトムの体を出してみる。
 上下に体が揺らされた拍子に緩いフンが漏れてしまったようだった。

「トム? フンをする前にすると言えと何度も……」

 トムはぐったりとしたままだ。
 土気色の顔には苦悶の表情すら浮かんでおらず、ただ浅い息を繰り返している。
 下痢と嘔吐を繰り返しているせいか、トムの唇はカサついて罅割れていた。
 ソレは再び走り出した。
 助けてくれ、と誰かに向かって叫びたかった。それでもトムの体に障ってしまいそうで乱杭歯を噛み締め衝動を抑える。


 誰かトムを助けてくれ。


 山肌を削り、平原を掘り返すように踏み散らかしながら、かつて集落があったところに駆け入った。
 焼け落ちた残骸も風雨に晒されて朽ち、そこはソレの尾毛のように細くて長い草が一面に広がっていた。
 そこに、焚き火を踏み消そうとしていたらしい一人のニンゲンが居た。


嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお嗚於おお


 ソレの喉の奥から低い感嘆のような吠え声が出た。
 ソレ自身、自分が何を思ってそう吠えたのか分からなかった。
 ただ、焦燥と喜びで牙を鳴らし、ソレはトムを抱えていない触手全てでニンゲンを絡め取った。

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