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1. すりの少年
しおりを挟むドンと誰かがぶつかったとき、リーズは首が少し引っ張られた気がした。いけない……物取りだわ!
ここはルブロンの町で一番賑やかな市場だ。時間的にも一番人が多く、大勢の人でごった返していた。
リーズは一緒に来ていた姉のキャロルや付き添いのメイドから離れて、物珍しい露店の品々をじっくりと眺めて歩いていた。特に、物を売りつける商人の話がうまい。
話に聞き入っていた矢先に、誰かがぶつかってきたのである。
ぶつかった瞬間に鎖の部分を切られたのだろうか、首が軽くなった気がした。首飾りを取られたの!?
リーズは反射的に目の前から足早に去ろうとする人物の手首をぐっと掴んで声を上げた。
「ま、待ってっ!」
相手は大人かと思ったが、背格好はリーズと同じくらいの少年だった。破れたぼろぼろのズボンと帽子が目につく。リーズが掴んだ彼の手も泥で汚れており、どことなく排水の匂いがした。
「は、はなせっ、離しやがれ!」
手首を掴まれた彼はとても慌てているようだった。急いで逃げるべくリーズの手を振り解こうと暴れたが、リーズも渾身の力を込めて握っている。幸い、力はリーズと同じくらいのようだ。向こうも必死のようだが、こちらも譲るわけにはいかない。
少年はそれでも前へ進もうとするので、リーズは半ば少年に引きずられながら懇願するように言った。
「お、お願いよ、返して! それは亡くなったお母様の肖像画なの、形見なのよ! それだけは返してちょうだい、お願い!」
リーズの言葉に、少年は前に進もうとする動きをぴたりと止めた。諦めてくれたのだろうか。リーズの方は手を緩めずに彼の背中を見つめた。
少年はしばらくそのままリーズに背を向けていたが、そのうちに小さく「ちっ」と舌打ちをすると、ようやくこちらを向いた。そしてリーズに掴まれた手とは反対の方の手で、握っていた物を差し出してきた。
それは先ほどまでリーズが首から下げていた、小さな肖像画のついた真珠の首飾りだった。鎖の部分だけ外れている。器用なものだわ。
「……いいか、返すんだから俺を役人に突き出すんじゃねえぞ」
リーズはほっと胸を撫で下ろして、それをもう片方の手で受け取った。
絵の部分を掲げてみる。よかった、ひび割れなどはしていない。肖像画の母は前と同じように優しい笑みを浮かべてこちらを見ていた。ああ、ほんとうによかった。
「ありがとう……あなたいい人ね」
「へっ、いいから早く手を離せよ、もう返しただろ」
少年は表情を歪めて、リーズの手に掴まれたままの手を振りほどこうとする。
「もう少しだけ待って」
リーズは首飾りを上着のポケットにしまった。そして空いた手で自分の耳につけていた小さな二つの宝石と、髪に挿していた真珠の並ぶ豪華な髪飾りを外した。途端に焦げ茶色の髪がふわっと広がる。
リーズは宝石と真珠のピンを少年の手に握らせると、今度は自分の手首につけているブレスレットを外して少年の汚れた手首にカチャリとつけた。ブレスレットには桃色のダイヤモンドが散りばめられている。きっとこれが一番高額になるだろう。
「な、なんだよこれ」
宝飾品を手にして眉を寄せている少年に、リーズは言った。
「形見を返してくれたお礼よ。首飾りの代わりになるかわからないけど……どうかこれで勘弁してちょうだい」
「え…………これ、俺に?」
少年は変なものを見るようにリーズを見た。
「ええ。お母様の肖像画は差しあげられないけど、それ以外ならいらないから。内緒よ」
リーズはそう言うと、ようやく手を離した。
少年は驚いたように、初めてリーズをまっすぐに見つめた。鳶色の瞳が戸惑うようにわずかに揺れる。
「リーズ! どこなのリーズ!」
遠くで名前を呼ぶ声が聞こえ、リーズはそちらに一瞬顔を向ける。そして再び前を向いたときには、もう少年の姿は消えていた。
素早い。
ぼろを着たすりだったが、母のものだと言うと返してくれた。きっと心根は優しいのね。
「お嬢様……こちらにいらしたのですね!」
付き添いのメイドが駆け寄ってくる。後ろから姉のキャロルも怒った表情で向かってきた。
「こらリーズ! あれほど離れるなと言ったのに、言ってるそばからすぐにふらふらどこかに行っちゃうんだから! 迷子になったらどうするのよ。ちょっとリーズ、聞いてるの? リーズったら!」
姉に耳元で怒鳴られて、リーズは耳を塞いだ。
「……全く、うるさくて余韻にも浸れないじゃないの」
「なにが余韻よ……ん? あんた、なんで髪を下ろしているのよ」
リーズは肩をぎくりとさせた。横からメイドが「あら?」と不思議そうな声を出す。
「お嬢様、私がつけて差し上げたイヤリングが見当たりませんが……え、まさかブレスレットも……!?」
「む、夢中になって市場を歩いていたせいよ。いつのまにかどこかに落としてしまったのね」
「なんですって、落とした!? リーズ、あのブレスレットにはダイヤモンドがついていたのよ! ダイヤがいくらか知ってるの!?」
「ごめんなさいごめんなさい、私の不注意だったわ。もう落とさないように気をつけます」
「そんな言葉で片付けて……! お父さんがなんと言うかしら」
「そ、それよりも市場でおもしろいものを見つけたの。あっちの方よ、行きましょう!」
リーズはそう言ってごまかすと、露店の方へ姉とメイドを引っ張っていった。
ちらりと後ろを振り向いて人混みの中に少年の姿を探したが、もう彼を見つけることはできなかった。
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