虚飾ねずみとお人好し聖女

Rachel

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11. 綴れぬ返事

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 朝。
 リーズはいつものように食堂に下りた。父はいつもの席に座って新聞を読んでいる。「おはよう、お父さん」とリーズが挨拶をすると、父は「おはよう」と言って新聞を置いた。そして机の上の手紙を掲げながら言った。

「今朝お前宛てに手紙が来ていたぞ……ルカ、という人物からだ。知ってるか?」

 父親の口から出た驚くべき名前に、リーズはくわっと目を見開いた。

「なんですってっ!」

 思わず父親に飛びかかると、差し出された手紙をひったくった。
 宛名はきちんと“リーズ・シャレロワ”と書かれている。かつて手紙をもらったときと同じ筆跡。裏には知らない町の住所と一緒に“ルカ”という文字が並んでいた。
 とうとう、彼から手紙が来たのだ。あの裁判から2ヶ月と少し経っていた。

「やっとだわ……やっときたのね!」

 リーズは喜びのあまりにその場でくるくると回った。
 父はそんな娘の様子に呆気に取られていたが、肩をすくめると席についた。

「友達か?」

「ええ。この辺りに住んでいたんだけど少し前に遠くに移ったの。お手紙をくれたということは、きっとお仕事が落ち着いたんだわ」

「ほう、なんの仕事だ?」

「わからないわ、読んでみないと!」

 リーズは飛び跳ねるようにして食堂を出ようとした。

「えっお前、朝ごはんは?」

「後で食べるわ、部屋で読んでくる!」

 そう言って去っていく娘の後ろ姿を、シャレロワ氏はなんだか前にも見た気がした。

「それにしても、“ルカ”とは……男かあ」

 シャレロワ氏は手紙の差し出し人が男性名であったことにもの寂しい思いを抱えながら、給仕が持ってきてくれたスープをすすった。




 ドタバタと自分の部屋へ舞い戻ったリーズはパタンと扉を閉めると、書き物机の方に向かった。
 置いてあるナイフで丁寧に封を切ると、どきどきしながら中を開けた。ルカの字だった。

“親愛なるリーズ・シャレロワ様

手紙を書くのが遅くなったこと、ごめん。仕事に慣れてからと思っていたら、いつのまにか2ヶ月も経っていた。
あなたに心配をかけてしまっていたら申し訳ない。
私は今、ポレンタの町のタッシ商会で、帳簿をつけたり事務作業をしている。タッシさんの商会はあちこちからのワインを買い付けて、この町周辺の店や屋敷に卸している。リーズの親父さんもぶどう畑を持ってて、ワインを売買していたな。あれはどこの島と言っていただろうか。
タッシさんも他の従業員の人も、みんな良い人だ。今住んでいる下宿先もタッシさんの紹介だ。
ほんとうのことをいうと、最初に列車から降りた町で、悪事に巻き込まれそうになった。でもうまく逃げたから、今こうして手紙を書くことができている。
それから、実はあなたに謝らなければならないことがある。勝手にこんな真似をして怒られることは覚悟している。
実は商会に入るときに、姓があった方が良いと言われた。でも私はギュイヤールの名前もベロムの名前も使うことはできない。なんでもいいから自由に姓を選べと言われ、ほんとうに勝手で申し訳ないが、シャレロワの姓を使わせてもらうことにした。
タッシ商会は小さいし、社交界なんかにも参加しないから、商会の片隅で事務をしている私の名前が知れ渡ることはないはずだ。でももし同じ業界にいるあなたのお父上に知られてしまったらと思うと、私は恥ずかしくて仕方ない。それでまず、あなたにこの話をしておきたかった。
勝手なことをしてほんとうにすまない。
今更ではあるが、私の図々しい頼みを聞いてくれるのなら、あなたの家族に迷惑でないなら、このままルカ・シャレロワと名乗らせてもらえないだろうか。

ところでリーズは元気か。相変わらず兄君とダンスを、姉君とは劇場に付き合わされているんだろう。
あなたが社交界で良い人と出会って、この手紙を疎ましく思うのであれば、破り捨ててくれてかまわない。あのときあなたが私の幸せを願ってくれたように、私もあなたの幸せを願っている。
でももし、もしよかったら返事をくれたら嬉しい。姓のことに関しても、あなたが不快に思っていたら手紙にそう書いてほしい。
返事を待っている。

あなたの友人ルカ”

 リーズは読み終わった後、胸がぎゅっとするのを感じて手紙を抱きしめた。
 ルカ。あなたが無事でなによりだわ。それにルカ・シャレロワですって? 良いに決まってるじゃない。
 なによりリーズは、彼から返事を望まれているということが嬉しかった。
 リーズはそれから数回手紙を読み返すと、書き物机の前に座った。ルカからもらった手紙の隣に便箋とペン、インクを用意すると、早速“親愛なるルカへ”と綴る。それから手紙をありがとうと書こうとして、手を止めた。
 だめだわ、今は胸がいっぱいで、文章をうまく紡げない。
 リーズはペンを置くと、ひとまず朝ごはんを食べることにした。



 しかしそれから数日、リーズは何度も手紙を書こうとしたが、どうしてもうまく書けなかった。手紙のお礼と、自分や周りの人間の近況まではすらすら書けるのだが、それからシャレロワの姓のことになるとだめだった。
 “大丈夫、ぜひ使って”とだけ書けばよいのに、リーズはそれだけで終わらせたくなかった。
 彼にもっと寄り添った返事を書きたい。受け取って安心できるような内容にしたい。そう考えれば考えるほど書けなくなった。
 手紙だけではリーズの思いはとても伝えきれないのだ。


 手紙が来て2週間経つ頃、リーズの部屋の扉がコンコンと叩かれた。

「入るわよ」

 そう言って部屋に入ってきたのは姉のキャロルだった。

 リーズは手紙を握り締めたまま、ベッドにごろりと横になっていた。
 キャロルはそのすぐ横にトスンと腰掛けて、長い脚を組んだ。姉のしぐさは美しく、どんな姿でもほんとうに絵になる。

「あんた、最近まともに食事を取ってないんじゃない?」

「……なんだか食欲がなくて。水は飲んでいるわ。あとチョコレートも」

 キャロルはベッドの脇に置いてあるグラスとカップを見て「でしょうね」と呟いた。

「一体、なにを悩んでいるのよ。お父さんの話だと、友達から手紙が来てからずっと落ち込んでるらしいじゃない。なあに、失恋でもしたの?」

「ち、違うわよっ!」

 リーズは思わず首だけ起き上がって反論すると、またベッドに頭を戻してから答えた。

「……うまく返事が書けないの。相手が返事を待ってくれてるって思うと余計に。最初は途中まで書けたんだけど、今じゃ、宛名を書こうとしただけで手が震えてしまうの」

「手が震えるのはまともに食事をしてないからよ」

 キャロルはぴしゃりと言ってから少しだけ口調を和らげて続けた。

「うまく書こうとすると、手紙って書けなくなるものよ。私だって、マルグリット様に書くときは頭が真っ白になるときがあるもの」

「ほんとう?」

 むくりと起き上がって、リーズは目を丸くさせた。

「そういうとき、キャロルはどうするの?」

 キャロルは勝気な笑みを浮かべて「書くのをやめるの」と答えた。

「会いにいくわ、直接ね。その方がなにもかもちゃんと伝わるもの。友人の中には、会うと緊張してなにも言えないから手紙の方が良いという人もいるわ。でも私は逆。顔を合わせた方が漏らさずすべて伝えることができるもの」

「会いにいく……?」

 リーズは目をぼんやりとさせながらそう呟いた。
 キャロルは頷いてまた尋ねた。

「場所はどこなの? お父さんから国境の向こう側の町のようだとは聞いてるけど」

 リーズは手紙の差出人のところを姉に見せた。

「ポレンタという町。調べたけど、一度どこかで乗り継ぎをするみたい。とても遠いわ、行けっこないのよ」

 妹が暗い声で説明する。キャロルはそれに鼻で笑った。

「上等じゃない。会いにいく甲斐があるってものよ」

 リーズは目を瞬かせる。姉は本気で言っているのだ。
 リーズは困惑したように言った。

「……でも行き方がわからないわ。迷ってしまったら家にも帰ってこれないかも」

「ばかね、このルブロンの町の名前も自分の名前もわかるんだから帰ってこれるに決まってるでしょ。会いにいくまでが大変なだけよ……ポレンタね、マジェントの町から確か鉄道が出ていたんじゃないかしら。あそこには楽譜がたくさん売っているから、私も行くことがあるの。あんたも知ってるでしょ? 私がマジェントまで一緒に行ってあげるから、とにかくその人に会いに行きなさいよ」

「え……ほんとう!? キャロルが途中まで一緒に来てくれるの?」

 キャロルは妹の頭を撫でた。

「マジェントなんて、私にはなんでもないことだもの。新しい楽譜も欲しかったからちょうどいいわ。そうね、今週は公演の予定があるから、出発は来週になりそうだけど、それでもいい?」

「ありがとう、キャロル、ほんとうにありがとう!」

 リーズは姉に抱きついて繰り返し礼を述べた。
 キャロルはそんな様子の妹に小さく微笑んで、背中を優しく撫でた。


 リーズのポレンタ行きの話を残りの家族二人にすると、兄ジョゼフの方は「へえ」と目を丸くさせただけだったが、父は「ワインの卸売りをするタッシ商会か……気になるな。私も一緒に……」と言いかけた。しかしキャロルが恐ろしい顔で睨んだので、父は咳払いをして「交通費と宿代は出してやるから、気をつけて行ってこい」と言ってくれた。
 こうして、ルカから手紙が届いて3週間後、リーズは姉に伴われてポレンタへ向かったのであった。



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