虚飾ねずみとお人好し聖女

Rachel

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19. 焦がれた人

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 煌びやかなシャンデリアが天井からぶら下がり、豪華な音楽が流れている。ホールの真ん中で踊る人々は皆、これでもかというように派手に着飾っていた。
 今宵は貴族のローラン伯爵邸で豪華な舞踏会が開かれていた。
 そのホールの端に並べられている料理やワインのテーブルの前で、リーズは顧客の相手をしていた。


「あなたのところのワイン、美味しかったわあ! 近くの島の商品も飲んだけど、味の深みから香りから全然違うもの。ね、なにか特別なことでもしているの? 私だけに教えてくれない?」

 出たわね。リーズは顔に出ないように気をつけながらできるだけ上品な笑みを浮かべて、目の前にいる老婦人に答えた。

「いいえ、造る行程は他の醸造所と全く同じですわ。島にいる父からは太陽の向きや育て方、土に気を配っているとは聞いていますけど」

「あらそうなの、そんなものであんなに変わるものかしらねえ。いいわ、似たような味のワインを探してみるから。いい方法を見つけたらあなたにも教えてあげる」

 大きなお世話です、とは言わずに「ありがとうございます」と言ってまた微笑む。すると、老婦人はやっと目の前を去っていった。
 リーズは心の中でふうと息を吐いた。

 まったく、お年寄りの貴族ってどうしてこう、なにかしら教えたがるのかしら。こちとら商売しているんだから素人よりはよっぽど知識はあるわよ。

「こんばんは、シャレロワ嬢」

 リーズは呼ばれて振り返ってから、「ぎえ」と言葉が漏れるのをなんとか堪えた。
 目の前にいるのは、先日別の夜会で話した紙工場主の次男だ。彼は遠回しに求婚まがいのことを言ってきたので、リーズはばっちりと断ったのである。名前はローエルだったか、ローカルだったか、もう忘れてしまった。

「まあこんばんは。ええと奇遇ですね、まさかここでお会いするなんて。私はちょっと用事が……」

 リーズはうふふと愛想笑いを浮かべながら一歩下がったが、彼は一歩前へ進んできた。

「おやおや、私の名前をお忘れですか? ロイドルですよ、ヤン・ロイドル。どうか覚えてください」

「……なにかご用でしょうか、ロイドル様」

 もちろん口角を上げているが、客ではないと思うと声に張りが出ない。つくづく自分が社交場に向いていないと感じる。

「あいかわらずつれないお方だ。先日の話のお返事を聞かせていただきたいのです、シャレロワ嬢。あなたの美しいお声に、私はもう骨抜きなのです。どうかこの先の人生、私の耳に潤いを与えてくれませんか」

 リーズは手袋を嵌めた自分のこぶしに力が入るのを感じた。んまあ、この男! 前に美しい顔だ、一生隣で眺めていたいと誉めてきたから“お断りします、私よりもあちらの女性の方が美しいですよ”と言って私が逃げたから、今夜は顔は褒めずに声に称賛を向けている。苦し紛れにもほどがあるわ!
 しかしリーズは顔には怒りを出さずに笑みを浮かべて低い声で言った。

「ごめんなさい、私にも自分で結婚相手を選ぶ決定権がありますの。どうか諦めてください。それに、美しいお声をお求めなら、ここではなくまず劇場にいらしたらいかが?」

 そう言って、リーズはさっと身を翻すと令嬢たちがひしめく壁際の方へ逃げると、人混みから彼が諦めてその場を去るのを確認し、やれやれとため息を吐いた。


 リーズがこうして夜会に出向くようになって、もう二年が経っている。できればこのような社交場は避けたいと思っていたが、商会を経営している以上そういうわけにもいかない。
 今夜はこの屋敷の主人である伯爵ローラン氏に、夜会でぜひシャレロワ商会のワインを出したいと言ってもらった手前、欠席するわけにはいかなかった。
 商会主である父は、手紙だけはまめに送ってくれるが、あいかわらず島に居着いたまま帰ってこないので、ルブロンの町での取引はもっぱらリーズが行っている。まあそのかわりに、売り上げの半分は私の自由に使わせてもらっているけど。

「失礼、シャレロワ嬢かしら」

 ふと横から声をかけられ、リーズは振り向いた。

「これは、ローラン伯爵夫人」

 夜会主催者の奥方を前に、リーズは慌ててお辞儀をした。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ご主人にはホールに入ってすぐに挨拶させていただいたのですが……!」

「いいのいいの、私もばたばたしていたから。今夜はワインの提供をありがとう。やっぱり結構人気があるわよ」

「こちらこそ、ごひいきにしていただいて恐縮でございます。お気に召していただけたのであれば……」

 リーズは笑顔を浮かべて途中まで言いかけたが、夫人はなにやら言いたげだ。

「あの、もしかして商品の方に不都合でもありましたか?」

「いいえ、そうではないの。ただね」

 夫人は迷ったように顎に手を当てながら言った。

「去年の聖誕祭に、田舎から姪がうちに遊びにきたのだけど、あなたのワインをとても気に入ったのよ。ぜひ買いたいと言っていたわ」

「うわあ、光栄ですね。どちらにお住まいでしょうか」

「セールヌよ」

「そこまで遠くないですね。きっと早いうちにお届けできると思いますよ」

 リーズがそう言うと、夫人は言いづらそうに眉をしかめた。

「そうね、そうなんだけど……姪が嫁いだのは田舎の子爵家で……あまり羽振りが良くないらしいの。樽はもちろん、その、うちにみたい箱では買えないと思うわ。うちで買った物を届けると申し出たんだけど、姪はがんとしてそんなものは受け取らないと言ってきかないのよ。変なところでプライドが高くて」

 貴族の家柄だ、施しは受けたくないと思うのだろう。私だったら姉キャロルからの贈り物は年中受け取ってるけど。
 ローラン夫人は「その、それでね」と咳払いをしながら続けた。

「安くしてほしいなんてはしたないことは言わないわ。私が訊きたいのは……その、シャレロワ商会は、何本から売ってくれるのかしら? やっぱり最低でも12本になるのかしら」

 遠慮がちにそう尋ねてきた夫人に、リーズは笑みを浮かべて「奥方様」と言った。

「うちの商会はどのお客様も変わりないお値段でお買い上げいただいております。そしていくらの物をどれほどお買い上げいただいても、等しく我が商会のお客様であることには変わりありません。姪御さんが買いたいとおっしゃってくださったのであれば、もう彼女は私のお客様です。もちろん1本からお届けいたしますよ、ご安心ください」

 ローラン伯爵夫人はそれを聞いて嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ありがとう……! あなた、素敵ね。私は単に夫に言われてワインを飲んでいただけだったけど……これからは、社交場で出すワインをシャレロワ商会のものにするようにみんなに言っておくわね!」

「あ、いえ! そんな、ことまで、していただかなくとも……」

 リーズは、まずいことを言ってしまったかなと冷や汗が流れるのを感じた。このまま話していれば、そのうち夜会やお茶会に招かれてしまうかもしれない。気持ちは嬉しいが、それは避けたい。

「そ、それでは、姪御さんの住所は改めてお伺いしますね」

「そうね、姪にも確認の手紙を書いておくわ」

 このとき、「これはローラン伯爵夫人、ご無沙汰しております」と、見知らぬ紳士が入ってきた。
 リーズはチャンスとばかりに「ではごきげんよう」と言うと、脱兎のごとくその場所から立ち去った。

 危なかったわ。客が増えるのはいいが、これ以上社交の場に出る回数が増えるのは困る。ローラン夫人から逃げてきたリーズは、ホールの後ろの方に避難した。
 ロビーに近いこの辺りは、おしゃべりやダンスに疲れた老夫婦や物静かそうなご婦人などがぽつりぽつりと立っている。ここなら誰にも話しかけられることはないわね。
 リーズがほっと胸を撫で下ろしたそのときだった。

「失礼、シャレロワ嬢。どうか一曲、お相手願えませんでしょうか」

 げ、という顔を浮かべるのをなんとか堪えて、リーズは振り返りながら言った。

「ごめんなさい、私ちょっと疲れてしまっ……」

 途中で言葉を途切らせ、リーズは目を見開いたまま固まってしまった。目の前には、ここに絶対にいないはずの人物が立っていた。

「ル、カ……!?」

 リーズは驚きの声を漏らした。

「ど、どうして……いつからここに? 嘘、ほんとにルカよね?」

 彼は数年前と同じように、きちんとした夜会服に身を包んでおり、鳶色の目でこちらを見ている。正真正銘のルカだ。
 それでも信じられないとばかりにじろじろと上から下まで見ているリーズに、ルカはくくっと笑った。

「ほんとに俺だよリーズ。昨日列車で着いたばっかりだ。ここに来たわけはーー後で説明する。それよりリーズ、その……よかったら踊ってくれねえか。俺、あんたともう一回、ダンスをしたかったんだ」

 青年が差し出した手に、ぽかんとしていたリーズだったが、すぐに「もちろんよ! まさかまたルカと踊れるなんて!」と嬉しそうに自分の手を重ねた。

 ダンスホールで音楽に合わせてくるくると踊るというのは、ルカにとっても、そしてリーズにとっても久しぶりだった。リーズは兄がいなくなってからはほとんど踊らなくなっていた。
 その一方で、二人のダンスは三年前のあの夜会のときとは大きく違った。ルカのリードはとてもうまく、二人の息もぴったりで、リーズは自然に笑みが溢れた。夜会に出る回数は最近になって驚くほど増えたが、心から笑ったのは初めてだった。


 踊り終えるとルカは「ありがとう」と言って真面目な顔になった。

「俺さ……あんたに話さなきゃならねえことが山ほどあるんだ。今夜はまだ仕事はあんのか?」

 リーズは首を振った。

「いいえ、ローランのご主人には最初に挨拶したし、夫人にもお会いしたから大丈夫……そうだわ、このお屋敷にはとっても素敵な庭園があるのよ! そこにいきましょ」

 リーズがそう提案したが、ルカは「あーいや、庭園はちょっとな」と言いにくそうな顔をした。

「その、さっき見たら先客がいたからよ……そこのバルコニーにしようぜ」

 しかし、ルカとリーズがバルコニーに出ようと扉を開けると、すぐそこで熱烈なキスを交わしている男女が目に飛び込んできたので、二人は慌てて引き返した。

「ったく、これだから春の夜会は苦手なんだよ……どいつもこいつも」

 嫌そうにぶつぶつ呟くルカに、リーズはふふっと笑った。

「そういえばルカも、いつかの舞踏会でそんなことがあったわね」

「え、俺が? …………あっ!」

 ルカは、かつてベロム伯爵の罠に嵌められて娼婦との情事をリーズに見られたことを思い出し、顔を真っ赤にさせた。

「頼むからそういうことは忘れてくれよ……なんで覚えてんだ」

「ふふっ、あの後追いかけてきてくれたことも覚えてるわ。懐かしいわね」



 結局二人はロビーまで出てきて、空になっている長椅子を見つけ出し、横に並んで腰を下ろした。

「ルカが元気そうでよかったわ……ごめんなさい、手紙の返事を出してなかったわよね」

「あ、いや。その、仕事で忙しいんだから仕方ねえなって思ってた。俺も同じ業界だからわかるよ」

「ありがとう。商いはおもしろいけど、私はつくづく社交界に向いてないって思うわね。兄みたいに一晩中ダンスは踊れないし、姉ほど音楽の話はできないもの。でも、父は私がこうして商会を回してることを喜んでくれてるみたい」

「実はさ」と、ルカは俯きながら言った。

「去年の秋、俺、仕事でベルセルク邸の試飲会に行ったんだ。そこであんたを見かけた」

「ベルセルク邸って……ええっ!? 王都の方よね、あそこにルカも来ていたの!?」

 リーズが驚きの声をあげたのに、ルカは頷いた。

「リーズは2階にいただろ。俺はずっと1階にいたんだ……あんたがすんげえきらきらした連中と一緒にいて商談してるのを見て、立派に商人やってるんだなって思ったよ」

 リーズは目を丸くさせた。

「まあ、そうだったの。でもそれなら話しかけてくれたら……」

 よかったのに、という言葉をリーズは飲み込んだ。あのときは確か、他の商会の人たちや客の態度がひどかったから、ものすごくいらいらしていたんだった。
 リーズは咳払いをした。

「いいえ、だめ。だめだわ。私、あの晩は最悪な女だったから。私につっかかってきた若い貴族の男性を泣かせちゃったの。あなたには姿を見られただけでよかったのかも。きっと2階まで上がってきていたら、私のことを嫌いになったと思うわ」

 リーズの正直な言葉に、ルカは「待った……貴族の男を泣かせたって?」と目をぱちくりさせた。

「ええ、わざとじゃないのよ。嫌味を言ってきたから、嫌味で返しただけ。そしたらぐすぐす言い出して、その後大変だったんだから」

 ルカはあっけに取られた表情をしていたが、声をあげて笑い出した。

「なんだよそれ、そんなおもしろそうなことになってたのか……やっぱり、2階に行けばよかったな」

「な、なにを言うのよ、今の私の話聞いてた?」

「話を聞いたからそう思ったんだよ。ほんと、あんたは予想の斜め上をいくな……悩んでたのがばかみてえだ」

 悩んでいた? どういうことだろうとリーズは思ったが、ルカがくくっと肩を震わせて笑っている様子に、彼女の顔にも自然と笑みが浮かんだ。リーズは、彼のこの屈託のない笑みが好きだった。

「それで……昨日ルブロンに着いたんですって? 今はどこかホテルに泊まってるの?」

 ルカは笑いを収めてから「ホテルなんてご大層なもんじゃねえさ」と答えた。

「中心街にある小さい宿に泊まってる。安宿だけど、まあザンキさんの作るメシよりはうまいかな」

 そう軽口を叩いた後、ルカは少し目を逸らして「それからさ」と一度切ってから先を続けた。

「あの、さ。昨日、その……行ったよ、孤児院に。トマの墓も見てきた。あんたが建ててくれたんだろ、あれ全部」

 リーズは、はっといたずらがばれたような表情をした後、苦笑いを浮かべた。

「ええ……そうなの。商会を手伝う条件として、父と話をつけたのよ。放置されていたお墓の整備と、家のない子たちが安心して住めるような孤児院を建てること、そしてその運営を私にさせること。その資金を売り上げから工面するって条件をのむなら、シャレロワ商会をとことん手伝うと約束したの」

 ルカは穏やかな目で「そうだったのか」と言った。

「あいつの墓見てさ、すぐに聖女様の仕業だってわかったよ。俺、ほんとに嬉しくてさ……そこまでしてくれたわけをきいてもいいか」

 リーズは「わけ、は」と言うと、青年から顔を背けてまっすぐ前の壁の方を向いた。

「孤児院というか、路上で暮らす子たちに家があればと考えていたのは、あなたと再会したときからずっとよ。トマさんの話を聞いて、少しでも病気でつらい思いをする子がいなくなったらと思ってた。それから、他の国なんかでは孤児院でひどい虐待が行われることもあるって聞いてたから、運営も私が引き受けたの。まあ、今配属されてる司祭さんもシスターも、それに墓守りさんも良い人たちなんだけどね」

 リーズはそこまで言った後、ドレスの皺を伸ばして続けた。

「それで……お墓をきれいに建て直したのは……もちろん建て直す必要があると思ったから。ほんとよ。あそこを見たとき、自由に使えるお金ができたらやろうと思ってた。でも……でも、ほんとのことを言うとね、その、あなたにこの町に、も、戻ってほしかったからなの」

 ルカは目を細めてリーズを見た。彼女はルカに横顔を見せたまま俯いていた。

「ルカはもうルブロンには戻らないって決めていたのに、笑っちゃうわよね。良い思い出もないから早く出たいって言ってたことも覚えてる。それで、あなたのこの町への唯一の未練がトマさんのお墓だったでしょう……だからそれにすがるしかなかったの。恥ずかしいけど、私は世間で言われてるような高尚な思いで墓を建てたんじゃないのよ。あなたに手紙を出せなかったのは……“墓を建て直したから帰ってきて”と書いてしまいそうだったから。あなたのトマさんへの友情を利用しているって罪悪感があったから、どうしても書けなかったの」

 リーズはまた膝の上のこぶしをぎゅっと握りしめた。
 ルカは「それで、か」と言ってほうっと息を吐いた。そして自分も正面を向くとくつろいだように足を投げ出した。そして戯けたように言った。

「まいったな……そんなの聞いたら俺、調子に乗っちまうぜ? ベロム伯爵と話をつけてこようかとは思ってたけどよ」

「そ、それも、もう済んだの」

「えっ?」

 ルカは後ろに寄りかかろうとしていた上半身をぱっと起き上がらせて彼女を見た。
 リーズは青年の方には顔を向けられず、目を伏せたまま言った。

「実は私、ポレンタから戻ってきてすぐにベロム伯爵と話をしたの。勝手なことをして悪かったわ、でも……伯爵とよく話して、ルカがこの町に帰ってきたとしても咎めないと約束してもらったわ。彼はもう今は公の場に姿を見せていないの、リンヌ湖畔の田舎で過ごしているらしいわ」

 ルカは目を見開いた。
 あの男がもうこの町にいない!? 奴に約束を取りつけただって?
 ルカがこの町に帰ることに抵抗があった一番の理由はこれだった。ルブロンに戻るということは、べロム伯爵との約束を違えることになる。二度と戻るなと言われていたから、もし対面してしまったらどうしようと思っていた。しかしその懸念はもうなくなったということだ。
 ルカは隣の女性を見た。彼女は自分が恐れていたことをいつのまにか解決してくれていたのだ。

「あんた……そんなに俺に戻ってきてほしかったのか」

 リーズはばつが悪そうに「ええ」と頷いた。

「ルカがポレンタの町で馴染んでいるということはわかってたわ。あなたの勤め先も下宿先も、みんな良い人たちばかりだったもの……でも私は、あなたがルブロンに帰るのを願うことはやめられなかった。いつかあなたが帰ってきたときに喜んでもらえるにはどうしたらいいかって考えていたの。一時の里帰りのつもりでも、やっぱりここに残ると言ってくれるようにって……。ほんと、独りよがりよね」

 最後の方は自嘲するような言い方だった。
 少しだけ沈黙が流れた後、ルカが「リーズ」といつになく真面目な目をして彼女を見た。

「確認しておきてえことがある。あんた、俺の過去を知ってるよな。この町で俺がどんなことをしでかして生きてきたのかってのは昔直接見ただろうし、その後どうなったかってこともベロム伯爵から聞いたんだよな」

 リーズは目を瞬かせてから頷いた。

「ええ、ひと通り聞かされたわ、詐欺とか賭博、贋金、あと女性を騙すとか……その辺りは嘘か嫌味かわからなかったけど。その後ルカが牢にいたとも言っていたわね。それに新聞ではあなたの生まれについても読んだわ」

 ルカは「そうだったな」と言った。

「それを……俺の過去を知った上で、あんたは俺にここにいてほしいって思ってくれてんだよな?」

 リーズがこくりと頷いたのを見ると、ルカは息を吐いて穏やかな表情を浮かべた。

「俺はさ……最近までずっと、生きることで精いっぱいだったんだ。どうやったら金を稼げるか、どうしたらもっとうまく人を騙せるかってことばっかり考えてた。今でもまだ頭によぎることがあるーーいや、実際はしょっちゅう考えてんだ……すれ違った男の懐から財布を抜き取って、走って逃げる行程まで考えちまう。もう……習性になってんだ、自分でもどうにもならねえ」

 ルカはそのことを心底嫌だと思う気持ちと誇らしいと思う気持ちがない混ぜになったような口ぶりで語った。
 リーズは「だって」と思わず言った。

「それがルカなんだもの。そうやって生きてきた年数の方が長いんだからあたりまえだわ。大事なのは、ルカが実際には行動に移してないことでしょう」

 ルカはふっと笑った。

「タッシ商会の会長にもそう言われたよ。君は善悪の判断がついてるから大丈夫だってな。けどよーー俺が道から外れたことをやろうとして、だめだ、やっちゃいけねえって踏み止まれるのはーーリーズ、あんたがいるからなんだぜ」

「私……? 手紙でそんなお説教みたいなこと書いたかしら」

 リーズがきょとんとした表情を浮かべたのに、ルカは「いいや」と首を振った。

「そうじゃねえ……あんたがいつだって、俺を信じてくれたからだ。読み書きのできる仕事が見つかるなんて、俺は無理だってはなっから否定してたんだぜ。あんたができるって言うから、俺はポレンタでああいう仕事ができたんだ」

「そんな、それは違うわ、あなたに実力があったからよ。あなた自身にその力があったから……」

「それだ」

 リーズの言葉を遮ってルカは言った。

「あんたはそうやって、俺には力がある、できるって言ってくれただろ。まさかまっとうな生活を三年もおくれるなんざ思ってもみなかった……シャレロワの名前だってそうだ、あんたたち親子が快く使って良いって言ってくれた名前。あれで俺は何回も悪事の手前で踏みとどまった。シャレロワ様々だ」

「そ、そう……?」

 リーズは戸惑いの表情を浮かべていた。ルカがなにを言いたいのか計りかねているのだろう。

「それで、俺が言いてえのは……その、ここに来たわけは、リーズ、あんたに感謝を伝えたかったっていうのと、その…………」

 ルカは急に歯切れが悪くなった。そして少し沈黙して考えていたかと思うと「うあああ、くそっ」と悪態をついてせっかくきれいに撫でつけたであろう髪をぐしゃぐしゃにしてしまった。

「だ、大丈夫よ、ルカ。ゆっくり話して。なにかあったの?」

 リーズがそう言うと、ルカは「悪りい……なに言ってるのかわかんねえよな。順々に話すよ」と頷いた。

「実はさ……一週間くらい前に、会長のタッシさんが俺に縁談の話をしてきたんだ」

「縁談ですって!? あなたに!?」

 リーズがくわっと目を見開いて思わず身を乗り出してきたのに、ルカは少し身を逸らしながら「そ、そうだよ」と答えた。

「どうやらベンの差し金だったみてえだがな。大尉がーー会長の兄貴が俺に女を紹介するとも言ってきたんだ。だけど、俺にはそんな……誰かと結婚するなんざ無理だって思った。町を移って、ルカ・シャレロワとしてまっとうに働いてきたけど、ほんとうの俺を知らねえ奴と一緒になったって疲れるだけだって。だから断った」

「そ、そう」

 リーズはほっとしたような表情になって長椅子に座り直した。
 ルカは続けた。

「それでさ……この俺に縁談の話が来るくれえだろ、社交界にいるあんたはそういうのひっきりなしだろうなって思ってさ。その、あんたから手紙の返事が来ないのは、もう結婚しちまったからなんじゃねえかって思ったんだ」

 リーズはなにも言えなかった。
 ルカは私が社交界の花みたいな存在だとでも思ってるのかしら。そもそも正式な縁談の話など来ない。リーズ自身が客以外と関わろうとしないからだ。もちろん客とも商売の話しかしない。それに夜会でのお世辞に満ちた求婚は片っぱしから断っている。さっきのロイヤルだかローカルだかは忘れたが、あの男の申し出もはっきり断った。
 リーズはそれを言うべきか迷ったが、ルカは先を続けた。

「前はさ、あんたが誰かと結婚したら祝福しようって思ってた。ほんとに、心から幸せを祈れる自信があったんだ……けど、いざそう考えたら結構きつくてさ。あんたは俺のことを好きだって言ってくれてたのに、あのときなんにも考えなかった自分がばかだったなあって思ったんだ……この町に戻ってきたのは、あんたに会うのが目的なんだ。結婚してるかもしれねえってのに、俺はどうしてもあんたに会いたかった」

 ルカの言葉にリーズは瞳を揺らした。ルカは鳶色の瞳でじっとリーズを見つめたまま言った。

「この町に戻って、今日あんたに会って、夫も恋人もいねえってわかると安心しちまった。あんたの顔を見て、一緒に踊って、話をして……今更なにを言うんだって思うかもしれねえけど、やっぱり俺にはリーズしかいねえって思った。他と比べてとかじゃねえ、あんたしかだめだって思ったんだ」

 一生懸命に言葉を紡ぐルカを、リーズは食い入るように見つめていたが、やがてぱちりと目を閉じてしまった。

「え……リ、リーズ? どうした? い、嫌だったか?」

「いいえ、そうじゃない、そうじゃないの」

 リーズは目を閉じたまま首を振った。

「夢じゃないかと思ったの。あなたが、まさかそんな風に思ってくれていたなんて。この幸せの瞬間を忘れないわ」

「んな、大袈裟な」

 リーズが目を開けると、ルカは少し照れたように頬をかいている。彼を愛おしそうに見つめてからリーズは言った。

「ありがとう……でもね、ルカ。前にも言ったけど、私はあなたになにかしてもらいたいとは思っていないのよ。私、自分が外堀を埋めすぎてるっていう自覚があるの。あなたがもし恩を感じて、私の望む通りにって考えてるなら、それはやめてちょうだい」

「……え?」

「向こうでのお仕事もあるだろうし、無理に私のわがままに付き合う必要はないわ。お墓を建てたのも、ベロム伯爵と話したのも、私が勝手にやったことだもの。あ、安心して、私は商会を継げと言われてるわけじゃないし、商会のために誰かと結婚なんて絶対にな、い……」

 リーズは途中で言葉を途切らせた。ルカがしかめ面をしてこちらを睨んでいたからである。

「おい、あんた、ほんとは俺にその気がねえって思ってんのか。わがままに付き合う? 俺がそんなにお人好しだって? 恩なんざ考えるかよ、俺がどんな覚悟でこの町に来たと思ってんだ。ポレンタにはもう戻るつもりはねえんだぞ」

「え……?」

 きょとんとした表情を浮かべるリーズに、ルカはすっくと立ち上がると、彼女の正面に回って言った。

「いいか、リーズ。こんなこと、小っ恥ずかしいから二度も言わねえからな、よく聞けよーー外堀を埋めたのもなんもかんも含めて俺はあんたがいいって言ってんだ、あんたに本気なんだよ。友達だなんて名乗ってたらいつまでも虫が寄ってくるからな、その……できれば俺は、あ、あんたのお、夫になりてえんだ。この意味がわかるか? しょ、商会の手伝いも少しはできると思うから、さ」

 リーズはぽかんとした表情で目の前に立つ青年を見つめた。
 私の……夫? 彼は今そう言ったのだろうか。
 顔を真っ赤にさせているが、鳶色の瞳はどこまでも真剣だった。遠回しではない、今のは完全に求婚である。

「わわ、私」

 リーズもつられて、かあっと赤面する。強い眼力に、さっと目を逸らす。

「う、嘘……ほんとう? だ、だって、わた、私……ちょ、ちょっと待って……」

 リーズは照れた様子でわたわたと無駄に座り直したり、忙しなく手を振り回したりなど無意味な行動を繰り返した。
 やがて深呼吸するとすっと姿勢を正し、座ったまま膝に乗せている両方のこぶしをぎゅっと握ると、正面に立つルカをまっすぐ見た。
 しかし改まって口を開こうとしたが、喉の奥からはなにも発することはなかった。そのまま数秒過ぎた後、結局リーズは両手を顔に当てて、そのまま自分の膝に突っ伏した。

「ご、ごめんなさいほんとに」とくぐもった声がする。

「大事なことだから、ちゃんと答えなきゃいけないってわかってるんだけど、ずっと焦がれていたあなたにそんな風に言われるなんて、ものすごく嬉しくて……死んでしまいそう」

 リーズの言葉に、ルカは拒絶されているわけではなさそうだと安堵の息を漏らす。

「よかった、断られちまうかと思った」

「まさかっ!」

 ルカの呟きにリーズは飛び起きると、慌てたように青年に言った。

「あなたと結婚します! 絶対に! なにがあっても!」

 リーズが勢いよく言い切った言葉に、ルカは目を瞬かせると、くくくっと肩を震わせた。そして彼女の隣に座り直しながら言った。

「そりゃどうも……必死だな。迷いもしねえのか」

「あ、あたりまえじゃない! こんなチャンス、二度とないわ。前言撤回なんて言わないでよ」

 ルカはリーズから目を逸らすと、照れたように「チャンスってなんだ」とすっかりぐしゃぐしゃになった頭に手をやった。

「……あんた、俺が財産目当てだとか思わねえのかよ」

 髪を直しながらルカがそう尋ねると、リーズはきょとんとした顔をした。

「むしろ私は全財産をルカにあげたいと思ってるもの。でもそういうお金で釣ろうとする女は、ルカは好きじゃないと思って……」

 ルカは手を止めて目を瞬かせると、首の後ろをかいて「あんた、ほんとに俺に甘いな」と言った。

「どうしたってわかんねえんだけど、なんでそんなに俺のことを気に入ってくれたんだよ。今はこんな服着てるけど、もとはどぶねずみみてえな男なんだぜ」

「まあ、ルカったらそんな風に思ってたのね。大丈夫、私は一番最初にあなたに会ったときから、ずっと好きだったから」

 ルカは赤い顔で「はあ?」と眉を寄せた。

「あんたおかしいぞ、首飾り盗もうとしたやつを普通好きになるか?」

「そうね、もし返してくれないままだったら、きっとこの世で一番憎い存在だったかもしれないわ……でもあなたはそうじゃなかった。ちゃんと返してくれたもの」

 リーズはふふっと笑ってから隣に座るルカの腕に手を触れると、真面目な表情を浮かべた。

「ね、ほんとうに心変わりしないわよね? 私が哀れに見えたから、とかじゃないのよね? もう見送るのも、見送られるのも、その度に泣くのもごめんだわ」

 ルカもリーズの方に向き直ると、笑みを浮かべた。

「本気だって言っただろ。あんたのおかげでこの町に堂々と住めるんだ……もう逃げたりしねえから安心してくれ」

 そう言って、ルカはリーズの手を取ってぎゅっと握った。
 リーズには、それがまるで自分の心をぎゅっと掴まれたように感じた。それに自分の手を重ねてみる。
 私は確かに、あのときもこの手を掴んだのだわ。前は首飾りを返してもらうためだったが、今は違う。もう絶対に、この彼の手を離したりはしない。
 リーズは「約束よ」と呟いてから目から涙を溢れさせてしまった。突然の涙はルカを動揺させたが、リーズは嬉しくて幸せな笑い声をあげた。







今回の話で終わりのつもりでしたが、もう一話つけることにいたしました。
次回で最後になります。


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