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8 やっと終わった『相談事』という話。

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「最初に挨拶に行った時、確かに笑顔で見てくれてて嬉しかったです。なんだか歓迎されてるんだなあって思えただけでも研修も頑張れました。」


「そうだね、三人も一緒に来てくれて心強いだろうなあって思ったし。私たちも皆三人も来てくれるって分かってうれしかったんだから。」

私たちも三人だった。
男一人女二人。
最初からいろんな話が出来て落ち込んでも励まし合い、助け合い。
そして、この三ヶ月は愚痴を聞いてもらい頑張れと言われ。
同期ってありがたい、本当に二人にはいろいろ聞いてもらってる私。


懐かしい自分の新人の頃の記憶が出てくる。
私の指導先輩は異動になって今はいない。
でも認められたいって強く言えるほどだったかと言うと・・・・。

どうだったかな?


目を閉じて思い出そうとしたら、どんどん背中は丸くなったみたい。
目を開けた時にはグラスが目の前にあった。


「真面目だね、頑張り屋さんでもあるんだね。そんなところも彼女はいいなって思ってくれるんじゃない?」


私も目の前のグラスに語りかける。



「だから・・・認めてもらえるくらいになったら、ちゃんと伝えたいって思いました。」


「そうなんだ、私には伝わったけどね。」

やっぱり断ったんじゃなかった?保留?そんな返事ってあり?


「まだちゃんとは伝えてないです。」


「うん?そう?じゃあ、楽しみだろうね。」

彼女は待ってるのかもしれない。


よし・・・・ゆっくり背中を伸ばした。

それでも肘をついてる、ダラダラが止まらない。

これが相談だったの?
私の全力安心成長したよって言葉でも出たら次のステップにとか、そんな感じ?

ならいいよ、もう踏み出してもいいと思うよ。


「ああ・・・眠い。なんだか・・・やっぱり飲み過ぎた。最後の一杯は諦めるべきだったなあ。」


瞬きがゆっくりになるのが分かる。


「僕だって春のあの日に呉さんの綺麗な笑顔を見ました。よろしくとか頑張ってとか、そんなセリフが自分にだけ聞こえるくらいの笑顔でした。」


「まさか・・・・頑張ってとは思ったかな?去年の子たちが皆辞めたからね、残念だったし、やっぱり寂しいしね。」


「呉さんは僕たち三人を見てたんですか?」

「もちろんそうよ。女の子が一人かぁって思ったからね。」


思い出のシーンは目を閉じてしまいそうになり、危険だ。


「そうでしたか。」



「でも僕はずっと呉さんと目が合ってた気がしたんです。」


「いやあ~、しないしない、合ってないよ。」

多分ね。

爽やかだとは思った、笑顔もいいと思った。
でも他の二人だって見てた。
印象は・・・まあいいってくらいで・・・どうだったかな?



「だから指導担当だと言われた時はドキドキしました。」


「そう?美羽が担当でもそうなったでしょう?」


「いえ、それはなかったと思います。」


なんでよ、あ・・・私が怖そうだったとか、冷たそうだったとか?
そっちのドキドキ? 
笑顔だったと思うけど、最初は笑顔だったよ。
すぐに凍り付いたけどね。
滅多に緩まなかったけどね。


はぁ~、もう面倒だなあ。
だるいなあ、眠いなあ。

ため息も出るし背中も丸くなるしテーブルが誘うように近くなる。


「富田林君は近いんだからいいとして・・・・私はこれから電車に揺られて運ばれて歩いてお風呂に入って、もう本当にいろいろしないと眠れないなんて。」


その辺分かってる?

「バリバリ仕事をしてたらその内大垣くらいには人気が出るかもね。良かったね。私だけじゃなくて部長も認めてくれるよ。だから頑張って・・・みるよね?」


「自分なりに頑張ります。そんな上じゃなくても、呉さんにもっと安心して見てもらえるように。」


「はいはい。」


やっぱり後ろ向きな話じゃないらしい。
じゃあ、もういいか。
別にいいか。



ゆっくり目を閉じた。
最悪の相談内容じゃないみたいで安心したし、やっぱり飲み過ぎたんだから。

富田林君が席を立つ気配を感じてた。
トイレだろうと思ってた。


戻ってきた富田林君に聞かれた。


「呉さんトイレは?タクシー呼びました、会計も済んでます。」

タクシー・・・・?
いくらかかるの?
でもたまにはいっか・・・・。
お会計・・・の前にトイレに行こう。


「トイレに行ってくる。お会計は月曜日にお願い。」


ふらりと立ち上がり自分の荷物を持って指さされた方向に歩いて行った。
後ろからついてきてくれてるのも分かる。


トイレから出て、きょろきょろすると戻って来てくれた。


「外で待ちましょう。」 

そう言って腕をとられた。


「大丈夫よ、眠くてだるいだけ。ふらついたりはしないから。」

腕を離してもらった。

タクシーが来て名前を言った富田林君。

一緒に乗り込んだけど、何で奥に行くの?


運転手さんに伝えたのは自分の住所じゃない、だとすると富田林君の住所だろう。

そうなると歩道側の私が一度降りなきゃいけないじゃない・・・・、その辺はちゃんと教えた方がいいよね・・・また今度ね。
営業の基本よ・・・・・ボンヤリしても忘れないから。


しばらく座席にもたれて目を閉じていた。
富田林君のいつもと変わりない声で運転手さんへの誘導の声が聞こえる。

お酒が強いっていいよなあ。
たくさん飲めるじゃない。
もう会社の奢りなんて言ったらどこまでも飲みたいのに、残念、四杯くらい過ぎると眠気が来るんだから。


そんな話を嵯峨野さんともしたのに、夜にお酒を飲むこともないまま、ランチのちょっとした一杯だけ。
でも毎回美味しいレストランで食事が出来てるんだからいいけどね。
会話が途切れて変な間が空くこともないよね、嵯峨野さん、いつも笑顔だった?
私も笑顔だったよね。

何か変だった?


友達の話をしたり、最近の後輩の失敗の話をしたり、他には今までのたくさんの思い出の中から楽しかった事、面白かった事を話したり。
もっとお互いの個人的な今の話もしてるはずなのに、すぐには思い出せない。
仕事の事も含めて、あんまり踏み込んではいないかもしれない。

弟さんの話が出た時にちょっとだけ聞いてはみた。


年の差と住んでるところくらい。



あとは・・・・。



タクシーが止まった。

「ありがとうございました。」

そう言って支払いをする富田林君。
全く話はせずに富田林君は自分の部屋に着いたらしい。


一度料金はリセットされるらしい。


体を起こして一度車の外に出た。

降りてくる富田林君を待ってたらお礼を言ったあと、ドアが閉められて。


あああ・・・・待って・・・・・。


すっかりタクシーで帰るつもりだったのに。


「こっちです。」

そう言われてまた腕をとられた。


まさかと思うけど二次会?分かってるよね、無理だよ・・・・。

でも明らかに集合住宅の階段を上がってる。
マンションの一部屋に行くよね、富田林君の部屋じゃないの?


何も言われず、いつの間にか手をつながれた状態で。


鍵を出して入ったのは暗い部屋で、手慣れた様子で明かりをつけていく。

手は離れたのに、奥に見えるソファらしきものに吸い込まれるように上がり込んだ。
座りたい。

コーヒーをご馳走になるくらいなら、その間くらいは休ませて。


荷物を下ろしてソファにへたりこんで目を閉じた。
すぐそこにいる気配がする。

なんならお水でもいい・・・・・。

ゆっくり目を開けた。





「あ、ごめんね。ちょっと休ませて。あと・・・・10分くらい。」

果たしてここが駅からどのくらい離れてるのか、考えたくない。
さすがにこんな暗い中だし、駅には送ってくれるよね。



「もし、今電話がかかってきたら、少しは慌ててくれますか?」


隣に座ったらしい富田林君。
お水よりは質問が先だった。


え・・・えっ。


目が開いた。


あれ?彼女のこと?慌てるし、でも私よりそっちが慌てていいよね。


いたの?


いた?いない前提だったよね、そう聞いてたよね???


あれ?

「それとも後輩の部屋で休んでるだけだって普通に言えますか?」


は?私?


嵯峨野さん?


「お水もらっていい?ごめんね、少し休んだら帰れるから。」



そう言ったら立ち上がった富田林君。
キッチンより奥の部屋に行って。


荷物を持って帰ってきた。


「必要なものはあります。泊ってください。そのつもりです。」


「いやいや・・・私はそのつもりはない。帰れるよね。」

時計を見る。
タクシーを覚悟した時点で終電がなくなってもいいくらいだし。


「明日、デートの予定もないのに?」

そんな言われ方にはムッとするじゃない。
携帯を見たら、もしかしたら何か連絡があるかもしれない。
でもこの時間に見てなかったら、返事がなかったら、諦めてるだろうか?
別に明日の朝返事をしてもいい。
それよりなにより普通に後輩の部屋にそうやすやすとは泊るタイプじゃない!!


「デートの予定がなくても・・・・。」

何かがあるかもしれない!と言ってもあまり意味はない。

今、脳の一部は目が覚めた状態だ。
でも体は重たい。心も小さくつぶやくだけの反応しかしない。
やはり飲み過ぎというよりは油断だったのかもしれない。
面倒だと思っただけの心の油断。

「・・・・相談が多分・・・・・まだ途中です。」

また相談?何の切り札?そんなに偉そうに振り回して私に何をしてほしい?

甘えるのもいい加減にしてほしいって・・・・・言いたかった口はゆっくり閉じた。

俯いた横顔がとてもそんな言葉を投げつけれるような顔はしてなかったから。


「どうしたいの?本当に私にはまったく見当もつかない、分からない、そんな私から答えを引き出したい?アドバイスなんて期待してる?」


「してます。応えてもらえるのは、呉さんだけです。」


もう、どんだけ私に期待してる?


「じゃあ、今度こそ最後まで聞く、ちゃんと聞いて期待に添えるアドバイスを考える。」


「聞いたらさっさと帰るつもりなんですね。」

そうだ、そうしたい。
本当にそうしたい。


口にはしなくてもつい頷いていた。


そっとソファから立ち上がり、冷蔵庫に行った富田林君。

なんで?なんでビール缶二本持ち?


一本は離れた隣に座った富田林君が飲みだした。

そして目の前に置かれた一本。
コーヒーを所望します。
缶ビールは美味しくないじゃない。


じっと見つめられた缶が汗をかき始めた。


「呉さん、最近どうですか?」


「何が?」


「ため息が多いです。浮かれてた時からそう時間も経ってないのに、ぼんやりしてため息をついて眉間にしわを寄せて。」



「ああ、でも、楽しみな旅行は月末ですね。」


旅行?


「行くんですよね、彼氏と旅行。連休を楽しく過ごすんですよね。」


なんで知ってる?なんで中途半端に知ってるの?


「今度は夜にもお酒を飲みますよね。酔っぱらうんじゃないですか?」

何が言いたい?

そう聞こうとした。


「そうやってぼんやりした目で、見つめ合うんですよね。」

頬に手が当てられた。
熱い掌を感じる。

目が合ってる、見慣れた顔とは違う気がする。

「分かってくれましたか?相談したいこと、呉さんにしか応えてもらえないって言ったのに。」




「・・・・・なに?」




「まだ分からないんですか?冗談ですよね?誤魔化したいんですか?」


「旅行は行かない、だからお酒も飲まないし酔っぱらわない、だから何?」


答えた。
望みどおりに答えた。


「・・・・別れたんですか?」


答えない。


「じゃあ・・・・・・言ったじゃないですか、春に目が合って頑張ろうと思って、配属されたら指導担当になって、でもなかなかで迷惑ばかりで、やっとなんとか手を離れてからは認めてもらえるように仕事を頑張りたくて。」



「指導してくれた人に認めてもらえるくらい仕事を頑張りたいから、だから今はそれ以外は考えてないって、同期の・・・・そのトイレで話してた子にはそう言って断りました。」



「もちろんそれが呉さんのことだって分かったと思います。」


あのトイレの事がここにつながる?
そんな・・・・最悪のタイミングで私は出て行ったの?




「それは特別ってことなの?って聞かれたから、そうだと答えました。」


特別・・・・迷惑をかけられた存在の私。


「認めてもらえて安心してもらえたんだったら、伝えていいですよね。ずっと言いたかったんです。好きです。今夜から一緒にいてください。」



「なんで?」


「なんでって何がですか?全部言いました、相談事は全部言いました。応えてください、せめて泊って行ってください。」


ゆっくりと顔が倒れてきた。
肩口におでこを乗せられた。

自分とは違う香りがすぐそこに。
香水じゃない、ヘアケア製品の匂いと、お酒の匂いと混ざり合った匂い。
今まで二人でいても感じることはなかった。
こんなに近寄ったこともなかったから。


頬の手はいつの間にかソファの座面に置かれてた。
その手がゆっくりと腰に来た。


また少しだけ体が近づいた。


相談事・・・。

春の日に爽やかな笑顔で、そんな事を思ってくれていたらしい。
もっと実力が伴ってたら違う関係だっただろうに。
そこは残念なレベルだった。

だからいつも見守って近くにいる必要があった。

気を抜いたら何かをやらかしそうで。


もしかしてわざと?

何度もそう思ったりもした。

やっと手を離れた。視界の外にいても心配しないで済むくらい。
もう手は離れた、巣立って行ったんだから。




「・・・ただ、近くにいたから、今はその辺が微妙で・・・・勘違いしてるだけよ。」


よくあるパターンだ。
仕事上の憧れと好意の境目が分からなくなってるんだろう。
きっとそのうちに気が付く。
あれって思うから。

頭が肩から離れた。

それでも否定もないし肯定もない。
その目は考えてる風でもなくこっちを見てる。
まるで聞こえてない風に。

「・・・・そうだとしたら・・・・困りますか?」


「困るでしょう?変でしょう?」


「よくある事ですよね。」


「そうね、だから・・・・。」


「きっとうまくいくからよくある事なんじゃないですか?そう思います。」


自信もって言われても、それはそれ、これはこれ。


「何度も考えました、だからこの間だって言えなかったんじゃないですか。思い付きで相談したんじゃないです。・・・・この間は気がついてもらえないと諦めた部分もありますが。」

さっきからお互いにドアップで見つめ合ってる。
体も近い。

最後の踏切を戸惑ってる、そんな感じでもない。

それはちゃんと返事を聞いてからと、そう言う感じなんだろう。


私も押し返すこともしない、逃げ出すこともしない。
ソファに押し付けられる感じなんてないのに。
そのままでいる。


その距離は縮まないって思ってる。
だってまだ、嵯峨野さんがいる。
嵯峨野さんの方が近い所にいる。
それは物理的距離よりも心理的に。

まだ?
まだって何?

そう思ったら一気に体から力が抜けた。

息を吐いて沈み込んで俯いて目を閉じた。


疲れた。やっぱり関わると疲れることになるらしい。
本当に放り出した貧乏くじをまた手にした夜。

あまりに疲れすぎて現状を忘れてしまったくらい。
もう腰の手なんて、動かなきゃそこにあるクッションの一部かと思えてる。
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