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9 静かに終わったこと、そのまま何も変わらないままの今。
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今後輩の部屋の洗面台の鏡の中の自分と向かい合ってる。
何に負けたらこうなったのかわからない。
一番は帰るのは面倒だと思ったダラッとした部分、それ以外は・・・・絆された、流された。
やっぱり貧乏くじを引いた悪運にも負けたのかもしれない。
そして女子お泊りセットがするりと出てきた事実。
あえて追求しないでやろう。新品だから素直に使ってやろう。
なれない匂いに包まれて、後輩にスッピンをらさすことに。
先にパジャマになっていた富田林君は部屋の主にも関わらず、大人しく、まるで飼い主を待つ犬のようにソファにいた。
「ありがとう、いろいろ。」
「いいえ。」
ちらりとこっちを見て、すぐに視線はそらされた。
留守番犬でもビールはお代わりしたらしい。
「どこまでも飲めるといいね、眠くないの?」
「今日は全く・・・眠れません。」
「そう。」
以上、立ったままの会話。
やっと気がついてくれたらしくてソファの端に寄ってくれた。
お水を出してくれていた。
非常に気まずい。
眠気は飛んだとはいえ、横になればあっという間に眠れると思うのに。
借りる予定のソファでお酒を飲み続ける宿主、借りる私が『退けっ』とは言えない。
「また、これからも会うんですか?」
嵯峨野さんのことだろう。
そうやって聞かれないと思い出しもしない、携帯も見てないまま。
「今、会いたいですか?」
今は・・・・ただ眠い。
じゃあ望んだ通り夜を一緒に過ごしてるとしたら・・・。
流石にここまで不器用な二人ではいないだろう。多分・・・さっさとくっついてる。
でも、あんなに望んでたはずなのに、その想像もきれいには浮かばない。モヤっとした感じだ。
ゴクリとまたビールを飲む音が聞こえた。
それくらい静かな部屋だ。
自分もお水を飲む。
「この部屋は駅から近いの?」
「遠いです。バスです。バス停も分かりにくいし、近くはないです。」
「そうなんだ。」
明日一人でこっそり帰ろうとしたけど、おとなしくバス停までは連れて行ってもらったほうがいいだろうか?
富田林君は自転車通勤なんだろうか。
駅近のほうが便利なのに。
だからタクシーで帰ってきたのかもしれない。電車とバスを乗り継いで連れられるのは面倒だ。そこは感謝するところかもしれない。
でも、なんとなくそれが嘘なんじゃないかとも思った。
「明日の朝まで時間はあります。せっかくもらった時間です、もっと大切に使いたいです。」
あげたつもりはない、ゆっくり休むことも大切だと思うけど。
まだゴロンと横になることはできないらしい。
しょうがない、諦めた。
「富田林君のこと、教えて。あんまり知らないよね、お互いに。」
「何でも聞いてください。答えます。でも、同じことを呉さんも教えて下さい。」
「じぁ、一人っ子?」
「姉がいます。2つ上です。普通の会社員をしてます。」
「仲良しなの?」
「普通です。時々連絡します。実家に帰るときは予定を合わせたりはします。」
「呉さんは一人ですよね。」
「そう。お姉さんかお兄さんが欲しかったなぁ。」
お互いの高校大学の頃の話を聞いて、すぐに本人に関することはなくなる。
そうなると自分の周りの話になる。
どうでもいい、忘れてもいい、記憶に止めなくていいその場限りの話。
面白い友達、印象的な先生、変な校則、友達の若気の至りの失敗。
全部他人事。自分の経験なんて少ない、周りの誰かのこと、だからその場限りの話。
そうやってまで時間過ごし、富田林君がようやく眠くなったみたいで。
私が寝たのはもちろん借りたソファ。
慣れない匂いと寝心地の中で目が覚めた。
キョロキョロとして、あぁと思った。
後輩の家に泊めてもらった、飲みすぎて面倒だったから。
きっと人を泊めてあげる事にも抵抗がないんだろう。
それが会社の先輩で、女性だとしても。そう思った。
着替えをして顔を軽く洗った。
酔ってても昨日の嘘はなんとなく分かって、夜暗い中で携帯で調べた。
ここが駅から歩いてもそう遠くないこと、バスを使わなくてもいいくらいの距離だと。
そっと自分の荷物を持って玄関に向かって部屋を出た。
お礼のメッセージは起きた頃でいいだろう。
ちゃんと借りたものは揃えてきたし。
10分も歩かない内に駅にたどり着けた。
朝早い電車の中で何も考えずにぼんやりした。
おごってもらった上にタクシー代も払ってなくて、一泊のお礼もなし、今までの迷惑料にお釣りが来るかどうか。もっと失礼なこともしてるとは思ってる、分かってる、それをいれたら完全に借金を負ったくらいかもしれない。
そして。
昨日の夜、ソファで目を閉じて一人で横になってい時。狭い場所でじっとしてた時。
いなくなった眠気はなかなかやって来ず、それでも起き上がることもなく目を閉じていた。
かすかな音がして、忍ばされた足音もして。
それでもそのまま目を閉じていた。
視線を感じる。
冷蔵庫にも向かわず、そこにいると思う。
布の音と空気が動く音がして、頭に暖かさをかすかに感じる。
寝てると思っているのだろう。暗いから寝たふりの私に気がついてもないだろう。
目を開けてどうしたのと聞くタイミングはもうない。
ゆっくり手が動いて髪を動かされたかもしれない。
目は開けなくても、口が動いた。
「嵯峨野さん・・・・。」
漏らした息づかいに乗せたのは・・・・その人の名前だった。
手が止まりいなくなった。そして離れていった足音。
ゆっくり目を開けて大きな影が消えていくのをこっそりと見ていた。
つり革に捕まりため息を漏らした。
何やってんだか。
シャワーを浴びて携帯を見た。
なんの誘いもなく、息をついたけど、明らかに安心した気分だった。
次の日も、富田林君に連絡することもなく、富田林君に何かを責められることもなかった。
そして嵯峨野さんには謝罪のメールを送った。
一番身近にいてくれたランチ友達がいなくなった。
彼氏らしい人も連休の楽しい予定も本当にゼロになった。
さっぱりしたと思いたいのに、やはり寂しさと罪悪感が消せない。
しばらくしたら短い返事をもらった。
それで二人の関係は消えた。
上手く伝わったとは思えない、でも自分でもなかなかうまくまとめられなかった。
もし同じ違和感を感じてくれてたら、嵯峨野さんもホッとしているかもしれない。
そんな事を思った。
月曜日、同じ会社、同じ部署、隣の席。
そうなると少しはぎこちなくはなる。
そして目下の仕事を一緒に進めなくてはいけなくて。
「富田林君、じゃあ、後は担当メインをお願いします。他部署の連絡もお願い。」
それもいちいち説明しなくても大丈夫だから、そう依頼するだけであっさりと終わった。
本当に二人もいらなかったのに・・・・。
そして有休の申請をした。
今しかない、そう思った。
それは先週から思ってたことだからと、隣の後輩には言いたかったけど。
水曜日、ちょうどいい具合に何もない日、決定!
行き先も考えてる、どこかに泊まれるだろう。
その日を楽しみに、仕事をする。
明日はほとんど外にいる。
合間に予定も決めれるじゃない。
午後、美羽がやってきた。
「香純、今ちょっと時間もらえる?」
今日はランチもパスして外に一人で出た。
だから会ってなかったけど、その表情からなんとなく言いたいことが聞こえそうだった。
連れていかれた非常階段を一つ降りた踊り場で。
「ねえ、彼に聞いたんだけど。嵯峨野さんが残念だったって、そんな連絡が来たって。」
やっぱりそうか。
急な連絡で、文字で、一方的で。
失礼を誰かに言いたかっただろうか?
「ダメだったの?」
「多分お互いに。ちょっと距離が縮まらなかったの。多分嵯峨野さんも感じてたと思う。もう少し一緒にいても同じことになったと思う。でもうまく言えなくて、本当に申し訳なかったと思ってる。美味しいランチを一緒に出来て、それはすごく楽しかった。」
「そう・・・・いい感じだと思ったけど、外からじゃわからないしね。しょうがないか、しばらくしたらまた声かけるから。」
「ありがとう。お礼と謝罪は彼氏にも伝えてて。」
「うん。分かった。」
美羽に肩を軽くたたかれて、話を終わりにした。
自分のフロアまで戻る、非常階段がちょうど閉まるところだった。
廊下の明るさがちょうど消えたところだった。
誰かいた?
有休はひっそりと楽しんで、お土産を持ってランチに行った。
「一人だったの?」
「そう。」
そう言ったら皆が顔を見合わせた。
「傷心旅行なんて今までしてた?」
美羽がバラしたらしい。多分昨日のうちに皆に言ったんだろう。
「別にそう言う訳じゃないわよ。仕事の区切りがいいから行こうって思い立ったの。平日の方が空いてるし。」
「お土産を忘れなかったから許す。でも、誘ってくれても良かったのに。しばらく行ってないなあ。」
お土産の地名を指しながら言われた。
「のんびりできた?」
「うん、まあまあ。」
「まさか寂しくて後悔してるって言わないよね。」
「うん、それはないかな。」
結局のんびりと温泉につかりながら思い出すことも・・・本当になかった。
しょうがない、だって本当に共有した時間が少なくて。
だからきっと嵯峨野さんも同じだろう。
もう私の事なんて忘れてるんじゃない?
それでも一人だとぼんやりしてしまう時間はあって。
そうなると浮かんできたのは最近まで一番時間を過ごしてきた相手だったりする。
時間もそうだけどインパクトで言ったら一番大きい。
それが最初の春の日の笑顔だったり、この間過ごした夜の真面目な横顔だったり。
見てはいないはずの夜中の顔だったり。
あの話が結局どうなったのか。
あれからそれについて触れられることもなくて分からない。
このままそっと何もなく過ぎていくのがいいんじゃないかとも思ってる。
真ん中に有休を挟むと一週間もあっという間だった。
今週は友達と会うことになってる。
喜んで報告した人の事を、短く終わったと一言報告して。
あとは誰かの話を聞けばいい。
「そうだったの?残念、せっかくいいコネが出来たと思ったのに。」
そんな期待をされてたらしい。
「本当にいい人だったのに、残念だった。」
そう言った。本当にいい人だったのだ。きっと他にもっとふさわしいいい人と出会うだろう人。
あんまり深くも聞かれず報告は終わった。
それぞれの近況を聞いて話が進み。
「そういえば最近愚痴がないけど、爽やかな貧乏くじ君はどうなってるの?」
「独り立ちして手元から巣立ちました。」
「そうなんだ、あんなに存在感があったんだったら、すごく寂しいんじゃない?」
「なんで?独り立ちもまあまあ上手くできてるみたいだし、やっと一人前になれて一安心よ。」
関りが本当になくなったくらいに静かな二人だった今週。
それは仕事にも問題ないということだろう。
安心してる。
本当に。
「でも女の子の後輩で気が合わないよりはいっそ男の子の方がいいかもね。同性だと何かと面倒なことに気を遣いそう。」
「そうなの?」
「そう言うパターンもあるみたい。」
そうは言っても他の二人は何も言ってない。
きっとそんな厄介な性格の持ち主でもなく素直にすくすくと成長したんだろう。
「ああ、私も爽やかな年下に懐かれてみたいなあ。」
「それはないんでしょう?」
「絶対というくらいないね。」
職種によっては女性が多い職場がある。
そんなところにポツンと富田林君が入社したらもう話題の人になりそう。
多少『難あり』でも教えて育てたいって人がいるかもしれない。
いやいやいや・・・そんな事最初は思ってもいなかった。
別に、そこまでは。
目が合ったとは言われたけど、ずっと見てたわけじゃない。
だってずっと見られたって思いが私にないってことは、そういうことよね。
うん、そうだ。
三人をちゃんと見たんだから。
首を振って否定する。
「どうしたの?」
「ううん、ちょっと眠気冷まし。」
「もう?まだ二杯じゃない?」
「最近弱くなってきたのかも。」
なんとか誤魔化す。
コース料理が終わりコーヒーも飲み切って、テーブルが綺麗になって、解散した。
駅までをのんびりと歩く。
途中からそれぞれの方向へ。
まだ夕方にもなってない時間。
せっかくだからまっすぐ帰らず明日の分まで楽しんでから帰ろう。
そう思って駅中のお店をグルグルと回った。
お店は季節を先取りしてすっかり冬支度のような色合いになる。
仕事をしてるだけで一週間があっという間で、一ヶ月も、一年も。
20代真ん中って思っても、すぐに後半になり、そうして気が付いたら30の壁の前に立ってるかもしれない。
ラックにかかってるコートの柔らかな生地を掌にのせてそんな事を思ってたら店員さんに声をかけられた。
商品を吟味してるように見られたらしい。
あいまいな笑顔でちょっとづつ遠ざかる。
明るいグレーのコートは仕事に着れない以上週末に活躍するとも思えない。
外回りが多いと汚れが目立たない色で丈夫で風と雨にもへこたれないアウターは必須。
かつ軽い素材。
週末用のコートならもっと吟味する。
流行のデザインよりオーソドックスなものを選ぶから一年で着倒すなんてこともない。
体に馴染んだら二三年は着てもいいじゃない。
目的もなくグルグルと周り、疲れてしまい近くの空いてるソファに沈んだ。
ああ・・・立ち上がれない。
バッグを膝に乗せて背中まで預けようとしていた、その時に携帯の着信に気が付いた。
ポケットの中で光っていた。
取り出したら、富田林君から電話だった。
週末だから仕事がらみじゃない、と思う。
だから出なくても、気が付かなくても、問題はないと思う。
それでも手の中で震える携帯をそのままポケットに戻すことは出来なくて。
ゆっくりタップした。
何に負けたらこうなったのかわからない。
一番は帰るのは面倒だと思ったダラッとした部分、それ以外は・・・・絆された、流された。
やっぱり貧乏くじを引いた悪運にも負けたのかもしれない。
そして女子お泊りセットがするりと出てきた事実。
あえて追求しないでやろう。新品だから素直に使ってやろう。
なれない匂いに包まれて、後輩にスッピンをらさすことに。
先にパジャマになっていた富田林君は部屋の主にも関わらず、大人しく、まるで飼い主を待つ犬のようにソファにいた。
「ありがとう、いろいろ。」
「いいえ。」
ちらりとこっちを見て、すぐに視線はそらされた。
留守番犬でもビールはお代わりしたらしい。
「どこまでも飲めるといいね、眠くないの?」
「今日は全く・・・眠れません。」
「そう。」
以上、立ったままの会話。
やっと気がついてくれたらしくてソファの端に寄ってくれた。
お水を出してくれていた。
非常に気まずい。
眠気は飛んだとはいえ、横になればあっという間に眠れると思うのに。
借りる予定のソファでお酒を飲み続ける宿主、借りる私が『退けっ』とは言えない。
「また、これからも会うんですか?」
嵯峨野さんのことだろう。
そうやって聞かれないと思い出しもしない、携帯も見てないまま。
「今、会いたいですか?」
今は・・・・ただ眠い。
じゃあ望んだ通り夜を一緒に過ごしてるとしたら・・・。
流石にここまで不器用な二人ではいないだろう。多分・・・さっさとくっついてる。
でも、あんなに望んでたはずなのに、その想像もきれいには浮かばない。モヤっとした感じだ。
ゴクリとまたビールを飲む音が聞こえた。
それくらい静かな部屋だ。
自分もお水を飲む。
「この部屋は駅から近いの?」
「遠いです。バスです。バス停も分かりにくいし、近くはないです。」
「そうなんだ。」
明日一人でこっそり帰ろうとしたけど、おとなしくバス停までは連れて行ってもらったほうがいいだろうか?
富田林君は自転車通勤なんだろうか。
駅近のほうが便利なのに。
だからタクシーで帰ってきたのかもしれない。電車とバスを乗り継いで連れられるのは面倒だ。そこは感謝するところかもしれない。
でも、なんとなくそれが嘘なんじゃないかとも思った。
「明日の朝まで時間はあります。せっかくもらった時間です、もっと大切に使いたいです。」
あげたつもりはない、ゆっくり休むことも大切だと思うけど。
まだゴロンと横になることはできないらしい。
しょうがない、諦めた。
「富田林君のこと、教えて。あんまり知らないよね、お互いに。」
「何でも聞いてください。答えます。でも、同じことを呉さんも教えて下さい。」
「じぁ、一人っ子?」
「姉がいます。2つ上です。普通の会社員をしてます。」
「仲良しなの?」
「普通です。時々連絡します。実家に帰るときは予定を合わせたりはします。」
「呉さんは一人ですよね。」
「そう。お姉さんかお兄さんが欲しかったなぁ。」
お互いの高校大学の頃の話を聞いて、すぐに本人に関することはなくなる。
そうなると自分の周りの話になる。
どうでもいい、忘れてもいい、記憶に止めなくていいその場限りの話。
面白い友達、印象的な先生、変な校則、友達の若気の至りの失敗。
全部他人事。自分の経験なんて少ない、周りの誰かのこと、だからその場限りの話。
そうやってまで時間過ごし、富田林君がようやく眠くなったみたいで。
私が寝たのはもちろん借りたソファ。
慣れない匂いと寝心地の中で目が覚めた。
キョロキョロとして、あぁと思った。
後輩の家に泊めてもらった、飲みすぎて面倒だったから。
きっと人を泊めてあげる事にも抵抗がないんだろう。
それが会社の先輩で、女性だとしても。そう思った。
着替えをして顔を軽く洗った。
酔ってても昨日の嘘はなんとなく分かって、夜暗い中で携帯で調べた。
ここが駅から歩いてもそう遠くないこと、バスを使わなくてもいいくらいの距離だと。
そっと自分の荷物を持って玄関に向かって部屋を出た。
お礼のメッセージは起きた頃でいいだろう。
ちゃんと借りたものは揃えてきたし。
10分も歩かない内に駅にたどり着けた。
朝早い電車の中で何も考えずにぼんやりした。
おごってもらった上にタクシー代も払ってなくて、一泊のお礼もなし、今までの迷惑料にお釣りが来るかどうか。もっと失礼なこともしてるとは思ってる、分かってる、それをいれたら完全に借金を負ったくらいかもしれない。
そして。
昨日の夜、ソファで目を閉じて一人で横になってい時。狭い場所でじっとしてた時。
いなくなった眠気はなかなかやって来ず、それでも起き上がることもなく目を閉じていた。
かすかな音がして、忍ばされた足音もして。
それでもそのまま目を閉じていた。
視線を感じる。
冷蔵庫にも向かわず、そこにいると思う。
布の音と空気が動く音がして、頭に暖かさをかすかに感じる。
寝てると思っているのだろう。暗いから寝たふりの私に気がついてもないだろう。
目を開けてどうしたのと聞くタイミングはもうない。
ゆっくり手が動いて髪を動かされたかもしれない。
目は開けなくても、口が動いた。
「嵯峨野さん・・・・。」
漏らした息づかいに乗せたのは・・・・その人の名前だった。
手が止まりいなくなった。そして離れていった足音。
ゆっくり目を開けて大きな影が消えていくのをこっそりと見ていた。
つり革に捕まりため息を漏らした。
何やってんだか。
シャワーを浴びて携帯を見た。
なんの誘いもなく、息をついたけど、明らかに安心した気分だった。
次の日も、富田林君に連絡することもなく、富田林君に何かを責められることもなかった。
そして嵯峨野さんには謝罪のメールを送った。
一番身近にいてくれたランチ友達がいなくなった。
彼氏らしい人も連休の楽しい予定も本当にゼロになった。
さっぱりしたと思いたいのに、やはり寂しさと罪悪感が消せない。
しばらくしたら短い返事をもらった。
それで二人の関係は消えた。
上手く伝わったとは思えない、でも自分でもなかなかうまくまとめられなかった。
もし同じ違和感を感じてくれてたら、嵯峨野さんもホッとしているかもしれない。
そんな事を思った。
月曜日、同じ会社、同じ部署、隣の席。
そうなると少しはぎこちなくはなる。
そして目下の仕事を一緒に進めなくてはいけなくて。
「富田林君、じゃあ、後は担当メインをお願いします。他部署の連絡もお願い。」
それもいちいち説明しなくても大丈夫だから、そう依頼するだけであっさりと終わった。
本当に二人もいらなかったのに・・・・。
そして有休の申請をした。
今しかない、そう思った。
それは先週から思ってたことだからと、隣の後輩には言いたかったけど。
水曜日、ちょうどいい具合に何もない日、決定!
行き先も考えてる、どこかに泊まれるだろう。
その日を楽しみに、仕事をする。
明日はほとんど外にいる。
合間に予定も決めれるじゃない。
午後、美羽がやってきた。
「香純、今ちょっと時間もらえる?」
今日はランチもパスして外に一人で出た。
だから会ってなかったけど、その表情からなんとなく言いたいことが聞こえそうだった。
連れていかれた非常階段を一つ降りた踊り場で。
「ねえ、彼に聞いたんだけど。嵯峨野さんが残念だったって、そんな連絡が来たって。」
やっぱりそうか。
急な連絡で、文字で、一方的で。
失礼を誰かに言いたかっただろうか?
「ダメだったの?」
「多分お互いに。ちょっと距離が縮まらなかったの。多分嵯峨野さんも感じてたと思う。もう少し一緒にいても同じことになったと思う。でもうまく言えなくて、本当に申し訳なかったと思ってる。美味しいランチを一緒に出来て、それはすごく楽しかった。」
「そう・・・・いい感じだと思ったけど、外からじゃわからないしね。しょうがないか、しばらくしたらまた声かけるから。」
「ありがとう。お礼と謝罪は彼氏にも伝えてて。」
「うん。分かった。」
美羽に肩を軽くたたかれて、話を終わりにした。
自分のフロアまで戻る、非常階段がちょうど閉まるところだった。
廊下の明るさがちょうど消えたところだった。
誰かいた?
有休はひっそりと楽しんで、お土産を持ってランチに行った。
「一人だったの?」
「そう。」
そう言ったら皆が顔を見合わせた。
「傷心旅行なんて今までしてた?」
美羽がバラしたらしい。多分昨日のうちに皆に言ったんだろう。
「別にそう言う訳じゃないわよ。仕事の区切りがいいから行こうって思い立ったの。平日の方が空いてるし。」
「お土産を忘れなかったから許す。でも、誘ってくれても良かったのに。しばらく行ってないなあ。」
お土産の地名を指しながら言われた。
「のんびりできた?」
「うん、まあまあ。」
「まさか寂しくて後悔してるって言わないよね。」
「うん、それはないかな。」
結局のんびりと温泉につかりながら思い出すことも・・・本当になかった。
しょうがない、だって本当に共有した時間が少なくて。
だからきっと嵯峨野さんも同じだろう。
もう私の事なんて忘れてるんじゃない?
それでも一人だとぼんやりしてしまう時間はあって。
そうなると浮かんできたのは最近まで一番時間を過ごしてきた相手だったりする。
時間もそうだけどインパクトで言ったら一番大きい。
それが最初の春の日の笑顔だったり、この間過ごした夜の真面目な横顔だったり。
見てはいないはずの夜中の顔だったり。
あの話が結局どうなったのか。
あれからそれについて触れられることもなくて分からない。
このままそっと何もなく過ぎていくのがいいんじゃないかとも思ってる。
真ん中に有休を挟むと一週間もあっという間だった。
今週は友達と会うことになってる。
喜んで報告した人の事を、短く終わったと一言報告して。
あとは誰かの話を聞けばいい。
「そうだったの?残念、せっかくいいコネが出来たと思ったのに。」
そんな期待をされてたらしい。
「本当にいい人だったのに、残念だった。」
そう言った。本当にいい人だったのだ。きっと他にもっとふさわしいいい人と出会うだろう人。
あんまり深くも聞かれず報告は終わった。
それぞれの近況を聞いて話が進み。
「そういえば最近愚痴がないけど、爽やかな貧乏くじ君はどうなってるの?」
「独り立ちして手元から巣立ちました。」
「そうなんだ、あんなに存在感があったんだったら、すごく寂しいんじゃない?」
「なんで?独り立ちもまあまあ上手くできてるみたいだし、やっと一人前になれて一安心よ。」
関りが本当になくなったくらいに静かな二人だった今週。
それは仕事にも問題ないということだろう。
安心してる。
本当に。
「でも女の子の後輩で気が合わないよりはいっそ男の子の方がいいかもね。同性だと何かと面倒なことに気を遣いそう。」
「そうなの?」
「そう言うパターンもあるみたい。」
そうは言っても他の二人は何も言ってない。
きっとそんな厄介な性格の持ち主でもなく素直にすくすくと成長したんだろう。
「ああ、私も爽やかな年下に懐かれてみたいなあ。」
「それはないんでしょう?」
「絶対というくらいないね。」
職種によっては女性が多い職場がある。
そんなところにポツンと富田林君が入社したらもう話題の人になりそう。
多少『難あり』でも教えて育てたいって人がいるかもしれない。
いやいやいや・・・そんな事最初は思ってもいなかった。
別に、そこまでは。
目が合ったとは言われたけど、ずっと見てたわけじゃない。
だってずっと見られたって思いが私にないってことは、そういうことよね。
うん、そうだ。
三人をちゃんと見たんだから。
首を振って否定する。
「どうしたの?」
「ううん、ちょっと眠気冷まし。」
「もう?まだ二杯じゃない?」
「最近弱くなってきたのかも。」
なんとか誤魔化す。
コース料理が終わりコーヒーも飲み切って、テーブルが綺麗になって、解散した。
駅までをのんびりと歩く。
途中からそれぞれの方向へ。
まだ夕方にもなってない時間。
せっかくだからまっすぐ帰らず明日の分まで楽しんでから帰ろう。
そう思って駅中のお店をグルグルと回った。
お店は季節を先取りしてすっかり冬支度のような色合いになる。
仕事をしてるだけで一週間があっという間で、一ヶ月も、一年も。
20代真ん中って思っても、すぐに後半になり、そうして気が付いたら30の壁の前に立ってるかもしれない。
ラックにかかってるコートの柔らかな生地を掌にのせてそんな事を思ってたら店員さんに声をかけられた。
商品を吟味してるように見られたらしい。
あいまいな笑顔でちょっとづつ遠ざかる。
明るいグレーのコートは仕事に着れない以上週末に活躍するとも思えない。
外回りが多いと汚れが目立たない色で丈夫で風と雨にもへこたれないアウターは必須。
かつ軽い素材。
週末用のコートならもっと吟味する。
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体に馴染んだら二三年は着てもいいじゃない。
目的もなくグルグルと周り、疲れてしまい近くの空いてるソファに沈んだ。
ああ・・・立ち上がれない。
バッグを膝に乗せて背中まで預けようとしていた、その時に携帯の着信に気が付いた。
ポケットの中で光っていた。
取り出したら、富田林君から電話だった。
週末だから仕事がらみじゃない、と思う。
だから出なくても、気が付かなくても、問題はないと思う。
それでも手の中で震える携帯をそのままポケットに戻すことは出来なくて。
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そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
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