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18 必死だった時

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社内メール便が来る。
受け取った郵便は封筒の宛名の人のところに配布されるがほとんど祥子さんへ行く。
他社の人から個人的に社内メール便がくることもほとんどない。
もしくは一度祥子さんへ行き、その後特定のスタッフに降りてくるとか。
郵便の行方を目で追っていくとやはり全部が祥子さんへ。

5通ほどの郵便、受け取って送付者を一つ一つ確認していく祥子さん。
中の一つ大きな封筒を見て手を止めた祥子さんがこちらを見た。
さりげなく裏の送付者を見せてくれる。本社人事と書いてある。
辞令だろう。息を吐き祥子さんが封筒を開けるのを見守る。
いくつかをクリアファイルに入れて引き出しにしまう。
つづられた書類をめくりながら顔がうれしそうになってるのが分かる。

目をそらして自分のパソコンで先ほどの続きをする。
あと一ヶ月と少し。



「渡辺、ちょっといい?」

祥子さんがナベさんを呼んで会議室に行く。
次の責任者がナベさんになる。そのことだろう。
他の人はまったく気にしてないようだった。
さりげなく見渡してもぼんやりとパソコンを見つめる顔が多い。

作成したメールを送っているといくつかメール受信しているのに気がついた。
残念なことに届かなかったメールが一つ。
アドレスを変えたようだ、後で個人ページで確認しよう。
先に他のメールを開く。

一つは丘野さんから4月の人事で異動になる人の送別会のお誘いだった。
社内メールのためにぼかしているが祥子さんのことだろう。
もちろん参加したいと返信しておく。

後一つは先ほど送信したイベントお誘いメールの返信だった。
律儀な文章で、しばらく活動できてなかったけど時間に余裕ができそうなので参加してみることにした、という内容だった。
30歳後半の入会2年目の男性だった。
とてもスマートな印象を受ける人だったと思い、普通に会社にいても人気がありそうなタイプだと思った。
ただ仕事が忙しいということではあった。
途中半年くらい休会していたのが仕事のためか誰かと交際していたためかは分からないままだ。
『是非会場でお会いできるとうれしいです。』と返信しておく。

さてと、さっきメールが帰ってきた会員さんのプロフィールにアクセスしてメールアドレスを確認する。変わっていたようでメールソフトの登録アドレスを上書きし再送しておく。

後二人同じようにメールを送信してみる。
残り5人は比較的新しい入会者。
コーディネート券を使って会った人とその後しばらく会っていると報告を受けた人もいる。
それはとてもうれしい報告なのだ。
近況を聞きながら、付け加えるようにしてイベントのお知らせを書き添える。
さてとこれで一周。

ふと顔を上げると祥子さんが戻ってきていた。
ナベさんを見るとなんだか落ち込んだような様子。
もう一度祥子さんを見ると口元を隠してニタリと笑って見せた。
ほんの一瞬だったけど。
やはり無事に雑用を押し付けられたようだ。
満足そうな表情で又パソコンに向かう祥子さん。
そのうち終業を告げる音楽が鳴る。

さっさと帰る人たち。
書類を作成して祥子さんの元へ向かう人たち。
今日の入会者の担当者たちだった。
祥子さんはそれを受け取ると机からファイルを出してコートをとり、本社へ出かける。

「行ってらっしゃい。」

残りの人に見送られて出て行く祥子さん。
もろもろの仕事が4月からはこれがナベさんに向かう。
椅子から立ち上がりナベさんのほうへ行く。
ちょうど隣の席のスタッフが荷物を持って帰っていった。

「ナベさん」

ニヤリと笑いかけた。

「お前、知ってたのか?」

小声で聞かれた。

「昨日なんとなく聞いたような・・・・。」

あえてごまかす。

「忙しくなりそうですね。」

同情を帯びない声で言うとじろりと睨まれた。

「丘野さんから送別会に誘われました。」

「ああ、来た来た、そんなメール。」

「もう一人主役が増えそうですね?」

なんて言ったら無言で又睨まれた。

「それでナベさん、お聞きしたいことが。」

「なんだよ。俺が愛弟子一号に教えられることあったか?」

まだふてくされて、とんがるナベさん。

「まじめな話ですが。イベントの時ですねナベさんはどんなアプローチしてるんですか?」

「あぁ、祥子ほどはガッツリとは行ってないねえ。相談するような視線があったら近づくくらいよ。他社のスタッフ含めてもそんなものだよ。お前は祥子のやり方しか知らないだろうけど。」

「はい、そうなんです。」

「やっぱりよく観察しないと余計なお世話になりかねないですよね?」

「いきなり同じようにできると思うのもどうだかな。だからあいつが本社に行ってフォローに回るんだろう。結局自分たちのことは自分たちで積極的に動かないと何も始まらないって言う極論だ。自分のやり方でいいんじゃないか?」

「・・・・はい。まだそれすらあやふやですが。」

「は~ 毎日残業なんて俺はしないからな。皆に均等に仕事を振ってやる。」

ナベさんが本気で嫌がる。マイペースであせることもない。

「ナベさん、彼女いるんですよね?」

「ん?ああ、いるよ。」

ジーっと見つめる視線でその先を促した。聞いたことがないけどどんな人なんだろう?
先に話は続かない。

「どんな人でどのくらいつき合って、結婚はどうするんですか?」

「何だよ、参考にするのか?」

「はい、もちろん。」

にっこりと笑って返す。
そうしないと教えてくれそうにないとも思った。

「別に・・・大学の頃から付き合ってるからかなり長いよ。結婚はするだろうな。いつかは決めてない。向こうも仕事が忙しいしその手の話題も最近は出ないな。お互いの両親にも会ってるしあとは紙一枚の手続きするかしないか、そんなもんだ。」

「ほら、式とか旅行とかあるじゃないですか。しましょうよ、ちゃんと。きっとナベさんから言うの待ってるんじゃないですか?」

ナベさんがこっちを向いて両頬をつねられた。

「そんな夢見るようなタイプじゃないの。」

「わかんないですよ。」

つねられた頬をさすりながら言う。

「祥子も案外夢見てるところがあるよな。せいぜい付き合ってやるんだな。」

「もちろんです。」

そう言ったらナベさんがびっくりして自分を見た。

「・・・・お前にもいい機会かもな。なんか俺だけとばっちりじゃん。」

4月になって忙しくなってすれ違って苦しくなるなら、いっそもっと前向きに進みたい。
明後日、水曜日梅の花を見に行く。
そこできちんと提案してみる。
祥子さんが同意してくるかは半分半分の可能性。
どうなるだろう。

火曜日、ぼちぼちと昨日のメールの返信が届いていた。
あと一人参加を決めて申し込んだ人がいた。
やはり男性。顔つきが整っていて無愛想に見えるけど、本当は緊張しやすくて誤解されやすいと言っていた。是非サポートができたらと思う。

水曜日の夕方、終業時間が待ち遠しい。
まだまだ梅の花は咲いてるだろうか?

今のところ残業の予定はない。
祥子さんがどうだか分からないけど、皆が帰った後一緒に出るなら少しくらい残業してもいいなんて気分にもなる。
新規の入会がないとゆったりと時間が流れる。
時々面談の予定が入ったり、コーディネート券を使う二人に向けて引き合わせの場所になったり。
あの後参加する返事をもらった人はいないけど、それなりに何人かはお付き合いしている人がいるようだ。
女性は若い人がいても男性はほとんど30歳後半が多い。
自分の担当する人は特に大人の男性だ。
若い女性は祥子さんが振らないようにしているのが分かる。
女性の会員さんでも30歳以上が割り振られている。
特に他のスタッフから苦情なんていわれないけど、それでも昔と同じトラブルが起きないように気を遣われてる自分。

まだまだ新人の頃、祥子さんの下を離れて一人で会員さんに対応するようになった頃。
最初は他の新人同様祥子さんが話しをしてみて大丈夫そうだと思った人を新人に振っていた。
数人の新規会員をフォローし、初期の連絡をしてコーディネート券を使用したりイベントに誘ったり。
ある程度のフォローをしてなんとかうれしい報告を聞いて。

ちょっと慣れてきたと思ってた頃だった。
どこにでもいる若いOLさんという感じの女性を担当した。

年も一つ上ぐらいでメールのやり取りもいろいろと質問されれば誠実にと対応してきたつもりで、面談希望があればまだまだ余裕のある自分の時間内にオフィスで面談して。
今思っても本当にただ一人一人を一生懸命にと対応していたつもりだった。
時々話題が自分のプライベートに関することになることもある。
一般的な意見として、他の会員さんの例として提案をしたり、アドバイスしたり。

ある時、名刺をもらった。
これも時々あることで。ただ会社用ではない普通の個人作成の名刺だった。
個人情報は入会時にもらっている、名刺にかかれる以外のことまできちんとプロフィールに嘘がないことを証明する書類をそろえてもらっている。
今更プライベートの名刺をもらってもと思ったけど深く考えずに受け取ってしまった。
その後急にメールが毎日届いたり、違う立場で会って欲しいということまで言われるようになった。
最初に自分で対応しようとしていたのも間違いだったのだろう。
そんな時期が続きどうにもできなくなりまずは指導してくれた祥子さんに相談した。
まず報告が遅れたことをひどく叱られた。
その当時まだオフィス責任者は祥子さんより先輩の高階さんという女性だった。
祥子さんが高階さんに報告してくれた。
電話がかかってきてたこともあり周囲にも事情はばれてしまった。
今後日比谷オフィスで対応するのはお互いに気まずいだろうと判断された。
本社にも報告が行ったと思う。その間ピタリと連絡はなくなった。
こちらからは絶対連絡するなといわれていた。
しばらくして退会していったとだけ聞いた。
会議室で高階さんに呼ばれて聞いた話だった。
詳しくはまったく聞かされなかった。


それは午後の遅い時間に居残りを命じられて他のスタッフが帰った後のことだった。

「すみませんでした。ご迷惑をかけました。」

「明君、悪いと思ってる点を上げてみてくれる。」

高階さんに言われる。
人に対するサービス業だからちょっとした言葉や思い違いが信頼をなくすことがある。
その教えは新人教育の時にいわれている。
こういう事例は体験としてレポートにして経験を共有するということになる。

「・・・・・情けないですが自分の態度のどこに誤解をさせるようなポイントがあったのかは分からないんです。まだまだ不慣れなので一人一人誠実に対応してきたつもりでした。」

本当に分からない。

「ちょっと個人的は話が多くなってきた時はなんとか話がそれないようにしてきてもいました。自分ひとりで対応しようとした判断も間違っていたし、相談が遅れたことも間違っていました。」

でもそれ以外は・・・・。

「明君、その二点は明らかにそうね。祥子か私か、男性スタッフでも良かったから、もっと早く相談してくれてれば良かったかもね。事例レポートには目を通してるでしょう?この種類のトラブルは男女問わず多いのよ。実際それでうまくいくこともあるかもしれない。だって出会いはスタッフと会員さんの間にもあるから。今回は納得いただいて退会ということになったから。ないとは思うけど今後周辺で出会うことがないようにだけ注意してといっても出来ないしね。以上よ。もう気にしなくていいわ。今後もがんばるように。」

そういわれて会議室を後にした。
自分のデスクに戻ると祥子さんがパソコンを閉じてその後飲みに誘われた。
二人で行くのは初めてじゃなかった。
下についていた研修期間に仕事を教わって書類仕事を任されてたりと遅くなったこともあった。
勢いよく誘ってくる祥子さんについていくようににぎやかなバーに連れて行かれて飲まされた。
祥子さんにも迷惑をかけた。

「すみません、祥子さん。ご迷惑をおかけしました。」

「別に。よくあることよ。」

この一年日比谷オフィスでは初めてのトラブルだと思うけどそういう風に言ってくれた。

「新人の頃の渡辺もそんなことがあった。知ってれば相談できたのにね。」

ちょっと驚いたけど納得できた。
かっこいい素敵な頼れる男性。新人の頃でもそうだったかも。

「いいのよ。魅力的なスタッフのいるオフィスってことで。」

祥子さんが本当になんてことないようにいう。

「ありがとうございます。」

「飲んで飲んで。」

「はい。」

グラスをあける。すかさずメニュー表を見せられる。

「何度も繰り返すようだったら指輪をしながら仕事したらって渡辺に言ったことがあるわ。私のポイントはまったくはずしてるから理解できないけど、あんなのでも好きになる人はいるものねえ。日比谷オフィスの七不思議のひとつよ。」

当時ナベさんと祥子さんの仲の良さは同期以上、と若いスタッフの中で言われていた。
ぼんやりとそうなんだぁと思って聞いていた。
その後は反省話は一切なく、ナベさんや同期の失敗話を聞かされた。
祥子さんの気の遣い方に感謝した夜だった。


それなのに自分は又同じことをしてしまった。

今度もあまり自覚はない。
プライベート話題はしないようにしたし、面談もほとんどしていない。
ただ突然告白された。

夕方一人で帰っているとき、オフィスの前から少し行ったところでいきなり呼び止められた。
最初に担当者として名刺を渡している。
その名刺どおりにフルネームで呼ばれて振り返った。
一瞬誰だろうと思ったけどすぐに思い出せた。
挨拶をしていぶかしんだ自分の態度も伝わったと思う。
それでも目の前に立たれて。
嘘でも彼女がいると言えば早かったのかもしれない。
それでも丁寧に断り分かってもらえたようで、一礼して去っていく後姿を見送った。

次の日すぐに祥子さんに報告をした。
その前に見たパソコンに謝罪のメールが届いていた。
退会の話はなくほっとしていたけど、このまま担当でいてもいいのかと思ったりもした。
判断は上に任せて祥子さんと高階さんの言うとおりにしようと思った。

結果、メールに返事を出して本人に担当交代を希望するか聞いてみるように言われた。
その場合自分の行動が他の人に明らかになると本人が心配するだろう。
メールの内容は二人のチェックをクリアしたものを送信した。

結局退会まで担当させてもらえた。

「藤井さんより素敵な人を見つけて見せます。」と途中宣言していた。

それがうれしくて、祥子さんが一人のときにこっそり報告をした。
よっぽどうれしそうな顔をしていたのだろう。
自分の見る祥子さんもとてもうれしそうで何故か頭を撫でられて良かったねと言われた。
びっくりして顔を上げたときに祥子さんのほうが照れたような顔をしていた。

祥子さんをいつから好きだったのかと聞かれてもいつだろうと考えてしまう。
指導してもらってる間は信頼できる尊敬できる先輩、最初の大きなトラブルの後に感謝の気持ちが加わり、二度目の失敗の報告をしたあの時のうれしそうな顔を見た時もう一歩気持ちが進み。
暗闇でひたすら愚痴から泣き言に変わる弱いところを聞いたとき、完全に気持ちがはまった感じだった。


二度目の報告のしばらく後、又二人で飲みに行く機会があった。
その時に普通の雑談の中で言われた。

「明君、最初の頃よりずっと頼もしい感じが出てきたね。安心できる雰囲気になった。」

笑顔で祥子さんに褒められた。
うれしかった。
ずっと最初から自分を見てきてくれていたのは祥子さんだと思ってる。
もちろん指導者としてだけど。
早く一人前になりたいと思っていたから。

祥子さんを好きだと思ってからはもっとその気持ちが強くなった。
近づきたい、追いつきたい。認められたい。

でも本当にその差は歴然。

祥子さんが日比谷オフィスからいなくなるというだけで心細く思う自分がいる。
いつでも何でも相談できた存在。
自分は祥子さんに認められるようにとがんばってきたけど、祥子さんは祥子さんで自分のやりたい目標があったから。他の人の存在は関係なしに自分の力で何かできないだろうかと考えていたから。

結局二人でいるときに仕事の立場なんて関係なくて、料理上手でてきぱきと要領がいいけど、時々弱音を吐く、普段完璧に隠してしている部分をちらりと見せてくれる祥子さんが好きだ。
腕の中で声をあげて自分と感じあってくれる祥子さんも。
誰にも見せない表情をたくさん見せてくれる祥子さん。


頑張りたい。自分なりだけど。精一杯。



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