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17 やっぱり大切なものは一つじゃない。
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あの夜を過ごした日から、夜に電話で話をしたり、週末に彼女に会うのは自分にとって会社に行くのと同じくらい、当たり前のことのようになっていった。
たいてい前の日の夜にどこに行くか決める。
「ねえ、筒井さんって最初は舞がお気に入りだったのに。」
「そう?今は違うでしょう?」
「うん、何で?浅井さんと付き合ってるって聞いたけど。」
「だって最初からそう思ってたから。ちゃんと筒井さんには言ったのよ。
ゆかりは迷惑かもしれないけど、きっと合うって思ったの。」
「そうだね、すごく楽しそう。」
「でしょう?」
本当にうれしそうに話す。
すっかり同期会には参加しなくなった。自分も舞も。
週末にどこかで会って食事をして、別れる。
そんなデートを繰り返して笑顔を見れてることに、それなりには満足していた。
ある週末、一緒に江ノ島に行ったときに言われた。
シンプルなジーンズに白シャツ。
インナーに着た明るい色が透けて見える。
細い、ゆったりしたシャツに細い影が映る。
フェミニンな服じゃなくてもすごく綺麗だった。
その細い首筋に触れたくて。
そんな思いで首ばかり見ないように、つないだ手をひいて前を向いていたのに。
いつのころからか、自分の中には『枠』がある。
そこからはみ出すことは許されないだろうと思う『枠』
もしかしたら勝手に自分で決めたのかもしれない。
さほど窮屈に思わなかったのは、今まで強く固執するものがトランペットしかなかったから。
今、彼女を目の前にして自分でもどうしていいのか分からずに、足踏みをしている。
飛び越えて外に出ていいのか、飛び出した途端に何かをなくすんじゃないか。
小さい時から父親は忙しく仕事人で、世の中の父と子みたいにキャッチボールの思い出なんてない。
もっと手をつないで歩くと言った基本的な思い出もないくらいにない。
もちろん自分も一緒に外で遊びたいとか、そんなタイプの子供じゃなかったのだが。
おもちゃのボールのやり取りは母でも十分だったくらい、もしかして兄が相手をしてくれたのかもしれない。
父が1人で籠っていた自慢のオーディオルームに、10歳の誕生日のお願いで入っていいという許可をもらっただけでも十分だった。
中学生になる時に分不相応なトランペットを買ってくれたことも感謝した。
ただ兄はもっと違ったかもしれない。
小さい頃から兄と父が一緒にいるのはよく見ていた。
自分は寂しくて母の周りにいた。
母はとてもやさしい、だがあの父を支えるだけの強さも持っているのだろう。
自分の言動に特に何かを言うことはない。
ただ「お父さんに聞いてみなさい。」そう言われていた。
全ては父親が決定権を持っている。
ある時母親に聞いてみた。
「兄さんは彼女はいるのかな?」
「さあ、どうでしょう?きれいなお嬢さんはいっぱいいるし、いろいろお話はあるみたいだけど。お父さんに気に入られないとね。」
兄の伴侶も父親が決定権を持つのか?
じゃあ、自分は?
母親は首を横に倒す、とても残念そうに。
今自分の事を思われたんだろうか?
自分の相手のことも自分一人では決められないんだろうか?
うっすらと自分を囲んでる『枠』
それは父親が決めて設置してると思った。
恵まれた環境。感謝してもし足りない。
その反面として必要なんだろうか?
受け入れるしかないんだろうか?
あいにく彼女の様に兄との関係は濃くなくて。
今どんな状況なのかよくはわからない。
仕事は、今後の自分の生き方は、兄の結婚は、自分の相手については・・・・。
一度聞いてみてもいいのに。
はっきりと『枠』を見せられる事になりそうで、躊躇する。
自分は父に言われ、素直に諦めるのだろうか?
江ノ島で少しだけ枠を外して、彼女に近寄った後。
それでもきっかけの一歩は彼女からだった。
それに誘われるように、自分も少しはみ出してみたのだ。
彼女の部屋で過ごすことにも慣れた今。
自分の荷物が少しづつ増えていく。
そんな生活が繰り返されて社会人二年目になる。
あまり変わらない環境。
自分の周りは落ち着いている。
いつかはこの会社を辞めるんだろうか?
具体的にはまだ何の話も出ず。
居心地がよくて離れたくない。
彼女も気に入って働いてると言っていた。
それはうれしかった。
そう思う一方で・・・。
彼女とは・・・・どうなるんだろうか?
どうしたいかは決まってる、親に逆らってみる。
それを突き通せるのか、自分にはまだそこまでの自信がない・・・・。
今はこの現状に満足している。
先のことは彼女からも口にされたことがない。
もうすぐ付き合って一年になる。
本当にどうなるんだろう。
自分はどうするんだろう。
一度彼女のお兄さんの子供の面倒を一緒にみたことがあった。
まだまだ小さい赤ちゃんだった。
デートの途中に急に呼び出されて一緒に行ったのは病院で。
赤ちゃんのお母さん、お義姉さんの具合が悪いとお兄さんからの電話だった。
かなり急いでたらしい。
不安な顔をした彼女と一緒にお兄さんと病院で落ち合った。
検査中のお義姉さんに付きそうお兄さんから、赤ちゃんと鍵を預かった。
家まで送り、そのまま誘われるままに上がり、一緒に面倒をみた。
不安そうな顔の彼女を一人にするつもりもなかった。
彼女は何度も会ってるらしい。
繭ちゃん。小さな小さな女の子。
お兄さんから携帯で指示を貰うまでもなく大人しく寝ている。
時々オムツを見て替えるくらい。
小さな命はとても柔らかかった。
母性本能があるのなら父性もあるはずだ。
ベビーベッドに横になってる繭ちゃんを見ていた。
小さな手に自分の指の先だけが握り締められてて、思わず涙が出そうに感動した。
まったくの他人の赤ちゃんなのに。
これが自分の子供だったらと想像もした。
一日中見てても飽きないかもしれない。
起きだしてもぐずることなく。
黒い丸い目に見えるように近くのおもちゃを振って音を立てて気を引いて。
声をかけながらあやした。
笑顔は天使だった。
あまりにも可愛くて、オムツを取り替えた後の彼女がいない隙に膝に乗せて抱っこした。
温かくて柔らかくて、いい匂いがする。
かわいい。
本当に泣かなくて、自分にも大人しくあやされてくれていた。
それを見ていた彼女には、保育の才能があると言われた。
すっかり赤ちゃんに夢中になってたら、ふたりが帰ってきた。
「あっ・・・・。」
視線は自分の膝の上に。
一人よそ者なのに一番くつろいでる感がある。
一番の宝物の赤ちゃんまで抱いて。
「すみません。可愛くて。」
「本当に涼太、知らなかった、そんなに赤ちゃんが好きだったなんて。妹弟がいるわけでもないのに。」
「だって、舞、可愛いよ。天使だよね。全然泣かずにいてくれました。」
二人に安心してもらう様に言う。
ちょっと自慢に聞こえただろうか?
隣に座ったお父さん、彼女のお兄さんにお礼を言われた。
こちらこそありがとうございましたと言って、赤ちゃんを渡す。
太ももと腕の中からぬくもりが消えて寂しくなった。
赤ちゃんも分かるらしい、明らかにテンションが上がった。
さっきまでの笑顔は余所行きだったのか・・・・がっかり。
はっきり見えてなくても匂いで分かるんだろうか。
「大丈夫でしたか?」聞いてみた。
「ああ、すごい痛がって脂汗かいてたから心配したんだけど、大丈夫だったみたい。点滴と痛み止めの注射が効いたみたいで。」
すっかり痛みも落ち着いた母親が戻ってくると、赤ちゃんの反応もひとしきり派手になった。
必死に手を伸ばす。
ずっと母親に抱かれたかったのか、まったく泣かなかったのに、しがみつくようにして泣きだした。
「悪かったですね。突然呼び出したりして。今更ですが初めまして、舞の兄の保です。」
正座をして挨拶をする。
「初めまして。勝手にお邪魔してしまって。舞さんの同期の石神涼太です。
赤ちゃん一度も泣かなくて、昼寝をして目が覚めてもご機嫌に遊んでました。」
「涼太があやすのがすごくうまいから。意外な才能だった。保父さんでも行けるよ!一人で留守番するより、今度は涼太を連れてくる。お姉さん安心して任せてください。」
「本当にありがとう。助かった。休日でまだよかった。一人だったら絶対パニック起こしてたから。」
「そんな時でも呼んで下さい。助けるって決めてますから。」
「ありがとう、二人とも助かった。出前でもとるか?」
「ううん、大丈夫。優美さん、横にならなくて平気ですか?」
「うん、安心したのもあって、今はまったく大丈夫。でもご飯は作るの面倒だし、良かったら一緒に食べない?石神さんも。」
誘われて彼女と一緒にご馳走になった。
近くの定食屋さん。
初めての経験にひそかにワクワクして丼のラップをはがした。
お味噌汁もついていて温かい。
「美味しいです。」
ついうれしくて口にした。
「舞、お前、手料理振舞ってるな。」
「なによ、その含みのある逆説的な言い方。たまによ、それに涼太はそれも美味しいって言ってくれます。」
「お兄さんこそ、優美さんの手伝いしてたらこんなときにササッと作ってもいいのに。」
「二人だったら作ってました。さすがに石神君に手料理を振舞う勇気はない。お前がそんな勇気を持ってたのにびっくりだ。」
「舞さんも上手です。美味しいです。」
「混ぜるだけとか、チンするだけとかじゃないだろうな?」
「ちゃんと作ってるわよ・・・・・、基本は煮込むだけとか、やっぱり混ぜるだけかもしれないけど。」
「そういえば・・・石神君は舞と同じ部署なの?」
「いいえ、僕は情報管理部です。」
「そうか・・・・・。」
「何よ。」
お兄さんが僕の後に彼女を見つめる。
「いや、別に。同じ部署で働いてたら舞がどんな風か聞こうと思っただけ。」
「あいにく。会社ではほとんど接点はありません。」
「ふ~ん、そりゃあ、寂しいだろう?」
「・・・別に会社は仕事をするところですから。」
「素直じゃないな。」
本当に仲が良いようだ。ちょっと羨ましくもある。
赤ちゃんはすっかり泣き止んで安心して母親の腕の中で眠っている。
食事のお礼を言ってお兄さんの家を後にした。
「涼太、ありがとう。一緒にいてくれて助かった。本当は1人きりでお世話したことなかったの。」
「そう?随分手慣れてると思ったのに。」
「留守番の時は出来るだけやってるの。兄が迷惑かけてる分は手伝うつもり。」
「お兄さん、大丈夫でしょう?」
「うん、あんまり詳しくは。今のところは心配いらないって言ってるけど。それより本当にびっくりした。涼太と子供の取り合わせが意外で。子供が好きだったの?」
改めて聞かれても近くにいなかったから分からない。
兄がいて下には誰もいなくて、いとこたちも同じかほとんど上の年。
昔っから年下弟分だったから。
「自分でも意外だった。でも本当に可愛いんだね。自分の子供だったらどうなるんだろう。」
しばらく想像してみる。
彼女からも言葉はなく。
「じゃあ、また何かあったら誘っていいの?」
「うんいいよ。どんどん成長するだろうね。今日だって両親のことはちゃんと分かってたみたいだし、大きくなったら泣かれるかもね。」
「嫌だなあ、大丈夫かなあ。お土産で笑顔をくれるのも数分くらいよね。」
「そうだよね。でも落ち着いてよかったね。」
「うん。入院とかになったらさすがに母親を呼ばないと。」
「・・・・家族って大変なんだね。」
彼女の視線がこっちを向いたのが分かった。
今の自分の言葉がどういう意味だったのか、自分でも分からないけど。
大切な物を守るのは大変、自分一人でできるなんて思ったらいけない。
誰かの力も必要だし。
喜びを共有し合う誰かもいて欲しい。
それが自分一人では決められない事のいい訳か・・・・。
それは、分からない。
たいてい前の日の夜にどこに行くか決める。
「ねえ、筒井さんって最初は舞がお気に入りだったのに。」
「そう?今は違うでしょう?」
「うん、何で?浅井さんと付き合ってるって聞いたけど。」
「だって最初からそう思ってたから。ちゃんと筒井さんには言ったのよ。
ゆかりは迷惑かもしれないけど、きっと合うって思ったの。」
「そうだね、すごく楽しそう。」
「でしょう?」
本当にうれしそうに話す。
すっかり同期会には参加しなくなった。自分も舞も。
週末にどこかで会って食事をして、別れる。
そんなデートを繰り返して笑顔を見れてることに、それなりには満足していた。
ある週末、一緒に江ノ島に行ったときに言われた。
シンプルなジーンズに白シャツ。
インナーに着た明るい色が透けて見える。
細い、ゆったりしたシャツに細い影が映る。
フェミニンな服じゃなくてもすごく綺麗だった。
その細い首筋に触れたくて。
そんな思いで首ばかり見ないように、つないだ手をひいて前を向いていたのに。
いつのころからか、自分の中には『枠』がある。
そこからはみ出すことは許されないだろうと思う『枠』
もしかしたら勝手に自分で決めたのかもしれない。
さほど窮屈に思わなかったのは、今まで強く固執するものがトランペットしかなかったから。
今、彼女を目の前にして自分でもどうしていいのか分からずに、足踏みをしている。
飛び越えて外に出ていいのか、飛び出した途端に何かをなくすんじゃないか。
小さい時から父親は忙しく仕事人で、世の中の父と子みたいにキャッチボールの思い出なんてない。
もっと手をつないで歩くと言った基本的な思い出もないくらいにない。
もちろん自分も一緒に外で遊びたいとか、そんなタイプの子供じゃなかったのだが。
おもちゃのボールのやり取りは母でも十分だったくらい、もしかして兄が相手をしてくれたのかもしれない。
父が1人で籠っていた自慢のオーディオルームに、10歳の誕生日のお願いで入っていいという許可をもらっただけでも十分だった。
中学生になる時に分不相応なトランペットを買ってくれたことも感謝した。
ただ兄はもっと違ったかもしれない。
小さい頃から兄と父が一緒にいるのはよく見ていた。
自分は寂しくて母の周りにいた。
母はとてもやさしい、だがあの父を支えるだけの強さも持っているのだろう。
自分の言動に特に何かを言うことはない。
ただ「お父さんに聞いてみなさい。」そう言われていた。
全ては父親が決定権を持っている。
ある時母親に聞いてみた。
「兄さんは彼女はいるのかな?」
「さあ、どうでしょう?きれいなお嬢さんはいっぱいいるし、いろいろお話はあるみたいだけど。お父さんに気に入られないとね。」
兄の伴侶も父親が決定権を持つのか?
じゃあ、自分は?
母親は首を横に倒す、とても残念そうに。
今自分の事を思われたんだろうか?
自分の相手のことも自分一人では決められないんだろうか?
うっすらと自分を囲んでる『枠』
それは父親が決めて設置してると思った。
恵まれた環境。感謝してもし足りない。
その反面として必要なんだろうか?
受け入れるしかないんだろうか?
あいにく彼女の様に兄との関係は濃くなくて。
今どんな状況なのかよくはわからない。
仕事は、今後の自分の生き方は、兄の結婚は、自分の相手については・・・・。
一度聞いてみてもいいのに。
はっきりと『枠』を見せられる事になりそうで、躊躇する。
自分は父に言われ、素直に諦めるのだろうか?
江ノ島で少しだけ枠を外して、彼女に近寄った後。
それでもきっかけの一歩は彼女からだった。
それに誘われるように、自分も少しはみ出してみたのだ。
彼女の部屋で過ごすことにも慣れた今。
自分の荷物が少しづつ増えていく。
そんな生活が繰り返されて社会人二年目になる。
あまり変わらない環境。
自分の周りは落ち着いている。
いつかはこの会社を辞めるんだろうか?
具体的にはまだ何の話も出ず。
居心地がよくて離れたくない。
彼女も気に入って働いてると言っていた。
それはうれしかった。
そう思う一方で・・・。
彼女とは・・・・どうなるんだろうか?
どうしたいかは決まってる、親に逆らってみる。
それを突き通せるのか、自分にはまだそこまでの自信がない・・・・。
今はこの現状に満足している。
先のことは彼女からも口にされたことがない。
もうすぐ付き合って一年になる。
本当にどうなるんだろう。
自分はどうするんだろう。
一度彼女のお兄さんの子供の面倒を一緒にみたことがあった。
まだまだ小さい赤ちゃんだった。
デートの途中に急に呼び出されて一緒に行ったのは病院で。
赤ちゃんのお母さん、お義姉さんの具合が悪いとお兄さんからの電話だった。
かなり急いでたらしい。
不安な顔をした彼女と一緒にお兄さんと病院で落ち合った。
検査中のお義姉さんに付きそうお兄さんから、赤ちゃんと鍵を預かった。
家まで送り、そのまま誘われるままに上がり、一緒に面倒をみた。
不安そうな顔の彼女を一人にするつもりもなかった。
彼女は何度も会ってるらしい。
繭ちゃん。小さな小さな女の子。
お兄さんから携帯で指示を貰うまでもなく大人しく寝ている。
時々オムツを見て替えるくらい。
小さな命はとても柔らかかった。
母性本能があるのなら父性もあるはずだ。
ベビーベッドに横になってる繭ちゃんを見ていた。
小さな手に自分の指の先だけが握り締められてて、思わず涙が出そうに感動した。
まったくの他人の赤ちゃんなのに。
これが自分の子供だったらと想像もした。
一日中見てても飽きないかもしれない。
起きだしてもぐずることなく。
黒い丸い目に見えるように近くのおもちゃを振って音を立てて気を引いて。
声をかけながらあやした。
笑顔は天使だった。
あまりにも可愛くて、オムツを取り替えた後の彼女がいない隙に膝に乗せて抱っこした。
温かくて柔らかくて、いい匂いがする。
かわいい。
本当に泣かなくて、自分にも大人しくあやされてくれていた。
それを見ていた彼女には、保育の才能があると言われた。
すっかり赤ちゃんに夢中になってたら、ふたりが帰ってきた。
「あっ・・・・。」
視線は自分の膝の上に。
一人よそ者なのに一番くつろいでる感がある。
一番の宝物の赤ちゃんまで抱いて。
「すみません。可愛くて。」
「本当に涼太、知らなかった、そんなに赤ちゃんが好きだったなんて。妹弟がいるわけでもないのに。」
「だって、舞、可愛いよ。天使だよね。全然泣かずにいてくれました。」
二人に安心してもらう様に言う。
ちょっと自慢に聞こえただろうか?
隣に座ったお父さん、彼女のお兄さんにお礼を言われた。
こちらこそありがとうございましたと言って、赤ちゃんを渡す。
太ももと腕の中からぬくもりが消えて寂しくなった。
赤ちゃんも分かるらしい、明らかにテンションが上がった。
さっきまでの笑顔は余所行きだったのか・・・・がっかり。
はっきり見えてなくても匂いで分かるんだろうか。
「大丈夫でしたか?」聞いてみた。
「ああ、すごい痛がって脂汗かいてたから心配したんだけど、大丈夫だったみたい。点滴と痛み止めの注射が効いたみたいで。」
すっかり痛みも落ち着いた母親が戻ってくると、赤ちゃんの反応もひとしきり派手になった。
必死に手を伸ばす。
ずっと母親に抱かれたかったのか、まったく泣かなかったのに、しがみつくようにして泣きだした。
「悪かったですね。突然呼び出したりして。今更ですが初めまして、舞の兄の保です。」
正座をして挨拶をする。
「初めまして。勝手にお邪魔してしまって。舞さんの同期の石神涼太です。
赤ちゃん一度も泣かなくて、昼寝をして目が覚めてもご機嫌に遊んでました。」
「涼太があやすのがすごくうまいから。意外な才能だった。保父さんでも行けるよ!一人で留守番するより、今度は涼太を連れてくる。お姉さん安心して任せてください。」
「本当にありがとう。助かった。休日でまだよかった。一人だったら絶対パニック起こしてたから。」
「そんな時でも呼んで下さい。助けるって決めてますから。」
「ありがとう、二人とも助かった。出前でもとるか?」
「ううん、大丈夫。優美さん、横にならなくて平気ですか?」
「うん、安心したのもあって、今はまったく大丈夫。でもご飯は作るの面倒だし、良かったら一緒に食べない?石神さんも。」
誘われて彼女と一緒にご馳走になった。
近くの定食屋さん。
初めての経験にひそかにワクワクして丼のラップをはがした。
お味噌汁もついていて温かい。
「美味しいです。」
ついうれしくて口にした。
「舞、お前、手料理振舞ってるな。」
「なによ、その含みのある逆説的な言い方。たまによ、それに涼太はそれも美味しいって言ってくれます。」
「お兄さんこそ、優美さんの手伝いしてたらこんなときにササッと作ってもいいのに。」
「二人だったら作ってました。さすがに石神君に手料理を振舞う勇気はない。お前がそんな勇気を持ってたのにびっくりだ。」
「舞さんも上手です。美味しいです。」
「混ぜるだけとか、チンするだけとかじゃないだろうな?」
「ちゃんと作ってるわよ・・・・・、基本は煮込むだけとか、やっぱり混ぜるだけかもしれないけど。」
「そういえば・・・石神君は舞と同じ部署なの?」
「いいえ、僕は情報管理部です。」
「そうか・・・・・。」
「何よ。」
お兄さんが僕の後に彼女を見つめる。
「いや、別に。同じ部署で働いてたら舞がどんな風か聞こうと思っただけ。」
「あいにく。会社ではほとんど接点はありません。」
「ふ~ん、そりゃあ、寂しいだろう?」
「・・・別に会社は仕事をするところですから。」
「素直じゃないな。」
本当に仲が良いようだ。ちょっと羨ましくもある。
赤ちゃんはすっかり泣き止んで安心して母親の腕の中で眠っている。
食事のお礼を言ってお兄さんの家を後にした。
「涼太、ありがとう。一緒にいてくれて助かった。本当は1人きりでお世話したことなかったの。」
「そう?随分手慣れてると思ったのに。」
「留守番の時は出来るだけやってるの。兄が迷惑かけてる分は手伝うつもり。」
「お兄さん、大丈夫でしょう?」
「うん、あんまり詳しくは。今のところは心配いらないって言ってるけど。それより本当にびっくりした。涼太と子供の取り合わせが意外で。子供が好きだったの?」
改めて聞かれても近くにいなかったから分からない。
兄がいて下には誰もいなくて、いとこたちも同じかほとんど上の年。
昔っから年下弟分だったから。
「自分でも意外だった。でも本当に可愛いんだね。自分の子供だったらどうなるんだろう。」
しばらく想像してみる。
彼女からも言葉はなく。
「じゃあ、また何かあったら誘っていいの?」
「うんいいよ。どんどん成長するだろうね。今日だって両親のことはちゃんと分かってたみたいだし、大きくなったら泣かれるかもね。」
「嫌だなあ、大丈夫かなあ。お土産で笑顔をくれるのも数分くらいよね。」
「そうだよね。でも落ち着いてよかったね。」
「うん。入院とかになったらさすがに母親を呼ばないと。」
「・・・・家族って大変なんだね。」
彼女の視線がこっちを向いたのが分かった。
今の自分の言葉がどういう意味だったのか、自分でも分からないけど。
大切な物を守るのは大変、自分一人でできるなんて思ったらいけない。
誰かの力も必要だし。
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