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9 思い切った後輩と言いきられた自分 ~桐乃~
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は~。びっくりした。
いきなり腰に手が来て、先に悲鳴をあげそうになったのはこっちだって。
不器用なんて言いながら、最後の最後に意外な一面を見た日。
傘の鍵を無くしてバタバタしてた始まりなんて、すっかり忘れてた。
とりあえずお好み焼きの分はだいぶん消費できてよかった。
駅の改札に向かう途中、コーヒー屋が珍しく空いていて、つい座りたくなった。
予約札を出してコーヒーをもらう。
今日の収穫はこのブラウス。
最初のも良かったんだけどなあ。
そっと袋の上の隙間からのぞいて、また満足して笑顔になる。
コーヒーを持ったまま俯いて目を閉じた。
疲れたなあ。
女子とならもっとワイワイ言いながら選ぶけど、後輩男子とはそうはいかない。
それでも飽きもせずに良くついてきた方だ。
一人でウロウロして何かを手にしてくるんだから、放っといても気にならなかった。
まるで犬の様だ。『気に入ったから買うよ!!』そう言ってもらいたいんだろうけど、犬のおもちゃとは値段が違う。
さっきまでつながれていた手は今はコーヒーの温かさを感じてる。
指が細くて長いから、やっぱりちょっとごつごつした感触だった。
でも、何を思ったんだろう?
あそこまで間違えて進めるものなの?
もしかして本当に分かれたのは最近だったのかもしれない。
ほんの1、2カ月前、それでそろそろ忘れろと柏木君が動いた、とか。
びっくりしただろうなあ。
あの時の顔は・・・恐怖じゃなかったよね。
目を開けた。
向かいの席に人がいて、今度は私の方がビックリした。
いつの間に!!
「さっきはすみませんでした。服を選んでもらったお礼が、ちゃんと出来てなくて。ここに居るのが見えたから。」
そう言って大きな袋を置いてカウンターに行った。
コーヒーを買ってくるらしい。
荷物入れを持って来てお互いの袋を入れた。
「ありがとうございます。」
「いいよ。私も付き合ってもらったんだし。」
そう言ったら何か言おうとしたけど、やめたみたいに口が動いた。
二人で静かにコーヒーを飲む時間。やっぱり疲れたよね。
「よく荷物持ちしてたの?」
女性の買い物付き添いに慣れてる感じもした。
「いつですか?」
「ちょっと前まで、かな?」
その話題にふれたら傷つけると分かってるのに、聞いてしまった。
でも少し曖昧にしたつもり。
「何の話か、よくわかりません。」
「ごめん。」
謝った。この話題は全然無理みたいだ。
懐かしい思い出になるにはまだ時が経ってないということだろう。
再び、コーヒータイム。
「二年前のチャンスは、どんな人だったと期待してるんですか?」
それは過去だと言ったのに。
本当に思い当たらないんだから何も想像できないのに。
「どんな人だったんだろうって思ってる。いいじゃない、想像するくらい自由でしょう?」
「じゃあ・・・柏木だったらどうですか?」
「いいね。なかなかいい人でしょう?仲がいいし、草野君の方が柏木君については語れるでしょう?」
無反応。聞いたのはそっちなのに。
「柏木君の彼女はラッキーね。」
やっぱり無反応。
またまたコーヒータイム。
「じゃあ、僕だったら?」
「草野君だったら?だって草野君が想像できないでしょう?彼女はどんな・・・・・あ・・・ごめん。」
しまった・・・・。
反省、そしてコーヒータイムを長くとった。
「想像できます。今日みたいな感じです。」
「近所の子供にお好み焼きを焼いてあげて、餌付けした気分だったけど。あとは、そうね、意外な魅力発見、細いから黒の一色でもいいね。サングラスもまんざらじゃなかったでしょう?」
反応もなく一人でコーヒータイムに入ったらしい。
褒めたよ~、反応してよ~。
「29歳ですね。」
「放っといて。」・・・・うるさい・・・・黙れ!!ここで言うな!!!
「僕は24歳です。」
そう良かったね。あと五年後、成長してる事を期待してます。
ただその頃私は寿退社もしくは子育て休暇中の予定です!!
悔しかったら私が去る前に成長すればいい。
私はあと5年あれば何とかなるだろう、友達、実家、プロに任せた相談所、コネは作ろうと思えばどこかにあるかもしれない。
すっかりコーヒーは空になった。
沈黙のたびにコーヒーを飲んで、小さいサイズはすぐになくなった。
さて、帰ろうか。
自分の荷物を見た。薄くたたまれたブラウスが入ってる薄い袋。
荷物持ちと言っても軽かっただろう。バスタオルより軽いんだから。
そんな私の雰囲気を察したらしい。
「朝倉さん、だからお礼がまだです。お酒奢ります。」
ええっ、帰りたいんだけど。
「お願いします。特に急いで帰る必要がありますか?」
逆説的な質問の仕方じゃない。
特にないでしょう?って決めてるでしょう。
「美味しいお酒が飲みたいから、自分で出す。」
そう言った。
妥協はしたくない、遠慮もしたくない。飲むなら自分の好きなものを。
それにさっき余分なお金を使ったじゃない。
美術館のタダ券をもらっただけなのに、何倍もかかる買い物をしたくせに。
「そんなに何杯も飲む気ですか?」
「いいじゃない。どうせ急いで帰る必要はないんだから。」
喧嘩腰の飲み会が始まる?
どうする?止める?
「分かりました。お礼はまたにします。」
「こだわるね。」
「意外にしつこいんです。」
「仕事でそれくらいでもいいよ。」
黙った。
よし。
荷物を持ってお互いのゴミを捨てて、移動した。
私が行きたいお店へ。当然です、美味しいお酒が飲みたいんです。
食べるより飲む。
と、その前にトイレ。
化粧はボロボロだった。
お好み焼きを焼いてた時点で汗をかいただろう。
しまったなあ、近くで見られたんだけど、5個も年下に。
急いで直して、トイレも済ませて外に出た。
壁にもたれて携帯を見てる草野君。
さっきの服を着て、そんな感じでいたら、なかなかいい感じかも。
今の服は明らかにぶかぶかだ。
それはそれで悪くないけど、もったいない。
「ねえ、そのシャツの下は、何着てる?」
「Tシャツを着てます。」
「ベルトはしてる?」
答える前に捲った。
してた。
ついでにもっと捲った。ちょっと腰が引いた。
やはりTシャツもぶかぶかだった。
インしてボタンを開けても、ぶかぶかじゃあダメだ。
「じゃあ、行こうか。」
手を離してシャツが元に戻った。
先導するように、バーに向かった。
なんだったんだろうと、思ってるだろうか。
まだまだ早い時間だったから余裕だった。
平日ならハッピーアワーの時間だ。
祝日だったら場所によってはOKなのに、残念。
いつでもここはダメだろうなあ。
「一人で来るところですか?」
一人でってわざわざ聞くの?
「たまにね。」
「もしかして会社の帰りにも来てますか?」
「たまにね。」
週末来るわけないじゃない。一人でいるなんて寂しいじゃない。
「さっき何をしたかったんですか?」
「何?服を捲ったこと?」
「はい。」
「Tシャツが細身でベルトをしてるんだったらボタンを開けた方がいいかなって思っただけ。ベルトはしてたけど中もゆるっとしたサイズなのね。」
「全部そんな感じです。」
「人にはあんなに細身を押し付けたくせに、自分だけゆるゆるじゃない。」
「買い直します。」
「いや、別にそんな意味じゃないわよ。ファッションは他人の為じゃないし、自分の為よ。自己満足でいいの。ただ気がついてないんだったらもったいないと思っただけ。」
「でもそれも好みだしね。いいんじゃない、相手の好みと自分の好みを合わせて好きな感じで。」
「じゃあ、合わせます。細い服にします。」
「それは・・・・どうだか、私は知らないけど。」
美味しいお酒はいいお値段で、ちょっとづつちょっとづつ口にする。
大切に飲む。
「明日は何してるんですか?」
「何しようかなあ。起きてから考える。」
「草野君は?」
「僕はデートに誘いたいです。」
真っ赤になった。
あれ?もしかしてこの間の金曜日、上手くいった?
なによ・・・・時間差でいい事あったパターン?
「良かったじゃない、ねえ、それを着ていくの?どうする?」
足元の籠の袋を指さした。
「それが良ければ・・・。」
曖昧に自信のない顔をする。よし、自信を持つくらいで送り出してやろう。
「いいって、絶対だよ。草野君だとそこまで気障には決まらないから、優しい感じが残るから、黒でもいいと思う。相手がフリフリのラブリースタイルでも合う合う。」
フリフリラブリーだったら微妙だけど、まあまあいけるだろう。
相手とのバランスも大切だけど、やっぱり魅力的に見えるのが一番。
役に立ったならうれしい!!
「ああ、じゃあ、ここで飲んでる場合じゃないじゃない。帰らなくていいの?」
時計を見たけど、まだ早い時間だった。
「まだいいか。早い時間だもんね。」
とりあえず今の分は飲むだろうし。
「まだ早い時間です。」
そう言って一気に飲んだ。もったいない。
一気に1000円分くらい飲んだんだよ。
グラスが下ろされた。
空っぽなグラス。
「お好み焼き、やっぱり練習すればよかったのに。明日は食べなくてもいつ食べることになるか分からないよ。」
「いいです。ちゃんと自宅で練習します。」
「ああ、そうだったね。」
「天気がいいといいね。今日は今一つだったしね。」
ん???
「・・・・・ねえ、傘がない。二人とも持ってたのに、ないよ。」
「あ・・・・。」
お好み焼き屋だ、あそこで手放したんだ。
ずっと地下道と駅直結のお店で外に出てない。
気がつかなかった。
「お気に入りでしたか?」
「う~ん、取りに帰るほどじゃないかな。もう大分使ってるから降ってなかったらいいかなあ。」
お店の外を見た。窓はない、でも歩いてるお客さんの手元が見える。
明らかに傘をさっきまで使ってました・・・そんな感じだ。
「一日降る予報でした。」
「そうだよね・・・・。」
「駅から遠いですか?」
「遠くはないけど、完ぺきに濡れるじゃない。間に合わせで買うかな。」
「そう言う草野君は?透明傘だったよね。」
「はい。僕はいいです、簡単に諦めます。むしろよくあることです。」
「そんな自慢してもしょうがないよ。」
まあ、いいや、後で考えよう。
「明日は晴れます。」
「そう、良かったじゃない。」
ああ、ちょっと力が抜けた。ガッカリだ。二人いて、どっちも気がつかないなんて。
随分時間が経ってるのに。
「明日は晴れて、相手の好みの恰好で出かけます。だからデートしてください。」
脱力した気分で上の空だった。
「はい?」
顔を見たらやっぱり赤い。
さっきの一気飲みが効いた?
「デートしてください。さっきも言ったのに、無視されました。」
「いつ?」
「さっきです。コーヒー屋さんでも・・・・。」
「知らない、気のせいだよ。」
他に何と言うべき?気がつかないほどとぼけたつもりはない。
色んな事を見逃さないようにって数週間前から思ってるのに。
ただ、相手が・・・・。
「デートの二人みたいで、お好み焼きを焼いてもらうのをすごく・・・嬉しく思ってたのに、近所の子供扱いだなんて、ガッカリでした。」
ああ・・・・・、つい正直に言ったんだ。
ちょっとした感想を言っただけだ。思ったことをそのまま。
「なんで・・・・本当に・・・・柏木の事は全力で認めて彼女を羨んで、いい奴ですよ、確かに。でも彼女がいるじゃないですか。」
だからだよ、だから余裕で褒めることもできるのよ。
一気に飲みたい気分だけど、そこはやっぱりちょびちょびと口をつける。
「とりあえず、お代わりする?」
そう聞いたら明らかにムッとされた。
見たことないくらいムッとされた。
そんなところが子供だって言うのに。
一人でメニュー表を見て手を挙げてる。
なんだ、お代わりするんじゃない。
「さっき誰と間違ったの?」
「いつですか?」
「サングラスを外した後、手をつないで、座るまでの間、誰と間違えてたの?」
「あんなに顔を寄せて鏡を覗き込んでたから。値段を見てびっくりして、つい手を引いただけです。」
その後腰にも来たけど。
飛び上がるくらいびっくりしたくせに。
「ついつい楽しくてうれしくて、すっかりデート気分だったんです。さすがに顔を見たら現実に戻りました。荷物持ちだったんだって思って。」
「あ、そう。」
どんな間違い?結局よくわからない。
元カノと間違ったのではないらしい?
「返事はもらえないんですか?」
「僕は絶対楽しいです、うれしいです。できたら朝倉さんも楽しいって思ってもらえたらいいのに。僕だっていい奴だって言われます。朝倉さんが大好きな柏木にもそう言われてます。」
それは知ってる。妙な言い回しは無視。
お酒が届いた。
グラスを持ってカチンと合わせた。
ゆっくり飲むことにしたらしい。
ああ・・・・確かにデートがしたい、なんてつぶやいたかも。
でも近すぎるよね、困るよね。
年下だよね。
お酒を飲んで、俯いた状態になった草野君。
そっとその横顔を見る。
近所の男の子、どこにでもいそうなちょっと世話の焼ける子。
やっぱり近過ぎる。
いろいろと障りがある。
それは明らかに。
一年後、すっかり大台に乗った私と、とうとう『世話の焼ける後輩』を卒業して男らしくなった草野君。
その頃は、もっと耐えられないと思う。
どちらかが異動してれば何とかなる。
でも私もそれは嫌で、草野君はもっと無理。
どうあっても、やっぱり、無理じゃない。
隣で大きく息をついて顔をあげる気配があって、急いで視線を戻した。
「・・・・分かりました。」
そう言ってお酒を飲んだ草野君
返事はいいみたい。
私もお酒を飲み終わった。
これで終わりにしよう。
「じゃあ、帰ろうか。」
「・・・・はい。」
「奢ります。」
最初で最後、じゃあ。
「ありがとう。ご馳走になります。」
会計をしてくれてる間、荷物を持って待つ。
今はブラウスの袋は自分の手の中に。
今日は散々だったかもしれない。
荷物持ちをして、服を数点押し付けられ、お酒を奢らされ、ついでの誘いは返事ももらえず。
お好み焼き二枚の世話代には割に合わないと思うだろうか?
それでもいつもの指導分を乗せると、決して過ぎることはないはずよね?
会計が終わってお店から出た。
改札に向かって歩く。
なかなか会話も難しくなった。
もともと難しかったから、元に戻ったのか。
ちょっと今日はいつもよりは調子が良かっただけだ。
じゃあ、これから他の人にだって何とかなるんじゃないの?
せっかく気に入って買ったんだから、その服を着て誘われればいい。
柏木君がおすすめするほどの誰かに。
「じゃあ草野君、いろいろありがとう。お休み。」
「お休みなさい、桐乃さん。」
初めて下の名前で呼ばれた。びっくりしたけど、サラリと流して手を振った。
それくらいできる。腰に手を置かれても悲鳴は上げなかったんだから。
それに比べたら、別にね。
それでも途中で思い出した。
傘!
まだ雨が降ってるらしい。
皆の傘は濡れている。
まだ早い、そのまま歩いてお好み焼きの店まで歩いて行った。
草野君のは見分けるのは無理だろう。
自分のだけ引き取ればいいか。
そう思ってた。
のんびり歩き過ぎたのかもしれない、先にたどり着いたらしい草野君が二本の傘を手にしていた。
さっき手を振ったのに、非常に気まずいって思いながらも声をかけるしかなかった。
「草野君。」
ビクッとしたけど、飛び上がるほどじゃなかった。
私の傘は覚えていたらしい。
そう思ったけどお店の人が預かって集団ごとに番号をつけていてくれてたらしい。
多分会計の時に番号を合わせるんだろう。
それを忘れられたんだろう。
そしてどちらかが来れば、もれなくもう一本もついて来ます、と。
私が戻って来なかったら困っただろうか?
無事にお互いの傘を取り戻せた今、さあ、今度こそ手を振って・・・・・。
でも途中までは同じ方向に歩くしかない。
気まずさは続く、いっそ笑いたいくらいだ。
「ねえ、これで自分の駅について雨がやんでたら、なんか悔しくない?」
「いいえ、桐乃さんが濡れないで帰れたら、それはそれでいいと思います。」
なんで下の名前で呼ぶことにしたの?
会社じゃ呼ばないよね。
「もし取りに帰って来なかったら、明日駅まで持って行こうと思ってました。」
「連絡できないじゃない。」
「誰かに聞きます。」
それは良かった。取りに来て正解。
「危うく草野君のお休みを無駄に使わせるところだった。良かった、気持ちだけありがとう。」
「そんな感じだったから、二年前のチャンスも掴めなかったんじゃないですか?」
何にぃ?
むかむかむかっ。今明らかに、下げられたよね?
地蔵の心をもっても聞き捨てならない、今のセリフ。
きつい目で睨んだと思う。
今までなら悲鳴を上げるくらいビビりそうなのに、チラリと見たのにふいっと視線を逸らした。
いい度胸じゃないかっ!!
やっぱり無言のまま歩いた。
さっきより自分のヒールの音が尖ってるかもしれない。
急に手を掴まれて、止まられた。
「何でちゃんと言ってくれないんですか?」
「年下が無理だとか、仕事を一人前にしてから言いなさいとか。そもそも好みじゃないから後輩止まりだとか。」
「ねえ、何で急にそうなるの?もっと冷静に考えた方がいいよ。聞かなかったことにするから。多分それがいい。」
「誰がそう思うんですか?僕は思ってないです。もし、聞きたくないなら聞きたくないで、いいです。はっきり言ってください。」
掴んだ手は相当力が入ってた。
怒ってるみたいだ。
痛い・・・・。
チラリと腕を見たら、少し力が緩んだ。
「すみません。」
そう言われたけど手は離れない。
「まだ辛いんだとしても、今、誰か隣にいて欲しいんだとしても、無理やり私を選ばないで。それに二年前のチャンスの事は過去だって言ったじゃない。残念だったわねって、そう言われただけだから。」
「柏木君も言ってたわよ、いい奴だから、そこを分かってくれる子は絶対いるって。私もそう思ってる。きっと誰にでも、誰かがいるって信じないと私も寂しいからね。明るい未来を向こう。」
「過去は過去です。別にいいです。桐乃さんこそそこにこだわってますか?二年前は僕だってただの綺麗な先輩だとしか思ってなかったです。告白したのは今日の日の今です。」
また腕に力が入った。
「桐乃さんこそ、ちゃんと断る理由を教えてください。でも、せめてもう少し考えてください。なんなら柏木に相談してもらってもいいです。随分信頼してますもんね。」
そう言ってお好み焼きのサービス券に電話番号を書いて渡された。
「柏木の連絡先です。」
何で?相談するわけないじゃない。
受け取らないでいたらブラウスの入った袋に突っ込まれた。
「来週、返事を待ってます。気まずいなら、早めに返事を下さい。」
そういって一歩離れた草野君。
掴まれていた腕にはまだジワリと残る感触がある。
「今度こそ、お休みなさい、桐乃さん。」
そう言って改札に消えた草野君。
しつこい!
なんだか自信ありげじゃない?
なんだかんだと考えたらいい返事をもらえると思ってるみたいじゃない。
いつもならすぐに撤回しそうなのに。
そんな強気な部分あったの?
柏木君も驚きよ。
ああ、教えたい。ちょっと教えたい。
知らないのよね、だって紹介枠の中に私は入ってない感じだったし。
当たり前だ、直ぐ近くにいる年上の・・・ちょっと上の先輩。
ああ、びっくりするだろうなあ。
誰が聞いてもびっくりするだろうなあ。
私だってびっくりしてるし。
何がどうなってそうなったんだか。
ぼんやりと立ちつくしたままだった。
明らかに邪魔だろう。
我に返って改札に向かい、部屋に戻るべく電車に乗った。
駅についたら雨はやんでいた。
やはり悔しいと空を見上げるよりは、良かった・・・だった。
お酒を買って戻った。長い一日がやっと終わる。
占いで言われたことはメモしていた。
お金を払ったんだから、きちんと記憶に残る様に、そう思って携帯のメモ機能に入れていた。
それを見直す。
1人目から3人目の占い師さんまではあっさりとまとめるように耳新しい事を追記して増やした。特に新しい展望もなかったのだ。同じことの指摘を繰り返された時間だった。
そして4人目、『二年前の大きなチャンス、どこにあった?』そう書かれていた。
『今度は絶対見逃さないように、自分の勘と運を信じる。』
『丸く笑顔で穏やかに、常に心に地蔵菩薩を!』
自分のメモを見てちょっと笑ってしまった。
29歳になる、本当に周りがバタバタする時期、特に女性は。
抜け駆けはしないようにとお互いにお互いの様子をうかがい、いざという時のショックを和らげるように、恨みを逸らせるように、情報は小出しに、逐一報告、ハッピーのおすそ分けも忘れないように。
それでもひょっこりと思わぬ方向からゴール話の矢が飛んで来ることがある。
それは古い古い懐かしい友達だったり、母親から聞かされる親族の誰かの話だったり。
すぐに笑顔でおめでとうと言うまでに、一度表情が止まる。
いっそ30歳の壁を乗り越えたら諦めるのか、また次の壁間際まで余裕の態度を持てるのか。
『29歳ですね。・・・・・僕は24歳です。・・・・・』
この間はちょっと年上なだけだと言ったくせに、わざわざ比べるように数字を並べて、本当に顎を叩き上げたくなった。
パワハラにセクハラに・・・単なる暴行がくっつく。
『自然に無礼なヤツ。』
ちょっと距離をとり全身を眺めたり、ラインの出やすい服をわざわざ勧めたり、それはセクハラでいいんじゃない?
缶ビールが軽くなる。
自分の喉が鳴る、唸り声もついてくる。
トゲトゲだろうがカクカクの四角だろうが構わない。
自分の部屋にいるんだから高波警報を出すくらい感情の波が荒れてても構わない。
私だって言いたい愚痴は山ほどあるんだ。
結局次の日は体が重くて、何をする気にもならなかった。
濡れていた傘はベランダで干して、夕方には綺麗に乾いていた。
本当にいい天気だった。
いきなり腰に手が来て、先に悲鳴をあげそうになったのはこっちだって。
不器用なんて言いながら、最後の最後に意外な一面を見た日。
傘の鍵を無くしてバタバタしてた始まりなんて、すっかり忘れてた。
とりあえずお好み焼きの分はだいぶん消費できてよかった。
駅の改札に向かう途中、コーヒー屋が珍しく空いていて、つい座りたくなった。
予約札を出してコーヒーをもらう。
今日の収穫はこのブラウス。
最初のも良かったんだけどなあ。
そっと袋の上の隙間からのぞいて、また満足して笑顔になる。
コーヒーを持ったまま俯いて目を閉じた。
疲れたなあ。
女子とならもっとワイワイ言いながら選ぶけど、後輩男子とはそうはいかない。
それでも飽きもせずに良くついてきた方だ。
一人でウロウロして何かを手にしてくるんだから、放っといても気にならなかった。
まるで犬の様だ。『気に入ったから買うよ!!』そう言ってもらいたいんだろうけど、犬のおもちゃとは値段が違う。
さっきまでつながれていた手は今はコーヒーの温かさを感じてる。
指が細くて長いから、やっぱりちょっとごつごつした感触だった。
でも、何を思ったんだろう?
あそこまで間違えて進めるものなの?
もしかして本当に分かれたのは最近だったのかもしれない。
ほんの1、2カ月前、それでそろそろ忘れろと柏木君が動いた、とか。
びっくりしただろうなあ。
あの時の顔は・・・恐怖じゃなかったよね。
目を開けた。
向かいの席に人がいて、今度は私の方がビックリした。
いつの間に!!
「さっきはすみませんでした。服を選んでもらったお礼が、ちゃんと出来てなくて。ここに居るのが見えたから。」
そう言って大きな袋を置いてカウンターに行った。
コーヒーを買ってくるらしい。
荷物入れを持って来てお互いの袋を入れた。
「ありがとうございます。」
「いいよ。私も付き合ってもらったんだし。」
そう言ったら何か言おうとしたけど、やめたみたいに口が動いた。
二人で静かにコーヒーを飲む時間。やっぱり疲れたよね。
「よく荷物持ちしてたの?」
女性の買い物付き添いに慣れてる感じもした。
「いつですか?」
「ちょっと前まで、かな?」
その話題にふれたら傷つけると分かってるのに、聞いてしまった。
でも少し曖昧にしたつもり。
「何の話か、よくわかりません。」
「ごめん。」
謝った。この話題は全然無理みたいだ。
懐かしい思い出になるにはまだ時が経ってないということだろう。
再び、コーヒータイム。
「二年前のチャンスは、どんな人だったと期待してるんですか?」
それは過去だと言ったのに。
本当に思い当たらないんだから何も想像できないのに。
「どんな人だったんだろうって思ってる。いいじゃない、想像するくらい自由でしょう?」
「じゃあ・・・柏木だったらどうですか?」
「いいね。なかなかいい人でしょう?仲がいいし、草野君の方が柏木君については語れるでしょう?」
無反応。聞いたのはそっちなのに。
「柏木君の彼女はラッキーね。」
やっぱり無反応。
またまたコーヒータイム。
「じゃあ、僕だったら?」
「草野君だったら?だって草野君が想像できないでしょう?彼女はどんな・・・・・あ・・・ごめん。」
しまった・・・・。
反省、そしてコーヒータイムを長くとった。
「想像できます。今日みたいな感じです。」
「近所の子供にお好み焼きを焼いてあげて、餌付けした気分だったけど。あとは、そうね、意外な魅力発見、細いから黒の一色でもいいね。サングラスもまんざらじゃなかったでしょう?」
反応もなく一人でコーヒータイムに入ったらしい。
褒めたよ~、反応してよ~。
「29歳ですね。」
「放っといて。」・・・・うるさい・・・・黙れ!!ここで言うな!!!
「僕は24歳です。」
そう良かったね。あと五年後、成長してる事を期待してます。
ただその頃私は寿退社もしくは子育て休暇中の予定です!!
悔しかったら私が去る前に成長すればいい。
私はあと5年あれば何とかなるだろう、友達、実家、プロに任せた相談所、コネは作ろうと思えばどこかにあるかもしれない。
すっかりコーヒーは空になった。
沈黙のたびにコーヒーを飲んで、小さいサイズはすぐになくなった。
さて、帰ろうか。
自分の荷物を見た。薄くたたまれたブラウスが入ってる薄い袋。
荷物持ちと言っても軽かっただろう。バスタオルより軽いんだから。
そんな私の雰囲気を察したらしい。
「朝倉さん、だからお礼がまだです。お酒奢ります。」
ええっ、帰りたいんだけど。
「お願いします。特に急いで帰る必要がありますか?」
逆説的な質問の仕方じゃない。
特にないでしょう?って決めてるでしょう。
「美味しいお酒が飲みたいから、自分で出す。」
そう言った。
妥協はしたくない、遠慮もしたくない。飲むなら自分の好きなものを。
それにさっき余分なお金を使ったじゃない。
美術館のタダ券をもらっただけなのに、何倍もかかる買い物をしたくせに。
「そんなに何杯も飲む気ですか?」
「いいじゃない。どうせ急いで帰る必要はないんだから。」
喧嘩腰の飲み会が始まる?
どうする?止める?
「分かりました。お礼はまたにします。」
「こだわるね。」
「意外にしつこいんです。」
「仕事でそれくらいでもいいよ。」
黙った。
よし。
荷物を持ってお互いのゴミを捨てて、移動した。
私が行きたいお店へ。当然です、美味しいお酒が飲みたいんです。
食べるより飲む。
と、その前にトイレ。
化粧はボロボロだった。
お好み焼きを焼いてた時点で汗をかいただろう。
しまったなあ、近くで見られたんだけど、5個も年下に。
急いで直して、トイレも済ませて外に出た。
壁にもたれて携帯を見てる草野君。
さっきの服を着て、そんな感じでいたら、なかなかいい感じかも。
今の服は明らかにぶかぶかだ。
それはそれで悪くないけど、もったいない。
「ねえ、そのシャツの下は、何着てる?」
「Tシャツを着てます。」
「ベルトはしてる?」
答える前に捲った。
してた。
ついでにもっと捲った。ちょっと腰が引いた。
やはりTシャツもぶかぶかだった。
インしてボタンを開けても、ぶかぶかじゃあダメだ。
「じゃあ、行こうか。」
手を離してシャツが元に戻った。
先導するように、バーに向かった。
なんだったんだろうと、思ってるだろうか。
まだまだ早い時間だったから余裕だった。
平日ならハッピーアワーの時間だ。
祝日だったら場所によってはOKなのに、残念。
いつでもここはダメだろうなあ。
「一人で来るところですか?」
一人でってわざわざ聞くの?
「たまにね。」
「もしかして会社の帰りにも来てますか?」
「たまにね。」
週末来るわけないじゃない。一人でいるなんて寂しいじゃない。
「さっき何をしたかったんですか?」
「何?服を捲ったこと?」
「はい。」
「Tシャツが細身でベルトをしてるんだったらボタンを開けた方がいいかなって思っただけ。ベルトはしてたけど中もゆるっとしたサイズなのね。」
「全部そんな感じです。」
「人にはあんなに細身を押し付けたくせに、自分だけゆるゆるじゃない。」
「買い直します。」
「いや、別にそんな意味じゃないわよ。ファッションは他人の為じゃないし、自分の為よ。自己満足でいいの。ただ気がついてないんだったらもったいないと思っただけ。」
「でもそれも好みだしね。いいんじゃない、相手の好みと自分の好みを合わせて好きな感じで。」
「じゃあ、合わせます。細い服にします。」
「それは・・・・どうだか、私は知らないけど。」
美味しいお酒はいいお値段で、ちょっとづつちょっとづつ口にする。
大切に飲む。
「明日は何してるんですか?」
「何しようかなあ。起きてから考える。」
「草野君は?」
「僕はデートに誘いたいです。」
真っ赤になった。
あれ?もしかしてこの間の金曜日、上手くいった?
なによ・・・・時間差でいい事あったパターン?
「良かったじゃない、ねえ、それを着ていくの?どうする?」
足元の籠の袋を指さした。
「それが良ければ・・・。」
曖昧に自信のない顔をする。よし、自信を持つくらいで送り出してやろう。
「いいって、絶対だよ。草野君だとそこまで気障には決まらないから、優しい感じが残るから、黒でもいいと思う。相手がフリフリのラブリースタイルでも合う合う。」
フリフリラブリーだったら微妙だけど、まあまあいけるだろう。
相手とのバランスも大切だけど、やっぱり魅力的に見えるのが一番。
役に立ったならうれしい!!
「ああ、じゃあ、ここで飲んでる場合じゃないじゃない。帰らなくていいの?」
時計を見たけど、まだ早い時間だった。
「まだいいか。早い時間だもんね。」
とりあえず今の分は飲むだろうし。
「まだ早い時間です。」
そう言って一気に飲んだ。もったいない。
一気に1000円分くらい飲んだんだよ。
グラスが下ろされた。
空っぽなグラス。
「お好み焼き、やっぱり練習すればよかったのに。明日は食べなくてもいつ食べることになるか分からないよ。」
「いいです。ちゃんと自宅で練習します。」
「ああ、そうだったね。」
「天気がいいといいね。今日は今一つだったしね。」
ん???
「・・・・・ねえ、傘がない。二人とも持ってたのに、ないよ。」
「あ・・・・。」
お好み焼き屋だ、あそこで手放したんだ。
ずっと地下道と駅直結のお店で外に出てない。
気がつかなかった。
「お気に入りでしたか?」
「う~ん、取りに帰るほどじゃないかな。もう大分使ってるから降ってなかったらいいかなあ。」
お店の外を見た。窓はない、でも歩いてるお客さんの手元が見える。
明らかに傘をさっきまで使ってました・・・そんな感じだ。
「一日降る予報でした。」
「そうだよね・・・・。」
「駅から遠いですか?」
「遠くはないけど、完ぺきに濡れるじゃない。間に合わせで買うかな。」
「そう言う草野君は?透明傘だったよね。」
「はい。僕はいいです、簡単に諦めます。むしろよくあることです。」
「そんな自慢してもしょうがないよ。」
まあ、いいや、後で考えよう。
「明日は晴れます。」
「そう、良かったじゃない。」
ああ、ちょっと力が抜けた。ガッカリだ。二人いて、どっちも気がつかないなんて。
随分時間が経ってるのに。
「明日は晴れて、相手の好みの恰好で出かけます。だからデートしてください。」
脱力した気分で上の空だった。
「はい?」
顔を見たらやっぱり赤い。
さっきの一気飲みが効いた?
「デートしてください。さっきも言ったのに、無視されました。」
「いつ?」
「さっきです。コーヒー屋さんでも・・・・。」
「知らない、気のせいだよ。」
他に何と言うべき?気がつかないほどとぼけたつもりはない。
色んな事を見逃さないようにって数週間前から思ってるのに。
ただ、相手が・・・・。
「デートの二人みたいで、お好み焼きを焼いてもらうのをすごく・・・嬉しく思ってたのに、近所の子供扱いだなんて、ガッカリでした。」
ああ・・・・・、つい正直に言ったんだ。
ちょっとした感想を言っただけだ。思ったことをそのまま。
「なんで・・・・本当に・・・・柏木の事は全力で認めて彼女を羨んで、いい奴ですよ、確かに。でも彼女がいるじゃないですか。」
だからだよ、だから余裕で褒めることもできるのよ。
一気に飲みたい気分だけど、そこはやっぱりちょびちょびと口をつける。
「とりあえず、お代わりする?」
そう聞いたら明らかにムッとされた。
見たことないくらいムッとされた。
そんなところが子供だって言うのに。
一人でメニュー表を見て手を挙げてる。
なんだ、お代わりするんじゃない。
「さっき誰と間違ったの?」
「いつですか?」
「サングラスを外した後、手をつないで、座るまでの間、誰と間違えてたの?」
「あんなに顔を寄せて鏡を覗き込んでたから。値段を見てびっくりして、つい手を引いただけです。」
その後腰にも来たけど。
飛び上がるくらいびっくりしたくせに。
「ついつい楽しくてうれしくて、すっかりデート気分だったんです。さすがに顔を見たら現実に戻りました。荷物持ちだったんだって思って。」
「あ、そう。」
どんな間違い?結局よくわからない。
元カノと間違ったのではないらしい?
「返事はもらえないんですか?」
「僕は絶対楽しいです、うれしいです。できたら朝倉さんも楽しいって思ってもらえたらいいのに。僕だっていい奴だって言われます。朝倉さんが大好きな柏木にもそう言われてます。」
それは知ってる。妙な言い回しは無視。
お酒が届いた。
グラスを持ってカチンと合わせた。
ゆっくり飲むことにしたらしい。
ああ・・・・確かにデートがしたい、なんてつぶやいたかも。
でも近すぎるよね、困るよね。
年下だよね。
お酒を飲んで、俯いた状態になった草野君。
そっとその横顔を見る。
近所の男の子、どこにでもいそうなちょっと世話の焼ける子。
やっぱり近過ぎる。
いろいろと障りがある。
それは明らかに。
一年後、すっかり大台に乗った私と、とうとう『世話の焼ける後輩』を卒業して男らしくなった草野君。
その頃は、もっと耐えられないと思う。
どちらかが異動してれば何とかなる。
でも私もそれは嫌で、草野君はもっと無理。
どうあっても、やっぱり、無理じゃない。
隣で大きく息をついて顔をあげる気配があって、急いで視線を戻した。
「・・・・分かりました。」
そう言ってお酒を飲んだ草野君
返事はいいみたい。
私もお酒を飲み終わった。
これで終わりにしよう。
「じゃあ、帰ろうか。」
「・・・・はい。」
「奢ります。」
最初で最後、じゃあ。
「ありがとう。ご馳走になります。」
会計をしてくれてる間、荷物を持って待つ。
今はブラウスの袋は自分の手の中に。
今日は散々だったかもしれない。
荷物持ちをして、服を数点押し付けられ、お酒を奢らされ、ついでの誘いは返事ももらえず。
お好み焼き二枚の世話代には割に合わないと思うだろうか?
それでもいつもの指導分を乗せると、決して過ぎることはないはずよね?
会計が終わってお店から出た。
改札に向かって歩く。
なかなか会話も難しくなった。
もともと難しかったから、元に戻ったのか。
ちょっと今日はいつもよりは調子が良かっただけだ。
じゃあ、これから他の人にだって何とかなるんじゃないの?
せっかく気に入って買ったんだから、その服を着て誘われればいい。
柏木君がおすすめするほどの誰かに。
「じゃあ草野君、いろいろありがとう。お休み。」
「お休みなさい、桐乃さん。」
初めて下の名前で呼ばれた。びっくりしたけど、サラリと流して手を振った。
それくらいできる。腰に手を置かれても悲鳴は上げなかったんだから。
それに比べたら、別にね。
それでも途中で思い出した。
傘!
まだ雨が降ってるらしい。
皆の傘は濡れている。
まだ早い、そのまま歩いてお好み焼きの店まで歩いて行った。
草野君のは見分けるのは無理だろう。
自分のだけ引き取ればいいか。
そう思ってた。
のんびり歩き過ぎたのかもしれない、先にたどり着いたらしい草野君が二本の傘を手にしていた。
さっき手を振ったのに、非常に気まずいって思いながらも声をかけるしかなかった。
「草野君。」
ビクッとしたけど、飛び上がるほどじゃなかった。
私の傘は覚えていたらしい。
そう思ったけどお店の人が預かって集団ごとに番号をつけていてくれてたらしい。
多分会計の時に番号を合わせるんだろう。
それを忘れられたんだろう。
そしてどちらかが来れば、もれなくもう一本もついて来ます、と。
私が戻って来なかったら困っただろうか?
無事にお互いの傘を取り戻せた今、さあ、今度こそ手を振って・・・・・。
でも途中までは同じ方向に歩くしかない。
気まずさは続く、いっそ笑いたいくらいだ。
「ねえ、これで自分の駅について雨がやんでたら、なんか悔しくない?」
「いいえ、桐乃さんが濡れないで帰れたら、それはそれでいいと思います。」
なんで下の名前で呼ぶことにしたの?
会社じゃ呼ばないよね。
「もし取りに帰って来なかったら、明日駅まで持って行こうと思ってました。」
「連絡できないじゃない。」
「誰かに聞きます。」
それは良かった。取りに来て正解。
「危うく草野君のお休みを無駄に使わせるところだった。良かった、気持ちだけありがとう。」
「そんな感じだったから、二年前のチャンスも掴めなかったんじゃないですか?」
何にぃ?
むかむかむかっ。今明らかに、下げられたよね?
地蔵の心をもっても聞き捨てならない、今のセリフ。
きつい目で睨んだと思う。
今までなら悲鳴を上げるくらいビビりそうなのに、チラリと見たのにふいっと視線を逸らした。
いい度胸じゃないかっ!!
やっぱり無言のまま歩いた。
さっきより自分のヒールの音が尖ってるかもしれない。
急に手を掴まれて、止まられた。
「何でちゃんと言ってくれないんですか?」
「年下が無理だとか、仕事を一人前にしてから言いなさいとか。そもそも好みじゃないから後輩止まりだとか。」
「ねえ、何で急にそうなるの?もっと冷静に考えた方がいいよ。聞かなかったことにするから。多分それがいい。」
「誰がそう思うんですか?僕は思ってないです。もし、聞きたくないなら聞きたくないで、いいです。はっきり言ってください。」
掴んだ手は相当力が入ってた。
怒ってるみたいだ。
痛い・・・・。
チラリと腕を見たら、少し力が緩んだ。
「すみません。」
そう言われたけど手は離れない。
「まだ辛いんだとしても、今、誰か隣にいて欲しいんだとしても、無理やり私を選ばないで。それに二年前のチャンスの事は過去だって言ったじゃない。残念だったわねって、そう言われただけだから。」
「柏木君も言ってたわよ、いい奴だから、そこを分かってくれる子は絶対いるって。私もそう思ってる。きっと誰にでも、誰かがいるって信じないと私も寂しいからね。明るい未来を向こう。」
「過去は過去です。別にいいです。桐乃さんこそそこにこだわってますか?二年前は僕だってただの綺麗な先輩だとしか思ってなかったです。告白したのは今日の日の今です。」
また腕に力が入った。
「桐乃さんこそ、ちゃんと断る理由を教えてください。でも、せめてもう少し考えてください。なんなら柏木に相談してもらってもいいです。随分信頼してますもんね。」
そう言ってお好み焼きのサービス券に電話番号を書いて渡された。
「柏木の連絡先です。」
何で?相談するわけないじゃない。
受け取らないでいたらブラウスの入った袋に突っ込まれた。
「来週、返事を待ってます。気まずいなら、早めに返事を下さい。」
そういって一歩離れた草野君。
掴まれていた腕にはまだジワリと残る感触がある。
「今度こそ、お休みなさい、桐乃さん。」
そう言って改札に消えた草野君。
しつこい!
なんだか自信ありげじゃない?
なんだかんだと考えたらいい返事をもらえると思ってるみたいじゃない。
いつもならすぐに撤回しそうなのに。
そんな強気な部分あったの?
柏木君も驚きよ。
ああ、教えたい。ちょっと教えたい。
知らないのよね、だって紹介枠の中に私は入ってない感じだったし。
当たり前だ、直ぐ近くにいる年上の・・・ちょっと上の先輩。
ああ、びっくりするだろうなあ。
誰が聞いてもびっくりするだろうなあ。
私だってびっくりしてるし。
何がどうなってそうなったんだか。
ぼんやりと立ちつくしたままだった。
明らかに邪魔だろう。
我に返って改札に向かい、部屋に戻るべく電車に乗った。
駅についたら雨はやんでいた。
やはり悔しいと空を見上げるよりは、良かった・・・だった。
お酒を買って戻った。長い一日がやっと終わる。
占いで言われたことはメモしていた。
お金を払ったんだから、きちんと記憶に残る様に、そう思って携帯のメモ機能に入れていた。
それを見直す。
1人目から3人目の占い師さんまではあっさりとまとめるように耳新しい事を追記して増やした。特に新しい展望もなかったのだ。同じことの指摘を繰り返された時間だった。
そして4人目、『二年前の大きなチャンス、どこにあった?』そう書かれていた。
『今度は絶対見逃さないように、自分の勘と運を信じる。』
『丸く笑顔で穏やかに、常に心に地蔵菩薩を!』
自分のメモを見てちょっと笑ってしまった。
29歳になる、本当に周りがバタバタする時期、特に女性は。
抜け駆けはしないようにとお互いにお互いの様子をうかがい、いざという時のショックを和らげるように、恨みを逸らせるように、情報は小出しに、逐一報告、ハッピーのおすそ分けも忘れないように。
それでもひょっこりと思わぬ方向からゴール話の矢が飛んで来ることがある。
それは古い古い懐かしい友達だったり、母親から聞かされる親族の誰かの話だったり。
すぐに笑顔でおめでとうと言うまでに、一度表情が止まる。
いっそ30歳の壁を乗り越えたら諦めるのか、また次の壁間際まで余裕の態度を持てるのか。
『29歳ですね。・・・・・僕は24歳です。・・・・・』
この間はちょっと年上なだけだと言ったくせに、わざわざ比べるように数字を並べて、本当に顎を叩き上げたくなった。
パワハラにセクハラに・・・単なる暴行がくっつく。
『自然に無礼なヤツ。』
ちょっと距離をとり全身を眺めたり、ラインの出やすい服をわざわざ勧めたり、それはセクハラでいいんじゃない?
缶ビールが軽くなる。
自分の喉が鳴る、唸り声もついてくる。
トゲトゲだろうがカクカクの四角だろうが構わない。
自分の部屋にいるんだから高波警報を出すくらい感情の波が荒れてても構わない。
私だって言いたい愚痴は山ほどあるんだ。
結局次の日は体が重くて、何をする気にもならなかった。
濡れていた傘はベランダで干して、夕方には綺麗に乾いていた。
本当にいい天気だった。
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