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10 ぼんやりしたまま、何かをなくした気がします

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「安積さん。」

幹事役のふたりと手を振って別れてから、名前を呼ばれた。

「宇佐美さん。途中までご一緒しますか?」

「少しだけ、時間あるかな?」

そう言われて顔を見ると、申し訳無さそうな、残念そうな顔をされた。
明るく誘われたのではない。

「はい、大丈夫です。」

「コーヒーテイクアウトしていい?少し歩こうか?」

そう言われた。外のほうがいい話。
もともと分かりやすかった。
どうしてこうなったのか。

ごめんね、とその表情が話しの内容を、想像させる。
駅のコーヒー屋さんのテーブルに荷物をおいて待っててと言われた。
二人分のコーヒーを買って戻ってきた宇佐美さんと外に出た。

大きな通りを渡り、閉店したあとのお店の二階のデッキを歩く。
線路の見えるそこに置かれたベンチにはカップルが数組座っていた。

空いているベンチの前で止まった宇佐美さんが、真ん中にコーヒーをおいて座った。
見上げながら私を誘う。

「ごめんねあんまり遅くはならないから。」

すまなそうなその表情を見たくなくて、視線が逸れるようにベンチに座る。
座れば二人同じ方向を向いてても変じゃない。
・・・・ここでは向き合っても変じゃないけど。

宇佐美さんがコーヒーを手にしても、まだ一つ、ふたりの間を隔てたまま残ってる。

「何も聞かないで買っちゃった。普通のコーヒーでよかったかな?」

「はい。」
そう答えてもお礼も言わず、手にもせず。

隣で宇佐美さんが口にするのを感じる。
静かなベンチのまま。

「美味しかったね。」

そんな感想から入った。

さっき皆で笑いながら話した事。
繰り返された会話、意味があるとしたら、なかなか言い出せないことへのつなぎ。
そして、続くだろう話もだいたいわかった。

普通わかるし。

だったら私が言います。

「宇佐美さん、ごめんなさい。あの、いいんです。ちょっとこの間いろんなことがあって、落ち込んでて。葵が飲み会に誘ってくれました。宇佐美さんと飲んだ時、だいぶん元気になったんです。たくさん飲んで、食べて。葵に楽しかったかと聞かれて、楽しかったと答えました。」


勝手に心が冷えて、温かいコーヒーを手にした。

「普通に、ただ、元気になれて、うれしかったんです。本当にありがとうって、言いたかったし。それだけです。宇佐美さんが気にすることはないです。本当に迷惑かけました。ありがとうございました。今日も楽しく飲めて、食べれて、本当に元気になれましたから。今日も楽しかったです。コーヒーごちそうさまでした。おやすみなさい。」

お辞儀をして、顔も見ないで背中を向けた。

「待って、ここに誘ったのは、話があったからだけど。・・・・安積さんの話は分かった。それじゃあ、今度は僕の話を聞いてくれる?」

どうして、立ち止まるのか。

ここまで来てもすごく言いにくそうだったから、わざわざ私から言ったのに。
立ち止まった自分の気持ちには気が付かないふりで。

「僕は元気のなくなった後輩と飲もうと言われたんだけど。僕もいろいろあって落ち込んでた時期を過ぎて、久しぶりだからって誘われたんだ。」

「あそこに行くまでは本当に何も考えてなかった。後輩が女の子なんだろうなあって、うっすら予想はしてたけどね。ビックリしたなあ、向かいに安積さんがいて。」


「先月にね、仲のいい友達のところに泊まりに行ったんだ。ちょっと愚痴を言ってたら、元気になれるところに連れて行ってくれて。こんな昼間というか、朝から酒に飲まれて騒いでる人たちがいるんだってびっくりした。でもその中に若い女の子が混じってて、もっとびっくりしたんだ。」

「そいつは、友達は卓って言うんだ。1人の女の子を指して自分と同じ会社の子だよって教えてくれたけど、知らない子だった。後輩なんて自分の課の子くらいしか接点ないしね。その子がオジサンたちに呼ばれる名前を聞いてうっすら記憶にあったんだ。卓が会社では別人みたいなんだってって教えてくれて、ふ~んって思ってた。」

「すごいね、オジサンたちのさばき方が。あちこちで呼ばれて、揶揄われてるのに、しっかりやり返して、三人の薄い頭を連続してペシッって叩いてるのも見てたよ。」

「席を立って注文を取りまとめる代わりに、受け取って運ぶ時に勝手に食べたりするのも見てた。」

「卓とは喋っても自分には気が付かなかったよね。もちろん卓には口止めしたんだ。」

「この間の飲み会でまったく覚えてくれてないとはわかった。ちょっと思い出してもらえないかなって、さり気なく聞いたんだけど、まったくだった?途中変だと思った?」

それはきっと別人です。
双子の妹です。

そう言いたいのに。

名前も聞かれて、この間何となく記憶をかするくらいの何かがあった。

紹介されてたら覚えてたかもしれないのに。
卓さんが全く紹介もしてくれなかったから。

だからって、全部知ってたの?
何となくあの時に言われたことにも、納得できた。
あの日とは全然別人。
今日なんて思いっきり余所行き、猫かぶり。


「卓がね、会社での猫かぶりの動画を欲しがってた。どんなんなんだろうって。でも、まあ、知らなきゃ普通かな。逆に佐久間にあの日の安積さんの動画を見せたらびっくりするかも。でも楽しそうでいいって言うと思うよ。安積さんはこの間の飲み会の日、元気になれたって言ったけど、僕はもっと前に元気をもらってたから。あの日の可愛くて、容赦なくて、楽しく笑う女の子に。本当に・・・救われた。多分、安積さんが思ってるよりずっと。」

そう言ってもらえただけでうれしいです。
気持ち悪いとか、人格が変わって詐欺だとか、表裏が激しいとか、否定的な言葉を恐れてたけど、そう言ってもらえるだけで、うれしいです。

「だから、あの時から会社で会うことがないかなって、楽しみにしてたんだ。」

「この間の飲み会、意外に隠せてなかったよ。なんだか面白かった。これが猫かぶりの正体なのかなって。ちょっとだけ余所行きなだけで、そんなにストレスたまるほどじゃないけどって思ってたけど。髪を切ったあと、声をかけた時とか、今日とかやっぱりなかなかいい毛皮だった。もうバレてるけどねって余裕で見てたから、すごく楽しめた。」

さすがにそこまで言われたら、言い返したい。
もう飾る必要もないのなら、宇佐美さんが元気をもらえたと言う私のままで。
遠慮しない私のままで。

「性格悪いですね。最初にはっきり言えばいいのに。探るように、質問して、観察してたなんて。」

そう言ったけどさすがに恥ずかしい。
具体的なエピソードまで・・・・よく見てたみたいで。
春斗の名前を出しながらご機嫌で、飲んでいた。
確かに人の皿の分まで食べていた。
それがあそこでは普通だし、みんなやってる・・・・んじゃない?
少なくとも未希は同じことしてる。

許されてる。

「そうだね。でも言える?あの日勝手に好きになりました。この度失恋したのも何かの運命でしょうか?おつきあいしませんか?って。」

思わず顔をあげた。

さっきまでのすみません顔は、ちょっと変わってる。

「・・・・さっき振られたけどね。・・・・だけど、もっと言いたかったのは、別に意識しなくても、自然にいても、すごく魅力的だよ。何で?って。もし、何かを我慢してるなら、必要ないよ。ストレス感じるくらいに息苦しいなら、そんな毛皮いらないよね。」


目を見て言われた。
本当にそう言ってくれてるのは分かった。
ずっと両方の自分をふらふらしてて、相手には違和感ばかりを与えてたみたい。
それを本来のままの自分でいいって言ってくれて、うれしくて。
でも、もう猫かぶりバージョンも自分だから。
そっちを否定されたままだと、それはやっぱり自分の一部を否定されてるみたいで。
・・・・自分でもよくわからない。

言い切ってすっきりしたのか、コーヒーを飲んでただ前を見てる宇佐美さん。

「どうかな?」

そう聞かれても、すぐには自分の一部を捨てることなんてできない・・・・。
首を振る。
・・・・分からないから。

「そうか、・・・・やっぱり、そうなんだ。残念。」

そうつぶやかれた。

「ごめんね。遅くなったね。帰ろうか?」

そう言われて、ぬるくなったコーヒーを飲んで空にして立ち上がった。

改札を入りゴミ箱に二人分のカップを捨てて、電車に乗って、数駅で別れた。

「じゃあ、お休み。」

顔をあげた時には、もう斜めの顔しか見えなかった。
口を開いて、閉じた。

閉じたドアの向こうには歩いて行く後姿しか見えない。

おやすみなさい。心の中でつぶやいただけ。


部屋に戻って、お風呂に入り、ぼんやりと座ってる。
携帯が震えた。

葵がメッセージを送ってきた。

『どうだった?宇佐美さん。』

『少し話をした。それだけ。』

『連絡先は?交換しなかったの?約束は?もうすぐ連休突入だよ。少しくらいは会ってみてもいいんじゃない?って思ったけど、ダメだった?』

『そんな話はしてない。』

『そうか・・・・。急いでもしょうがないね。ごめんね。でも楽しかったよね?』

『うん、楽しかった。ありがとう。それは宇佐美さんにも伝えた。』

『そうか。』

『じゃあ、葵は楽しい週末を。』

『小愛はちょっとだけ休憩ね。また来週だね。』

『うん、おやすみ。』

『お休み。』



そう言われて、本当に眠くなって、ベッドに入って電気を消した。

努力して変わったのに、頑張ったのに、まさかそれを後悔するなんて、毎回毎回後悔してるかもしれないけど、少しも元に戻らないままだった。

何だか空っぽな夢を見ていた気がする。
何もない空間だけ感じてたような。
そんな寂しい気分を感じてた気がする。


もう何度か繰り返して慣れた空っぽな週末。

二日をやり過ごすのも慣れたつもりだけど。

元気になったはずの心は、また少しだけ元気のない時に戻った。


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