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5 コーヒーの冷めないうちに。

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そう思って連れてこられたのは健全なデパートの屋上。

青空の下、そうそれが正解だ。


それでもビルの中のお店が大人の女性向けのお店ばかりだから、ここに子供連れはいない。
たいていカップルか女子同士。

イベントもなく、まあまあの広さのスペースを緑でアレンジしてるくらい。
明らかに女性目線の場所だと思うのに。
こんなところもすぐに思いつくくらいなんだ。


「ふ~ん。」

思わず声が出た。



「すごいね。思ったより綺麗。初めて最近の屋上に来た。前に話は聞いてたけど、ビアガーデンがおしゃれになるわけだね。」

いい訳ですか?

買い物するようなお店もないわりにエレベーターも迷わずたどり着いてましたが。

端のほうに歩いて空いてるベンチに座る。


「何?」

すごく顔を寄せられて聞かれた。

びっくりして離れた。何でいきなりのドアップなのよ。


「何がですか?」

「何だか不機嫌モードに入ってるから。何か言いたいことがあるのかなと。」

答えない。


「気持ちいいね。久しぶりに青空に近い感覚。ほんのちょっとだけどね。」


本当にベンチにそっくり返るように仰ぎ見るように両手を広げてる。

そのリラックスぶりを横目で見下ろす。

くるっと空から視線を移された。
広げた手を腰に下ろされた。

私はすくっと背筋を伸ばして座っていたから。
そこまでリラックスは・・・・油断はしてない。
だからすぐに手は腰に降りて来たみたい。



その手が腰で跳ねる。ポンポンと。


「何だろう。何が言いたい?」

「忘れました。」

「そう、大したことじゃないんだね。思い出したらいつでもどうぞ。」

まるで信じてないみたいに言う。


二つ年上だと分かってる。
私よりちょっとオジサン。その分は余裕があるらしい。

ふん。


腰に置かれた手は跳ねることをやめてもそこにいる。
体を起こしながら、ついでに手も動いた。肩に。


「ねえ、どんな映画を想像したの?」

「分かりません。全然スパイの現実感がないからただの隣り合った二人の男女の感じでした。」

「あの時はヒールがどうかしてたの?」

「クッションが減っていたから、取りかえてもらってたんです。どうしても左右の減りが違うとバランスが悪くなるから。」


「そうなんだ。」


「藤井さんは?」

「僕はただ磨いてもらったんだ。隣の席に荷物を置いたから、何か頼まないとね。たまにはプロに磨いてもらってもいいかなって。あんまり行くところでもないから、よくわからなくて。」


「最初からそのつもりだったんですよね?」

「まさか、運命の出会いを始めるために席をキープしただけ。丁度空いたじゃない。そのためにお願いしただけ。有希さんはただの通りすがりの人の中から僕を選んで、運命のスリッパをぶつけたんだよ。」


「あそこを通る人はたいていお店に用がある人です。」

「知らない。まったくなかった。」

顔を見る。惚けてるんだろうか?
正直に言わない理由が分からない。


じっと、そのとぼけた顔を見る。


「信じてないって顔だね。」

肩の手はいつの間にか頭にいて、すごく近くで顔をのぞかれて言われた。
どアップに耐える。
今日ですっかり見慣れた顔。

ただ目を見ていた。


「ホントに新鮮。それも気持ちいいだろうね。」

そう言われて、焦点がぼけた。

頭を押されて顔が近寄り過ぎたから。

自分の顔・・・・・唇で音がした。




目は開けたままだったと思う。

色んな何かがブンと頭をよぎった。
今何が起きた?
こんなタイミングでおこる事?


「うん、個室じゃなくてもいいね、新鮮だし、何だか健全。」

そんな感想は何?

「どうしたの?」



「ねえ、まさかと思うけど、人生で初めてだったとか言わないよね。」

小声で聞かれた。

答える気もない。とりあえず距離をとった。
分かりやすく離れて座り直した。

何で手の届く距離にいたんだか。


「個室は嫌だって言うから・・・・・・・。」

小声で言ってる。


言ったけど、当たり前でしょう?
それ以降は当たり前じゃない。

「僕の部屋に招待したいなあ。近いんだよ。電車で行けるし。」

私の部屋も電車で行ける。
たいてい電車で行けるだろう。
マイホーム派以外はたいてい駅の近く所に住んでるだろう。
駅から更にバスなんて珍しいくらいだろう。


どうでもいい事を思ってる。


背中をポンポンと叩かれた。


「行こうか。」


背筋は伸びたまま、少しも油断はしてなかったのに。
手をとられて歩き出した、一緒に。

流されないってさっき思ってなかった?
今までの女性と一緒だと思うなとも心で叫んでたのに。


電車に乗ったら着いた。
電車から降りてすぐ着いた。
本当に近かった。





ソファに座り一層腰は伸びる。


「もっと寛いで。誰も見てないよ。」


少しだけ腰が緩んだ。
さすがに疲れる。


「大丈夫だよ、別に・・・・・、コーヒー飲むだけ。外じゃあ言いたい事も言ってないかなって思っただけだし。」


そう言いながらもやっぱり距離は近い。

「言いたい事って何ですか?」

「突然の不機嫌な理由とか、もっと逆の愛の告白とかでも。それなら別にさっきの『大丈夫』は取り消してもいいけど。ゆっくりしてもらってもいい、明日まで。」


「いいえ。」


「有希さん、怒ってる?」


もはや何に?
ここまでついてきた自分にも言いたいくらい。

だいたい何を思ってたんだっけ?
全部吹き飛んだ。

じゃあ、やっぱりどうでもいいか・・・・・そうなるのか。


「初めてじゃない。」

随分時間差があったのに、そこはすぐに分かったらしい。

「そうだよね。そこは残念。今まで運命感じた出会いはあった?」


「きれいさっぱり、いまだに一人も、そんな希なことは起こってないです。」

「ああ、僕の分も否定したでしょう?あんなに説明したのに。」


分かってるじゃないか。ちゃんと伝わったらしい。


「そんなに都合よく藤井さんの人生は転がってきたんですか?」

「そんな訳ないよ。だったらもっと充実した人生送ってるよね。そんな奴はいっぱいいるよ。自分の人生だからなかなか思うようにいかないねって・・・・・そう思ってたんだ、昨日の夜会えるまでは。」


「今度は全力で思うとおりにって、そう思ってる。」


「毎回そう思ってるんでしょう?」

「それは否定はしないけど、今回ほど勢いはないよ。運命の輪の回転数が違う。」




「ねえ、スパイの映画の話は信じてくれたのに、あれが唯一の嘘だと思うのに、それ以外の本当のことは信じてくれないんだ?」



「でも気持ちは伝わってるよね。そこにも全く嘘はないよ。」


「本当に、あの時はお金がかかってもあの席に座りたくて、嘘をついてでも話をしたかった。」



まさかあんなにあっさり席を立っていなくなるなんてなあ・・・・・。
そうつぶやかれた。


確かに礼二に会うよりも、もっとレアだったかもしれない再会。
よく顔を覚えてたなあと感心するところかもしれない。

あの時声をかけられたのも、恐る恐るじゃなくて、確信的に名前を呼ばれたんだから。



「藤井さんはどうなんですか?今日食事をして、少しの時間を過ごしてみて。私には聞いたじゃないですか。藤井さんこそどうですか?」


「それ聞く?ずっと言い続けてたのに。まだ足りない?」

「それは最初の出会いのことでしょう?その後のことです。今のこの瞬間までの、感想です。」

「『最高』としか言えない。」


「具体的じゃないですね。もっと冷静に見て、何か思うところはないんですか?」


「冷静でいたいけど、いれないくらい舞い上がってる。すべての瞬間が、いい。」


少しも分からない。
礼二が呆れただらしないところは見せてないにしても、もっと言いたいことがあるだろうに。


「すごく真剣に考えてくれてるのが分かる。その冷静さをうれしく思わないでもないけど、逆にそんなものも無くさせる何かが自分にないこともガッカリしてる。『運命』って言葉を振り回してても、足りないんだなあって。」

膝に軽く置いていた手を取られた。
片手をつないでソファにいる二人。


藤井さんが黙って、部屋は静かになった。


しばらくそうしてたけど、藤井さんに手を離された。


「コーヒー淹れるよ。」

そう言って立たれたから背中を見ていた。




脇に置いたバッグの中の携帯が光ってるのに気がついた。
なつみからだった。


ただ、『楽しかったね~。』くらいの連絡だった。
具体的に誰かの名前が出ることもなく、うれしい予感があったと匂わせるようなこともない。
『また伊佐木には人を変えて飲もうとお願いしよう。』
そうあったから別に誰とも何も・・・・・だったのかもしれない。

しばらくそれを見て『そうだね。外にいるからまた来週。』そう送って携帯を仕舞い込んだ。


顔をあげたらマグを二つ持った藤井さんがこっちを見ていた。
歩き始めて持って来てくれる。
そのマグを見つめていた。
胸の辺りだ。


「まさか元カレから連絡があったって言わないよね。」

「ないです。」

「でもお互い知ってるでしょう?」

「削除してます。」

「根性入れて探せば見つけられるかもね。」

「その気はないです。」


座ってる前にマグを置かれた。

ペアのマグカップ。

色違い。



「どうぞ。」

「ありがとうございます。」

一つ、自分の分を手に取って口をつける。
これを飲んだら帰ろう。
とりあえず帰ろう。



「ごちそうさまでした。」

荷物を持ちソファから立ち上がり藤井さんを見下ろす。

「帰るの?」

「はい。」

視線が外れて藤井さんも立ち上がる。

「送るよ。」

そう言われて玄関まで先に歩かれた。

藤井さんのコーヒーは途中だったらしい。
体温が上がるくらい熱いうちに飲んだ私。
まだ湯気が出てるコーヒーの残り。

申し訳ない気もした。

それでもその背中について行く。
狭い玄関で靴を履いて、ドアノブに手をかけた藤井さんにまた聞かれた。

「帰る?」



「はい。」

その返事でドアは開かれた。
そう時間は経ってない。
駅までの道も分かると思う。
『一人でも大丈夫です。』
そう言うタイミングはなかった・・・と思う。


通りに出ると駅は正面に見えている。


偶然の再会。
そもそも一回目を意識してなかった私には再会という言葉も今一つだけど。

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