関係者の皆様、私が立派な大人になれるその日まで、あと少しだけお待ちください。

羽月☆

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38 いつもが『普通』でいれること。

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水曜日まで教授から連絡もなく、仕事の資料を貰って読んでいた。
何度も読んだ、繰り返し、繰り返し。


施設に面接に行く、話を聞いて、本人の希望を聞いて、就職のお世話をする。
高校卒業、入社の日までに必要な技術を学習できるようにサポートする。
それがうまくいくようなら、実際もそれなりにうまくいくだろうと。
少しでも早く周りに慣れるように、自信が持てるように。
そして職場の周辺、もしくは通いやすいところに独り立ちのための部屋を見つける。
入居手続きから、引越しまで。
その後入社準備と、しばらくのフォローアップ。

本人がやりたいことがあるなら、それが一番だ。

目標はやる気にもやりがいにもなる。

貰った資料に添付された女の子の写真を見る。
大人しそうに、少し俯きそうな表情と視線。
色んな場面での写真を見せてもらった。

どんなときにも中心にいることはない。

成績表を見ても、何かが秀でてるという科目もなく、学校の担当教諭からのコメントもこれといって特徴のあるコメントでもない。
施設長の紹介も然り。


私がこの会社に押し込んでもらったように、付き合いのある会社だとある程度は融通が利くらしい。
それでも本人のやる気があっての事だ。
独り立ちに向かう前に後ずさりしそうな心細さが見えそうだ。

でも、人のことは言えない。
私だって慣れた環境にずっぷりと浸かっていて、今の年齢でさえ独り立ちをしようとは思わない。

まだまだ子供とも言える年齢だ。
一番気持ちが分かるだろうと、共感できるだろうと、そう思われて今回、この子を担当することになった。
人が変わるより、ずっと同じ人のほうがいいだろうと、バックアップをしてもらいながら、とりあえずの春を目指して動く。



そしてタクシーで最寄り駅からその施設に行く。

春日さんが育ったところ。
どんなところだろう。
東京といっても端のほうに位置している。
駅から離れ、住宅街を抜けて、緑の多い広い敷地に出た。

タクシーを降りて緩やかな坂を歩くと、既に子供たちの目がたくさんこっちを見てることに気がついた。

こんなに・・・・・・。

頭では分かっていたのに、その人数の多さにびっくりした。

学校では小さなグループを作って行動してるのに慣れていても、学校から帰っても、こんなに子供だけが集まって、その中で暮らす。
静かな個人的空間なんてないだろう。
部屋だって相部屋だろう。

大きい子は小さいこの手をつなぎ、面倒を見て、小さい子は大きな子を見ながら手本にして育つ。

「太郎兄ちゃん!!」

玄関につくころには自分たち三人のはずが後ろに列が出来るように、尻尾のように子供たちがついて来ていた。
春日さんはここでは『太郎兄ちゃん』と呼ばれているらしい。
春日さんがここで過ごした日はずいぶん昔なのに。
どれだけここで春日さんが必要とされてるのかが分かる。

数人の子が話しかけていて、春日さんが答えてる。
新参者の私を多くの視線が通過する。

朝陽さんの手にはお菓子の袋が握られている。
たくさんの個包装のチョコレートが入った缶が二つ。
その包みに視線を固定して、ついて来る子もいる。

玄関でスリッパに履き替えて、二人の後についていく。

さすがに園長室と書かれた部屋に入る前に後ろの列は離れていた。


園長に包みを渡すと外から歓声が上がった。
微笑ましい、普通の家庭にもある素直な子供の感情を伴った風景だ。

園長先生に紹介されて挨拶をする。

「大曲芽衣です。よろしくお願いいたします。」

「珍しく若くて可愛い人を連れてきたのね。よろしくね。」

少し話をした後に、先に別室に呼ばれた子、ななみちゃんと話をしておいて欲しいと言われ、一人別室に行った。

大きな机の端っこにポツンと座っているななみちゃん。
写真や紹介文から得られた印象と変わりはない。

「辻岡 ななみちゃん、こんにちは。」

「こんにちは。」

「今日の約束については話を聞いてる?」

「はい。」

「そう。春日さんは、太郎兄ちゃんと呼ばれてるみたいだけど、知ってる?」

「はい。」

「話したことはある?」

「いいえ。」

首を振る。

短いおかっぱの髪の毛が揺れる。

「私は春日さんのところで働いてます、大曲 芽衣といいます。名字が発音しにくくて、皆、下の名前で呼ぶから、遠慮なく、ななみちゃんも『芽衣さん』でいいからね。」

名刺を取り出して渡す。

「私もななみちゃんでいい?」

「はい。」

きちんと返事は出来る。うなずくだけじゃなくて、きちんと声が出る。

「春までに、色々と準備しないといけないのは聞いてるよね?」

「はい、毎年、何人も、そうやってここを出て行かなくてはいけないから、知ってます。」

『いけない』と、その言い方にも気持ちがうつる。

「私たちが出来るだけななみちゃんが元気に笑顔で春を迎えられるように、お手伝いをするからよろしくお願いします。少しずつ準備をしていきましょう。今日はとりあえずななみちゃんの事を知りたいと思ってるから、普通におしゃべりをして、あんまり難しく考えないで話をしていければいいそうです。それに、偉そうだけど、私も春からお仕事を始めたばかりだから、頼りないけど春日さんたちがついてるから大丈夫。何でも言ってね。」

「はい。」

少しづつ話しをして、『はい』と『いいえ』じゃない質問もゆっくり繰り返す。
就職までに受けた児童心理学のセミナーが少しは役に立ってると思いたい。

少しづつ慣れてきてくれたのか、会話中に笑顔も出るようになって。

それでもその中でななみちゃんがどんな子なのか、どんなことに向いてるのか情報を分析しなくてはいけない。
でも、そんなの最初っからは無理だから。
今日は仲良くなりたいと思った。
仕事の時間外で聞いたら、春日さんは時間をかけてもいいと言ってくれた。
決してななみちゃんのペースを無理に引っ張ろうとしたりしないでいいと。

つい知り合いのように話をしていて、気がついたら大分時間が経っていた。
一向に二人が合流してくる気配がない事に気がついた。

今年はななみちゃんが一人だけという珍しい年だと聞いている。

「ななみちゃん、ごめんね。すごく時間を忘れておしゃべりをしてて、宿題もあるよね。ちょっとだけ、参考になることも聞いていい?」

いくつか質問を用意して来ていた。

名刺ファイルを見ながら、どんな分野、職種が向いているのか、方向性だけでも分かるような質問。
最初の印象と変わらない。
人の中にいるより、地味にコツコツと作業をする方が好きみたいだし。
でも決して数字が得意な方じゃない。
パソコン操作も詳しくはないみたいだ。

やはり本人からはこれといった希望ももらえなかった。

さすがに放っとかれた印象が残る気がして、二人に声をかけに部屋を出た。
園長室は盛り上がりを見せていた。
元気な男の子が一人、春日さん相手にいろんなものを見せていた。
見覚えのあるもの。

前に掃除して段ボールに詰めた機械たち。

「あ、芽衣ちゃん、ごめんね。彼女もこっちに来てもらっていいかな?」

さり気なく朝陽さんには手にした質問票を渡した。
聞き取りをしながら、雑談で思ったことをいろいろと書き込んでいた。

「じゃあ、呼んできます。」

一緒に園長先生の部屋に入った。

隣に座る。
大体肝心の園長先生はいない。
手土産もない。

朝陽さんが全開の笑顔でななみちゃんに向き合う。

自己紹介をした後、質問用紙をなぞるようにいくつか聞いて、ななみちゃんのまっさらな心を再確認する。

「じゃあ、宿題だね。自分がどんな仕事をしたいか、少し考えていてね。」

決して押し付けるような言い方じゃない。
本当に朝陽さんは上手だと思う。

「いつでも何か思いついたり、聞きたいことがあったらメールを貰ってもいいから。さっきの名刺のところね。」

「はい。ありがとうございます。」

春日さんもようやく向き直り自己紹介する。

「じゃあ、ななみちゃんのパソコンの先生を紹介するよ。ほらっ。」

「僕が教えます。その条件で太郎さんにパソコン貰えることになったから。」

「ちゃんと教えて欲しいけど、学校の宿題の邪魔にならない程度に、一日30分くらいでいいから。来年の春までに基本を覚えてもらえばいいから。」

「任せて。」

「任せた。」

「佐原君もあんまり成績が下がるようならパソコン没収するから。そのつもりで。」

「大丈夫だよ。すごく勉強もしてるし、成績も上がったし。」

「伸びしろが大きかっただけだから、その辺は園長先生に監督してもらう。」

「大丈夫だって。」

「そう願う。」

そう言ってその子は段ボールを抱えて出て行った。

「じゃあ、ゆっくり考えてて。来月また来るから、それまでに大曲さんにいろいろ聞いていいから。」

聞いてたらしい。

他に直接いろいろ聞かなくてもいいんだろうかと不安になる。
信頼してくれたんだろうか?一切任された感じになってる。

園長先生に挨拶をして、施設を後にした。

園長先生はとてもやさしそうだった。
私にも子供たちに向けるような優しいまなざしで挨拶してくれた。
そして、最後に向けられたのは自分がすごく信頼されてるって気になるような、そんな笑顔だった。


タクシーで駅まで戻り、そのまま自宅に帰った。




ご飯の準備を少しだけ手伝って、それも話をしながらだったから、時々手が止まる。

「でね、そこでは春日さんは『太郎兄ちゃん』って呼ばれてた。」

「すごくたくさんの子供たちがいたの。ななみちゃんはお母さんが病気で亡くなったみたい。お父さんの存在は詳しくはわからないけど、お母さんは本当に小さいときに。」

「そう。いろんな子供がいるのね。」

「うん、そう思う。みんなが親を亡くしたとは限らないみたいで、もっと悲しいケースもあるかもしれない。本当に自分なんてすごく贅沢なんだって思った。自分が思う『普通』でいることがどんなに贅沢かって。」



「お母さんたちが元気でいてくれることが、すごくありがたい事だって思った。」

「それは親も思うのよ。子供が元気で育ってくれればいいって。その内に欲が出てきて、賢くてかわいくて早く幸せになって安心させて欲しいとか、色々出て来るけど。親だって子供に対して思うから、芽衣が元気でいい子に育ってくれて嬉しい。大切な時間を一緒に過ごせて、時々春日さんの方がいいって行っちゃうけどね。」

「もう。」お母さんの冗談に赤くなる。

「でも、本当にすごく幸せなことなんだって思った。だからななみちゃんの力にもなりたいと思う。」

「そうね。」

途中お父さんが聞いていたらしい
うなずいていた。

今日は早く帰って来たらしい。

食事をして普通の日常をありがたいと思いながらも、やっぱり早く部屋にはいきたくて。
ある程度話をして満足して二階へ上がった。

春日さんに電話をかける。

『芽衣、お疲れ様。大丈夫?緊張した?』

「はい、それは少しは。でもすっかり時間を忘れてて。それに全然二人が来てくれなくて、忘れられてたみたいじゃないですか。」

『なんだか楽しそうだからって園長が二人でいいんじゃないかって言うから。あの子は三人もの大人に囲まれるよりは、ちょっとだけ大人の芽衣だけの方がいいよ。』

なんですか?ちょっとだけ大人って・・・・。

「一応ちゃんと大人です。」

『知ってる。』

そう言われた。

「春日さん、『太郎兄ちゃん』って呼ばれてるんですね。」

『そうだね。代々大きな子がそう呼んで、小さい子もそうやって覚えていくからね。』

「明らかに朝陽さんの手元のお菓子について来てた子もいました。可愛いですね。」

『その内芽衣も芽衣姉ちゃんって呼ばれるようになるかもよ。』

「何でですか?朝陽さんを呼ぶ声はかからなかったですが。」

『そうなんだよね。朝陽はあそこではお菓子の運び屋でしかないね。』

「気の毒です。じゃあ私はお菓子も持ってないから、『太郎兄ちゃんのおまけ その2』です。」

『じゃあ、今度朝陽の代わりにお菓子を持ってたら、運び屋2号になれるよ。』

「はい、そうします。」

『芽衣、一人であそこに行けるかな?』

「一人でですか?」なんで?

途端に不安になってしまう。

『3人の予定を合わせるよりは、芽衣とななみちゃんの二人の予定を合わせた方が早いから。』

「・・・はい、分かりました。私の予定はどうとでもなりますし。」

『もしかしたら、そうなるかもって話ね。』

いきなり一人なんだ。
確かに皆で行く必要はないかも。

『続きは明日にしよう。仕事の話は終わり。』

そうだった。つい仕事でも、そうじゃなくても同じように甘えてしまうから。
ただ、ななみちゃんの役に立ちたいって自分が思っていればいいと、そう思った。
その為に手助けしてもらうことは甘えていることにはならない。

『今週はどうする?』

何も考えてなかった。
いくつか候補をあげながら、もう少し考えることにした。
『普通』の会話をしながら、本当に恵まれてると思った。
『普通』が本当に当たり前なことが、その証拠だ。

できたら、それが永く、いつまでも続いてほしいと思う。




次の日。

ななみちゃんからはお礼のメールが来た。
朝陽さんからの宿題は考えているらしい。

宿題と言えば私にもあった。

同窓会でまとめたみんなの仕事のいろいろ。
文章にまとめて、朝陽さんに提出した。


「芽衣ちゃん、こんな宿題本当にやったの?楽しめなかったでしょう?」

「大丈夫です。今度ななみちゃんと話をしながら感想を言ったりします。宿題は無駄にはしません。」

「せっかくの同窓会の楽しい時間を無駄にしたんだよ。やだねえ、嫉妬深くて。でも飲み過ぎたりしなかった? ちゃんと自分で帰れたんだよね?」

結局それも心配される。

「大丈夫です。お酒は最初の一杯飲んでただけでした。」


その後の時間のことは朝陽さんにも内緒だ。
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