それでもそばにいたい

ひなた翠

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第十話

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冬馬SIDE

「はい」
「……え? 唯?」

 陽真と充の家から、縁を切ったはずの唯が出てきた。

 呼び鈴を押した俺を、ドアを開けて出迎えたのが三か月ぶりの唯だった。少し顔まわりがふっくらしたように見える。

「やあ、兄さん」
 玄関で仁王立ちしている陽真を見て、俺はだいたいのからくりを理解した。

 充が出ていこうとしたのを陽真に知られた。俺に対抗すべく、陽真が唯の存在を突き止めて呼び出したのだろう。

「これは、これは……参ったな。充は?」
 俺は唯と陽真を見て、苦笑した。

「寝てる。起きてたとしても、兄さんには会わせない」
「……そ、だな。その雰囲気だと、家にあげる気もない…ってわけか」

「もちろん。『一族』のためにっていう考えで、俺の人生を壊したくない。俺は兄さんみたいにならない。そう決めてる。アルファだと充さんに知られた。二人の関係を見直す約束もした。身体の治療もする。充さんに次のヒートがきたら、番になる。だから兄さんの命令には俺たちは従わない」

「……で、どうして唯を呼んだ?」

「兄さんの本性を見てもらうため。『一族』中心でしか考えられないヤツだから、交際を見直したほういいって。兄さんも、唯さんがいたら恰好つけて暴挙にでないと思ったから」

「……そうか。わかった」

 そんなこと、とうに唯はわかってるさ。
 俺は唯に嫌われている。恰好つける必要もない。

「じゃあ、帰れよ」
「陽真、手を出せ」

「は?」

「さっきスマホを二台、契約してきた。お前と充の分だ。それがこっちの袋に入っている。もう一つの袋には、唯の勤めてる会社の系列店の住所と、お前たちの社員証だ。治療代を稼ぐにはバイトだけでは、やり繰りが難しいだろ。あと、新しい住居の書類と鍵も入ってるから。家具は一応そろえてあるが、足りないものは二人でそろえるといい」
 俺は紙袋を二つ、陽真に手に渡した。

 てっきり引き離されると思っていたのだろう。理解が追い付かない陽真が、驚いたまま固まっている。

「準備に手間取ってな。三か月かかったが……二人で生きていくにはいい場所だと思う」
「……ど、ゆこと?」

「俺みたいにならないんだろ? その人生がここに詰まってる。それだけだ。父さんの目を誤魔化せられるのは、ほんの一時だ。それまでに説得できるだけの材料を集めておけ。俺にできるのはここまで。あとは二人で何とかしろ」

「兄さん?」
「なんだ?」

「ありがとう」
「ああ。幸せに」

 俺は弟の頭を何年かぶりに撫でると、しばらくは会えないであろう彼の顔を焼き付けた。

 頑張れよ。つらいのはこれからだ。
 俺が知らないふりをしていられる時間は長くない。

「兄さん!」
 帰ろうと背を向ける俺に、陽真が慌てて声をかけてきた。

「ん?」
「唯さんは……」

 陽真につられて、俺は振り返りながら唯の姿を目に入れる。
 いつの間にか陽真の後ろに隠れるように立っていた唯と目を合わせてほほ笑んだ。

「幸せに」
 どういうカタチでもいい。

 唯らしい幸せを見つけてくれれば……かまわない。そこには俺の居場所がないって知ってるから。

「兄さん、ちょっと……」
「陽真、仕事が残っているんだ。充には、俺の命令に背いたからクビだ、と伝えておけ。じゃ」

 俺は、呼び止めようとする陽真の声を無視して、家を後にした。
 共同廊下を歩きだすと、背後で玄関の開閉音がして追いかける足音が聞こえた。

「神保さん」
 唯の声に俺は無言で振り返った。

「お仕事があるのに呼び止めてすみません。ただ、彼らの家で話すことではないので、ここで失礼します」

 そういうと唯はポケットの中から、何かを出してきて俺に差し出してきた。

「……これは?」
「お返しします。一応といって、置いてくださったみたいですが……使いませんでした。そもそも使う必要もないですし」

「妊娠しにくいってだけだろ。可能性はゼロじゃない」
 俺は差し出してきたものを、押し返した。あの時、使わなかったのなら、別の時に使えばいい。

「ええ。ゼロじゃなかった」
「……は?」

 唯が嬉しそうに笑って、薬を持ったまま腹に手を置いた。

「三か月過ぎたのに、ヒートがこないし、くる気配もない。なのにやたら胃がムカムカして気持ち悪かったので。一昨日、念のために病院に行ってきました」

「妊娠、してたのか?」
「はい。だからもう、アフターピルはいらないんです」

 再度、差し出された唯の腕を俺は掴んで引き寄せると抱きしめた。

「おめでとう! 唯! ……あ、悪い。唯は望んでなかった、よな」

「僕が愛を自覚した途端に、逃げ出した男がいました。泣き顔を見たくないとか言って……僕の過去を知っても、何度も求めてきたくせに。だから妊娠してたら、子どもを盾にして無理やりでも結婚を迫ろうって思ってたんです……でも、本人を目の前にしたら、どうでもよくなりました。嬉しそうな顔をしてくれるだけで、もう……いいです」

 ぎゅうっと俺に抱き着くと、目に涙をためてほほ笑んできた。

「唯、ありがとう。ずっと傍にいてほしい」

「はい、ずっと傍にいてあげます。あ、荷物を陽真くんの部屋に置いてきたので、取ってきますね。待っててください」
「ああ」

 にこっと笑みを浮かべると、唯が俺から離れて廊下を戻っていく。

 嬉しい。まさか、自分に子どもができるなんて……想像もしてなかった。

 そうか……俺も、父親に、な……る、んだ――。

 ぐにゃりと世界が歪んだように見えた。遠くで誰かに呼ばれているような気がしたが、目の前が真っ暗になって意識が飛んだ。
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