年下αの一途な愛〜離さない、諦めない〜

ひなた翠

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第一章:出会いと契約

神宮寺との出会い

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 医学部六年の冬、僕は奨学金とアルバイトで何とか生活を繋いでいた。深夜のコンビニでバイトをして、昼は授業を受け、空き時間は図書館で勉強する日々。

 睡眠時間は一日四時間ほどで、身体は常に疲れていて、目の下には濃いクマができていた。図書館の椅子に座っていると、教科書を開いたまま眠ってしまうこともあった。母のような人を一人でも多く救いたい気持ちで医師を目指していたが、金のない人間が医学部に通うのは想像以上に過酷だった。

 母はオメガで、僕を一人で育ててくれた。父はいない――というか、知らない。詳しくは知らないが母は当時付き合っていた人に捨てられたらしい。父の話になると一切、口を割らない母だったから、幼い頃に母が友人と話していた内容から予測しかわからない。

 どこかの会社の社長と付き合っていて、母は結婚も考えて付き合っていた。プロポーズもされていたなかで、僕を身籠った。入籍をいつにしようかと話していたタイミングで、彼氏の嫁だという女性が弁護士を連れて乗り込んできたらしい。

 母はあっさりと彼に捨てられ、一人で僕を産んで育ててくれた。

 身体の弱い母は、よく倒れていた。病院に行くお金もなくて、市販の薬でごまかしていた。僕が医師を目指したのは、母のような人を一人でも多く救いたいと思ったから。強欲なアルファに利用されて、辛い思いをするのはオメガだ。社会的に差別を受け、苦労してきた母のような人たちを、僕は助けたいと思っていた。

 ある冬の夜、いつものようにコンビニでレジに立っていると、自動ドアが開いて客が入ってきた。僕は顔を上げて、息を呑む。

 すらりとした高身長に服を着ていていも絵画のように美しい肉体美。さらには整った精悍な顔つきの男性が、こちらに向かって歩いてきた。

 清潔感のある服装に品のある佇まいで、育ちの良さが滲み出ていて、栗色の髪が柔らかく額にかかっている。深い黒い瞳が僕を捉えて、笑顔を向けてきた。僕の好みど真ん中の顔で、思わず見惚れてしまう。

 男性が商品を持ってレジに来る。僕は平静を装ってバーコードを読み取り始めた。お茶とサンドイッチ、それからチョコレートを買っていく。

 大きな手で、指が長い。会計が終わると男性が僕の手を掴んだ。驚いて顔を上げると、男性が真剣な眼差しで僕を見つめている。

「好きです。付き合ってください」

 突然の告白に、僕は目を見開いた。心臓が跳ねて、掴まれた手が熱くなる。男性の手は温かくて、僕の冷たい手を包み込んでいた。

「え? 僕と初対面ですよね?」
「一目惚れなんです」

 男性の声は真剣で、熱のこもった視線が僕を捉えている。高級そうな服装といい、整った顔立ちといい、目の保養としては最高ランクの推しになる相手だ。心の中で「はい」と答えそうになって、僕は慌てて首を横に振った。

(待て待て。どう見ても、こいつはお坊ちゃん育ちだろうが)

 生きる世界が違う人間との恋愛はしない。僕はそう決めている。

 母が苦労してきた姿を見てきた僕には、よくわかっている。アルファとオメガの格差、金持ちと貧乏人の差、そうした壁は簡単には越えられない。利用され、価値がなくなればあっさりと捨てられるのはオメガのほう――。

(僕はオメガだから)
 絶対に利用されない。

「お断りします」
「好きです!」
「さっき聞きました」
「交際をお願いします」
「だから、お断りします」

 僕は握られている手を振り払った。男性は名残惜しそうに手を離し、僕を見つめる。

「また来ます」

 男性は商品を持って店を出ていった。自動ドアが閉まる音が聞こえて、僕は大きく息を吐いた。(危なかった)
好みの顔過ぎて、うっかり「はい」と言いそうになってしまった。気を引き締めないと、と僕は自分に言い聞かせた。

 あの男は「また来る」と言っていた。あまりにしつこい場合は、バイト先を変えることも検討しよう。


    ◇◇◇


 数日後、大学のカフェに入ると、見覚えのある男を目が合った。

(あいつ! この学校の人間だったのかよ)
 最悪だ――と心の中で悪態をつく。

 コンビニでいきなり告白してきた男性が立ち上がって僕がいる場所へと向かってくる。すぐに踵を返すと僕は、カフェを飛び出した。

 逃げないと。
 どこかに隠れて――。

 そんな思考に支配されるなか、僕はいとも簡単に男に腕を掴まれた。行き先の迷いが、僕の動きを鈍らせていたのだろう。

「三浦先輩ですよね。医学部二年の神宮寺です」
(しかも後輩かよ!)

 大人びた顔つきから、てっきり同学年か――もしかしたら院生かと思ったが。

 神宮寺の明るい笑顔が、僕に向けられる。育ちの良さが滲み出ていて、心のささくれを刺激して苛立ちが込み上がってくる。

(医学部に入学するような人間はお坊ちゃん率が高すぎる)

 僕と同じような苦学生のほうが少ない。奨学金とバイトで何とか学費を払っている僕とは違って、神宮寺のような人間は親が学費を出してくれて、生活費も困らないんだろう。

 コンビニで好みの顔だからとうっかり「うん」と言わなくて良かったと、僕は心から思った。

「先輩、カフェでコーヒー、奢らせてください」
 神宮寺が笑顔で言う。僕は首を横に振った。

「結構です。飲みたい時に自分で買うので。それにコーヒーは胃が痛くなるので飲まない」
(ってか、腕を離せ。怪力野郎)

 ぶんぶんと腕を振っても、叩き落とそうと叩いても神宮寺の腕はびくともしない。なんだったら、さらに強く腕を掴まれて、指が食い込んできて痛い。

「先輩、いつも図書館にいますよね。勉強、教えてもらえませんか」
(はあ――? なんで僕が!)

 神宮寺が食い下がってくる。僕は首を横に振った。

「悪いけど、僕も忙しいから」
「お願いします。どうしても先輩に教えもらいたいんです」
「他にも優秀な人はいるだろ。そっちに頼んでくれ」

(こいつとは関わっちゃいけないって、そう僕の心がざわついてるんだ、察しろよ)

「先輩じゃないと嫌なんです」

 神宮寺の視線が僕を捉えて離さない。真剣な眼差しで、僕を見つめている。僕は視線を逸らそうとしたが、神宮寺の瞳から目が離せなかった。

「なんで僕じゃないといけないんだよ」
「先輩といると、勉強が楽しいんです」

「まだ一緒に勉強したことないだろ」
「でも、先輩といたいんです。お願いします」

「――その前に、腕を離せ」
「嫌です。勉強、教えてくれますよね?」

 僕が「教える」と言うまで、離す気はないのだろう。僕は溜息を吐き、根負けをするしかなかった。

(最悪だ)

「週に一度だけだからな。それ以上は無理」
「ありがとうございます!」

 神宮寺が顔を上げて、笑顔を見せる。その笑顔があまりにも嬉しそうで、僕は視線を逸らした。

(週に一度だけ、だ)

 それに、これだけの容姿だ。こいつはオメガだけではなく、ベータやアルファの女性たちにもモテるだろう。

(すぐに飽きるさ)
 なんの面白みもないオメガの男に。

 それから数週間、僕は図書館で神宮寺に勉強を教えた。神宮寺は優秀で、一度教えたことはすぐに理解して、応用問題も難なく解いていく。教科書を開いて説明すると、神宮寺はノートにメモを取りながら真剣に聞いている。時々質問をしてくるが、的確で鋭い質問ばかりだった。教える必要があるのか疑問に思うほどだ。

 接点を持つためのただの口実。

 身体の関係を持ちたくて近づいただけだろう。すぐにほかに移る。どの男たちも、僕がいっこうに心を開かず、抱けないとわかれば立ち去っていった。

 ある日、図書館で勉強を教えていると、神宮寺が顔を上げて僕を見つめた。真剣な眼差しで、僕を捉えている。

「先輩、俺と付き合ってください」
 再度の告白に、僕は眉をひそめた。

「無理。見るからにお坊ちゃんな奴とは付き合わないって決めてる」
「俺、お坊ちゃんじゃないです」

「そのシャツ、ブランドものだろ。そういうのを着れる奴とは付き合わないって言ってんの」
「これ、脱げば付き合ってくれます?」

 神宮寺が真剣な顔で言う。僕は呆れて首を横に振った。

「そういうことじゃないから」
「どうしたら、先輩と付き合えますか?」

「一生付き合えないから。考えなくていい」
「俺、諦める気ないですよ」

 神宮寺の視線は真剣で、僕は溜息を吐いた。諦めてくれないなら、無理難題を突きつけるしかない。僕は神宮寺を見つめて、口を開いた。

「お前、外科志望だったよな。実家も大病院だって聞いた。じゃあ、精神科医になったら考えてやる。考えてやるだけで、付き合うとは限らないからな」

(どうせ無理だ)

 大病院の息子だ。外科医は花形で、病院の収入源にもなる。大病院の跡取りが精神科医になるなんて、親が絶対に許さないだろう。僕は内心でそう思いながら、神宮寺を見つめた。

「わかりました。精神科医になります」

 即答に、僕は目を見開いた。神宮寺の表情は真剣で、冗談を言っている様子はない。深い黒い瞳が僕を捉えていて、揺るぎない決意が滲み出ていた。僕は何か言おうとしたが、言葉が出てこなくて、ただ神宮寺を見つめるしかなかった。

(本気なのか?)

「付き合うわけじゃないからな! あくまでも考えてやるだけだ」
「わかってますよ。先輩の恋愛対象に入れるだけ、今はそれだけで充分です」

(――何を言っているんだ?)

 それだけで充分?
 意味がわからない。こいつは、長期戦を視野に僕と恋愛しようとしているのか?

(いや、騙されるな。落ちない相手にムキになっているだけだ)

 僕は神宮寺から目を逸らすと、「時間だ」と荷物をまとめてその場から立ち去った。

「先輩、コンビニに行きますね」
 背中に神宮寺の言葉が刺さる。

(来なくていい!)
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