愛の物語を囁いて

ひなた翠

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一線を越える夜

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「駄目だって言って……んんっ」

 先生の抵抗する手をすり抜けると、僕は先生に唇に重ねた。

 アルコールの味がする。ビールの苦みを、先生越しに感じた。

 ちゅっと音をたてて、軽く触れた唇が離れた。

「これでいいだろ」

 先生が僕の胸をぐっと押した。

「嫌だ。もっと……。いけないってわかってるんだけど、先生が欲しいよ」

 僕は先生の唇を再度、奪った。舌を使って、先生の中に入る。

 ゆっくりと先生の手の力が弱まっていく。僕はベッドに片膝を乗せると、先生に体重をかけた。

 ちゅ、ちゅく、っちゅ。と互いの舌を絡ませるたびに、音が鳴る。

 先生の手が僕の腰にいくと、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「キス…だけ、だからな」

 キスの合間に、先生が熱い吐息を吐きだしながら呟く。

「ん、わかってる。キス、だけ」

 僕は先生の膝の上に乗ると、首に手を回した。

 キスだけ。それ以上はしない。キスだけ……。

 先生の手が僕の背中へとあがる。ぎゅっとさらに強く抱きしめると、もっと深いキスを求め合った。








「伊坂、朝だぞ」

 先生の低い声が間近でして、僕は瞼を持ち上げた。

 すでにワイシャツ姿の先生が、ネクタイを結んでいる。

 僕はシングルベッドの中で、欠伸をすると「眠いよ」と顔を手で覆った。

「家から登校するよりもゆっくり寝られただろ」

「まあ、そうだけど」

 よいしょっ、という掛け声とともに、僕は身体を起こした。

 先生に借りた大きめのTシャツから、柔軟剤の良い香りがふわっとあがってくる。

「先生、何時に起きたの?」

「4時」

「はあ? 早くない!?」

「俺は朝方なんだ。朝のうちにいろいろとやっておけば、帰って来た時に楽だからな」

「ふうん」と僕は返事をしながら、Tシャツを脱いだ。

 先生が洗濯しておいてくれた下着や制服に僕は手を伸ばす。

「朝食を作っておいたから、食えよ」

「え?」と僕は顔をあげた。

 先生がテーブルにある皿を指でさした。

 ロールパンと卵焼き、ベーコンにサラダが盛ってある。まるでカフェでよく見かけるワンプレートのランチみたいだ。

「僕の分?」

「俺はもう食べたから。食い終わったら、流しに置いておけ。洗わなくていい」

「……あ、うん」

 僕は、朝食を見てからフッと小暮先生に強要された行為を思い出して、気持ち悪くなる。

 おかしいな。先生にキスしてもらったときは、気持ち悪いなんて思わなかったのに。

 僕は英先生の顔をちらっと見てから、下を向いた。

 夕食も食べなくて、朝食も食べたくないって言ったら、先生……なんて思うだろうか?

「どうした?」

「先生とキスしたら、食べられるかも」

 先生の眉間に皺が寄った。

「昨日の夜にキスしただろ」

「先生、僕にキスして」

 ふうっと先生が息を吐きだすと、ベッドに座っている僕の肩を抱いた。

 先生の唇が重なると、ちゅ、ちゅくっと音が鳴った。

 先生の舌が僕の身体を癒してくれる。まるで痛い傷を縫う前に刺す麻酔注射みたいだ。

 すごく気持ち良い。

「もう行かないと。合鍵を置いておくから、放課後ふらつかずに戻って来いよ」

「はい」と僕は頷くと、先生が僕の肩をポンと優しく叩いた。

 床に置いてある鞄を手に取ると、先生が部屋を出て行った。

『戻って来いよ』だって。

 なんだかくすぐったい言葉だ。僕は、ここに戻ってきいいんだ。嬉しいよ。

 僕はテーブルの前に膝をつくと、先生が用意してくれた朝食に手を伸ばした。

 先生のキスの感触が残っているうちに、この食事を食べてしまいたい。

 じゃないと昨日の嫌な記憶が蘇って、すぐに食欲が減退してしまう。その前に、先生がせっかく作ってくれた食事を口の中に入れたいんだ。
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